プロローグ
王立学園の卒業パーティーは、今年も花を散らす風が吹く、春の朧月夜に幕を開けた。
卒業式と成人式を兼ねたこの日は、建国祭にも匹敵する一大行事だ。王宮の広大なホールには国中の貴族が集い、社交の花を咲かせている。
だが今年に限っては、例年と異なる点が一つ。
王族が座る一段高い場所に据えられた玉座に、国王陛下と王妃殿下の姿が見当たらないことだ。とある事情により、到着が遅れているらしい。
代わりに、次期国王の筆頭候補であるレイモンド兄上が、優雅な立ち振る舞いで独り、場を見守っていた。
明日からは第二王子である俺、アレクシスもあの隣に座り、王家の一員として国を背負うことになる。
俺は、長く伸ばした金髪を緩く一つに結んだ兄上の姿を仰ぎ見た。
留学から帰国し、二十歳を迎えた兄上は、王族としての風格を一層深めている。知性を宿す澄んだ青い瞳は、底の知れない穏やかな眼差しで俺を捉えていた。
ふと、兄上の口角がわずかに上がった気がした。これから起こる出来事を特等席で愉しもうとする、観劇者のような余裕の微笑み。
一瞬、背中を駆け抜けるような悪寒が走ったが、俺は深く目を瞑り、無理やり心を落ち着かせた。
この国では、卒業生が国王に向けて答辞と成人の宣誓を行うしきたりがある。今年の卒業生代表――すなわち俺は、陛下の不在により、今回は兄上に向けて宣誓することになる。
俺は三年間、愚直に己を鍛え上げたその力強い足取りで階段を上り、玉座の前で片膝をついた。
兄上と向かい合うと、まるで鏡を見ているようだ。
もっとも、短く刈り込んだ無骨な俺に対し、長い髪を揺らし柔和に微笑む兄上はあまりに優美で、周囲に与える印象は「太陽と月」ほどに異なるらしい。
次代を照らす太陽の座は、眩い兄上のものだ。ならば、その太陽に寄り添う月という評価こそ、俺にはふさわしい。
全貴族の視線を背中に感じながら、俺は淀みのない声で答辞を読み上げた。
――異変が起きたのは、無事に宣誓を終え、学園生活の余韻を噛みしめながら階段を降りていたときのことだ。
厳かな儀式が済み、参加者たちが緊張を解いて思い思いにお喋りに興じようとして、会場の空気がふっと緩んだ、その瞬間。
聞き慣れた、少しあどけなさの残る声が広い会場に響き渡った。
「ディアナ様、もうアレクシス殿下を解放してあげてください……!」
玉座の真下にあたるホール中央で、堂々と声を上げたのは男爵令嬢ニナ・ボーシャ。
桃色の髪に合わせた淡い色のふわふわとしたドレスは、夜会という場には少し幼すぎるように見えたが、彼女の可憐な容姿には不思議とよく似合っていた。
その背後には彼女を慕う貴族の男子たちがずらりと並び、同調するように深く頷いている。
「あら……それは私に、『婚約破棄をしろ』と仰っているのかしら?」
その問いに応じ、静かに一歩前へ踏み出したのは、俺の婚約者である公爵令嬢ディアナ・テトラ。
深海を思わせる青緑色のドレスがシャンデリアの光を反射して煌めき、彼女の艶やかな白銀の髪を一層引き立てている。
ディアナは流れるような所作で手元の扇子を広げ、口元を隠して首を傾げた。
淑女の鑑のような完璧な立ち振る舞い。
彼女に付き従う数人の令嬢たちもまた、一斉に扇子を広げ、氷のような視線でニナを見下ろした。
――いったい何が起きているんだ。
騒動の中心にいる当事者でありながら、俺は一歩離れた場所からその光景を眺めていた。喉までせり上がってくる動揺を押し殺し、貼りつけていた外向きの笑みを消す。
こうして。
俺と彼女の決定的に噛み合わない「すれ違い」の答え合わせが始まった。
本日は約1時間おきに、第7話まで公開。次話は16時半頃更新予定です。
凡人だと思い込む王子と、勘違い全開の令嬢。二人の視点が交互に重なり、卒業パーティーの『答え合わせ』へと繋がっていきます。
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未熟なところも多々あると思いますが、少しでも楽しいひとときをお届けできていれば幸いです。




