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後宮呪術物語  作者: メグリくくる


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○第四章

 <査燕>

 

 希璃下級妃と妙英の弔いを済ませた後、私は決意を新たにした。

 ……私の行おうとしていることは、皇帝陛下のご意思に反することでもある。

 皇帝の寵愛を受ける黒玉妃を、疑おうとしているのだから。

 ……見つかったら、最悪死罪だな。

 だからこそ、黒玉妃の調査は私一人で行わなくてはならない。

 上司の俊軒は、頼れない。

 というか、そもそも宛に出来ない。

 仕事が出来る男ではあるが、普段のやらかしから隠密行動が致命的にあわないし、そもそも出来ない。

 何より、女性に甘いのが絶望的だ。

 ……流石に私を裏切るとは思わないが、ぽろっと不用意な発言をして、そこから気取られるという未来が容易に想像出来る。

 では、玲冥はどうかというと、彼女の存在は非常に戦力になるだろう。

 ……玲冥本人には色々言ったが、彼女が話せるのは生きている人間だけではない。

 玲冥は、幽霊は自分勝手に振る舞うため、交渉は難しいと言っていた。

 しかし、交渉出来ないと言っても、死者がなんてことないと思っているものであれば、話を聞き出せる。

 幽霊にとってどうでもいい情報であっても、私たちには喉から手が出るほどの貴重な情報というものもあるだろう。

 むしろ、大っぴらに黒玉妃の情報を集めることが出来ない分、そういった些細な情報を集めれる能力は、今回の調査でこそ活きる。

 しかし、私は今回の件で彼女の協力を拒んだ。

 ……もし調査が露見すれば、玲冥も罪に問われることになる。

 今まで協力してもらっていた事件とは、難易度も失敗した場合被る被害も桁違いだ。

 ……彼女を、巻き添えにするわけにはいかない。

 そう思っていると、私を呼ぶ声が聞こえてくる。

「査燕様」

「俊宇か? どうしたんだ?」

 そう言いながら、微妙な顔をした彼の表情を見て、私は嫌な予感しか感じなかった。

 そして、その予感通りの内容を俊宇は口にする。

「その、俊軒様がお呼びです」

「……ここでか」

 いざ黒玉妃の調査をしよう、という場面で上司からの呼び出しだ。

「また何か面倒事を私に押し付ける気だろうな」

「残念ながら、恐らくそうかと」

 自分は悪くないのに申し訳無さそうな顔をする俊宇の肩を、私は軽く叩く。

「君がそんな顔をする必要はない。悪いのは全て、俊軒なんだから」

「あの、まだ俊軒様の用事はあの方が悪いと決まったわけではないと思うのですが」

「心配するな。十中八九、あいつが悪い」

 溜息を零した後、私は観念したように上司の部屋に向かう。

 彼の部屋の前で、私は扉を叩いた。

「査燕です。ご用ということでうかがいました」

『あぁ、査燕か。入ってくれ』

「失礼します」

 中に入ると、机の上で腕を組んでいる男がいた。

 彼は見るもの全てを安心させるかのような、柔和な笑みを浮かべている。

 あの笑みに魅了された女官や妃は、星の数ほど存在していた。

 しかし、いつも仕事を押し付けられ、尻拭いをさせられ、しかも彼の女性問題まで解決させられる身としては、とりあえず張り倒してやりたい気持ちにかられて仕方がない。

 着ている服の色は私と同じ百入茶色で、私と同じく服に刺繍をしてはいなかった。

 そんな上司、俊軒を見下ろすように、私は彼の机の前に立つ。

「早くご要件をお願い致します。もったいぶられて、処理する時間が減るのがもったいないので」

「嫌だなぁ、査燕。そんな他人行儀にしないでくれよ。僕と君の仲じゃないか」

「仲も何も、上司と部下でしょう」

「働き始めたのは一緒じゃないか。大体、外では僕に対して敬称なんて使ってないだろう?」

 その言葉に、私はこれ見よがしに舌打ちをする。

 俊軒に群がる女性たちは、彼にとっての目であり耳だ。

 流石に全てとまでは言わないが、女性が多く暮らしている後宮で彼の情報源は非常に有用だった。

 ……それがわかっているから、私もこいつが仕事をさぼるのを強く咎められんのだ。

 そして自分の存在価値を十二分に理解している上司は、苛立つ私を見て嬉しそうに笑う。

「まぁまぁ、そんなに怒らないでくれたまえよ。君にしか頼めない仕事を持ってきたんだからさ」

「私に押し付けたい仕事、の間違いだろ? 女の所ばかり行ってないで、少しは自分で仕事をしたらどうなんだ?」

「そんなこと言って、君だって最近、下女の尻に敷かれているみたいじゃないか。何だっけ? あの前髪で顔を隠してる子」

「……玲冥には、純粋に仕事を手伝ってもらっているだけだ。お前と一緒にするんじゃない」

「そうなの? まぁ、どっちでも僕としては面白いからいいんだけど」

 そう言った後、俊軒がこちらにあるものを机の上に取り出した。

「これは?」

「目録だよ。以前皇帝陛下から後宮へ下賜された献上品があっただろ?」

「ああ、あれか」

「その献上品が届いた日のことを覚えているか?」

「忘れるわけがない。お前が私にそのことを直前まで伝え忘れていて、死ぬほど大変な目にあった」

「あの日は僕も大変だったんだよ。自分にはどうせ貢物なんて皇帝陛下からもらえないって悲しんでいる妃たちを慰めるのに」

 こちらの皮肉にわずかばかりも堪えた様子も見せず、俊軒は口を開く。

「それとは別に、また大変な事件があの日起こった。一人の宦官と一人の女官が死んだんだ」

「覚えているさ。私が関わった事件だからな」

 そう言いながら、私は浩宇と栗貴が死んだ事件のことを思い出していた。

 皇帝陛下から下賜された貢物を盗もうとして、彼らは呪いにかかり、死んだのだ。

 そう思っている私を前に、俊軒が口を開く。

「その事件がきっかけで、黒玉妃様へ送られた献上品一箱分が、中級妃や下級妃へと下賜されることとなった」

「そうみたいだな。待て、その話を今するということは」

「そうさ。この目録が、その下賜された一箱の中身だ」

「これが一体、どうしたというんだ?」

「一品、足りないらしい」

「……は?」

「だから、一品足りないんだ。他の妃たちへ配る前に中身を改めていたんだが、どうやら宝石が一つなくなっていてね。後宮のどこにあるのかもわからないらしい」

「大事件だろうが!」

 あの箱は、既に浩宇が開けてしまっている。

 蓋が開けられて既に呪いが発動しているので、そこから何かが盗まれたとしても呪いは発動しない。

「皇帝陛下から下賜された献上品がなくなっているなんて知れたら、私たちの首が物理的に飛ぶぞ」

「そうなんだよ。だから困ってるのさぁ」

 全然困っていなさそうにそう言う俊軒を見ながら、私は自分のこめかみ辺りの血管が引きちぎれるんじゃないかと錯覚した。

「お前、この紛失に気づいたのはいつだ?」

「献上品が届いた次の日ぐらいだったかな?」

「翌日じゃないか! なんでいつもいつも情報を自分の所で留めておくんだお前はっ!」

 怒鳴り散らしながら、しかし私は全く別のことを考えていた。

 ……また、黒玉妃様が関係した事件、だと?

 ただ今回の事件は他の事件とは違い、誰も死人は出ていない。

 それを喜んでいいかは微妙な所だが、いずれにせよ、この件も無視できないだろう。

 それに、これは好機でもあった。

 その理由は――

「この件の調査で、査燕も色んな人に話を聞きたいだろ? 紛失から時間も経っているし、梅蓮宮の関係者にも話を聞いてきたほうがいいんじゃないかな?」

 自分の考えていたことを言い当てられたような気分になり、私は息を呑む。

 しかし、その動揺を表情に出さないようにしながら、口を開いた。

「何を当たり前なことを。次から次に問題を持ち込みやがって。宴の準備もまだ残ってるんだぞ? 宝石一つぐらいお前の方で見つけておけよ」

「宴といえば、今回の催し物はどうなるのかな? 動物の曲芸とかあると、皇帝陛下も喜んでもらえると思うだけど」

「……象の曲芸の申請を出させたのは、お前の差金か」

「え、まさか却下しちゃったの?」

「当たり前だろ? 皇帝陛下にもしものことがあったら、どうするんだ!」

「でも、そっちの方が嬉しかったりするんじゃないの? 査燕にとっては」

 意味ありげな視線を向けてくる俊軒に、私は溜息を吐く。

「そういう陰謀論ごっこがしたいのなら、私ではなく別の誰かに相手にしてもらえ」

 そう言うと、俊軒ががっかりしたようにうつむく。

「なんだよなんだよ。少しぐらい付き合ってくれてもいいだろ?」

「お前には、懇意にしている女官なり妃様なりいるだろうが。彼女たちなら、喜んで付き合ってくれるだろうよ」

「いやいや、君と二人でやるからいいんだって。大勢の前でやると、冗談じゃなくて本気にする人が出ちゃうから駄目なんだよ。自分のことを、高貴なる血族だと思いたい気持ちもわかるんだけどね。それを証明出来なきゃ、ただの妄想だよ」

