16.公爵令嬢ディアナの焦燥
〈公爵令嬢ディアナ視点〉
入学式から三日後のお昼どき、カフェテラスでアレクシス殿下と遭遇した。
新入生の中でも王族の殿下と、最高位の貴族女性である私。殿下がまず私を誘うのは、家格を優先した配慮として当然のことだった。
私たちは揃ってランチをすることになる。
私を差し置いて、最初に殿下と食事をする女性がいれば、それこそが「殿下の特別な相手」だと周囲に知らしめる絶好の機会だったのだが……殿下はひとまず、社交上の手順を優先することにしたらしい。
案内されたのは、他の席より一段高く、周囲との距離が保たれた特別席だった。私たちはそこで、黙々と食事を口に運ぶ。
学園には慣れたか、淑女科の授業はどのようなものか――。
そんな当たり障りのない話題をいくつか交わしては、すぐに沈黙が訪れる。
「ボーシャ商会の店に、君もよく行くのか?」
アレクシス殿下の口からその名が出たときだけは、私は食い気味に質問を重ねた。しかし、殿下は「女性の間で流行っていると聞いたから……」と曖昧な返答を繰り返すだけだった。
(私がニナ嬢をいじめようとしていないか、探りをいれたのかしら……? まさか私が公爵家の権力を使って、商売の邪魔をしないか警戒されている……?)
ゆっくりと食事を口に運んで時間を稼いでいたが、それももう限界だ。「食べる」という逃げ道がなくなった後の気まずさに、いよいよ胃が痛みだしたそのときだった。
――偶然、レイモンド殿下が通りかかった。
「アレクシス、ディアナ嬢、こんにちは」
「兄上!」
アレクシス殿下がまず、胸に手をあてて礼をする。それに続くように、私も姿勢を正して優雅に会釈を返した。学園という場では、格式ばった挨拶は禁じられているのだ。
「レイモンド殿下、ご無沙汰しております」
手紙でやりとりはしていたが、顔をあわせるのは久しぶりだ。間近で拝見すると、レイモンド殿下は王宮でお会いしていた頃よりもぐんと背が伸び、いよいよ成人を迎えるに相応しい威厳をまとっていらした。
「よかったら私もご一緒してもいいかな?」
レイモンド殿下が含みのある豊かな声色で尋ねる。
アレクシス殿下が「もちろんです」と即座に応じると、殿下の近習が手際よく椅子を一脚追加した。
丸いテーブルを囲み、正三角形を描くような配置でそれぞれが腰を下ろす。均衡を保つその様子は、まるでチェス盤の上で次の一手を待つような緊張感を孕んでいた。
私は王族教育で叩き込まれた通りに背筋を伸ばし、穏やかな微笑を浮かべた。傍らの侍女に合図を送り、三人分の食後のお茶を用意させる。
その立ち振る舞いに、横目で様子を窺っていた生徒たちが「ほう」と感嘆の息をつくのが分かった。
二人の王子と並び座る公爵令嬢が、いったいどう振る舞うのか。誰もが興味津々なのだろう。ここでは絶対にミスは許されない。
私にとっては、ただの高位貴族の令嬢として「非の打ち所がない完璧な淑女」であることを印象付ける、絶好の舞台でもあった。
レイモンド殿下が運んできてくれた穏やかな空気に乗り、そうして周囲の視線にまで神経を尖らせていたら、あっという間に予鈴が鳴った。
授業の時間が近づき、その場は速やかにお開きとなった。
カフェテリアでの遭遇をきっかけに、放課後、サロンでレイモンド殿下とお茶を共にする機会が増えた。
反対にアレクシス殿下とは、あの日以来ぱったりと姿を見かけなくなり、代わりにと言ってはなんだが、レイモンド殿下とは驚くほど頻繁に顔を合わせるのだ。
ときには人目を忍んで個室へと促され、かつて王宮で話していたときのように政治談議に花を咲かせることもあった。
個室と言っても護衛が控えており、決して二人きりというわけではない。国政に関わる機密性の高い内容ゆえ、生徒の多いカフェテリアで話すわけにはいかないという配慮なのだろう。
レイモンド殿下は、どこまでも抜け目なく完璧で、聡明なお方だ。私もあえて抗うことはせず、誘われるままに足を向けていた。
さらには、レイモンド殿下から学園内の人目につかないスポットや、人のいない時間帯を詳細に教えていただいた。
(……不思議ね。殿下の言う通りに歩くと、本当に誰にも会わないわ)
その助言通りに行動すると、面白いくらいに特定の生徒――特に政経科の面々と顔を合わせる機会が減った。アレクシス殿下やヒロインとの接触を避けたかった私にとって、それは願ってもない好都合だった。
(まるで殿下が、守ってくださっているみたい)
レイモンド殿下に事情を話したわけではないけど、聡明な彼なら、私の気持ちを察していてもおかしくない。
学園に入学すると同時に、私は念のため、他の『攻略対象』になりえそうな人物も調査した。
候補となるのは、名立たる名門の令息たちだ。宰相の息子と騎士団長の次男が同学年に在籍しており、魔導研究所長の息子は来年入学予定だという。
その他、大手商会の後継ぎや近隣諸国の留学生の中にそれらしき人物がいないか探ったが、今のところ目立つ存在はいなかった。
