08.公爵令嬢ディアナの邂逅
〈公爵令嬢ディアナ視点〉
一方、婚約の顔合わせを終えた後のディアナはというと――。
婚約の顔合わせの翌週から、王宮での王族教育が始まった。
私の婚約者アレクシス殿下は第二王子。第一王子のレイモンド殿下がご結婚され、無事に嫡男を授かるまでは、アレクシス殿下の王位継承順位が第二位であることに変わりはない。
慣例により、高位の継承権を持つ者とその家族には相応の責務が課せられており、その婚約者となった私もまた例外ではなかった。
あの傲慢な俺様王子に会うのかと覚悟して王宮に向かったが、彼は少しも姿を見せなかった。
どうやら私が登城しても、自室に引きこもって出てこようとしないらしい。そこまで拒絶されるとは思わず、私はかえって拍子抜けしてしまった。
(初対面で挨拶もまともにせず、今度はボイコットですって? 本当に、私との結婚が嫌なのね。……いいわ、その調子でどんどん嫌ってちょうだい!)
王族教育といっても、生まれながらの王族である殿下たちに対し、婚約が決まったばかりで先行きも不透明な私とでは学ぶ内容が異なる。合同の授業ではないとは聞いていたが、このままいけば本当に、一度も顔を合わせずに済むかもしれない。
初日は教育係による現時点の知識を問う簡単な試験と、このアクアリム王国の基本的な歴史のおさらいで幕を閉じた。
私の答案をあらためた教育係は、驚愕を押し殺すように一つ咳払いをすると、それ以上何も言わなかった。ひとまずは及第点、といったところだろうか。
授業が終わると同時に、恐れ多くも王妃殿下からお茶のお誘いを受けた。もちろん断る術もなく、私は先日訪れたばかりの庭園へと足を向ける。
王妃殿下と二人きりのお茶会は、先日の顔合わせ以上に緊張した。私から王妃殿下へ振るべき話題など、正直これといって思いつかない。この上なく気まずい。
最高級の茶葉から漂う芳醇な香りと、舌の上でほどける砂糖菓子の甘美な誘惑が、疲弊した脳に染み渡っていく。
(……ああ、糖分が五臓六腑に染み渡るわ。このままお菓子に集中して現実逃避していたい……)
そんな私の切実な願いも虚しく、王妃殿下がふっと目を細めて口を開いた。
「アレクシスが、ごめんなさいね」
「……?」
唐突な謝罪に、私は思わず首を傾げる。確かに彼の態度は褒められたものではなかったが、王妃殿下に直々に謝罪されるほどのことだろうか。
「言い訳をするのも、母親としていかがなものかと思うのだけれど……アレクシスも、随分と緊張していたみたいなのよ」
(……緊張? あの、高圧的な態度で傲慢の塊みたいな俺様王子が?)
肯定も否定もできず、私は淑女らしい微笑みを貼り付けて小さく頷いてみせる。
王妃殿下はその白く細い指で、言葉を探すように陶器の縁を静かになぞった。その視線は、まるでそこに誰かがいるのかのように、風に揺れる向日葵の蕾を見つめている。
「親の欲目でお恥ずかしいけれど、あの子、本当はとても真面目で努力家なの。これから仲良くしてあげてね」
「……はい」
慈しむように微笑む王妃殿下に対し、私は返答に窮して、ただ曖昧に微笑み返すことしかできなかった。
王妃殿下はそれで満足したのか、一口だけ紅茶に口をつけると、「娘もほしかったのよ」と嬉しそうに、テーブルに並ぶ季節の細工菓子やそれにあわせた紅茶を自ら紹介し始めた。
私はその声を聞き流しながら、ぼんやりと前世で読み耽った小説の世界を思い返していた。
こんなに素晴らしいご両親に恵まれて、なぜあんな傲慢な『俺様王子』が出来上がってしまったのか。もしかして、これもいわゆる『物語の強制力』というやつなのだろうか。
まあいいわ。『物語の強制力』とやらが働いて、私の目論見通りに婚約破棄へのフラグが積み上がっていくなら、それはむしろ歓迎すべきことだもの。
それに比べて、第一王子のレイモンド殿下はまだ『まとも』な部類だったはずだ。
そう彼を思い出した瞬間、図ったようなタイミングで、ゆるく一つに束ねた金髪をなびかせ、レイモンド殿下が庭園にふらりと姿を現した。
「あら、レイモンド」
「母上、ご機嫌よう。……ディアナ嬢、お久しぶりです」
春の控えめな草花が去り、鮮やかな大輪の花々へと植え替えられた庭園の中で、彼の金髪は太陽の光を吸い込み、眩いばかりの輝きを放っている。
そして初対面の時と同じ、どこか人を試すような、こちらの心の内まで見透かすような……。そんな、真意の読めない微笑をその唇にたたえていた。
その整った顔立ちに圧倒されそうになりながらも、挨拶をしようと慌てて席を立つ。そんな私を、彼は柔らかな手つきで制した。
「非公式な場ですし、急に現れたのは僕の方ですから。どうかそのまま」