「……お前、ひょっとして律詠中級妃にそういう話をしてないよな?」

「だから、女性の前ではこんな話しないって。するのは査燕だけだよ。信頼してるんだよ? 君のこと」

「これほど要らないと思える信頼も珍しいな」

 そう言いながら、私は机の上に広げられた目録を受け取る。

「お、ぶつくさ言いながらもやっぱり僕のお願いを聞いてくれる査燕、大好き」

「誰かがやらんと、問題だけが残るだろうが。それから、誠意は言葉ではなく行動で示すものらしいぞ?」

「何? 抱擁でもして欲しいの?」

 そう言われて、私は苦虫を百匹ほど奥歯で噛みちぎったような表情を浮かべる。

 それを見て、俊軒が盛大に笑った。

「あははははっ! 大丈夫大丈夫、男を抱く趣味は僕にはないからさ」

「私も同様だ。というか、その気がないのにそれっぽい感じの言葉をよくそれだけぽんぽんと喋れるな」

「僕の数ある内の取り柄の一つだからね。意味ありげな言葉を振りまいておけば、色んな人が勝手に想像してくれて、勝手にこちらにとって都合のいい行動を取ってくれる。僕は汗水垂らして働くより、果報は寝て待て派なんだよね」

「部下に取っては地獄のような信念を持っている上司だな」

「あははっ、僕にとっては褒め言葉だね」

 舌打ちをするものの、最低な上司の笑いを止めることは出来なかった。

「それで?」

「え? 何が?」

「数ある内の取り柄と言っていたが、仕事に使えそうなものはどれがあるんだ?」

「顔がいい」

「……聞いた俺が馬鹿だったよ。で、要件はこれだけか?」

「うん、そうだよ。また何かあったら呼ぶね」

「二度とお前からの呼び出しがないことを祈っているよ」

 手を振る俊軒に振り返りもせず、私は部屋を出る。

 ……本当に、これ以上仕事を積まれてたまるか。

 偶然とはいえ、大手を振って黒玉妃が暮らす梅蓮宮に入れるようになったのだ。

 なくなった宝石の行方を調査する、という名目で、今まで続いていた呪い絡みの事件についても調査を進めなくてはならない。

 ……とりあえず、まずは午前中までに宴の準備で残っている仕事を片付けてしまおう。その後梅蓮宮に向かって、聞き込みだな。

 ということは、話を聞いてこちらの行動を不審に思われない相手とは。浩宇と栗貴が亡くなった日にあの部屋に出入りしていた宦官と女官ということになる。

 それだけでも、かなりの人数がいるはず。

 ……しかし、質問の仕方が難しいな。宝石の行方だけ聞いていても、黒玉妃様が返歌の存在を知っていて、それを希璃下級妃へ伝えなかったということを証明出来ない。

 何か良い方法はないかと考えながら、宴の仕事をこなしていると、部屋の外が騒がしくなっていることに気がついた。

 ……何だ? 何かまた問題が起こったのか?

 最近、嫌な予感は百発百中で当たっている気がする。

 そして残念ながら、今回もその予感は当たってしまったらしい。

 私の部屋に、深刻な表情を浮かべた俊宇が飛び込んできた。

「ちゃ、査燕様! 大変です!」

「何だ? まさか、また俊軒からの呼び出しか? あいつ、もう要件はないと言っていたのに」

「ち、違うんですよ、査燕様! 宴が、宴がひょっとしたら、中止になってしまうかもしれない事態が起こったんです!」

「なんだと? まさか、皇帝陛下のお体に何かあったのか?」

 私は今までの事件を通じて、皇帝は常に祈祷師の祈りで呪いから守られていると考えていた。

 しかし、もしそこの抜け道があったのだとしたら?

 ……よもや私が調査を始める前に、黒玉妃様が皇帝陛下を呪うことに成功したんじゃあるまいな?

 そう考える私に対して、俊宇が首を振る。

「違うんです。体調を崩されたのは、陛下の方ではないのです!」

「陛下の方では、ない?」

 陛下の逆とは、つまり妃に他ならない。

 そして現在、皇帝陛下からの寵愛を受けているのは、四人だけだ。

 上級妃である、珊瑚妃、琥珀妃、黒玉妃に、斑彩妃。

 その中で――

「黒玉妃様が、お倒れになられたそうです! 後宮中には今、ひょっとしたらこのまま黒玉妃様がお隠れになられるかもしれないと、そんな噂が飛び交っているのです!」

 

 <玲冥>

 

 ……何か、あったのかな?

 そう思いながら、私は顔を上げて辺りを見回す。

 ちょうど床を磨いており、地面に顔を向けていたので周りの様子が目に入らなかったのだ。

 しかし、ざわめきが私の耳に聞こえるまで大きくなっていたので、気になって掃除をしていた手を止める。

 何やら、女官たちがまたどこからか新しい噂話を仕入れてきたらしい。

「あのね、ここだけの話なんだけど――」

「さっき偶然聞いちゃったんだけどさ――」

 内緒にしてねと言いながら、皆嬉々として秘密にしてねと言った内容を皆に共有していく。

 そんな彼女たちを見ていると、どういうわけか居心地の悪さを感じて、私はまた顔を下に向けて掃除を再開した。

 ……どうせ、私には関係のない話だろうし。

 私自身が気味悪がられており、そして私も一人でいることを好むということもあり、他の女官との交流は最低限だ。

 仕事であれば声をかけられるが、それ以外の時に人に声をかけられることはない。

 噂話を教えてくれるような人もいないので、聞き耳を立てなければ私がその内容を知ることはなかった。

 ……だから聞き込みには不向きだと、私は遠ざけられた。

 後宮で起こっている、呪術絡みの事件。

 それらには全て、黒玉妃の影が見え隠れする。

 あの上級妃が何か企んでいるのか、それとも全ては偶然だったのか、それを探る必要があった。

 しかし――

 ……査燕様も、結局のところ大事な所では私を必要としなかったし。

 事件のこともあり、なし崩し的にあの人と一緒に行動するのは大変ではあった。

 けれども、不思議と辛くはなかった。

 しかし、今の私は一人でいる。

 結局、最終的に私のそばには誰もいなくなる定めなのだろう。

 ある意味、なるべくようにして、なるべくようになった、ということなのかもしれない。

 そう思うのに、どこかこう、寂しさみたいなものを感じるのは何故だろう。

 ……駄目よ。考えても仕方がないもの。ただ、前に戻っただけ。元に戻った、それだけよ。

 仕事に集中しようと、私は使っていた雑巾を洗うために桶の方へと向かう。

 その水の入った桶のそばに、女官たちが集まっていた。

 流石にその距離だと、聞き耳を立てずとも彼女たちの会話の内容が聞き取れる。

 しゃがんで雑巾をゆすいでいる私の耳に聞こえてきたのは、こんな会話だった。

「知ってる? お倒れになられたそうよ、黒玉妃様」

「具合もかなり悪いらしいわね」

「寝込んでいて、食事も喉を通らないらしいわ」

「体を起こすのもおつらいみたいよ」

「このままだと、お隠れになるかもしれないって話ね」

 ……なんですって!

 思わず手を止め、彼女たちに顔を向けてしまう。

 私の視線を受けた女官たちは、気まずそうにしてすぐにその場を去っていった。

 それを全く気にせず、私は自分の思考に沈んでいく。

 ……黒玉妃様を調べようとしていた所で、彼女が病に伏せった?

 偶然にしては、出来すぎている。

 また、何か呪いが関係しているに違いない。

 病魔を相手に取り付ける呪いは、呪術としても比較的珍しいものではないからだ。

 ……早く査燕様に知らせないと!

 片足を上げて、立ち上がろうとした所で、私は動きを止める。

 ……でも私、何の権利があって事件に関わろうとしているんだろう?

