【閑話】とある第二王子の成長
〈IF:前世の記憶を持たない公爵令嬢と婚約した第二王子の場合〉
第二王子アレクシス、十歳の春。
無事に婚約者との顔合わせを終えたアレクシスは、人生で最高と言えるほど気分がよかった。
庭園で初めて彼女を目にしたとき、実は一瞬、思考が止まってしまっていたのだ。
まっすぐに流れる白銀の髪に、エメラルドを嵌め込んだような深緑の瞳。公爵夫人の面影から勝手に想像していた姿を、いい意味で裏切られた。そこにいたのは、春の精霊を体現したかのような可憐な少女だった。
だが、こちらの動揺以上に、ディアナ嬢の方は緊張に身を強張らせていた。
その様子に余裕を取り戻し、幸いにも教師たちの教えを思い出すことができた。
「王に近い者は隙を見せてはならない」「最初が肝心」
相手を圧倒し、支配下に置くことこそが王の道なのだ。
その言葉を改めて心に刻み、事前にイメージした通りの完璧なエスコートをやり遂げた。
光を弾く銀糸のような髪をなびかせ、精霊のように美しい彼女が、胸の前で手を組み、まるで神に誓うように呟いた言葉を反芻する。
「アレクシス様のために、この身を捧げる覚悟ですわ」
結果は上々だ。
これで最高の婚約者を手に入れた。俺は王族として、さらなる輝かしい人生を歩んでいくことになるだろう。
翌日に行われた剣技の訓練も、昨日の余韻そのままに、文句なしの結果を残すことができた。
歳の近い騎士団員の令息たちを相手に、八勝二引き分け。一度の不覚も取ることなく、むしろ何度も相手に尻餅をつかせてやった。
訓練後、騎士団長から講評を受けているアレクシスを尻目に、手合わせを終えた令息たちが先に引き上げていく。
まだ幼さの残る彼らは、廊下の角に差しかかったところで、アレクシスに聞こえないと思ってか、勝手な世間話を始めた。
「……あーあ。少しは負けてやった方がいいかと思ったよ。俺って大人だからさ」
「レイモンド殿下は、剣を持たずとも恐ろしく強かったという話だぜ」
「アレクシス殿下は毎日訓練を欠かさないと父上から聞いていたけど、毎日あんなに必死にやって、結局あの程度かよ」
幸か不幸か。
全能感に酔いしれるアレクシスの耳に、彼らの軽口が届くことはついぞなかった。
そのあと婚約者のディアナとは、彼女が王族教育のために登城するのに合わせて、しばし例の庭園でお茶を囲んだ。
彼女が王子の婚約者としてふさわしい器かどうか、俺には見極める義務があるからだ。
ディアナもようやくこの雰囲気に慣れてきたらしい。王宮の専属料理人が腕を振るった華やかな菓子の数々を前に、年相応に頬を緩ませている。
これから訪れる暑い季節に合わせ、最近は冷やした果物や冷菓が並ぶようになった。庶民や並の貴族では口にできぬ逸品の数々について、あとで詳しく講釈してやろう。
「そういえば、兄上が辺境行きになったらしい」
「第一王子の、レイモンド殿下がですか……?」
二つ上の兄、レイモンド。彼は教師たちからの評判もすこぶる悪く、真面目に講義を受けているという話も聞かない。
ついに陛下に見限られ、体裁の良い追放を言い渡されたのだ。
――アレクシスはそう確信していた。
しかし、いきなり真実を話すわけにもいかない。まずは表向きの理由を告げた。
「兄上の婚約者が辺境伯の長女だからな。あちらで一時期を過ごし、親睦を深めるということだろう」
「ああ、そういうことでしたのね」
ディアナの兄オーガストも、婚約者が遠方であるために幼少期から相手の家に預けられている。身近に似た例があったことで、彼女も納得しやすかったのだろう。
だが、単なる親睦などではないことを、アレクシスは知っている。
ふっと顔を近づけると、ディアナはわかりやすく頬を赤らめた。この婚約の主導権を握っているのは自分なのだと実感できて、実に気分がいい。
「……まあ、兄上は真面目に講義を受けていなかったからな」
「そう、なのですか……?」
ディアナは戸惑ったように言葉を返す。彼女の立場でこの言葉を肯定するのは不敬にあたる。それは分かっているが、どこか釈然としないような目で見られるのは少し気分が悪かった。
「教育係の大臣たちが教えてくれたのだが、兄上は最低限の勉強すら放り出して、部屋に引きこもって本を読んでいることが多かったらしいんだ」
実際、兄が辺境行きになってからは、今まで兄に擦り寄っていた人間たちがこぞって俺に声をかけてくるようになった。「次代の王があの調子では不安ですからな」という言葉を添えて。
あんな風にはなるまいと、自分を律してきた俺こそが、やはり王になるべき存在だ。
「まあ……」
大人たちの名前を出したのが効いたのだろう。ディアナは驚いたように口を手で隠した。今度は、素直に俺の言葉を信じたようだ。
そもそも、隣国との外交も担う公爵家を婚約者に持つ俺と、王都に寄りつきもしない田舎者の辺境伯家を後ろ盾にする兄上とでは、人脈の格が違いすぎる。
我が国では第一子が王太子になるのが慣例だが、歴史を紐解けば例外がないわけではない。とはいえ、もちろん兄上が王位に就かれるというのであれば、俺は右腕として支える覚悟はできている。
「とりあえず、王都にいない兄上の分まで俺が頑張らなくてはな」
「そうなのですね……さすがアレクシス様です」
「それでは私も一層励まなくては」と健気にも拳を握りしめるディアナ。どうやら俺の期待に応えようと必死らしい。
彼女は政策などの話は得意ではないようだが、熱心に学んでいるという報告は受けている。向上心があるのはいいことだ。俺が導いてやれば、いずれは形になるだろう。
王妃に求められるのは、政策の知識以上に、貴族令嬢たちをまとめ上げ、流行の最先端を走る華やかさだ。他国との交渉の場でも、ホストとして場を支配する社交性が欠かせない。
その点、ディアナは少し引っ込み思案というか、自分を前に出すタイプではないのが気にかかる。俺の婚約者なのだ。もっと堂々としてもらわねば困る。
せっかく見た目だけは完璧なのだから、周囲を力強く牽引するようになってくれれば文句のつけようもないのだが。
多少の懸念はあるが、彼女なら、いずれ通うことになる学園でも最高位の女性として皆を統率してくれるだろう。何せ、俺が選んだ婚約者なのだから。
あれから学園に入学する年齢になるまで、兄上が王都へ戻ってくることは一度もなかった。
その間、俺は学業でも武術でも目覚ましい成果を上げ続け、誰もが認めざるを得ない「王にふさわしい男」へと成長を遂げた。
俺の周囲には、側近の座を狙う野心的な令息たちが次々と集まり、その賑わいは日に日に増していく。
あとは学園で三年間を過ごし、華々しく卒業するだけ。
この国の太陽として昇り詰める俺の未来に、恐れるものなど何一つとしてなかった。
才能に絶望し、辺境で泥にまみれた五年間。
帰還した第二王子は、もはやかつての「傲慢王子」ではなかった。
逞しく、実直に。愛する婚約者にふさわしい男として現れたアレクシス。
だが、彼を待っていたのは、鉄壁の拒絶を貫く「完璧すぎる淑女」で――!?
次回、「冷ややかな再会」
次話は明日8時半頃更新予定です。
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