私はその言葉に甘えて腰を下ろし、静かに会釈を返した。
「それで、急にどうしたの?」
王妃殿下の問いに、彼は困ったように肩をすくめてみせた。
「西国からの来賓が到着されたようです。文官たちが母上を探していましたよ」
「あらあら。予定より随分早いのね。……困ったわ」
いかにも困惑しているといった風に、細く整った指先を頬に添えた王妃殿下だったが、すぐ名案を思いついたとばかりに、私の正面――。自分の座っていた席へ、なかば強引にレイモンド殿下を据え置いた。
レイモンド殿下も、わざとらしく驚いたふりをして見せる。そんな息子の様子には構いもせず、王妃殿下は矢継ぎ早に告げた。
「お誘いしておきながら、すぐに席を立つことになってごめんなさいね。代わりにレイモンドを置いていくから、ゆっくりしていらして。また今度、改めてお茶をしましょう」
そう言い残すと、彼女は侍女を連れ、急ぎながらも優雅な足取りで庭園を去って行かれた。
レイモンド殿下は、王妃殿下の姿が見えなくなったのを確認すると、内緒話でもするように密やかに顔を近づけてきた。
「ディアナ嬢が来ていると聞いたからね。僕が話し相手になろうと思って」
「……私で務まるのであれば、光栄ですわ」
私の控えめな返答を、彼は楽しげに受け流す。
そして、さらに声を潜めて、滑らかな発音のラグーン公国語で囁いた。
『……こないだの続きを話そうか』
――やっぱり。
彼が現れた瞬間から予感はしていたけれど。この状況、王妃様を追い出したのも含めて、すべてはこの方の筋書きどおりなのだと確信する。
私は、兄が留学している――。
そして先刻話題に上がったばかりの、西国の公用語で返した。
『もちろんです、殿下』
『驚いた! 西国の言葉まで操れるのかい? 学園の教師レベル……いや、それ以上の語彙じゃないか』
『語学は得意な方でしたので。原典で本を読みたかったのもありますけれど……ただ、実は話す方はあまり自信がないのです』
『学園を卒業した文官でさえ、使いこなせるのは一握りだよ。いいよ、僕が練習相手になってあげよう』
突然異国語で話し始めた二人に、その場に控える侍女たちは困惑したように顔を見合わせた。
新しくレイモンド殿下のためにお茶を淹れようとしていた侍女も、職務に徹してはいるものの、内容の分からない会話が繰り広げられていることに不安げな表情を隠せずにいる。
すると、レイモンド殿下の背後にいた侍従が、主君の耳元へ寄って何事かを囁いた。
「ああ、そうだね。異国語で話し込んでいると、良からぬ密談でもしているように勘繰られる恐れがあるか。……堂々と学べるように、何か工夫をしないといけないな」
レイモンド殿下が、わざとらしく独り言ちた。私に意図を伝えるためだろう。
なるほど。将来的に義理の兄妹になるとはいえ、未婚の男女が二人きりで密談していると見なされるのは、確かにあらぬ疑いを招きかねない。
「じゃあ今日はとりあえず、王国語で。こないだの続きの話をするのに、後ろめたいことなんて何もないからね?」
「……承知いたしました。殿下のお話は、どれも興味深いものばかりですから」
ニコニコと人当たりの良い笑みを浮かべるレイモンド殿下に対し、私は応じた。
正直、この王子は油断ならない。
どこまでが計算で、どこまでが本心なのか、見極めるのは至難の業だ。
けれど、彼が語る国外の先鋭的な取り組みや革新的な政策案は、この世界を学び、前世の知識を活かして何かを始めたいと願う私にとって、最高の話相手だという予感があった。
ひとりでいくら知恵を絞っても、具体的にどう動くべきかとっかかりを掴めずにいたのだが、レイモンド殿下と話していると、机上の空論が現実味を帯びた形へと落とし込まれていく気がする。
そんな手応えを前回の短い会話から感じ取っていた私にとって、続きを話せるこの機会は、正直に言って喉から手が出るほど待ち望んでいたものだった。
(……まあ、いいわ。私は王太子殿下のお誘いを断れる身分でもないし。今は難しいことは置いておいて、この時間を楽しみましょう。この有能な義兄上と仲良くしておく方が、将来の国外逃亡にも有利なはず!)
そう自分に言い聞かせ、私はレイモンド殿下が差し向ける知的な罠に、自ら喜んで飛び込んでいった。
王都の喧騒も届かない北の大地。
自信を失くした少年は、泥にまみれ、汗を流し、本当の強さを知っていく。
決して交わらない二人の時間。けれど、運命の時計は止まらない。
次回「第二王子の辺境での成長」
次話は本日12時半頃更新予定です。
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