 査燕は黒玉妃の件で、私の力を必要としていない。

 今ここで私が彼の元へ向かった所で、余計なお世話になることは目に見えていた。

 ……そうだ。私はあの人に、必要とされていない。

 上げた足を、また床に下ろす。

 自分の心の中の未練を絞り出すように、雑巾を力いっぱい絞った。

 と、そこで私は、手にした雑巾のある部分が気になった。

 ……雑巾、やっぱりほつれが目立つな。

 新しいものに変えてもらおうと思っていたのだけれど、その後査燕がやってきて、結局そのまま変えてもらうきっかけを失っていた。

 それと一緒に、私はあることを思い出す。

 それは、この雑巾がほつれが目立つようになることになった、そのきっかけだ。

 それは――

 ……私が雑巾を裂いて、使ったから。

 査燕へ、忠告をするために。

 あの時はまだ、梓潮下級妃が呪いを誤って使っていたことを知らなかった。

 だから莉瑤中級妃からの言葉を鵜呑みにして、彼女が亡くなった金木宮の部屋が危ないと、査燕へ伝えに行ったのだ。

 ……そうだ。あの時私は、あの人が危ないと知って、忠告をしに行ったんだ。

 誰かに言われたとか、何かの権利や権限があるとか、そういうものを全く抜きにして。

 他の誰でもない、自分の意志で、行動したのだ。

 ……そうだよ。危ないってわかってるから、それをどうにか伝えようと、自分で決めて、自分で行動したんじゃないか。

 元に戻って、一人になったというのであれば。

 そうした自分の親切心という名のおせっかいさも、戻っていなければおかしい。

 ……やっぱり行こう。査燕様の所に。

 そう考えた時には、既に私は走り始めていた。

 話し合っている女官たちの脇を通り抜け、廊下を歩く宦官たちを置き去りにするようにして、私は駆けていく。

 ……どこにいるのかわからないけど、とりあえず査燕様のお部屋に――

 そう思い、角を曲がろうとしたところで、百入茶色の服を着た人物とぶつかりそうになった。

 ……しまった!

 ぶつかりそうになった宦官に向かって、私は勢いよく頭を下げる。

「も、申し訳ありません! 急いでいたものでして」

「いや、こちらこそすまない。怪我は……玲冥か?」

「え? どうして私の名前を?」

 顔を上げると、私は驚きで、あっ、と声を上げた。

 そこには、見知った顔があったからだ。

 いや、それどころか、今まさに会いに行こうと思っていた人だった。

「査燕様? どうしてここに?」

「それは、こちらの台詞だ。この時間は、建物の清掃を行っていたと聞いたのだが」

 その言葉に、私は目を見開く。

「ひょっとして、私を探していらっしゃったんですか?」

「その通りだ」

 そう言われて、私の胸がわずかに高鳴る。

 そんな私をよそに、査燕はこちらに向かって頭を下げた。

「先日、協力は不要だと言っておきながら、こんなことを言うのは虫が良すぎるとは思うが、君の力を――」

「頭を上げてください」

 そう言って、私は査燕の顔を見つめる。

「前に、査燕様はおっしゃっていたではありませんか。本気で嫌がっていないのなら、事件の解決に私が協力するものなんですよね? だったら、頭を下げて頂く必要なんてありませんよ」

 そう言うと、査燕は一瞬虚を突かれたような表情になる。

 そして、すぐに相好を崩すと、不敵に笑った。

「そういうことなら、遠慮はいらないようだな」

「……査燕様から遠慮なんてされた記憶がないんですが、私」

「ならば、いつも通りというわけだな」

「そうですね。いつも通りでいきましょう」

 そう言い合うと、どちらともなく歩き出す。

 一言も打ち合わせをしていないのに、不思議と私たちは隣に並んで歩いていた。

 見上げるようにして、私は査燕へ問いかける。

「梅蓮宮に向かうんですよね?」

「黒玉妃様が病にかかった原因を調べたい」

「後は、今までの事件と黒玉妃様との関連ですね」

「といっても、体調不良になった原因は――」

「呪いが原因。私もそう思います。ただ、どうして呪われたのか、どのようにして呪われたのかまでは、実際に梅蓮宮に行ってみて、そして可能であれば黒玉妃様とお会いしてみないとなんとも言えませんね」

「同意見だ。だからこそ、内侍省からの見舞いということで、私と君が黒玉妃様と面会出来るように調整してある」

「……なんだか査燕様の行動が、私が協力すると見抜いて全て行われているように思われるのですが」

「いつも通り、と言っただろ?」

「確かに、いつも通りではありますね……」

 溜息を吐いて、私たちは梅蓮宮へと向かっていく。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 梅蓮宮は、重々しい空気に包まれていた。

 特に、病を患っている黒玉妃が伏せる寝室は、陰鬱な気配でこちら側まで息苦しい。

「……ごめんなさいね、こんな姿で」

 か細い声が、寝台から聞こえてくる。

 そこに横たわるのは、黒髪の女性だった。

 本来であれば美しいその髪は、朽ち果てる前の枯れ枝のように萎れており、つややかな肌も白を通り越して青白い。

 名前の通り黒玉のような色合いをした上質な服も、今は喪服のように見えてしまう。

 その服の胸元には、紫色で『辰』の刺繍が施されていた。

「お体が優れないところ、急に馳せ参じたことをお許しください」

 頭を下げる私たちに向かって、黒玉妃が首を振る。

「……頭をお上げになって。悪いのは、私なのです。皇帝陛下がいらっしゃる宴まで、もう残りわずかだというのに体調を崩すなんて。また上級妃としての自覚が足りないと、琥珀妃に怒られてしまうわ」

「体調を崩されたのは、いつ頃からなのでしょうか?」

「……二、三日前からよ。医者にも診せているんだけど、原因がわからなくって」

 査燕の言葉に、紫色に変色した唇で、黒玉妃が答える。

「……皇帝陛下がいらっしゃる宴に上級妃の一人が欠席するだなんて、前代未聞だわ」

「陛下としても、黒玉妃様に無理をしてまで参加されることを望まないでしょう」

「……だとしても、私のせいで宴を中止にさせたくはないわね。。催し物を考えたり、会の準備に時間をかけていただいた方々に申し訳がありませんから。何より私としても、非常に楽しみにしておりましたし。宴のために、新しいお召し物や装飾品も準備していたんですのよ?」

「宴では、どういったお召し物を?」

「……絹を使ったものなんですけれど、織り方が変わっておりましてね。新しい指輪にもあうんじゃないかと思っていたのですけれ、げほっ、げほっ」

 黒玉妃がむせたところで、脇に控えていた医者がこちらの方へ近づいていく。

「申し訳ありません、査燕様。そろそろ、黒玉妃様もおつらくなってこられたようですので」

「そうですね。では、私どもはこのあたりで失礼させて頂きます」

 一礼して、私たちは黒玉妃の寝室を後にする。

 梅蓮宮の廊下を歩きながら、査燕は辺りに人がいないことを確認すると、こちらに向かって口を開いた。

「君の見立ては、どうだ?」

「黒玉妃様は、呪いの影響を受けていると考えて間違いないでしょう。ただ……」

「ただ、何だ?」

 言いよどむ私に、査燕は先をうながすように目線を向けてくる。

「確証はない、という前提で聞いてください」

 そう断ってから、私は更に言葉を重ねる。

「恐らくあれは、副次的なものです」

「副次的?」

「はい。本来であれば、黒玉妃様にかけられた呪いは、もっと強力なもののように思われます。黒玉妃様が体調を崩されているのは、あくまでその呪いの副次的な効果に過ぎません」

「あれで、副次的なものなのか? このままだと、黒玉妃様は衰弱死しそうなほどだったのに?」

 査燕の言葉に、私はうなずく。

「そうです。本来であれば、即死してしまうほど強い呪いが、黒玉妃様を襲っているんです」

「……黒玉妃様がまだ助かっているのは、呪い方や呪う方法が間違っているからなのか? 梓潮下級妃の時のように」

「あるいは、まだ完全に呪いの発動条件を満たしていない、ということも考えられます」

「浩宇と栗貴が死んだのは、箱の中身を盗み出そうと考えていたから呪いが発動したんだったな。他に呪いの発動条件となりそうなものは、どういったものが存在するんだ?」

「そうですね。ある特定の時間がきたら発動するものだったり、その道具を身につけた時だったりが該当します」

「身につける?」

 査燕のその言葉に、恐らく私と彼は全く同じことを頭に思い描いたことだろう。

 それを確かめるように、査燕が口を開く。

「黒玉妃様は、次の宴の席で新しいお召し物を用意していると言っていたな」

「指輪も新調したとおっしゃられていましたね」

「どちらとも、君に見てもらった方がよさそうだな。服も指輪も、この梅蓮宮のどこかに保管されているはずだ」

 査燕がそう言った所で、前から女官たちがこちらに向かってやってくる。

 彼女たちに向かい、査燕が声をかけた。

「すまない。黒玉妃様が今度の宴で着る予定だったお召し物と指輪を確認させてもらいたいのだが、どこに保管されている?」

「確かに両方ともこの梅蓮宮にご用意されておりますが――」

「どういったご要件で、査燕様は確認されたいのでしょうか?」

 女官たちにそう言われ、査燕は平然とした表情で口を開く。

「私の方で宴の取りまとめもやっていてね。先程黒玉妃様にお話をうかがって、当日お座りになる場所の参考にさせてもらおうと思っているんだよ。大きめのお召し物だと、他の妃様との間隔を開けなければならないだろ?」

