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06.公爵令嬢ディアナの確信



〈公爵令嬢ディアナ視点〉



 第二王子アレクシスとの婚約を告げられてから、約二年後。

 私は十歳になった。



 婚約を拒否する手立ても見つからぬまま、あれから粛々(しゅくしゅく)と勉強に励んだ。たとえどのような未来が待っていようとも、身につけた教養だけは自分を裏切らない武器になるはずだ。


 もし物語の定番通りに婚約破棄を突きつけられたなら、その時は迷わず国外へ逃げよう。そう決めて、近隣諸国の情勢や風土についても深く学んだ。


 前世の記憶が蘇ってからの私にとって、勉強はもはや苦ではなく、王国語以外の言語もあっという間に習得してしまった。



 ――もっとも、父や母、そして執事たちは、私が愛しの婚約者のために熱心に「花嫁修業」に励んでいるのだと誤解しているようだけれど。まあ、それはさておき。




 第二王子との顔合わせは、国王陛下と王妃殿下を交えて王宮の庭園で行われた。


 さすがに緊張するかと思ったが、「いっそ失敗して破談になれば儲けもの」という余計な度胸が据わっていたせいで、全く物怖(ものお)じしなかった。自分の思い切りの良さが少し恨めしい。



 春の花々に彩られた庭園は、隅々まで手入れが行き届いた毅然とした美しさがあった。


 選び抜かれた極上の花々が、その色や高さまで計算し尽くされた配置で咲き誇り、風にそよぐたびに甘い香りがさざ波のように押し寄せる。


 ゆっくりと見学したい……というか写真にでも収めたいところだが、今は王家をお迎えする立場だ。臣下である私たちは、王家の方々がお見えになるまで、頭を下げて待ち続けなければならない。



 やがて視界の端に、王族のみに許された金糸の刺繍が施された濃紺の衣装が現れた。


「よく来てくれた。今日は大事な場ではあるが、我々しかいない身内だけの場でもある。楽にして過ごしてくれ」


 その言葉でようやく顔を上げることが許された。


 そこには姿絵で見慣れた陛下と王妃殿下。そして――陛下をそのまま小さくしたような、整った顔立ちの少年が立っていた。


「陛下、王妃殿下、アレクシス殿下。本日はよろしくお願い申し上げます」


 父が挨拶し、母が穏やかな笑みを浮かべて会釈する。母から目で合図されたのを確認して、私は一歩前に出た。



「テトラ公爵家長女、ディアナと申します」


 ドレスの裾を優雅に摘み、ゆったりとした所作でカーテシーを披露する。


 美しいカーテシーを維持するには、実は相当な筋力が必要だ。ただ練習を繰り返しても(らち)が明かないので、人知れず体幹トレーニングに励んだ結果、ようやく理想的な姿勢を保てるようになってきた。

 所作の美しさとは、突き詰めれば強靭な体幹と筋力が物を言うのである。



 深いお辞儀から顔を上げる際、白銀の髪の隙間からそっと相手の様子を窺った。



 すると、そこに立つアレクシス殿下は、あろうことか間抜けに口を開けてこちらを凝視していた。そのままぼんやりと立ち尽くし、挨拶を返すことすら忘れてしまっている。


(……え、なに? 挨拶は? これ、嫌がらせの耐久レースか何かなの!? )



 何かリアクションをもらえないと、この姿勢のやめどきがわからない。いくら筋トレを頑張ったとはいえ、この体勢で放置されるのはさすがに足腰にくる。


 私が困ったように眉を下げると、ようやく王妃殿下が救いの手を差し伸べてくれた。


「アレクシス、ディアナ令嬢に見惚れてしまう気持ちもわかるけど、あなたも挨拶なさい」


 王妃殿下のからかうような声に、アレクシス殿下は勢いよく顔を背けた。


「アレクシスだ」


 目も合わせず、ぶっきらぼうにそう呟くだけ。

 正式な返礼すらもらえなかった。



(……なるほど。物語のテンプレ通り、彼は私が婚約者であることを不満に思っているのね)


 案の定、傲慢な俺様王子で確定かしら。

 そんなことを考えながら、私は促されるままに用意された席へ着いた。




 その後、王妃殿下の計らいで二人きりの時間をいただいたが、一生懸命に会話を盛り上げようとする私に返ってくるのは、終始冷淡な一言だけ。

 十分ほど努力したが、さすがに話題も尽き、私は静かに口を閉じた。


 黙り込んだ私を見て、「ようやく終わったか」とでも言わんばかりに、彼は散策を勝手に打ち切ってガゼボへ向かい、私の歩調を無視して、スタスタと戻り始める。エスコートの『エ』の字も知らないらしい。



 これが傲慢な俺様キャラでなくて何だというのだ。


(予想を裏切らない展開。間違いなく婚約破棄を突き付けてくるタイプの傲慢王子だわ! たとえ断罪されなくても、こっちから願い下げよ!)


