第二話 湖底
「ねぇ、昨日のドライブどうだったの?」と伊藤さん。
「勿論すっごい楽しかったよ!ナンチャッテ!」
「え?ナンチャッテ?ナンチャッテって何?楽しかったの?楽しくなかったの?ねぇ、どっちよ?」
「どっちって・・・ねぇ、優佳ちゃん?」・・・・って突然私に振らないで!何て答えたら良いのよ!苦し紛れに、
「もう、栗原さんったら!阿部さん達に失礼でしょ?せっかく私達ドライブに誘っていただいたのに。もちろんとっても楽しかったですよ。」
「何処に行ってきたの?」
「それがねぇ、そこが微妙だったのよ。何だか訳分かんないとこなの。しかもお昼は多分絶対に流行っていないと思える様な人気の無いしけたドライブインだったし。結局札幌に帰ってから口直しに屋台村でそれぞれ食べたい物を頼んだくらいだし。」
「栗原さんは食べ物が目当てっだったようね。」
「モチよ。だって男衆と言ったら阿部っちと、あのボンボン悠介よ。最初から何も期待できないって分かっているもの。ね、そうでしょ?優佳ちゃん、あなたもそう思うよね?」
笑いを噛み締めるように「栗原さん、酷い!二人ともあんなに気を遣ってエスコートしてくれたのに。もしかして栗原さんの心の中って鬼か悪魔の類いでも住んでいるんですか?」
「えぇ、そうよ!だって私の男を選ぶ選眼力には、鬼も悪魔も必要なの。それが女の生きる道。優佳ちゃんも覚えておきなさい。」
(だからその歳で未だ独身で彼氏もいないのね?)と伊藤さんと優佳は同時に思った。 口には出さないが。
「ねぇ、それで昨日は何処に行ったの?」
「それが・・・どうもパワースポットらしいの。」
「パワースポット?何処の?」
「北に向かう海岸線から雄冬の手前で山の中の脇道に入ったところなの。 薄暗い森の他には何にも無くて気味悪い所よ。いくらパワースポットっていってもねぇ〜、普通あんなところに合コンドライブコースとして選んでワザワザ行く?しかも私達の様なハイスペックギャルズに相応しい所って言える?(自分で言う?色々な意味で相応しいとかの感想と、自己に対する評価には個人差があると思うが、少なくとも謙譲心とかくらいは持って欲しかったな。)そこには小さな滝と祠が有ってね。確か・・・カムイの森の滝って言ったかしら?ねっ優佳ちゃん、確かそんな名前の所だったよね?」
優佳は(どうだったかな?そんな名前だったかしら?)返答する前にふと伊藤さんをチラッと見た。すると伊藤さんの表情にワナワナと驚愕の色が浮かんでいる。
「伊藤さん、どうかしましたか?真っ青な顔してますよ?」
「カムイの森の滝・・・・。よりにもよってあそこに行ったの?何で?何であそこなの?」
「何でって、阿部っちが物凄いパワースポットに行こうって言うから・・・。ねぇ、あそこの事知ってるの?あそこって何なの?」
「確かに物凄いパワーがある所のようよ。
ねぇ、私が何で離婚したか知ってる?知る訳ないよね。私、誰にも言ってないものね。私が離婚したのは私たち夫婦があそこに行ったからなの。・・・あなた達・・・まさかあそこの水は飲んでいないよね。」不安そうに不吉な質問をしてくる。
「えぇ〜何なの!私達皆んなあそこの水を飲んだし、祠に手を合わせてきたわよ。」
「そ、そんな・・・。」
「離婚って、何で滝に行っただけで離婚するの?離婚って普通そんなじゃしないでしょ?
あなた達、お互い浮気とか、他にも何か悪い事したんじゃないの?そうじゃなければ性格の不一致が原因じゃない?」
「私達にはそんな原因は無いの。私達って世界中の誰よりも愛し合っていたわ。(ごちそうさま)今考えるとそう、あの日から私達の関係にヒビが入ってきたの。仕事がうまくいかなくなったり、それに加えてそのイライラも重なって小さな諍いが増えてきたり。それは地獄のような日々だった。」
私と栗原さんはそれを聞いてこの人は単に離婚の原因を滝のせいにしていると思った。
でもそれを口には出さず「そうなの」と曖昧な相槌を打つしか無い。
「信じていないようね。でも本当なの。私には確信があるの。ホントよ!」
でもその確信の根拠は言えない。その根拠とは?あの日私は帰り際、数十歩くらい歩いた後にふと後ろを振り向いたら、滝と祠がぼんやり青白い光に包まれたのを目撃したのだから。とても不吉な予感がして背中がゾゾゾと震えたのをよく覚えている。 あれは見間違いでは決してない!間違いや勘違いでは絶対なく、確かに光っていたのよ。ホントだってば!