「なるほど」

「そういうことでしたら、こちらに」

「ありがとう。助かるよ」

 女官たちに先導される形で、私たちは梅蓮宮を歩いていく。

 彼女たちの背中を見ながら、私は小声で査燕に話しかけた。

「……よくあんな嘘がすらすら出てきますね」

「私以上に口が減らない男が上司だからな」

「俊軒様ですか……」

「仕事をさぼる言い訳なんて、湯水が沸く如く口からたれ流せる男だ」

 嘆息した後、更に査燕が口を開く。

「……黒玉妃様が呪われて命が危ぶまれているということは、やはり一連の事件は彼女を狙ったものなのか?」

「確かに黒玉妃様は梓潮下級妃から狙われていましたし、浩宇様に栗貴様も皇帝陛下から黒玉妃様へ送られた献上品を盗もうとしていました。でも、希璃下級妃の件はどう説明しますか?」

 女官たちが私たちの会話に気づいてないことを確認してから、言葉を重ねる。

「希璃下級妃の件は、黒玉妃様が彼女へ掛け合い歌を教えたのは確実です。黒玉妃様が返歌を教えていなかったのであれば、明確に殺す意志があったのだと考えるべきだと思いますけれど」

「他の可能性としては、本当に黒玉妃様は返歌を知らず、掛け合い歌の教え方しか知らなかった、ということも考えられるぞ」

「どういうことでしょう?」

「黒玉妃様が希璃下級妃に教える前に掛け合い歌を歌っていたら、黒玉妃様は殺人犯として断罪されることになっていたはずだ」

 その言葉に驚き、私は思わず声を上げてしまいそうになる。

 どうにか言葉を飲み込んで、私は口を開いた。

「黒玉妃様に人を殺させるために、誰かがわざと掛け合い歌を教えた、ってことですか?」

「そもそも、一単語ずつ歌を教わる、という状況が奇妙過ぎる。それに歌を教えられたのであれば、一節ではどんな歌になるのか、好奇心で歌ってみたいと思いたくもなるだろう」

「……それは、ありそうですね。更に上級妃であれば、その歌声を聞かせる相手というのは限られてきます」

「梅蓮宮の宦官や女官たち。そして――」

「皇帝陛下」

 ……確かに、査燕様の言うことも一理ある。

 もし黒玉妃が皇帝の前で掛け合い歌を歌い、呪おうとすれば、呪詛返しで死ぬのは黒玉妃の方だ。

「現在、病で伏せっている黒玉妃様が、自作自演で呪われているとは考えづらい。一歩間違えるどころか、副次的なものだとはいえ、現状の症状が続けば死に至る。自作自演で呪う規模としては、危険過ぎる」

「……そうですね。呪いは何も死ぬものばかりではありませんから。自分を呪うのであれば、もっと危険性の低いものを使うでしょう」

 私がそう言った所で、目の前の女性たちの足が止まる。

 女官たちがある部屋の前で、こちらに振り向いた。

「着きました」

「こちらに、黒玉妃様が宴の席で着る予定となっている、お召し物が保管されております」

 彼女たちはそう言って、部屋の中へと入っていく。

 それに続いて、私たちも部屋に入った。

 そこは、黒玉妃の衣類を保管している部屋だ。

 棚には桐で出来た箱が並び、一種の博物館のような雰囲気すら感じられる。

 無数にある箱の中から、女官たちが一つの箱を持ってきた。

「こちらが、ご要望頂いたお召し物になります」

「お手は触れないようにお願い致します」

 そう言った後、彼女たちが持ってきた箱の蓋を開けた。

 その中に入ってるものを見て、私は息を呑む。

 その服を見た感想は、透明なのに黒い、という不思議なものだった。

 布の一枚一枚は薄く、反対側が見通せてしまえる。

 しかし、それを一着の服として着た場合、黒玉妃の名前通り、黒玉のような艶を持つ服となるのだ。

 手触りもよさそうで、止められているとわかっているのに、手が出てしまいそうになる。

「これは、素晴らしいものですね」

 そう言って、査燕が私の方を一瞥した。

 見られた意味は、わかっている。

 だから私は、小さく首を振った。

 ……これは、不思議な見た目ではあるものの、呪具ではない。

 その意図を汲み取り、査燕が大きくうなずく。

「ありがとう。大変参考になった。では、次は指輪を見せてもらいたいんだが」

「わかりました」

 そう言って女官たちが、また箱を元の場所に戻しに行く。

 戻ってきた彼女たちは、しかし査燕の前で首を傾げた。

「すみません、査燕様。黒玉妃様のお召し物については宴の席の配置を決めるのに参考になるかと思うのですが」

「最近お贈り頂いた指輪については、そういった参考にならないのではないでしょうか?」

 女官たちからの正しすぎる指摘に、一瞬査燕の表情が固まる。

 しかし彼の表情が固まったのは、何も矛盾を指摘されただけではなかった。

「最近、贈られた?」

「はい。とても綺麗な指輪でして、黒玉妃様も大変お喜びになっておりました」

「受け取られた時は喜びすぎて、楽しみは後に取っておきましょうと、まだその輪に指を通されておりません」

「まだ、指輪をはめていない、ということですか?」

 思わず、彼らの会話に口を挟んでしまう。

 女官たちは驚いていたが、すぐに質問に答えてくれた。

「はい。まだ身につけられておりません」

「そうこうしている内に、黒玉妃様は病に伏せられてしまって」

 その言葉に、私と査燕は思わず顔を見合わせた。

 ……間違いない。その指輪が、黒玉妃様を呪っている元凶だ。

 そして呪いが完全に発動する条件というのは、十中八九指輪をはめることだろう。

 黒玉妃が起こした気まぐれで、彼女はその命を長らえさせることに紙一重で成功していたのだ。

 私は思わず、女官たちに向かって身を乗り出す。

「あ、あの、すみません! その指輪、どうにかして見ることは――」

 私の言葉は、そこで悲鳴にかき消されることとなった。

 聞こえてきたのは、梅蓮宮の中からだ。

 査燕は、既に部屋の入口に向かっている。

 私も彼の背中を追って、走り出した。

 そして、悲鳴が聞こえてきた部屋に辿り着き、私は査燕と同じく眉間にしわを寄せる。

 そこで私たちが見たのは、一人の女官の死体だった。

 指輪を指にはめた若汐(ジャクセキ)という女官が、苦悶の表情を浮かべて、床に転がって死んでいた。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 若汐が死んでいたのは、黒玉妃の装飾品を保管してある場所だった。

 棚には意匠を凝らした木箱が並んでおり、その中に耳飾りや首飾り、そして宝石類が収められている。

 その部屋の中央で、若汐は死んでいた。

 彼女の死体は、見るも無惨な有様だ。

 全身が無数の蜂に刺されたように膨れ上がっており、萌葱色の服が膨れ上がっている。

 帯に刺繍された黄色『卯』という文字が、腫れた手に握られて見づらかった。

 そのぶくぶくになったような指に、美しい指輪がはめられている。

 指輪には、きらびやかに光る宝石がはめられていた。

 その輝きは見るもの全てを魅了し、そして手に取りたい、指にはめたいという欲求を引き起こすだろう。

 ……間違いない。これが呪具だ。

「まさか、黒玉妃様の指輪を身に着けようとするだなんて」

「なんと恐れ多いことを」

「しかも、それをはめて死ぬだなんて」

「病に伏せっている黒玉妃様に、一体どのように報告すればいいのかしら」

「あんなに黒玉妃様は、指輪をはめることを楽しみにされていらっしゃったのに」

 死体を前にうろたえる女官たちへ向かって、査燕が口を開く。

「黒玉妃様へのご報告は、まだ後でもいいでしょう。それより、若汐が亡くなった原因を調べたい。申し訳ないが、皆さん部屋から出ていってもらえるかな?」

「わかりました」

 査燕の言葉に従って、女官たちが部屋から出ていく。

 人払いをすませた彼は、私の方を一瞥した。

「……やはり黒玉妃様は、狙われていたのだな」

「そうですね。服よりも先にこの指輪の方を確認できていたら、若汐様が亡くなることを防げたかもしれないのですが」

「まだあの時点で、服と指輪、そのどちらが呪具なのかもわかっていなかったんだ。それに、呪具だとわかった所で、この指輪をすぐに破棄することも出来なかっただろう」

「黒玉妃様が気に入られていたからですか?」

「そうだ。この指輪は呪具で、こいつが原因で黒玉妃様の体調が悪くなっているんです、と言っても、証拠がなくてはなかなか相手は信じてくれまい。指輪が呪具だと証明するために、私と君のどちらかが指輪をはめるわけにもいかんだろう」

