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プロローグ――天才開発者ベント・イニオン

 シエンス共和国から追放されたベント・イニオンは、暑苦しい白衣を着てウィルド王国の山道を歩いていた。

 中身のぎっしり詰まった大きなキャリーバッグの車輪を土まみれにしながらトボトボと歩いていた。


 開発費横領の賠償だとかで財産はほとんど没収されたが、ベントの開発品は彼らにはガラクタにしか見えなかったようで、それらを持ち出せたことはさいわいだった。


 追放を言い渡されたときには前途多難に思われたが、知的財産とその成果さえあれば、ベントに立ちはだかる壁は国境くらいしかない。


 たとえ野盗に襲われたとしても、それは些事でしかない。

 たとえ、狂暴で凶悪な獣〝凶獣〟を使役する盗賊団に襲われたとしても。


「おい! おまえ、シエンス共和国の人間だな? 荷物をすべて置いていけ。服もすべてだ!」


 ベントは身なりの汚い屈強そうな男たちに囲まれた。


 男たちは見るからに盗賊だった。

 服装や持ち物の雰囲気からベントをシエンス人だと判断したのだろう。

 縄張り内で富んだ国の人間を見つけたら濡れ手に粟というもの。盗賊が見逃すはずがない。


 ベントを囲むのは男だけではなかった。

 彼らは犬型の凶獣を引き連れていた。


 シエンス共和国では縁がないが、ここウィルド王国には凶獣がいる。

 凶獣は基本的に無差別に人を襲うが、凶獣の中には時間をかけて餌付けすれば調教することが可能な種類もいる。


「グルルルルルゥ!」


 犬型の凶獣はベントだけをにらんで唸っていた。しっかりと調教されている。


 ベントはキャリーバッグを立てて手を離し、白衣のえりを正した。そして盗賊たちに問う。


「ひとつ確認させてください。問答無用で襲わないのは、私の着ている衣服を無傷で手に入れるためですか?」


 盗賊たちは互いに顔を見合わせて首を傾げた。

 そして盗賊のひとりがベントに返答するでもなく声を張りあげた。


「こいつを殺せ! 殺して奪え!」


 どうやら衣服の状態は関係なかったらしい。

 彼らは何も考えずに脅迫していただけで、殺してから奪うという発想が頭になかったのだ。


「なんだ、ただの考えなしですか」


 ベントの声を耳に入れた盗賊が眉を吊り上げた。

 もう殺せという号令がかかっているので、これ以上は実際に殺すことでしか怒りを発散させることができない。

 顔を真っ赤にした盗賊が凶獣よりも先行してベントに飛びかかる。


 ベントは白衣のポケットに手を突っ込み、小型の銃を取り出した。


「おせーよ!」


 盗賊が短剣をベントのあご下から脳天に向けて突き上げた。


 しかし短剣はベントの体をすり抜けた。

 盗賊は勢い余って地面にダイブした。


「それは幻惑迷彩による幻ですよ」


 ベントが迷彩を解除して本来いる場所に姿を現す。

 こけた盗賊が見上げたときには、ベントはもう引き金を引いていた。


「うわあっ!」


 撃たれた盗賊が頭を抱えてのたうち回った。


 ほかの盗賊や凶獣たちは何が起こったのかわからず戸惑っている。

 それもそのはず。彼らからすれば、銃弾が発射されたようには見えなかったし、発砲音も聞こえなかったのだから。


 ベントの持つ銃は普通の銃ではない。

 6つの銃口が円状に並んだ異様な形状のそれは、ベント自身が開発した世界でひとつだけの特殊な銃である。


「これは撃音波銃。通称、波銃といいます。この銃は6つの銃口から指向性の超音波を発射しますが、射線上にいる標的には6重の共振で強化された強力な超音波が直撃します。標的は聴覚と三半規管が麻痺し、しばらく立てなくなります」


 盗賊たちの困惑はより深まった。ベントの言葉がまるで理解できていないことは、その表情から明らかだった。


 ベントは彼らを尻目に、地面で苦しみ続ける盗賊に近づいて腰を落とした。


「大丈夫ですか?」


 ベントは盗賊のほおをつかんで半ば強引に口を開けさせると、1錠の薬を飲ませた。


 目を白黒させながら凝視してくる盗賊に向かってそっとつぶやく。


「私のことは〝先生〟と呼びなさい」


「は、はい……」


「よろしい。では、しばらく休んでいていいですよ」


 真っ赤に充血させて目を剥いた盗賊は、地面にうずくまって静かになった。


「おい! 貴様、何をした!」


 ベントを警戒して唸る凶獣の後方から盗賊が叫んだ。


 ベントは嘆息しながらも説明する。


「どうせ理解できないでしょうが、無駄を承知で説明してあげましょう。いま彼に飲ませたのは盲信隷属薬です。通称、盲隷薬。雛鳥に見られるような〝すり込み効果〟を植え付ける寄生菌が入ったカプセルです。この菌に寄生されると、寄生後に最初に見た生物を自分の主人だと思い込み、その者に服従するようになります」


