14.第二王子アレクシスの困惑
〈第二王子アレクシス視点〉
第二王子アレクシス、十六歳の春。
今日はアクアリム王立学園の入学式。
創立と同時に建てられたという由緒ある大聖堂に、新入生から在校生までが一堂に会して、荘厳な空気の中で式典が開かれる。
数百人の少年少女が同じ制服を纏い、整然と列をなす様は、王宮の式典で見慣れた光景とはまた違う、独特の迫力があった。
第二王子である俺にとって、式典自体は幼い頃から数多く出席してきたため、今さら目新しいものではなかった。
だが、他の新入生たちの目には、また違った景色が映っているに違いない。
在校生はさすがに落ち着いた佇まいだが、新入生たちはそわそわと身体を揺らしたり、隣の者と小声で囁き合ったりと、隠しきれない高揚感に包まれていた。
学園内では身分を問わない建前だが、代表挨拶などはその年の最高位が担うのが慣例だ。血統の優劣を誇示するためではなく、余計な揉め事を避けるための、暗黙の了解だろう。
今年は最高学年と新入生にそれぞれ王族がいるため、兄上が祝辞を、俺が答辞を務めることになった。
在校生代表として壇上に立つ兄上の姿は、いつ見ても眩しいほどに凛々しい。
滑らかで淀みのない、それでいて威厳に満ちた祝いの言葉を聞きながら、俺は心の中で小さくため息をついた。
兄上が壇を降りる際、割れんばかりの拍手と共に、会場の女子生徒たちが色めき立つ。毎日、これほどの熱狂と視線を一身に受けて、この学園で過ごしているのか。
(……相変わらず、すごいな、兄上は)
辺境での生活で王都の華やかさからは遠のいていたが、この一年で肌の色も元に戻り、鏡に映る自分の姿は兄上と瓜二つだ。
しかし、いざこうして並び立つと、立ち居振る舞いの端々に格の違いを感じてしまう。
俺の番になり、壇上に向かって歩き出すと、会場から再びざわめきが沸き起こった。
「私はレイモンド殿下の知性的で優雅なお姿が……」
「私はアレクシス様の逞しく鍛えられたお姿の方が……」
緩く髪をひとつにまとめ、柔らかな余裕を漂わせる兄上と、髪を短く刈り上げ、騎士然とした体つきの俺。どちらが好みか、その違いについて囁き合う声が否応なしに耳に届く。
「……気を引き締めないと」
俺は小さく呟き、あらためて背筋を伸ばした。
兄上は、いつだって涼しい顔で役割を果たし、皆の憧れであり続けている。俺も、ただ兄上の背中を追うだけでなく、この場に相応しい自分でありたい。
壇上で正面を見据え、ゆっくりと息を吐く。
視界が開けたその先――。
群衆の中に、ひときわ輝く銀色の髪の女子生徒を見つけた。
俺が選んだのは、政治や経済を学ぶ「政経科」。婚約者であるディアナ嬢は「淑女科」。他にも騎士科や魔導具の開発を研究する魔導科などがあり、当然ながら彼女とは校舎もクラスも異なる。
入学式を終え、新入生たちは各々の教室へ向かった。
この学園に通う間は、身分を超えた交流を促すため、多少の不敬は黙認される決まりだ。とはいえ、やはり王族である俺に、初対面で気安く話しかけてくる者はいない。
貴族の子弟たちが社交の基礎を築く十歳から十四歳までの間、俺は辺境で過ごしていた。そのため、王都に顔見知りと言えるような相手は皆無に等しいのが現状だ。
俺は兄上とは違う。ここで孤高の王子などと崇められるつもりは毛頭ない。今は王族という身分だが、いずれは兄上を支える筆頭臣下として、国を担う立場だ。
だからこそ、将来の国を共に背負う「学友」との絆は、この学園で一から築き上げねばならない。
数人の集団に分かれて雑談に興じるクラスメイトたちを観察しながら、さてどう動くべきかと考える。
そのとき、教室の前方、入り口の近くで奇妙な人だかりができているのに気づいた。
「女子生徒か?」
桃色のふわふわとした髪を二つに結った女子生徒の周りに、男子生徒たちが群がっている。
貴族の子弟が集まるこの学園では、少し珍しい光景だった。
政経科は男子生徒が圧倒的に多いが、婿養子を迎えて実家の家督を継ぐために、政経科を選択する女生徒も稀にいる。そのため、女性がいること自体は不思議ではないのだが。
もしや彼女は不埒な連中に囲まれて困っているのではないか。助けに入ろうと腰を浮かせかけたが、俺はすぐに思いとどまった。どうも様子がおかしい。
女子生徒の問いに男子生徒が答えると、彼女は嬉しそうにそれを手元のメモに書き留める。だが、次の瞬間には立場が逆転していた。今度は彼女が何かを諭すように語りかけ、それを男子生徒が食い入るように書き取っているのだ。
満足げな顔で自席へ戻る者。
そして入れ替わりで、待ちかねたと言わんばかりに列を詰める者。
「……なんだ、あれは」
まるで何かの取引現場のような異様な光景を前に、訝しげに様子を窺っていたそのとき。
不意に真横から声をかけられた。
「恐れながらアレクシス殿下。ご挨拶をさせていただけないでしょうか」
「あ、ああ」