 確かに、それは通りだ。

 死ぬとわかっているのに、あの指輪ははめられない。

「そういう意味でいうと、若汐様は指輪が呪具であることを最悪の形で証明してくださったのですね」

「それで死ぬのは割に合わなさ過ぎる」

 査燕が首を振りながら、そうつぶやいた。

「だが、これではっきりしたな。今まで起こっていた呪術関連の事件は、黒玉妃様へ指輪を贈った相手が引き起こしたものだ」

「ですが、肝心の黒玉妃様は病で会話を長く続けれられる状況ではありません」

「女官の中で、誰かが知っているだろう。もしくは、彼女が知っているんじゃないか?」

 そう言って、査燕は床に横たわる若汐へ視線を向ける。

「若汐の幽霊は、まだこの部屋にいるのか?」

「はい。査燕様のお隣に」

 そう言いながら、私は彼の隣へ視線を向ける。

 そこには、困り顔となった若汐の姿があった。

『私、本当に死んじゃったみたいね』

「はい。残念ながら、お亡くなりになられています」

『本当に、なんであんなことをしてしまったのかしら。私、この部屋に保管されていた装飾品の手入れをしていたんです。いつでも黒玉妃様が身につけてもいいように、宝石も一つ一つ丁寧に磨いて。それであの指輪を磨いていた時、頭がこう、ぼーっとしてしまって。気づいたら、あの指輪をはめていたんです』

 ……呪いの効果か。

 私も指輪を見た時、宝石に魅入られそうになった。

 相手を呪い殺すため、身につけたくなるような仕掛けが施されているのだろう。

 あれを美しいものだと思ったが最後、若汐はたとえ黒玉妃の所有物であったとしても、ほんの少しでいいから指にはめたいという欲求に逆らえなかったのだ。

 弱り顔の若汐は、懇願するように私に向かって口を開く。

『お願い。私の体はどうなってもいいから、あの指輪だけは黒玉妃様にお返しして頂けないかしら? もうあの方がこの指輪を身に着けられないことはわかっているのだけれど、黒玉妃様のものを私が身につけたままでいることが耐えられないの』

 若汐の亡骸へ、改めて視線を向ける。

 彼女の手にきらめく指輪を抜き取るのは、普通にやっては無理だろう。

 何せ若汐の指は、腫れたように膨れている。

 つまり彼女の願いは、若汐の死体の指を切断してでも指輪を本来の持ち主に返して欲しい、というものだった。

「わかりました。宦官の方にお伝えはしておきます」

『ありがとう』

「では、私からも一つ質問させてください。あの指輪ですが、どなたが黒玉妃様へお送りになられたのか、ご存知ですか?」

『ええ、知っているわ。私もその場に同席させて頂いておりましたから』

「だ、誰だったんですか? その人物って」

『律詠中級妃よ』

「律詠、中級妃が?」

 何故? と思っていると、その答えを若汐が教えてくれる。

『何でも、先日の件のお詫びということだったそうよ』

「先日の? それは、どういう意味でしょうか?」

『……ごめんなさい。そこまでは、私も詳しく知らないの』

 申し訳無さそうに謝る若汐の顔を見ながら、私は混乱していた。

 ……律詠中級妃が、黒玉妃様を殺そうとした?

 それに、先日の件という話も気になる。

 そして何より、中級妃がどうやって呪いの指輪を手に入れたというのだろうか?

 ……あの宝石の大きさからして、とても中級妃が用意できるようなものじゃない。

 それこそ、上級妃であってもそう簡単に入手出来るようなものではない。

 誰かが、律詠中級妃を使って黒玉妃を呪い殺そうとしているのだろうか?

 新たな疑問に狼狽している間に、部屋に人影が入ってきた。

 彼の名前を、査燕が呼ぶ。

「俊宇か」

「若汐のご遺体を回収しても?」

 査燕が、私の方へ視線を向けてくる。

 若汐の幽霊と行った会話の内容を加味して、もう彼女の亡骸を調べる必要がないのかどうか、確認してくれているのだろう。

 知りたいことと聞きたいことは全て聞き終えているので、私は査燕に向かってうなずきながら、口を開く。

「黒玉妃様の指輪を、回収頂ければと」

「……ですが、上級妃が死者が身につけていたものを、今後身にまとわれるとは思いませんが」

「とはいえ、宝石はこれほど素晴らしいものだ。本来の持ち主である黒玉妃様に確認もせず、私たち宦官の判断で勝手に破棄するわけにもいかんだろう」

 私の発言を補足してくれる査燕の言葉に、俊宇はしぶしぶといった様子でうなずいた。

「査燕様がそうおっしゃられるのであれば」

 そう言って彼は、後からやってきた宦官たちと若汐の遺体を部屋から運び出す。

 部屋の中に私と査燕だけになった所で、私は若汐の幽霊から聞き出した話の内容を彼に伝えた。

 話を聞き終えた査燕はうなりながら、腕を組む。

「律詠中級妃が黒玉妃様を狙う動機は、わかる。だが玲冥が気にしている通り、彼女がどこからあの指輪を手に入れたのかは調査したほうがいいだろうな」

「そうですね。もしあんな強力な呪具がどの妃様であっても簡単にこの後宮へ持ち込める経路があるのであれば、今後また同じような事件が起こらないとも限りません」

「それに、律詠中級妃が黒玉妃様へ指輪を贈る言い訳に使った、先日の件とは、どういうものなんだ? 律詠中級妃がかの上級妃を呪い殺そうと画策していたのであれば、その先日の件とやらで彼女に接触出来たはず。それなのに、律詠中級妃は指輪を後日に渡している」

「……その時には、まだ律詠中級妃が指輪を手に入れていなかったから、とかですかね?」

 そう言うと、査燕は悩まし気に首をひねる。

「それなら、これから呪い殺そうとしている相手とわざわざ接触する必要はない。あの指輪の呪いは、いわば火の付いた爆弾だ。いずれ導火線が燃え尽き、爆発するとわかっているのなら、謝罪の品という形ではなく、秘密裏に黒玉妃様に渡せばいい。だが、女官たちがいる前で渡したということは、何かしら意味があるはず」

「どうしましょうか? 梅蓮宮の宦官や女官の方々に聞き込みをしますか? 指輪の入手経路の情報はないかもしれませんが、先日の件については誰かしら知っているかもしれませんし」

