第三章 ボウリング場
永原は、意外にも親切だった。
映画館での素っ気ない態度からは想像できなかったが、俺にとって初めてとなるボウリング場のアルバイトを紹介してくれた。
朝から年配の客がちらほら訪れていたが、俺の仕事といえば、受付のあとにハウスボールを丁寧に磨いて棚へ戻すくらいで、時間を持て余すばかりだった。
昼を過ぎた頃、ぼんやり作業をしていると、雇い主の枝松さんが話しかけてきた。
「そういえば、井ノ坂くんは映画館でお世話になってるんだっけ? 永原さん、面白いでしょ?」
俺は少し首を傾げた。永原を面白いと思ったことがあっただろうか。
「……そう、なんですかね?」
「なんだ、まだ仲良くなれてないのかい?」
「会ったばかりですし……それに、知り合いの友達なんで。しかもまあまあ年上ですし。面白いとかは、まだ分かんないです」
「……元気がないのも仕方ないか」
永原の不愛想な態度に、「元気がない」という言葉は、どうもしっくりこなかった。
「親しい人が亡くなった、とかですか?」
「うぅん。君には話していないようだし、俺から言うのも忍びないな」
枝松さんは腕を組み、静かに目を閉じた。険しい顔のまま、ひとつため息をつく。
「恋人とか?」
「……嘘を言うのもねえ」
肯定にも聞こえる反応に、俺は少し驚いた。
「その人のこと、大切にしていたんですか?」
口にしてから、少し後悔した。急に何言ってんだって思われたかもしれない。
けれど、それでも気になった。
「もちろん! ほとんど毎日会ってたんじゃないかな。ふたりでお風呂に行くのも、よく見かけたよ。……まあ、たまたま見ただけだけど、おじさんはね」
枝松さんが慎重に釘を刺した理由は、よく分かっていた。この手の話題は、すぐに見当違いの憶測を呼びやすい。これ以上、本人のいないところで詮索するのはやめておこうと思った。
しばらく黙ったあと、「分かっていますよ」とだけ返す。
枝松さんの背を見送ってから、気持ちをわずかに切り替え、棚に並ぶハウスボールに手を伸ばした。
ちょうどその頃、受付にいたお爺さんと、俺と歳の近そうな女性に気づいた。
彼女は、やわらかそうな髪を低い位置でひとつに結び、猫のように気まぐれな目をしていた。引き寄せられるような、強い印象を残す子だった。
その彼女と、ふと目が合った。
「こんにちは」
ハキハキとしていて、聞き取りやすい声だった。
少し気後れしながら挨拶を返すと、その目元がふわりと綻んだ。笑顔の奥に、どこか洒落た雰囲気がにじんでいた。
枝松さんは隣で、お爺さんに事情を説明している。
彼女は軽く手を振り、指定されたレーンへと歩き出した。
俺は、揺れる彼女の髪を、しばらく目で追っていた。
気づけば窓の外は、すっかり夜の色に染まっていた。
時計の針は八時を少し過ぎている。
アルバイト初日は静かに終わった。
帰り道、冬の空気がじわじわと身体の奥まで冷えていく。
それでも、見知らぬ町を歩く足取りには、どこか新しい風が吹いていた。
築港を離れ、坂の上から遠くを見渡す。
黒く沈んだ海が、音のない静寂の中に広がっていた。
冬の夜は、これくらい静かでいい。
雪が水分を含んで音を吸収している。そのせいか、凍える寒さもどこかやわらいで感じられた。
冬の夜空は、何度見上げても飽きない。
小さな黄金色の粒が鋭く輝き、まるで迷った船の道しるべのようだった。
ふと、湯気に包まれる感覚を、身体が先に思い出していた。
映画館に戻る前に、温泉へ寄っていこう。
営業は夜九時まで。閉店まで、残りわずか一時間。
少しでも早く着きたくて、自然と足が速くなった。
温泉に着くと、受付の女性が静かに迎えてくれた。
回数券を差し出すと、彼女はその一枚を丁寧にちぎった。
その紙片が裂ける音だけが、耳に残った。