「シクルス伯爵家次男、デリックと申します。十歳のとき、王宮の騎士訓練場で殿下と手合わせをさせていただいた者です」
王都で流行しているという、片側の前髪を流した洒落た茶髪の男がそう名乗った。
俺は必死に当時の記憶を掘り起こそうとしたが、あの頃の俺は自暴自棄の極みにあり、周囲の顔などろくに見ていなかった。記憶はひどく曖昧で、その中に彼がいたかすら思い出せない。
俺の困惑が顔に出ていたのか、デリックは気遣うように目尻を下げて微笑んだ。
「もう五年も前のことです。覚えていらっしゃらなくても当然ですので、お気になさらないでください」
「いや、思い出せなくてすまない」
俺の謝意に、デリックはあからさまに驚いた。
王族として、安易に謝罪を口にしすぎただろうか。ここは学園という場であり、身分は無礼講とはいえ、一介の王子からいきなり謝られたデリックが恐縮するのも無理はなかった。
「……いいえ。兄が魔導士の道へ進むため、私が家督を継ぐことになりまして。騎士科ではなく、この政経科へ進むことになりました。これからは学友として、何卒よろしくお願いいたします」
「……こちらこそよろしく頼む。そしてデリック、あのときは俺の我がままで呼び出したというのに、非礼を働いた」
俺が右手を差し出すと、デリックはまたもや意外そうに目を見開いた。
こちらから握手を求めるなど、傲慢だった以前の俺を知る者からすれば、天地がひっくり返るほどの衝撃かもしれない。
だが、彼はすぐに真摯な面持ちでその手を取り、力強く応えてくれた。
その様子を見ていた周囲の生徒たちが、それを呼び水にするかのように俺のもとへ挨拶にやってくる。どうやら、彼がきっかけを作ってくれたらしい。
すると、先ほど男子生徒の中心にいた女子生徒が立ち上がり、俺の席まで近づいてきた。
「殿下。わたしもご挨拶させていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ」
「ボーシャ男爵家のニナと申します」
「……養蜂業で有名な、あのボーシャ商会の?」
俺の言葉に、ニナ嬢はぱっと顔を輝かせた。
「はい! 知っていただき光栄です! うちは小さな領地ゆえ、それくらいしか取り柄のない男爵家ですが……ハチミツを使った美容品やお菓子は、恐れ多くも王妃殿下にもご愛用いただいております」
かつての王都では、白砂糖が最高級品とされており、ハチミツは「虫が集めるもの」として貴族の間では敬遠される傾向があった。
だが、ボーシャ男爵家はあえてハチミツを美容品として売り出し、見事に貴族女性の心をつかんだのだ。今やハチミツは食用としても高級品として流通している。母上がその商才を高く評価していたこともあり、俺にとっても馴染み深い名だった。
現在、ボーシャ商会は美容品のみならず服飾や宝飾の分野にも進出し、「大切な人への贈り物といえばあの商会」と言われるほどの地位を確立しているらしい。
……これは王都の流行に疎く、ディアナとの会話も満足に盛り上げられなかった俺が、恥を忍んで周囲に聞きまって手に入れた情報だ。不器用な息子を見かねた母上が、呆れながらも教えてくれたものである。
「ああ、俺もボーシャ商会の菓子は好んでいるよ」
「まあ、嬉しいです! ありがとうございます!」
ディアナの理知的で凛とした響きとは対照的な、鈴を転がすような甘い声が教室に響き渡る。
ニナは制服のスカートをふわりと揺らし、周囲に向かって朗らかに声を上げた。
「今度、お近づきのしるしに、みなさまへ差し入れをお持ちしますね!」
その言葉に、クラスメイトの男子たちが一斉に期待で目を輝かせた。
――既視感だ。これは、あれだ。
辺境での過酷な訓練中、辺境伯夫人が差し入れに訪れた時と同じ光景だ。
夫人は元々、王都近郊に領地を持つ侯爵家の出身で洗練された所作と美貌を兼ね備えた、非の打ち所がない貴婦人だった。
彼女自身が武器は持つことはないが、彼女が持参する差し入れは、汗を流す騎士たちが今まさに欲しているもの――気軽には手に入らない果物や、食べ応えのある焼き菓子ばかりで、それらを騎士への労わりの言葉と共に自ら配ってくださる。
夫人の来訪を知るたび、騎士たちは一層やる気を出し、歓喜に沸いたものだ。
(……つまり、みんなボーシャ商会の極上ハチミツを使った商品の虜なのか)
俺は一人、納得して頷く。
どうやら彼らが群がっていたのは、彼女そのものというより、商会の商品がお目当てだったらしい。
俺は、さきほどの不思議な光景をそう結論付けた。
「とうとう、物語が動き始めた――」
教室で目撃した、アレクシスと「ヒロイン」の親密な光景。
全てのピースが、ディアナの描く「破滅の筋書き」通りに嵌まっていく。
次回、「公爵令嬢の確信」
次話は本日21時半頃更新予定です。
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