「……そうだな。今のまま律詠中級妃を糾弾しにいこうにも、送ったあの指輪が呪われていると知らなかった、としらをきられると、こちら側としても攻め手がなくなる」

 そう言われて、私は唇をわずかに噛んだ。

 私が呪術に通じていることを、査燕は信じてくれている。

 しかし、実際私に対するこの後宮での評価は、ただの薄気味悪い下女でしかない。

 高貴な血筋の出でもなければ、むしろ私はその正反対に位置する一族に連なるものだ。

 私がどれだけ律詠中級妃が渡した指輪が呪われていると叫んだ所で、ただの頭のおかしな女のたわごとだと切り捨てられたら、それ以上罪を追求できなくなるだろう。

 ……仮に指輪を律詠中級妃にはめるよううながしたとしても、死者が身につけていたものをはめるなんて出来ないと言われたら、反論できなくなってしまう。

 私は無力感に、崩れ落ちそうになった。

 そんな私の体を、

「玲冥」

 査燕が、支えた。

 隻眼の瞳が、震える私に向けられる。

「言ったはずだ。君も、私が守るべき対象に入っている、と」

「ですが、私の発言に説得力がないせいで、後一歩律詠中級妃を追い詰める手立てが足りません」

「むしろ、そこまで情報を集められたのは君のおかげだ。足りない所があるというのであれば、私が埋めよう。忘れるな? 君は、一人ではないのだから」

 そう言って、査燕は私を真っ直ぐに立たせると、顔をあげる。

「まずは、宦官と女官たちに話を聞きに行こう。そこから、見えてくるものもあるはずだ」

「……そうですね。やれることがあるのに、何もしないのは変ですから」

 そう言って、私たちは梅蓮宮での聞き込みを開始した。

 しかし、どれだけ話を聞いても、若汐の幽霊が語ってくれたもの以上の情報は手に入らなかった。

 気づけば外は日が傾いており、夕日が辺りを朱の色に染めている。

 私たちは一旦査燕の部屋に戻り、今後の対応について作戦を練ることにした。

 そして、部屋に入った所で、査燕が特大の溜息を吐く。

「二度とお前からの呼び出しがないことを祈っていると、そう言ったはずだぞ? 俊軒」

「あははっ、僕は了承しなかっただろ? 記憶力に衰えが出始めてるんじゃないか? 査燕。たまにはしっかり休養を取ったほうがいいぞ」

「……誰のせいで休めないと思っているんだ!」

 怒れる査燕を、まぁまぁ、となだめるように、俊軒が彼と肩を組む。

「そんなに怒るなよ、査燕。おや? こちらが例の下女かい?」

「ど、どうも。玲冥ともうします」

 そう言うと俊軒は、こちらの瞳の奥を覗き込もうとするように、目を細める。

「ふーん、前髪で隠れているけど、結構顔立ちは――」

「いい加減離れろ、鬱陶しい」

 組まれた腕を、査燕が振りほどく。

 俊軒はやれやれ、とでも言いたげに、肩をすくめた。

「そんなに邪険にしなくてもいいじゃないか」

「されるようなことをお前がするからだろうが」

「おや? そんな口を聞いてもいいのかな? せっかく君へ朗報を持ってきたんだから」

「朗報だと?」

 首を傾げる査燕へ、俊軒は満面の笑みを浮かべる。

 妃や女官たちが虜になりそうなほど魅力的な笑みだが、査燕から彼の日頃の行いに対する愚痴を聞かされているため、逆にうさんくさく見えてしまう。

 そんな査燕の上司は、部下に向かってこう言った。

「喜べ、査燕。君の仕事が一つなくなった」

「……それは喜ばしいが、一体どの仕事がなくなったんだ? 俊軒」

「今日君に頼んだ、失せ物探しの件があっただろ? あの品な、見つかったみたいなんだ」

「元々黒玉妃様へ送られた献上品のうち、中級妃や下級妃へと下賜された一箱から一品なくなっていたという、あれか?」

「ああ、そうさ。さっき別の宦官から連絡があってね。これにて一件落着、という話さ」

「……そんなに早く解決するのであれば、そもそも私に仕事を頼まなくとも良かっただろうが! 第一、お前が紛失に気づいた時点でもっと早く行動していれば――」

「はいはい、今はいいから、そういうの。全く、どうして君はせっかく問題が一つ片付いたというのに怒ってばかりいるんだい? 目の前の幸せを無視して過去に拘るなんて、非常に論理的じゃないんじゃないかな?」

「その問題解決までの過程が、論理的ではないから怒っているんだ!」

「嫌だなぁ、いかに僕が優秀だからって、あくまでこっちは人間だよ? 間違いぐらい起こすさ」

「その起こす頻度の高さと改善の姿勢が見受けられないことを問題にしているんだ! 大体、お前はいつも――」

「あ、あの、すみません」

 二人の掛け合いの中、私はおずおずと手を挙げる。

 そんな私に向かって最初に口を開いたのは、俊軒の方だった。

「どうしたんだい? 玲冥ちゃん。あ、この堅物に辟易したっていうんなら、いつでも僕の所に着てくれてもいいからね」

「何を考えてるんだ? 馬鹿なことを抜かすな! そうやってそこら中に愛想を振りまくから、私が後々大変な思いをするんだ! 大体、お前はいつも――」

「あの、そのなくなったお品というのは、先日皇帝陛下から上級妃たちへお贈りになられた、献上品のことでしょうか?」

 もっと言えば、その貢物の中の一箱。

 浩宇と栗貴が盗みを働こうとして呪い殺された、あの血文字が書かれた蓋が入っていた箱のことだ。

 私の言葉を聞き、査燕がうなずく。

「そうだ。まさしく玲冥が言った通りのものだ。そしてなくなり、見つかった品というのは、どうやら宝石らしい」

「それがどうかしたの? 玲冥ちゃん」

「その、中級妃や下級妃へと下賜された一箱の中身について、目録みたいなものはありますか?」

 その言葉に、査燕と俊軒が互いに顔を見合わせる。

 そしてすぐに、査燕が口を開いた。

「目録なら、私が持ち合わせているが」

「それ、見せて頂けないでしょうか?」

「構わないが、何に使うつもりだ?」

「いいじゃんいいじゃん、査燕。なんだか面白そうだし、見せてあげようよ」

 その言葉にうながされるように、査燕は机の上に目録を広げる。

 それら全てに目を通し――

「査燕様。律詠中級妃とお会いしたことはありますか? できれば、あの方の人となりや、どういうお考えの方なのか知りたいのですが」

「構わない。話そう」

 そして査燕の話を聞き終えた時には。

 私の中で、全てが繋がっていた。

「わかりました、査燕様。今回の事件の、いえ、今まで起こっていた事件の真相が」

「本当なのか? 玲冥」

「なになに? 何の話?」

「お前はちょっと黙っていろ、俊軒」

「いえ、査燕様。律詠中級妃を追い詰めるには、俊軒様のお力をお借りした方がいいかと思います」

 私の言葉を聞いた俊軒の目の奥が、黒く輝いた。

「へぇ、玲冥ちゃん、僕を使う気なんだ。女の子を使ったことはあったけど、使われるのは初めてかもな。でも、人を動かすには、それなりの論拠がないといけないよ?」

「はい、わかっています。ですからご協力頂けるか、私の話を聞いてからご判断ください」

 そして私は、自分の考えを彼らに語る。

 査燕と出会うきっかけとなった事件から、若汐が死んでしまった一連の事件の、私なりの推測を。

 私の話を聞いた二人の反応は、非常に対照的なものだった。

 査燕は眉を険しそうに歪め、俊軒はまるで最高の喜劇を見ているかのように笑っている。

 そんな二人に、私は更に言葉を重ねた。

「今お話した内容には、私だけでは知り得ない情報がいくつかあります。なのでお二人のはそれを調べて頂きたいのと、律詠中級妃を追い詰めるための準備にご協力頂きたいのです」

「話は委細承知している。もちろん私も協力しよう。それに、すぐ俊宇に話をしなければならない。先に出ているぞ」

 そう言い残して、査燕は部屋を飛び出していく。

 って――

 ……私、俊軒様と二人っきりにされたんだけど!

 彼はまだ、私に協力してくれるのか答えてくれていない。

 もし拒絶された場合、守ってくれると言った査燕の助言も期待していたのだけれど、どうやらそうは上手くいってくれないようだ。

 そう思いながら、私は俊軒を見上げる。

「あの、俊軒様は、その――」

「ああ、大丈夫大丈夫。協力するよ。君の話、気に入ったしね」

「本当ですか!」

 ほっと溜息を吐くが、一方俊軒はくすくすと笑っている。

「そんなに怖がらないで欲しいなぁ」

「だって、さっき怖がらせるようなことを言ったじゃないですか」

「それはごめんね。でも、あいつも僕が君に協力するってわかってたから、君を僕と二人っきりにしたんじゃないかな?」

「査燕様が、ですか?」

「そうそう。僕が査燕の考えていることをある程度わかるように、彼も僕が考えていることをある程度はわかってるんだよ」

「さっき俊軒様、査燕様から何を考えているんだ? って言われてませんでしたっけ?」

「誤差っていうのは何事にもつきものだよ? 玲冥ちゃん」

「は、はぁ……」

「でも、こと今回の話だと、確実にあいつは僕が何を考えているのかわかって出ていったはずだよ」

「と、いいますと?」

 そう言うと俊軒は、こらえきれないとばかりに、忍び笑いを漏らす。

 そして、こう言った。

「だって、査燕の本当の姿を拝める機会なんて、そうそうないからね。それを僕が逃すはずないって、あいつも知っているからさ」

「査燕様の、本当の姿?」

「それは、実際に見てからの、お・た・の・し・み」

 そう言って片目を閉じる俊軒を見ながら、私はこう思った。

 ……やっぱりこの人、うさんくさくなぁ。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 その晩は、闇夜に更に墨を溶かしたかのように、黒かった。

 後宮に設えられた庭園灯と燭台の明かりが、頼りな下げに揺れている。

 そんな中、私たちは中級妃が住まう建物までやってきていた。

 その目的は、もちろん――

「いやぁ、夜分遅くに申し訳ないね、律詠中級妃。私の部下たちが、どうしても今日梅蓮宮で起こった事件のことで、あなたに話がしたいと言って聞かなくてね」

「構いませんよ、俊軒。他ならぬあなたのためですから」

 そう言って、律詠中級妃は脇に控える女官たちへ目配せをした。

「私に仕えるものからも、どうしてもと懇願されては、こちらとしても何もしないわけには行きませんから」

「ご好意、感謝いたします」

 俊軒も律詠中級妃もにこやかに笑っているが、二人とも瞳の奥が全く笑っていない。

 宦官が夜分に妃の所に突然押しかけるのは非常に失礼なことだし、査燕から聞いた律詠中級妃の人柄を鑑みるに、自尊心が高い彼女にとって私たちの訪問は歓迎すべきものではない。

