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12.第二王子アレクシスの帰還



〈第二王子アレクシス視点〉



 一年早く学園に入学するリースに合わせ、俺も十五歳の冬の終わりに、王都へ戻ることにした。

 



 帰還の挨拶にと呼び出された両親の私室。


 扉を開けた騎士に軽く会釈をし、俺は入室した。



 応接間のソファーで寛ぐ両親を前に、すぐに対面の椅子に座ることはせず、扉付近に立つ。そして、そこで静かに膝をつき、臣下の礼をとる。

 その姿に、両親は驚愕(きょうがく)し、目を見開いて言葉を失ったようだった。


 かつての俺なら、簡単な一礼のみで当然のように椅子に座っていただろう。


 それどころか、近くの侍女に茶を淹れさせるよう、顎で使っていたはずだ。

 そうやって他者を圧倒し、自分に従わせることこそが王族としての威厳を示す方法だと、傲慢にも信じ込んでいたのだから。



「陛下、王妃殿下。ただいま戻りました」


 声変わりを経て、あの頃より一段低く厚みを増した声で挨拶を述べる。父上は思わずその場で立ち上がり、母上は細く上品な手を口元に当て、息を呑んだ。


「……よく、帰ってきたな」

「……残念だけど、レイモンドは学園へ行っていて、今は不在なのよ」


 二人の言葉を受けて、ゆっくりと顔を上げる。


 辺境での暮らしで、俺の肌はすっかり王都の人間らしくない色に焼けていた。だが、両親はそれを軽蔑することもなく、むしろ慈しみに満ちた面持ちで見守ってくれている。

 四年ぶりに会う二人は、記憶の中にある姿よりもずっと柔らかい印象だ。先日まで一緒に暮らしていた辺境伯家の人々のような、温かい空気をまとっている。


 ……いや、これは、俺の見る目が変わったのだ。



「……うむ、本当によく戻った」

 父上は眩しいものでも見るかのように目を細め、俺を見下ろして呟いた。


 俺は、かつてこの王宮を発つ際、自室で父上から投げかけられた言葉を思い返す。そして膝をついたまま、さらに深く頭を下げた。


「もったいないお言葉です。陛下……私に辺境で学ぶ機会を与えてくださったこと、深く感謝いたします」


 揺れる馬車の中で、ずっと考えていた。


 あの日、己の未熟さを認められず、ただ傲慢にふてくされていた俺を見捨てることなく、再起の機会を与えてくれた父上に、まずは感謝を伝えたい。

 厳しくも温かかった辺境での時間も、そこで得た「今の俺」という存在も。すべては父上の広いお心と、慧眼(けいがん)が導いてくれたものなのだ。



 今度は、父上が息を呑む音が聞こえた。普段なら威厳に満ち、堂々と響くはずの低い声が、今はわずかに震えている。


「見違えたな。その……辺境での暮らしで、不自由はなかったか?」

「はい。剣を振るい、土に触れる日々は、私に多くのことを教えてくれました。辺境伯家の皆には、本当によくしていただきました」


 俺がそう続けると、父上が歩み寄り、その大きな手を俺の肩に置いた。


「体つきが逞しくなった。レオン殿の訓練は厳しかっただろう?」


 母上がくすりと笑いながら、父上の横に並び、俺の日に焼けた頬に優しく触れる。


「……無事でよかったわ。おかえりなさい、アレクシス」

「……はい。ただいま戻りました、母上」


 形式張った「王妃殿下」ではなく、息子に戻った俺の呼びかけに、母上が嬉しそうに微笑む。


 俺には王都にも、そしてあの辺境にも家族と思える人々がいる。

 自分はなんて幸せな王子なのだろうか。





 俺には学園に入学するまで、あと一年の猶予がある。


 王都での生活を再開するにあたり、まずは辺境で学んだ内容の確認が行われることになった。


 十歳まで俺の教育係を務めていた老教師は、兄上の教育課程が終了したのを機に、既に職を辞して隠居している。そのため、代わりに母上が直々に指導にあたってくださることになった。