「それよりあなた達、よりにもよってあそこの水を飲んでしまったのね。手を合わせてしまったのね。何か手を打たないと・・・。」
「そんな薄気味悪い事言わないで!大丈夫よ!悪い事なんてある筈ないもの。だってパワースポットでしょ?何かの気の迷いよ!ね、そうでしょ?優佳ちゃん。」
(えっ!また?だから!こんな時に私に振らないで!嫌ん!)と思った。
「私には分かりません。でも怖い。ね、阿部さんと杉浦さんにも相談してみましょ?ね、そうしましょ?」
「そうね、話はそれからね。」
「えっ!伊藤さんにそんな事があったの?でもそれって・・・。」
驚いた阿部っちも、それって滝のせいじゃないでしょ?とは本人を目の前にしては言えない。
「でもごめん!そんな思いをさせるつもりは無かったんだ。この前たまたまネットでパワースポットを特集した記事をよんでね、その中からこれだ!とピーンときたんだよ。記事の写真を見て、その薄暗さと古ぼけた祠の雰囲気がただもんじゃないと思えてね。ほら、お祭りのお化け屋敷に誘うノリで行ってみただけなんだ。怖い思いをさせてゴメンね。でも大丈夫さ。だってただのパワースポットだよ。人を幸せにする事はあっても、まさか不幸にする作用なんてある筈ないもの。ね、そうでしょ?」
「そうだよ。僕はあの日とても楽しかったし、幸せをありがとうって手を合わせたくらいだから。」
「悠介はそうだろうな。そりゃそうだ。」意味ありげに阿部先輩が言う。
「先輩!」素っ頓狂な声で先輩を嗜めると、女性陣が「何?」と訝しんだ。
「何でもありません。」僕が慌ててすまし顔で言う。
そんなやりとりがあっての第一話冒頭の諍いに戻る。
とうとう優佳が杉本 吟のもとに走った。
明日職場で優佳と会った時、僕はとても目を合わせられないと思った。
彼女は有頂天だったから。実際翌日の彼女はとても機嫌が良く、恋する乙女の幸せを全身で体現していたし。
優佳に振られた僕にはその様子が痛すぎる。もちろん喜べる訳がない。でもそんな嫉妬に狂った自分の狭い了見が一番堪える。自分がその程度の男でしかないと思い知るのは特に。
僕には彼女にかける言葉がない。暫くは距離をとろう。でも様子観察は怠らない。だって彼女を今でも諦めきれないし。
その優佳は暫くはとても幸せそうだったが、日を追うごとに次第にそのテンションが下がってくるのが分かる。そのうち時々悲しい表情が垣間見られるようになってきた。決して彼との仲が順調とは言えないのだろう。
そしてある日優佳の目から不意に涙が。
もう見ていられない。僕はもう一度勇気を振り絞る。
「優佳ちゃん、どうしたの。アイツと何かあった?」
「杉浦さん・・・・私、私・・・・。」
「アイツに何か言われたんだね?それとも何かされたとか?」
「私ってそんなに軽い存在?私ってつまらない?魅力が無い?」
「そんな事言われたのか?」僕は怒りに覆われて興奮気味に言った。
「女には賞味期限があるって本当?もう私には新鮮さが感じないって杉浦さんもそう思う?」奴はそんな事を言い放ったのか!自分はふたりの関係から見て【外野】に過ぎないのは分かっている。 でも生まれて初めて強い嫌悪と憎悪というものを強く感じた。
吟は優佳の女を奪い、飽きたら捨て去るというのか!許せない。
全身がワナワナ震えるのを止める事ができない。でも・・・ここは優佳の悲しみに寄り添い支えるのが先決。僕の報われない気持ちや虚しい怒りなんかより、そばにいて少しでも優佳の心を癒すよう努力しよう。ホントは震えるほど悔しくて苦しいが、当事者にはなれなかった僕はそう決めた。
僕は傷心の優佳を慰めるため、また阿部先輩から力を借りることにした。
阿部先輩も多少の罪の意識からドライブ合コン第2弾を企画。今度は普通に観光スポットである札幌近郊の支笏湖に行き先を決める。肝心の優佳は当初参加を渋るが、悲しさを紛らわせるには気分転換が一番!と強く説得した。失恋の寂しさから逃れたいでしょ?との言葉に当初反発した優佳だったが、大泣きして心が少し落ち着き心変わりしたようだ。控えめに「ウン。」と頷いてくれた。