 それを、俊軒の持ち得る人間関係、つまり誑かした女性を使って、無理やり実現している、というのがこの状況だ。

 ……そりゃ、歓迎されるわけないよ。

 先程俊軒が言った通り、ここに来ている理由は今日梅蓮宮で起こった事件について訪ねるためだ。

 律詠中級妃としても、自分の企みを追求されるのだと内心身構えているはず。

 完全に招かれざる客である私たちは、しかし彼女の企みを糾弾しなくてはならない。

 ……これ以上、死人が出てしまう前に。

「それで? 今日梅蓮宮で起こったという事件について、私に一体何を聞きたいっていうのかしら?」

 青紫色の虎の刺繍を見せつけるようにして、律詠中級妃が口を開いた。

 そんな彼女に向かって、査燕が口を開く。

「そもそも、本日梅蓮宮で起こった事件について、律詠中級妃はどの程度御存知なのですか?」

「侍女が一人死んだ。その程度の噂ぐらいしか知りませんわ。私、最近梅蓮宮には行っておりませんもの」

「ですが、梅蓮宮で働いている方にお話をうかがった所、黒玉妃様へ贈り物をなさったとか」

 そう言った私の方へ、律詠中級妃が視線を向ける。

 そして、服に黒色で刺繍をしていることに気づくと、彼女は忌々し気に口を開いた。

「下賤なものの分際で、私の名を呼ぶのはやめてくださるかしら。名が穢れます」

「まぁ、そう言わずに答えてくれないかな? 律詠中級妃。ここでは僕の顔を立てると思って、さ。夜も遅いし、時間もそんなに取らせないよ」

「立てるほどの顔も持ち合わせていないくせに、よくそんな台詞を口に出来ますわね。まぁ、この時間が早く終わることは私も望んでおりますので、特別にお答えいたしましょう」

 そして、律詠中級妃は私を視界から外して、代わりに隣に立つ査燕へ向かって口を開く。

「確かに、私は黒玉妃様へ贈り物をしましたわ。ですが、それはあくまで個人的なもの。確かにその時梅蓮宮へは赴きましたが、それ以降は立ち入りもしておりません」

 ……あくまで、卑しい身分の私はいないものとして扱う、っていうことね。

 まぁ、その方がこちらもやりやすい。

 そう思いながら、私は口を開く。

「では、律詠中級妃はあくまで今日梅蓮宮で起こった事件には無関係だ、と?」

「当然ですわ。だって贈り物をした日以降、私は梅蓮宮に出入りしたことなんてありませんもの。今日起こったという事件も、侍女が亡くなったという話しか知りませんわ」

「今までの言葉は、皇帝陛下の名に誓えますでしょうか?」

「もちろん」

「では、黒玉妃様には何をお贈りになられたんですか?」

「……指輪よ。何の変哲もない、ただの指輪」

 律詠中級妃は一瞬悩んだような表情を浮かべたが、しかし結局正直に答えた。

 その言葉を念押しするように、査燕が口を開く。

「何の、変哲もない?」

「ええ、ただの指輪よ。一度査燕も、そういった装飾品を身に着けていいんじゃないかしら?」

「生憎、私はそういうものは身に付けないたちでして。それで? 何故贈り物なんかんを?」

「言ったでしょう? 個人的なものだ、と。答える気はありませんわ」

「先日、希璃下級妃とその女官の妙英様がお亡くなりになってしまった件、ですよね」

 私の言葉に、律詠中級妃の口がわずかに歪む。

 彼女が何か言うより先に、私は言葉を紡いでいた。

「指輪を贈る前、あなたは黒玉妃様に聞いたものを呪い殺す、掛け合い歌をお教えになられました」

 それに、査燕が続く。

「恐らく律詠中級妃の目的は、教えた呪文歌を黒玉妃様に歌わせること。そして彼女を呪殺の罪で断罪し、上級妃の地位から引きずり下ろすことにあった。もちろん、あなたにとって最上の結果は黒玉妃様が掛け合い歌を皇帝陛下に対して歌い、呪詛返しを受けて死亡すること。そうなれば黒玉妃様のお命だけでなく、彼女がこれまで築いてきた地位と名誉を皇帝陛下の呪殺を企てた下手人として、一瞬で奪いされる」

「ですが、実際は黒玉妃様は希璃下級妃に請われて掛け合い歌を教えてしまい、彼女とその女官が死亡するという結果になってしまった」

「自分が教えた歌で人を殺してしまった、知らなかったとはいえ申し訳ないと、律詠中級妃は黒玉妃様へ謝罪をしに向かい、そして先日の件のお詫びということで指輪を渡したんだ」

 その言葉を聞いた律詠中級妃は、不敵に笑う。

「何を言い出すのかと思えば。俊軒、あなた、部下の教育がなっておりませんわよ」

「それは申し訳ありません」

「私が、黒玉妃様の地位と名誉を貶めるために、呪いの歌を教えた? 馬鹿も休み休み言いなさい。一体、何のために私がそんなことをしなければならないと言うのです?」

「梓潮下級妃が、莉瑤中級妃を呪い殺してしまった時と同じですよ、律詠中級妃」

「つまり、怨恨です。過去に丑と戦うため、寅と卯、そして辰が結んだ三カ国同盟。その裏切り者だと言われている『辰』の血筋である黒玉妃様を貶めるため、『寅』の一族に連なるあなたが全てを企てたんです、律詠中級妃」

 私の言葉に続くように、査燕がそう言った。

 そして彼は、更に言葉を重ねる。

「この後宮の金木宮で起こった、最初の事件。あの宮には、元々黒玉妃様がお泊りになられる予定だった。しかし直前で気分を変えられ、結果莉瑤中級妃がお泊りになられることになった」

「その結果梓潮下級妃は、金木宮に泊まられていた莉瑤中級妃を呪い殺してしまう結果となりました。ですがその時梓潮下級妃は、呪い方と呪う方法を間違えてしまい、呪詛返しにあった結果、死んでしまいます」

 その時の呪文は、こういうものだった。

 

 (しん)(しん)(とう)(ねむ)れ、辰辰永眠れ。(とうら)(わら)う、その(さま)()

 

「梓潮下級妃は黒玉妃様を殺そうとして、誤った方法で呪いをかけてしまい、失敗しました」

「このことから梓潮下級妃は、いや、梓潮下級妃に黒玉妃様を呪殺する方法を教えた首謀者は、呪いに不慣れな人物だったのだと考えられる」

「恐らく後宮にいる戌の一族の血を引くものたちから断片的に情報を集め、試行錯誤をしながら呪いを組み上げたのでしょう」

「そして呪詛返しで死ぬ可能性がありながらも、組み上げた呪いを試せるのは余程の狂気、そして黒玉妃様にたいして怨恨を感じている人物しかいない。辰に執拗なまでの怒りを持つ、復讐心を燃え上がらせる寅の血を引くもの、とかな」

「ですがそうした梓潮下級妃の犠牲もあり、その首謀者は呪いを完成させてしまった」

「その首謀者が、私だと? そこまで言うのでしたら、証拠はおありなのですわよね? そしてもちろん、あなたたちが私に冤罪を駆けていることすぐに明らかになった場合、どのような処罰がくだされるのかも」

「もちろんですよ、律詠中級妃。僕の部下たちは、そんな生半可な決意でこの場に立ってはいないさ」

 気障ったらしく笑う俊軒を見て、律詠中級妃は忌々し気に口を歪める。

「何を自分は無関係見たいな顔をしているのです? あなたの部下の責任なのですから、死罪とは言わずとも、当然あたなにもそれなりの罰を受けてもらいますよ」

「おお、怖い怖い。じゃあ玲冥ちゃん。そうならないように、ちょっと頑張ってよ」

 ……言われなくても、ちゃんとやりますよ。

 そうしなければ、私と査燕の首が危ういのだ。

 そう思いながら、私は口を開いた。

「律詠中級妃が黒玉妃様を呪い殺そうとした、その証拠。それはあなたが教えた、掛け合い歌にあります」

「へぇ、どんな歌なのかしら? あ、ここでその歌を聞くと、死んでしまうのでしたかしらね?」

 白々しい、と思いながらも、私は歌の内容を思い出していた。

 それは、こういうものだった。

 

 ちゅうちゅう

 ないて

 いんとう

 むらがる

 たつころには

 しまいを

 おどる

 

「私は最初、この内容がこの様に当てはまるものだと思っていました」

 

 ちゅうちゅう

 鳴いて(ないて)

 うんと(いんとう)

 群がる(むらがる)

 立つ頃には(たつころには)

 死舞いを(しまいを)

 踊る(おどる)

 