ただ、レイモンド殿下と同学年に、国内三大商会の一つであるミヌマ商会の息子がいるらしく、彼については引き続きマークしている。
そして恐ろしいことに、最初に名前を挙げた宰相の息子と騎士団長の次男は、既にあの『ヒロイン』――ニナ・ボーシャ嬢の取り巻きに成り下がっていた。
どのような手腕か、彼女は入学初日から多くの男性を侍らせていた。彼女のもとには休み時間のたびに男たちが代わる代わる訪れ、媚びを売るように話しかけている。
傍目にはあまりに異様な光景のはずなのに、誰もそれを指摘しない。物語の強制力というものの恐ろしさに、私は独り警戒を強めていた。
政治談議ができるほど信頼しているレイモンド殿下に対しても、さすがに前世の記憶や、この世界が小説かもしれないという推測までは伝えていない。
殿下が今のところヒロインの毒牙を免れているらしいのが、私にとって何よりの朗報だった。
以前、有力な男子生徒について密かに探りを入れていたところを、殿下に「どうしたの?」と笑顔で問いかけられたことがある。
あの底知れない瞳に見つめられた瞬間、あやうく全てを白状してしまいそうになったのは、私だけの秘密だ。
翌日の朝食の席で、ふと思い立ち、黙々と食事を口に運んでいた兄に声をかけた。
「オーガストお兄さま」
「なんだ」
兄は、私の卒業を待って結婚することが決まっている。今は父のもとで政務の引き継ぎを行っているため、常に屋敷にいた。
兄は留学から帰国して以来、私に対してずっと冷淡なままだ。
理由もわからぬまま向けられる、射抜くような視線をいつも恐ろしく感じていたが――ヒロインの名が判明した以上、これだけは確認しておかなければならない。
「ボーシャ男爵家のニナ様をお兄さまはご存知でしょうか?」
「ボーシャ商会のニナ嬢か?もちろん、知っているが……」
そう言うとオーガストお兄さまは、珍しく決まり悪そうに言葉を濁した。
朝食を食べる手が止まり、困惑を表すかのようにフォークが宙をさまよう。どういう関係なのか、返答に窮しているのは明らかだった。
「いえ、ご存知であれば結構です。……その同じ学年ですので、彼女とお会いする機会も多いのですが、お兄さまともしかして繋がりがあるかを一応お聞きしておきたくて」
兄が実は攻略対象で、私に冷たくなった背景にヒロインが関わっているのではないか――。
確認のために投じた一石は、どうやら的中してしまったようだ。
兄の急な心変わりは『ヒロイン』に魅了されたことによる『悪役令嬢』への嫌悪だったらしい。
(お兄様が、あんなに大切にされていた婚約者の存在すら忘れて、年下の男爵令嬢に夢中になるなんて。これがヒロイン補正というやつかしら――)
「……ニナ嬢が何か言っていたのか?」
「いえ、特にそういうわけではありません」
「……そうか」
あの理知的で物事を断定的に言い切る兄が、こうも露骨に言葉を濁すなんて。ニナと浅からぬ関係があるに違いない。
何か後ろめたい気持ちでもあるのか、心なしか急いで朝食を口に運び始めた兄を横目で見つめながら、私は一仕事やり終えたと、周囲に気づかれないよう、紅茶と共に小さくため息を飲み込んだ。
学園に向かう馬車の中で、今朝の出来事を書き加えながら、もう一度ノートの内容をおさらいする。
入学してまだ一年にも満たないというのに、私の書いたシナリオをなぞるように事態は進行していた。想定した範囲内とはいえ、さすがに焦りも感じる。
私が悪役令嬢として断罪されることだけは避けるべく、一片の瑕疵も生じぬよう細心の注意を払わなければ。
(……この世界は、私の描いた『シナリオ』どおりに物事は進んでいる。ということは、いずれヒロインを伴ったアレクシス殿下から、理不尽な婚約破棄を突き付けられるはずだ)
(そのとき、アレクシス殿下を退け、私を救う『真の王位継承者』は、当然レイモンド殿下になる)
(そのレイモンド殿下は、自惚れではなく……確かな手応えとして、私を好意的に思ってくれている。第一王子でありながら、彼に婚約者がいるという噂すら聞かないのも、何かの予兆かしら)
だとすれば、公正な次期国王であるレイモンド殿下に救われた後、彼と結ばれて王妃の座に就くのは……不遇な結末を迎えるはずだった『悪役令嬢』自身なのではないか。
「その可能性、あるかも……」
呟いた独り言は、石畳を叩く高らかな蹄の音に掻き消された。
「不思議ね。殿下の言う通りに歩くと、誰にも会わないわ」
ディアナがレイモンドの保護に感謝しているその裏で、アレクシスは「なぜ彼女に会えないのか」と、葛藤の日々。クラスメイト・デリックから語られる、貴族社会の「不実」と「誠実」。アレクシスは実直に悩み続ける。
次回、「俺はどうするべきなのか」
次話は本日18時半頃更新予定です。
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