 私は王子の金色の後頭部を見つめながら、固く心に誓った。




 ガゼボに戻ると、そこには見知らぬ人物が立っていた。


「挨拶しようと思ってきたんだけど……遅れてしまってごめんね」


 金髪碧眼で、顔の造作こそ第二王子と瓜二つ。けれど、どこか中性的で柔和な雰囲気を纏っている。柔らかな微笑からは、逆にその真意が全く読み取れない。


(ああ、この人が――)


 私は先ほどよりもさらに深く、流れるような所作で膝を折った。

 王族へ捧げる、非の打ち所のない最上級の礼。


「アクアリム王国、次代を照らす太陽にご挨拶申し上げます。テトラ公爵家ディアナと申します」

「第一王子レイモンドです。こんな素敵な義妹ができるだなんて楽しみだな」



(第一王子レイモンド殿下、事前に姿絵を確認できていなかったけれど、一目でわかったわ――)


 彼は私と大して年齢が変わらないはずだが、圧倒的な貫録(かんろく)まとっていた。まるで私の価値を測るかのようにわずかに目を細める仕草も、おそらくは計算されたものだろう。



 私はあえてにっこりと微笑み、先制攻撃を仕掛けた。


「恐れながら、レイモンド殿下。――そのお手元の御本、もしやラグーン公国の歴史書ではございませんでしょうか?」


 その一言で、彼の瞳に初めて明らかな驚きの色が走った。


(よし! こういうタイプには、こうした予想外の一撃が一番効くのよね……)



 レイモンド殿下は、少しだけ戸惑いながら抱えていた本の表紙を見せるように差し出した。


「そうだよ。まさか、この本を知っている者にこれほど早く出会えるなんてね」

「最近読んだばかりで、お恥ずかしいのですが……」


『何故これを? 教師が勧めるには、君の年齢ではいささか難解すぎると思うけれど』


 はにかんで見せた私に対し、彼は唐突に流暢な異国語で問いかけてきた。


 私が本当に内容を理解しているのか、それともおべっかで擦り寄ろうとしているだけなのかを試しているのだろう。だが、彼がいくら「できた十二歳」であろうと、中身は小学生だと思えば怖くない。こちらには精神的な余裕があるのだ。


 私はきょとんと瞬きをしてみせた後、一切の躊躇(ちゅうちょ)なく同じ言語で言葉を返した。


『先進国であるラグーン公国の、民の暮らしを知りたかったのです。政治を学ぶのは当然ですが、国とは民によって支えられているもの。民の営みから学ぶべきことは、多くあると考えまして……』



 そこからは、レイモンド殿下による怒涛の質問攻めが始まった。投げかけられる問いは、もはや子どもの会話ではなく、熱を帯びた真剣な討論。

 でも驚いたことに、私自身もそれが楽しくて仕方がなかった。前世で培った知識と今世で詰め込んだ情報が、彼の鋭い意見とぶつかり合って、どんどん白熱していく。




 アレクシス殿下の存在を思い出したのは、ダンッと、彼が力任せに地面を踏み鳴らしたときだ。


 彼は己の存在を主張するかのように乱暴に地を蹴ると、「つまらんっ!」と吐き捨てるように叫び、そのまま庭園を飛び出していった。


「あ! アレクシス!」


 レイモンド殿下が慌ててその背を追う。両親たちも異変に気づき、その場はなし崩しに解散となった。




 ……正直、存在を忘れていたのは申し訳ないとは思う。けれど、ずっとこちらを無視していたのはあちらの方だ。


(やっぱり、あの第二王子はダメそうね)


 少なくとも、彼との結婚は万に一つもありえない。それが確認できただけでも、今日の訪問は大きな収穫だったと言えるだろう。





ディアナ(転生者):「この第二王子、ダメだわ(確信)」

ディアナ(純粋):「なんて素敵な王子様……!(感動)」


誰も知らない「もうひとつの運命」の断片。


次回、閑話「IF:前世の記憶を持たない公爵令嬢の場合」

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