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03.第二王子アレクシスの挫折



〈第二王子アレクシス視点〉



 ディアナ嬢は、同い年とは到底思えないほど賢く、そして俺が見下していた兄上は、俺などより遥かに、王族としてふさわしい振る舞いを体現したお方であった。


 昨夜、脳内で繰り返していたシミュレーション。

 緊張する公爵令嬢を堂々とエスコートし、彼女からの尊敬と心酔を一身に浴びて、婚約者としての主導権を握る。


 そんな甘い空想は、今や見る影もなく打ち砕かれていた。




 翌日、あれほど楽しみにしていた騎士爵家の令息たちとの手合わせも、散々なものとなった。

 昨日の二人の姿が脳裏にちらつき、そのたびに身体が強張(こわば)ってしまうのだ。


 思うように力が出せず、血気盛んな令息たちになす術もなく打ち込まれる。ついには勢いに負けて無様に尻餅(しりもち)をついた俺の姿に、指導していた騎士団長はかける言葉も見つからない様子で戸惑うばかりだった。


 期待していた時間は、これ以上ないほど酷い結果に終わった。



 気持ちの整理もできないまま更衣室へ向かうと、廊下の角から、今日の手合わせに呼ばれていた令息たちの話し声が聞こえてきた。


「レイモンド殿下は、剣を持たずとも恐ろしく強かったという話だぜ」


「アレクシス殿下は毎日訓練を欠かさないと父上から聞いていたけど、毎日あんなに必死にやって、結局あの程度かよ。……努力すればいいってもんでもないよな」


 不敬な言葉に、煮えくり返るような憤りを感じて拳を振り上げる。


 だが、それも一瞬のことだった。

 不意に力が抜け、指先は氷のように冷え切ってだらりと垂れ下がる。


(……あいつらの……言うことは、正しい)


 油断すれば糸の切れた人形のように崩れ落ちてしまいそうで、俺は周囲の視線から逃れるように、その場を早足で立ち去った。






 座学の時間になった。


 全く復習をしてこなかったため、確認テストの結果は見るに堪えないものだった。



「この本を知っているか?」


 集中を欠いた俺を案じる教師を無視して、あの日庭園で目にしたものと同じ、黄色の表紙の本を差し出す。


 あの後、図書室で必死に探し出したのだ。すぐにでも読み終えてやろうと思ったのだが、それは王国語ではなく、当然のように公国語で記されていて、今の俺にはどうすることもできなかった。


「これはラグーン公国の歴史書ですね。半年前に公国で発行されたばかりのもので、国内にはまだ翻訳本すら存在しないのですよ。こちらは、いかがなさいましたか?」


「兄上と……ディアナ嬢が、読んでいたんだ」


 苦々しく呟くと、教師は何気ない様子で追い打ちをかけてきた。


「左様でございましたか。レイモンド殿下が既にラグーン公国語を使いこなされているのは存じ上げておりましたが、テトラ公爵家のご令嬢も、殿下と同じお年で既に習得されているとは」


 「素晴らしい婚約者を迎えられましたね」と我が事のように誇らしげに微笑む教師に、俺はもう何も言い返すことができなかった。

 悪意のないその言葉は、どんな罵倒よりも深く俺の胸に突き刺さった。






 俺が散々見下していた兄上は、俺のように時間をかけて泥臭く取り組まずとも、あらゆることを一度で成し遂げてしまう本物の天才だったのだ。


 人よりも抜きん出た才を持ち、真に王族として選ばれた者とは、兄上のような人のことを言うのだろう。


 俺はここでようやく、世界が自分を中心に回っていないことを――。

 兄上のスペアにすらなれない。己が単なる『不良品』だったという残酷な事実に、今更ながら打ちのめされた。



 そして、婚約者として紹介されたディアナ嬢もまた、そんな兄上の隣に立っても遜色のない聡明な女性だった。


 ……だというのに、彼女は第二王子の婚約者として引き合わされた。もし「釣り合わない」のだとしたら、その要因はすべて、俺の実力が足りないことの証明に他ならない。





 とうとう座学も騎士団の練習も休み、自室の暗がりに閉じこもってしまった俺のもとへ、父上がわざわざ足を運んできた。


「アレクシス」

「父上……」


 父上はどこまで知っているのだろうか。

 王族としての資格を剥奪(はくだつ)されるのだろうか。


 実の父親とはいえ、この国の最高位に位置する陛下が訪ねてきたのであれば、俺は本来、臣下の礼を尽くさねばならない。


 だというのに、ベッドの上から動くこともできず、寝室にまで入ってきた陛下をぼんやりと見上げる俺は、王族どころか貴族としても失格だった。




 恐怖と不安で縮こまる俺に、父上が投げかけたのは、あまりに意外な問いだった。


「お前はどうしたい?」


 父上からの初めての問い。

 王族たるもの、その地位に相応しく我が身を磨くこと以外、考えたこともなかった。



「……俺は、王族として相応しくありません。落ちこぼれだ。才媛(さいえん)と名高いディアナ嬢とも、合わせる顔など……」


 絞り出すような俺の声に、父上が目を閉じる。


 俺と兄上の艶やかな金髪は父上から、透きとおるようなアクアマリンの瞳は母上から譲り受けたものだ。

 カーテンを閉め切った薄暗い寝室で、父上の放つ金色の輝きだけが眩しく見えた。


 背後の開いたドアからは、廊下の奥の喧騒(けんそう)がかすかに漏れ聞こえてくる。

 自分は出来損ないの王子なのだと、誰かが噂しているのではないか。周囲の視線や声が怖くなり始めたのは、いつからだっただろう。


 かつて自分もあそこに居たはずなのに、今はもう別世界の出来事のようだ。




 父上は、俺の震える拳をじっと見つめていた。


 わずかな沈黙の後、発せられたのは、為政者(いせいしゃ)としての冷徹な響きではなく、父親としての穏やかさを含んだ言葉だった。


「……辺境伯のところに行ってきなさい」


 その言葉が意味するところを、俺はまだ知らない。






 王宮に居場所などないと思い詰めていた俺は、父上の言葉に深く頭を下げて恭順の意を示し、少ない荷物をまとめ、振り返ることさえできず、逃げるように王都を後にした。



 遠い辺境へ向かう大きな馬車に乗り込む際、王宮の門の陰に、そこにいるはずのない金色の髪がふわりと揺れたような気がした。




アレクシスの心を奪い、そして絶望させた完璧なる公爵令嬢、ディアナ。

幼くして異国の言葉を操る彼女には、誰にも言えない「秘密」があった。


次回、「公爵令嬢は、前世を思い出す」。


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