「これは復習よ」


 母上はそう言いながらも、授業の時間の半分は辺境での暮らしぶりを案ずるものだった。王妃としての厳格な顔の裏側に、一人の母親としての深い愛情を感じずにはいられない。

 その優しさに触れるたび、辺境伯レオン殿の、あの温かく大きな背中を思い出す。


 ――こんなにも近くに、自分をただ一人の人間として見守ってくれる立派な大人たちがいたのだ。


 あの頃の俺は、一体どこを向き、何を目指してあんなに威張っていたのだろうか。今なら、当時の自分の小ささが痛いほどよくわかる。





 母上との勉強会は、彼女のお気に入りのあの庭園でお茶を飲みながら開かれることが多かった。

 春を目前とした王宮の庭園は、まだ少し寒さが残る中、色とりどりの花々が逞しく蕾を膨らませている。


「ディアナ嬢とは当然、文を交わしていたのでしょうね? アレクシス」

「……はい。季節の折々に便りを出すようにしておりました」


「……送っていたなら、ひとまずよしとしましょう。ディアナ嬢は、あなたがいない間も、熱心に王宮で勉強していましたよ」


 母上はそう言って、白磁のカップを静かに置いた。運ばれた紅茶は辺境では決してお目にかかれない澄んだ琥珀色をしており、芳醇な香りを漂わせている。

 俺は添えられた砂糖菓子を一つ口に運び、王都特有の上品な甘みを噛み締めた。


「ディアナ嬢は、今どのようなご様子なのですか?」


 口の中に広がる甘味とは裏腹に、胸の奥がわずかに波立つ。

 彼女は俺のあずかり知らぬところで、あの後も王族の一員として相応しい振る舞いができるよう、自分を磨いていたはずだ。


 ディアナと対面したのは、十歳のときのこの庭園での顔合わせのみ。

 俺が大失態を演じ、人生が一変してしまったあの日から、あの美しい白銀の髪と深緑の瞳を直接見ていない。


「以前はレイモンドを交えてよくお茶会をしていたのだけど……あの子が学園に通い始めてからは、王族教育も終わり、王宮へ足を運ぶ機会が減ってしまってね。私も久しく会っていないわ」


 母上は少し寂しげに目を細め、銀のスプーンの縁をそっとなぞった。



 今の俺を見て、彼女はどう思うのだろうか。


 辺境で成長した俺を知ってもらいたい。そしてあの洗練された美しい少女に、かつて兄に向けていたような弾けるような笑顔を、今度は俺に向けてほしい。



「学園に入学する前に、一度お会いできないか、打診してみるつもりです」

 俺は母上を安心させるように、力強く告げた。






 一歳上であるリースが、一足先に学園に入学した。



 風の噂によると、兄上と彼女は学園内で全く接触していないらしい。


 兄上は神童として常に優秀な成績を収める一方で、限られた側近だけを傍らに置き、孤高(ここう)の存在として羨望(せんぼう)の的となっているという。

 学園に通う傍ら、国政会議にも出席し、すでに公務に励んでいるようだ。


 一方で、将来の姉上となるリースは、本当に通学しているのか怪しいほど存在感を消していた。


 確かに剣を握っていないときの彼女は、おっとりとした性格ではある。

 王族の婚約関係は知る者にとっては周知の事実だが、身の安全を考慮して、成人するまでは公式には伏せられていることになっていた。


 そんなものかと思いつつも、両者をよく知る俺としては、二人がどのように仲を深めていくのか興味があった。

 なので、一切の浮いた話が聞こえてこない現状を、少し残念に感じてしまうのだった。





 俺はさっそく婚約者であるディアナに面会を申し入れ、王宮の応接室で顔を合わせることができた。


 ご令嬢をエスコートするなら、麗しい庭園の方が望ましいだろうが、春の盛りを迎えたあの場所で彼女と向かい合う勇気は、俺にはなかった。

 あの日の失態を思い出して、動揺のあまりさらに失敗を重ねてしまうことを恐れたのだ。てっきり庭園で会うものと準備していた侍女たちに無理を言って、飾り気のない応接間を用意してもらった。




 定刻どおりに、ディアナが訪れる。


 早速の模範的で非の打ち所がない礼に、思わずたじろぐ。


 辺境で、大勢の騎士たちの敬礼がびしりと揃う壮観な光景を何度も見てきたはずなのに、彼女の完璧な所作には、それ以上の威圧感があった。騎士の敬礼が忠誠の証ならば、彼女の礼は、俺との隔たりを明確に線引きする境界線のようだった。


「便りもあまり出せず、申し訳なかった」

「いいえ、お気になさらず」


 感情の読めない微笑みを浮かべるディアナは、この五年の間に十歳の少女から、いっそう美しさに磨きがかかった凛とした淑女へと成長を遂げていた。


 だが、その輝かしいエメラルドグリーンの瞳に俺の姿は映っていない。彼女は俺に対して、壁に掛かった絵画でも眺めるような無機質(むきしつ)な視線を向けてくる。豪華な装飾がない分、彼女の冷ややかな美しさが、いっそ残酷なほど際立って見えた。