僕は当然として、阿部先輩の「美味しいところを知ってるんだ。」との必殺誘い文句に釣られた栗原さんと、前回ドタキャンの伊藤さんも改めて参加の意向を示す。
伊藤さんに「大丈夫?元旦那とお子さんと会わなくてもいいの?」と聞くと、
「大丈夫!もう話はついたから。私達、再婚するの。」
「えっ!よりを戻すの?」
「そうよ、よりを戻すの。でもその前に旦那の知り合いに霊感と霊力の特殊能力を持つ人がいて、彼の助けを借りて降りかかった禍いを払って貰ったから。だから再婚しても、もう大丈夫なの。」
「お祓い?それで解決って事?」
「そんな簡単じゃ無かったわ。大変だったんだから!!その知人にワザワザお互いの家に赴いて貰い、お祓いをしてお札をもらったの。そのお札を家の要所要所に貼って三日三晩ひとりで家に籠り何処にも出ず、誰とも会わなかったのよ。ほら、この前私が3日間お休みを貰っていたでしょう?あの時がそうなの。思っていたより大変だったんだから。とても怖い思いもしたし。」
「怖い思い?何それ?幽霊でも見た?」
「そんな幽霊を見たぐらいの生易しいものじゃ無かったわ。真っ昼間なのに突然お部屋の中が真っ暗になる状態って想像できる?お部屋の外からポルターガイスト現象のような、ラップ音やら引き摺り軋む音やら物がぶつかる音なんかが聴こえるって想像できる?誰か知らない人のうめき声が聴こえるって想像できる?それが昼ならまだしも、真夜中にもそれで起こされるってどんだけ怖いか想像できる?
しかも助けてくれた霊能力の斉藤さんから、事前に籠る前の注意を受けていたの。注意事項を忠実に守らないと命にかかわるって。つまりお札を必ず要所に貼り、部屋を出ず、誰とも会わず話さないこと。これを破れば生命がないと。最上級の脅され方でしょ?それを私は必死に守って潜り抜けてきたの。本当に必死!生きた心地がしない長い長い三日間だったわ。元旦那も同様よ。翔平(私の子供)もきっと怖かったと思うわ。一生の心の傷にならなければ良いけど。」
それを聞いた一同は一気に身がすくんだ。想像していたのと違う。何も知らなかったとは言えあそこの水を飲んでしまったし、祠に手を合わせてしまった私達。今まで何の根拠も無しに楽観していた?自分の身には何も起こらないと?でも実は現実社会で知らず知らずに生命に関わる深刻な状況に自分たちは置かれているのだ。他人事などではない、自分の身に関わる危機なのだと。嘘でしょう?嘘だと言って!
そこに居る誰もが無言になった。
支笏湖への気晴らしドライブは、そんな訳で企画の目的とは程遠いお通夜の様だった。
でも何としても優佳を護らねば!心の安寧と失恋の痛みを軽減せねば!それが今の自分の役目だから。
でも、優佳の表情は相変わらず氷の様だ。深い闇の中からどうやって救いだそう?
目的地に現着しても答えはでなかった。
駐車場に車を停め、一同は長旅で疲れた身体を伸びをしながら湖畔に歩みを進める。通りの両脇に並ぶ土産屋を通り過ぎ、他の観光客達を掻き分け乍ら湖畔の水際に辿り着く。
支笏湖特有の澄んだ空気に僕は思わず深呼吸をして景色を満喫していると、他の観光客の騒めきに異変を感じ取った。何も考えないままに、その方向に目をやる。
「しまった!」思わず僕は叫ぶ。30mほど左脇の湖畔水際に入水する優佳が見えた。
思わず全力でダッシュした僕は彼女を追いかけるように飛び込む。でも中々思う様に追いつけない。水は凍てつき身体がすくむ。思う様に泳げない。次第に優佳の身が湖水に飲み込まれるのが見える。焦る僕。
もうちょっと!もうちょっとで追いつく!でも優佳の姿は無常にも湖水に呑み込まれてしまった。
深い湖底に沈む優佳をどこまでも追い続け冷たい水の中、やがて僕の意識も遠のいていく。
「暗い。」それが覚えている意識の最後であった。
つづく