「はぁ?」


 その盗賊の反応はベントの想定したとおりだった。

 盗賊ごときに理解できるはずがない。盲隷薬の原理も、それを使うことの意義も。

 盗賊たちはベントに奇異の視線を向けている。


 念のためにベントは補足する。


「あ、この菌は増殖も繁殖もしないので安心してください」


「そういう問題じゃねーよ!」


 ベントはふたたび内心で嘆息した。せっかく補足してやったのに軽視されてしまった。非常に重要なことなのに、と。


 ベントは波銃を持った手をふたたびポケットに突っ込んだ。


「かかれ! ヤツを殺せーっ!」


 盗賊の号令で凶獣たちがベントに向かって駆ける。


 次にベントが取り出したのは、黒い容器の小型スプレーだった。

 噴射口を凶獣たちに向けてボタンを押すと、赤い霧状のスプレーが発射された。


 周囲にぐるりと噴射された赤い霧は粒子の重さでゆっくりと地面に降りていく。


 そんな中に突っ込んだ凶獣たちは、いっせいにこけて地面を滑り、手足をバタバタさせながらもがき苦しみだした。

 凶獣たちはもはや戦力として使い物にならない。


「これは催涙隷属スプレーといいましてね、オレオレシン・カプシカム・ガスを主成分として合成――」


「もういい!」


 さっきから号令をかけていた盗賊の頭領らしき人物がベントの説明をさえぎった。


 ベントをにらむ頭領と、表情もなく真顔で頭領を見据えるベント。

 そのベントの態度にはいささかの警戒心も表れていない。自分が負ける可能性など皆無と言わんばかりに。


 得体の知れない武器をたくさん持っている異国人が不気味すぎてこれ以上はリスクが高いと判断したようで、頭領は撤退を命令した。

 うずくまる仲間を見捨ててベントに背を向けた。走りはしないが、早足に歩いて去っていく。


 そんな彼らにベントは波銃の銃口を向けた。


 それから、黙して撃つ。


「ぐわあっ!」


 盗賊のひとりがその場に崩れ落ち、地面に転がったままバタバタとのたうち回った。


「はあ? 何をしやがる!」


 頭領が振り向いてベントをにらむ。


 ベントは頭領の反応がまるで理解できないというふうに首を傾げながら、さらに引き金を引く。


「あぐうっ!」


 また頭領の横にいた盗賊が倒れて苦しみだした。


「おい、やめろ! 俺たちは退くって言ってんだろ!」


「駄目です。あなた方は私に命の危険を及ぼし、そして私の所有物を消費させました。相応の報いを受け、しかと補償していただきます」


 ベントは何度も引き金を引き、盗賊を次々と無力化していく。


 そして最後に頭領を撃った。


 それで終わりではない。

 ベントはうめく盗賊たち一人ひとりに盲隷薬を飲ませ、そして自分の顔を服従すべき主人としてすり込んでいく。


 最後に頭領の番がやってきた。


「あなたは責任者なので、相応の対処をさせていただきます」


 ベントが頭領の顔の前に出したのは、錠剤ではなく黒い容器のスプレーだった。

 凶獣たちがいまだ苦しみ続けている原因の赤いスプレーである。


「ま、待て! それは何なんだ! 俺がそれを浴びるとどうなるんだ!?」


 ベントはスプレーに添えた指から力を抜いた。

 眉を八の字に下げ、険しい視線を落としながら首を傾げてみせる。


「あなた、さっき私の説明を拒んだじゃないですか。それなのに質問するんですか? 私はあなたに都合のいいチャットAIではありませんよ。コミュニケーションを放棄するのは構いませんが、それならそれで一貫してください」


 そこまで言って、ベントは指に力を込めた。

 赤い霧が頭領の顔にまんべんなく吹き付けられた。


「ぐあああああっ!」


 頭領は凶獣同様に激しく地面上を転がりまわり、のたうち、苦しみ悶えた。


 ベントは周囲を見渡し、転がる盗賊たちに向けて声をかけた。


「盗賊のみなさん、あなた方に命令します。あなた方はこの山を出てはいけません。人を襲ってもいけません。凶獣を狩って生活しなさい。それから頭領さん、補償ぶんはあなたからいただきますね」


 ベントは頭領から上着を引っぺがし、そこから巾着状の財布を抜き取った。

 それをポケットに突っ込むと、キャリーバッグの持ち手をつかんでふたたび歩きだした。


 キャリーバッグをカタカタいわせ、車輪に土を巻き込みながら歩いていく。


 しばらく歩いたあと、ふとベントは立ちどまった。

 普段あまり運動をしないので山道に疲れたのだ。

 キャリーバッグを寝かせ、その上に腰を下ろして休むことにした。


「はぁ……」


 ベントのため息には自分を追放した者たちへの嫌悪感が乗っていた。

 彼らにもさっきの盗賊たちみたいに相応の報いを受けさせてやりたかった。


 しかしベントは決めている。

 報復はしない。

 その代わり、こんな理不尽な世界は自分が改めてやる。己の発明品を駆使して。


 結果的にベントを追放した者たちが報いを受ける可能性はあるが、そこにベントの感情は介在しない。

 ベントが動くときにシエンス共和国議会に籍を置く者たちが理不尽のツケを払うことになるだけで、議会に長く居座れば巻き込まれるのは当然のことである。


「はぁ……」


 それでもやはり、あの議会でのことを思い出せばため息が出てしまう。


 世直しをするという決意が揺るがぬよう、ベントはシエンス共和国議会のことを思い返すのだった。

本作をお読みいただきありがとうございます。

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こんばんは。 改めてプロローグ読み返させて頂いて、そうだ、こんな始まりだった……!と新鮮な気持ちになりました^^ 面白さ保証の★も失礼します。 応援しております❁⃘
シエンス共和国から追放された科学者ベント、盗賊と凶獣を独自のガジェットで次々と無力化していく様子が、痛快に描かれていて引き込まれました笑 先生と服従させる盲隷薬や説明を拒んだ頭領への制裁など彼の合理的…
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