禁を犯す者
余裕の表情を浮かべる男。
まさか何かあるのか? 俺たちの知らない何かがあるのか?
不気味な笑みが気になって仕方がない。
「よかろう。さあ来るがいい! そして見事我が娘を奪うのだ。
しかしそれには相当な覚悟がいる。分かっているな若造? 」
ついにお許しが出た。これで何の気兼ねもなくリンネを奪える。
こんな日をどれだけ思い描いていたか。夢にまで見た光景。
さあ今こそ千載一遇のチャンス。
迷うことはない。目の前の道をただ突き進めばいい。
雲に隠れた道はきっとリンネに繋がっている。そうに違いない。
でもそれなのに俺はその一歩が踏め出せずにいる。
まるで鉛であるかのように重い足。重くて進めない。
「どうした? 意気地のない奴め! 怖いか? その雲に遮られ進むのが怖いか?
この臆病者! お前に娘はやれんし理解だってされまい。お前は何者だ?
世界に災いをもたらす悪魔の使いよ! 退治されたくなければその場を立ち去れ!
それが無理だと言うならそのまま情けなく這いつくばっていろ! ははは…… 」
ダメだ。常軌を逸している。もう関わるべきではない。
「リンネ? 」
「ごめんなさい。もうあなたには会えない。お願いだから大人しくしていて。
あなたの命さえ危険に晒す。これはもう分かっていたこと」
そう言って再び涙を流す。
彼女の美しい声が聞こえる。俺の声だって伝わってるはずだ。
会話だって問題ない。それなのに…… 俺たちは一歩も近づいていなかった。
いつだってよそ者。あれほど愛し合ったのにそれでも引き裂かれた。
「なあリンネ。もしかしてお前は初めから気づいていたんじゃないのか? 」
「そんなことない! でもあなたを見て違う世界の人間だって…… 」
リンネは詩人だ。そんな風に二人を表現するんだから。
彼女の中では俺は初めから異国の人だったのかもしれないな。
会う回数を重ね話をしそれでも埋まらないお互いの距離。
近づいてると勝手に勘違いしていたが実際は遠ざかっていた。
あまりにも遠い。どれだけ歩けばたどり着くのか?
「もう俺たちお終いだな」
つい余計な一言を発してしまう。
本心ではないのにどうしても止められない。俺はまだまだガキだ。
「お願い! もう一度冷静になって話し合いましょう」
リンネはまだ俺との関係を終わらせたくないらしい。
ならばまだ可能性はある。彼女はただあの男を恐れているだけ。
あの男の邪魔の入らないところでじっくり二人の今後のことを考えよう。
リンネだって俺を求めているし俺だってそうだ。
どんな邪魔が入ろうと俺たちは立ち向かう。
相手が誰であろうと構わないどころか関係ないんだ。
多少の行き違いはあったがそれでも二人の関係は前と変わらない。
今日はこれでいい。イレギュラーなことがあってもどうにか対処すればいい。
あの男は父親だろうし。
こうしていつでも会えるように再びリンネを待つ日々。
リンネ。君はすべて知っていたんだね? だからいつもそんなに悲しい顔を。
リンネ。もう会えない。会えないってことだけはやめてくれよ。
こうして来る日も来る日もリンネを待ち続けた。
そして十日が過ぎた。
もう間もなく祭りと言う時にようやくお許しが。
「ミモリどこ? 」
徐々に見えなくなってきつつある。
残念だが二人の運命。逆らえない。
これがよく考えれば最後の日だった。
あれからリンネに会うことはなかった。
悲しいがそれが現実。リンネとは別れる運命だったのかもしれない。
それから……
「おい寝てるな! そろそろ時間だぞ」
つい心地よくて寝てしまいそうになる。
ウトウトしながらも大体は理解できた。
事実かな? どうせミモリのことだから大げさに脚色したんだろうさ。
拍手だけでもしておこう。そうしないとすぐ不機嫌になるからな。
熟睡までは行かなかったけれど子守唄としては悪くなかった。
でもこんなことって起こりえるのか?
「それで最後はどうなったの? 」
話しぶりから行くとまだ話は続きそうだった。
もったいぶらずに最後まで行ってくれると助かるんだけどな。
「どうなった? それをお前に教えると思うか? 」
なぜかいつの間にか不機嫌になる男。まったくどこまで大人げないんだよ。
きちんと拍手してやるべきだった。適当にしたのが逆効果だったらしい。
ミモリは集落で相手されない可哀想な人だもんな。
俺が慰めてやらないでどうする? でも褒めると調子に乗るしな。
「最後まで話してよ。最後がどうなったか分からないと意味がないだろう? 」
「うるさい! グダグダ言ってないで…… ホラ来たぞ! 」
逸らすように違う話に持って行く。
結局ミモリの昔話で熟睡までは行かなかったがウトウトしたからいいが。
それにしても何が来たって言うんだ? どうせただの言い訳だろう?
あれ? 足音がする。誰かが向かってきたのは間違いない。
異丹治たちでなかったら誰が来るのか?
「お前は初めてか? だったらその目に焼き付けるといいよ」
意味深なことを言ってそれ以上何も教えようとしない。
「はあ何を? 」
「ふふふ…… 見れば分かる。大人しくじっと見てるんだな。
俺はもう充分と言うかこれ以上見ては心の平安が保てない。
そんな気がするんだ」
何だか大げさ。話も大げさだったよな。何だか嘘臭かったし。
足音がどんどん近づいて来る。
あれ俺緊張してるぞ。興奮までしてる。どうしたんだろう俺?
暗くてよく分からないが少女のようだ。ミモリがそう言うから間違いない。
少女? この集落で少女。その上禁忌を犯してやって来る者は限られる。
しかしも俺が昨日会った人物。そんなの彼女しかいない。
実際はこの集落に来て思い出すこともなかった女の子。
アイミ…… だったら感動的だったんだろうな。でも違う。
「ほらお前もよく知る子だろう? 」
俺が答えを言わないとおかしなこと言っていたのは彼女だったからか。
「さあまったく…… 」
「林蔵さんとこのミコちゃんだろうが! 」
「ミコ…… まだガキだろう? 夜中に出歩いたらいけない」
絶句する。だって……
「ははは…… 驚いたか? 儀式の前に毎朝この神聖な湖で体を清めるのさ。
沐浴ってところだな」
ミモリは落ち着いている。なぜ興奮しない? 慌てない? 恥ずかしがらない?
相手がガキだからか? でも俺はそうは行かない。
目の前の少女は何の恥じらいもなく身に着けてたものを脱ぎ捨てたのだから。
まあ脱ぎ捨てると言っても下着などつけていない。
儀式の間中ずっとそうだとミモリは言う。
余計なものをつければそれだけ穢れてしまうと言う教えから。
この集落の者はあえて見ようとはしない。
だが神聖なものであるから決して目をす逸らしてはならないと。
まだ薄暗いのではっきり見えないのがプラスだかマイナスだからに働いた。
脱ぎ捨てた服をそのままにミコは湖へ。
まるで冥界に旅立とうとするかのように。
続く