 目の前で給仕が茶菓子と紅茶を準備する様子を見つめながら、俺は心を整えるために長く息を吐いた。


 辺境でレオン殿に向かって剣を構えている時よりも、ずっと緊張する。

 初対面の頃から大人びてはいたが、王都の空気から長らく離れていた俺には、この貴族特有の探り合いが何とも居心地が悪い。



「……ディアナ嬢は、これまでどのように過ごされていたのですか?」

「王族教育に励んでおりましたわ。それ以外に、何がございましょうか」


 有無を言わさぬ事務的な声が、静まり返った部屋に落ちる。



「……」

「……」


 話したいことはたくさんあったような気がするのに、いざ彼女を目の前にすると、会話の糸口が見つからない。


 部屋には、給仕が紅茶を注ぐかすかな音と、時計の針が刻む冷たい音だけがやけに大きく響く。気まずい空気に背中がじっとりと湿った。


 辺境でも勉強を欠かさなかった俺だが、王都のご令嬢と話すときの話題は教わらなかった。

 辺境伯嫡男であるマルコが、手紙であんなに必死に令嬢との接し方を尋ねてきていたのに。俺はそこから何も学べず、心構えも持たず、この場に臨んでしまったのだ。




 沈黙に耐えかねたのか、彼女がようやく静かに口を開いた。


「アレクシス殿下は、民への教育について、どのようにお考えですか?」


「? 民に、教育……?」

 予想外の問いに、思わず聞き返してしまった。


 辺境での俺は、民から学ぶことばかりだった。農作物を育て泥にまみれる大変さ、生き物の命を頂きながら生きている厳しさ。

 学ぶべきことは山ほどあったが、王族として民に何を「施すべきか」という発想は、そのときの俺には欠落していた。



 その反応が、致命的だった。


 ディアナは隠しきれない落胆をあらわにした後、すっと温度の消えた声で、「……いえ、何でもございませんわ」と、対話を拒絶するように瞼を伏せた。


 その後も彼女の気を引こうと話題を探して努力はしたが、会話が弾むことは二度となかった。




 五年前の、あの最悪な初対面の印象も尾を引いているのだろう。王都の流行も知らず、令嬢が喜ぶ話題の一つも持たない俺に、彼女は呆れたに違いない。

 俺が辺境でのびのびと過ごしている間、ディアナはたった一人、慣れない王宮で教育を受けていたのだ。


 手紙の返事からある程度は冷淡な反応を覚悟していた。

 だが、自分の変化を知ってもらいたいという焦りばかりが先行し、彼女の心に寄り添うことすらできなかった俺の失態だ。自業自得である。


 彼女は俺に、辺境で得た「経験」など求めていなかった。王族として、この国をどう導くかという「覚悟」を問うていたのだ。






 彼女を見送ったその夜、自室で一人、冷え切った紅茶の苦みを思い出しながら、俺は己の慢心(まんしん)を猛烈に恥じた。


 この調子では次のお茶会など到底申し込めるはずもなく、まともな交流を持てないまま、無情にも時は流れていった。




 ディアナとの距離を縮めることこそ叶わなかったが、俺はその焦りを払拭するように学問に没頭した。


 辺境では学びきれなかった分野を補うだけでなく、あの地で得た経験を理論的に深めるべく、様々な書物に手を伸ばした。

 辺境で目にした民たちのリアルな生活と、王都での体系的な知識。そして、ディアナから言われた「民への教育」というキーワードから推察される最新の社会情勢。


 それらが俺の中で溶け合い、見聞を広めていくうちにあっという間に季節は巡り。






 ――俺は十六歳になった。


 

 明日は、王立学園の入学日。

 これから始まる学園生活の中で、彼女との間にできてしまった溝を、少しずつでも埋めていきたい。


 今度こそディアナの隣に立つに相応しい男として、認められる自分になるために。



 俺は期待と緊張を胸に、新たな一歩を踏み出した。




「今の俺なら、彼女の隣に立てるはずだ」


辺境で自信を掴み、期待に胸を膨らませて再会に臨んだアレクシス。だが、その時ディアナが抱いた感想は――「筋肉ばかりで、中身は空っぽ」。王子が必死に絞り出した言葉は、令嬢の地雷を正確に踏み抜いていく!


次回、「令嬢の冷徹な落第宣告」


次話は本日12時半頃更新予定です。

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