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02.第二王子アレクシスの失恋



〈第二王子アレクシス視点〉



 婚約者との顔合わせは、両家の親の立ち会いのもと、王宮の庭園で行われることになった。


 季節によってガラリと雰囲気を変える王宮の庭園は、今は春らしいパステルカラーの小さな花々を中心に彩られている。


 俺は父上と母上に続き、王家伝来の金糸(きんし)刺繍(ししゅう)を施した濃紺の正装に身を包み、地面を力強く踏みしめて迷いなく前に進んだ。花々が暖かい風によって揺れて、甘い香りが鼻をくすぐる。


 顔合わせにはおあつらえ向きのシチュエーションに、俺の笑みは自然と深くなった。


 


 用意されたガゼボに近づくと、その手前で公爵夫妻、そして陽光に透ける絹糸のような銀髪の少女が並んで頭を下げていた。


「よく来てくれた。今日は大事な場ではあるが、我々しかいない身内だけの場でもある。楽にして過ごしてくれ」


 身分の高い者が話しかけて初めて、下の者は顔を上げ、挨拶することを許される。父上の言葉を受けて数秒の間をおいてから、三人が静かに顔を上げた。


「陛下、王妃殿下、そしてアレクシス殿下。本日はよろしくお願い申し上げます」


 初めに公爵が挨拶し、夫人が穏やかな笑みを浮かべて会釈する。



 公爵夫人が目で合図すると、少女が頷いてその場で一歩前に出た。



「――っ」


 まず、その少女の儚いまでの美しさに、俺は思わず息を呑んだ。




「テトラ公爵家長女、ディアナと申します」


 凛と透きとおった声と共に、彼女がドレスの裾を摘み、優雅な所作でカーテシーを披露する。



 カーテシーは、動作が緩やかであるほど美しいとされる。だが、幼い身で軸を逸らさずに行うのは至難の業だ。


 それを彼女は驚くべきことに、時の流れが止まったかのように丁寧に、滑らかな動きでやってみせた。指先まで神経を研ぎ澄ませ、ドレスの裾が地面をかすめるかどうかのギリギリのところまで深く腰を下ろす。

 パーティーなどで何度も挨拶を受けてきたが、大人も含めてこれほど見事な礼法は見たことがない。




 まるでそこだけ時間の流れる速度が変わったかのようだ。

 周囲の雑音が消え、ただ彼女の動きだけが鮮明に網膜に焼き付く。


 彼女の(まと)う空気に圧倒されて、俺は陸に打ち上げられた魚のように、無様に口を半端に開けて見惚れてしまった。


 そして、艶やかな白銀の髪の隙間から、エメラルドのごとき煌めく深緑の瞳が俺を射抜いた。



 ――こんな令嬢が、この世にいるのか。



 心臓の鼓動だけが、異常なほど遅く重く響いている。


 まるで聖画から抜け出してきたかのような美しさ。この場に春の精霊が降臨(こうりん)したのかと錯覚する。


 思考が真っ白に染まり、王宮を彩る花々さえも彼女を祝福する飾り物のように見えた。





「アレクシス、ディアナ嬢に見惚れてしまう気持ちもわかるけど、あなたも挨拶なさい」


 どれほどそうして固まっていたのだろう。

 母上の笑いを含んだ声に、ハッと我に返る。


 目の前の少女が、どこか困惑したような様子でこちらを見つめているのに気づき、弾かれるように視線を逸らして顔を伏せた。



「……っ、アレクシスだ!」


 地面に視線を縫い付けたまま、咄嗟に出てきたのは、品格の欠片もないぶっきらぼうな言葉。


 威厳を見せつけるどころか、これではただの口も利けない愚鈍な子どもではないか。己の失敗にすぐに気づき、耳元がかあっと熱くなるが、もう遅い。

 父上は呆れたようにこちらを見下ろし、母上と公爵夫人は扇子で口元を隠し、クスクスと笑っている。


 幼子のような失態に、これまで積み上げてきた努力と自負がぐにゃりと歪みそうになり、拳を強く握りしめて耐える。悔しくて、恥ずかしくて、俺は婚約者の顔をまともに見返すことすらできなかった。




 公爵が場をとりなすように、ガゼボ内のテーブルへの移動を促した。

 それぞれの家族が横並びになり、テーブルをはさんで向かい合って座る。


 テーブルの上には、王宮お抱えの職人が仕立てた菓子が宝石のように並び、白磁のカップからは湯気と共に清々しいハーブの香りが立ち上っている。


 盛り上がる大人たちをよそに、子どもたちの会話は弾まない。


 正面に座る婚約者をチラリと盗み見れば、背筋を伸ばして淀みのない所作でティーカップを扱うディアナの姿があった。幼いながらも、大人の貴婦人と比べても遜色ないほどに洗練されている。



 ときどき俺の方へ向けられる瞳は、どことなく冷たい気がする。


 少なくとも、王族として誰よりも才気に溢れているはずの俺に、圧倒されたり憧れたりしている様子ではないことだけは確かだ。


 俺は手元のカップを睨みつけながら、「こんなはずじゃなかった」と奥歯を噛みしめた。





「二人で話す時間も必要でしょう。少し庭園を散歩していらっしゃい」


 三十分ほど経った頃、母上の提案で二人で席を外すことになった。

 あれほど練習したエスコートの手順は、完全に頭から抜け落ちていた。


 俺は焦りが先走り、一人でさっさと庭園の入り口に立つと、彼女に手を差し伸べることもせず、ただ顎を軽く動かして「行くぞ」と促す。

 「あらあら……」という母上の呆れた声が背中に突き刺さるが、それを振り切るようにして、皆がいるガゼボに背を向けた。


 ディアナはそんな俺の不遜な扱いも気にした様子を見せず、「はい」と穏やかな笑みを浮かべて頷いた。




 わずかに前を歩く俺を、ディアナは薄緑色のドレスを揺らして、春の庭を舞うように追ってくる。本来であれば、隣に並び、彼女に腕を貸すべきだ。


 だが、庭園の花々の香りとも違う、彼女の清楚な香りに、とてもじゃないがこれ以上は近づけない。触れるなんてもってのほかだ。

 足を止めてしまえば、また頭が真っ白になって、さらなる醜態を晒す気がした。



 そして引き続き、会話は弾まない。


「あれはアネモネですね。我が家でも育てているのですが……」

「そうか」


「殿下はお好きなお花などはございますか?」

「特にはない」


 ディアナが気を遣って言葉を紡いでくれるが、返せるのはぶっきらぼうな一言だけ。


 やがて彼女は、微かな、けれど決定的なため息をつき、会話を諦めた。





 いよいよ気まずさに耐えかねて、そそくさとガゼボに戻ってくると、そこには左腕に分厚い本を抱えた第一王子レイモンド兄上の姿があった。



 久しぶりに目にする兄上は、金髪碧眼で俺と顔のパーツこそ瓜二つだが、肩まで伸ばした髪のせいか、どこか中性的で柔和な雰囲気をまとっている。


「挨拶しようと思ってきたんだけど……遅れてしまってごめんね」

 ニコニコと笑みを絶やさないその表情からは、真意が読み取れない。


 俺は第二王子であり、王太子である兄上に礼を尽くすべき立場だ。それなのに、隣にいる婚約者の存在が気になって身動きが取れず、棒立ちのまま固まってしまう。

 何となく、彼女の前で兄上に頭を下げたくない……。幼稚な意地が足を引っ張り、またしても完全に出遅れてしまった。



 一方、兄上の登場にも、ディアナは動じない。彼女は先ほど見せたものよりもさらに深く、流れるような所作で膝を折り、王族への完璧な礼を捧げる。


「アクアリム王国、次代を照らす太陽にご挨拶申し上げます。テトラ公爵家ディアナと申します」


「第一王子レイモンドです。……こんな素敵な義妹ができるだなんて楽しみだな」


 まるで品定めをするかのように、兄上がわずかに目を細めてディアナを見下ろす。その鋭い眼光は、父上が家臣の忠誠を値踏みするときのものとよく似ていた。



 けれど、ディアナはその威圧感に怯むこともなく、真っ直ぐにその双眸(そうぼう)を見つめ返し、凛とした涼やかな声を紡ぎだした。


「恐れながら、レイモンド殿下。――そのお手元の御本、もしやラグーン公国の歴史書ではございませんでしょうか?」


 その発言で兄上の瞳に、初めて明らかな驚きの色が走った。


 抱えていた本の表紙が見えるよう、彼女のほうへ差し出してみせる。黄色い表紙に緑の装飾が施された分厚い書物。俺には、全く見覚えがない。


「そうだよ。まさか、この本を知っている者にこれほど早く出会えるなんてね」

「最近読んだばかりで、お恥ずかしいのですが……」



 頬を赤らめてはにかむディアナに、兄上は唐突に、流暢な異国語で問いかけた。


『何故これを? 教師が勧めるには、君の年齢ではいささか難解すぎると思うけれど』


「……ル、ラグ……?」

 必死で知っている単語を拾おうと焦る俺を余所に、ディアナは一度だけ大きな瞳をぱちりと瞬かせると、一切の躊躇(ちゅうちょ)なく言葉を切り替えた。


『先進国であるラグーン公国の、民の暮らしを知りたかったのです。政治を学ぶのは当然ですが、国とは民によって支えられているもの。民の営みから学ぶべきことは、多くあると考えまして……』




 そこから、目の前で始まった会話に、俺はまるでついていけなかった。


 かろうじて聞き覚えのある響きから、それが『ラグーン公国の言葉』だとは察しがついたが、未学習の俺には、内容はおろか単語の区切りさえ判別できない。

 言葉を発するどころか、聞き取ることすら叶わなかった。


 ディアナが、先ほどまでは決して見せなかった弾けるような笑顔で、生き生きと兄上の言葉に応じている。そして兄上もまた珍しく自然な笑みを浮かべ、俺を置き去りにしたまま、二人だけの世界で次々と対話を重ねていた。




 楽しげに語り合う二人を前に、俺はただ立ち尽くす。


 さまざまな想いが胸の中で渦巻いては、言葉にならず霧散する。頭は沸騰するように熱いのに、身体は正直で、自分はこの二人に敵わないのだと的確に察し、足はすくんでピクリとも動かない。


 己がいかに井の中の蛙であったか。兄上の背中どころか、彼女の足元にすら及ばない現実を、これ以上ないほど残酷に思い知らされた。





 その後、どうやって自室に戻ってきたのか、記憶が曖昧だ。


 兄上が「盛り上がってしまって申し訳ない」と、俺の背をさすりながら謝っていた気がする。だが、その顔は息の合う相手を見つけた喜びが隠しようもなく滲み出ていた。



 俺は、彼女に恋をした。


 ――そして同時に、完璧に失恋したのだ。



 もう何も考えたくなくて、俺は初めて、予習復習も日課の鍛錬も放り出して、逃げるようにベッドへ潜り込んだ。




完璧なはずの初対面は、あまりに惨酷な「格の違い」を見せつけられる結果に。兄とディアナ、二人の天才を前に、アレクシスは己の無力を突きつけられる。


打ちひしがれる少年に、父王が下した非情なる(?)命とは――。

次回、「居場所を失くした第二王子」。

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