「あら? この内容でも意味は通じそうだけれど?」

「はい。だから、気づかなかったんです。この掛け合い歌には、もう一つの意味が込められていることに」

 律詠中級妃はあごをしゃくり、続きを喋るようにうながしてくる。

 だから私は、口を開いた。

「先程の梓潮下級妃が使ったとされる、黒玉妃様を呪い殺そうとした呪文を思い出してください。既に滅んだ、三カ国同盟の国の名前が入っています。つまり、あの掛け合い歌を作った人物が、辰に恨みを持つ寅の血を引くものだと仮定すると、掛け合い歌はこんな意味を持つんです」

 その内容は――

 

 丑丑(ちゅうちゅう)

 泣いて(ないて)

 寅と(いんとう)

 叢がる(むらがる)

 辰殺には(たつころには)

 詩舞を(しまいを)

 踊る(おどる)

 

「三カ国同盟は丑と戦うために結ばれたものです。だからその丑を倒し、裏切り者の寅と卯が叢がって辰を殺し、寅と卯がその喜びを詩にしたため、舞を踊って勝利を喜ぶ。この歌を詠んだのは、今の歴史ではなくあり得なかった、もしもの歴史を想って――」

「口を慎みなさい、下賤な女。あり得なかった歴史ではなく、今の歴史の方が間違っているのです」

 静かに、しかし怒気を撒き散らしながら、律詠中級妃は私を射殺さんばかりに睨む。

 その姿を見た俊軒が、ここぞとばかりに口を開いた。

「その反応を見る限り、罪を認めてくれた、ってことでいいのかな? 律詠中級妃」

「……何を馬鹿なことを言っているのです? 確かにその歌は、寅と卯にとって喜ばしい、本来あるべきだった歴史の流れが歌われております。ですが、それで私がその歌を作ったと言うのはいささか軽率過ぎますわよね?」

「と、言うと?」

「この後宮に、一体どれだけ寅と卯の血筋に連なるものがいるとお思いですの? そして私のように、辰へ思うところを隠さない存在だけでなく、その胸の内に秘めている方がどれぐらいいるとお思い出ですか?」

 そうだ。私が今指摘したのは、あくまで寅と卯に連なる人が黒玉妃を貶めるために掛け合い歌を作った、という証明に過ぎない。

 余裕の表情で、律詠中級妃が笑う。

「認めましょう。確かに私は、その歌を黒玉妃様にお教えしました。そして、その後希璃下級妃とその女官が亡くなるという悲劇が起こってしまった。あの歌にそんな呪いがかけられていると思わなかった私は、知らなかったとはいえ私の持ち得る中で最上級の指輪を謝罪の証を、黒玉妃様に贈ったのです。そう、私も知らずに事件の陰謀に巻き込まれた、被害者、ということなのですよ」

「……では、あの掛け合い歌を律詠中級妃はどこでお知りになられたんですか?」

「ある日、突然部屋に文が届いておりましたのよ、俊軒。教え方と歌に音符が作られていて、どうにも頭に残るものでしたわ」

「なるほど。その文は、今一体どちらに?」

「燃やしてしまいましたわ。だって、気味が悪かったんですもの。ただ、頭には残っておりましたので、その内容を話題の一つとして黒玉妃様とお話いたしまして」

「思うところがある、という割に、黒玉妃様がお住みの梅蓮宮には向かわれるんですね」

「もちろん、この後宮に住んでいいる以上、上級妃の皆様にはご挨拶ぐらいいたしますわ。そして、思うところがあったとしても、実際に行動するかというと、それはまた別問題でしてよ」

 律詠中級妃が言っていることは、全て嘘だ。

 聞いて呪われるのであれば、その歌が書かれているものを見るだけでも少なからず呪いの効果は受けてしまう。

 しかし、その文が既にないと言われてしまうと、それを追求出来る材料がない。

 ……ここまで、か。

「どうやら、言いたいことはそれだけのようですわね」

 勝利を確信した勝者の笑みで、律詠中級妃は私たちを睥睨する。

 その視線を受けて、俊軒はうやうやしく頭を下げた。

「律詠中級妃。折り入って相談があるんだけど」

「馬鹿なことを言わないで頂戴。人を上級妃の呪殺容疑で糾弾したのですよ? 最低でも島流しは覚悟しておくことですわね」

「ですが、その前に僕らの誠意として、見てもらいたいものがあるんだよ」

「見てもらいたいもの、ですの? まさか、賄賂でも渡して減刑を求める気ですか?」

「さて? でも、律詠中級妃がお望みであれば、お譲りしてもいいと思っているものではあるよ。たとえば、上級妃にすらなかなか手に入らないような品、とかね。特に黒玉妃様は、一生身につけることすら出来ないだろうものだよ」

「黒玉妃、様が?」

 律詠中級妃の瞳が、好奇心に輝く。

 それを見ながら、俊軒は顔を上げた。

「中級妃のあなたが、突然そういったものを手にすると、色々と要らぬ憶測を呼んでしまうことになるかな、と」

 そう言って、彼は意味ありげに脇に控える律詠中級妃の女官たちを一瞥する。

「人の口に戸は立てられぬ、っていう言葉は、至言だよね。本当に僕もそう思うよ。そんな僕としては、あなたにこの品を見せる時に他の人の目があってもいいのかな? と愚行する次第でね。あ、もちろん僕としては、このままその品を見せてもいいよ? どうします?」

 その言葉を聞きながら、律詠中級妃は思考するため黙り込む。

 でも、私にはどのような結果になるのは、既にわかっていた。

 自尊心の高い彼女が、黒玉妃でも手に入らない品に興味を示さないはずがない。

「……悪いけど、少し席を外していただけますかしら」

 予想通り、律詠中級妃は俊軒の言葉に従うことを選んだ。

 女官たちがいなくなるのを待って、俊軒が口を開く。

「いやぁ、素直に応じてくれて助かったよ。もしすぐに見せろって言われてたら、僕どうしようかと――」

「いいから、早く見せなさい! 黒玉妃様でも身に付けられないという、その品を!」

 ぎらついた目で、律詠中級妃が叫ぶ。

 俊軒は苦笑いを浮かべながら、懐に手を伸ばした。

 そしてその懐から、上質な絹で出来た布を取り出す。

 あの布の中に、彼が言った品というものが収められているのだ。

「せっかくだし、僕がつけてあげよう、律詠中級妃」

「ええ、お願いしますわ」

 そう言った彼女のそばにより、俊軒は布を解いていく。

 そして、その中から出てきたのは。

 美しい、宝石だった。

 いや、宝石がはめられた、指輪だった。

 その輝きに両目を光らせた律詠中級妃は、しかし次の瞬間なにかに気づいたように、短い悲鳴を上げて後ろへ下がる。

「おや? どうされたのですかな? 律詠中級妃」

 査燕はそう言って、私とともに律詠中級妃の近くへと歩み寄る。

 そんな私たちを、彼女は恐ろしいものでも見るかのように見つめていた。

「あ、あなたたちは、自分たちが一体何をやっているのか、理解しているのですか!」

「理解? もちろんしてますよ。僕が指輪をあなたの指にはめて差し上げようとしているのです」

「やめなさい、近寄らないで!」

「何を、怯えていらっしゃるのですか? 律詠中級妃」

 査燕が、震える律詠中級妃を見下ろす。

「上司の俊軒が手にしているのは、今日になって見つかった宝石です」

「覚えていらっしゃいますか? 皇帝陛下から後宮へ献上品が下賜されたことを。その中で一箱だけ、黒玉妃様のもとから更に中級妃や下級妃へ下賜されることになったことを。その一つが、今俊軒様がお持ちの宝石がはまった指輪になります。紛失してしまっていたみたいなのですが、本日見つかりました。つまり、持ち主はおりませんので、安心して指にはめてください」

 私の言葉を聞きながら、恐怖に引きつった顔で律詠中級妃はその指輪に見入っていた。

「ち、違うわ。そ、それは――」

「律詠中級妃が、謝罪の品として贈った指輪、ですか?」

 実際、私の言葉は事実だった。

 俊軒が手にしている指輪は、今日若汐が指にはめてしまい、亡くなり。

 そしてその後、その遺体の指を切断して抜き出してきたものだ。

 だから黒玉妃は、この指輪を身につけることはありえない。

 一方で律詠中級妃は、皇帝陛下の名に誓って、こう言っている。

 

『当然ですわ。だって贈り物をした翌日以降、私は梅蓮宮に出入りしたことなんてありませんもの。今日起こったという事件も、侍女が亡くなったという話しか知りませんわ』

 

『指輪よ。何の変哲もない、ただの指輪』

 

 これらの発言は、自分が贈った指輪には人を殺す呪いなんてない、と律詠中級妃が自分で宣言したようなものだ。

 だから彼女がこの指輪を身につけることを恐れる理由は、存在しない、はずなのだ。

 そして、この指輪が黒玉妃へ送られたものだというのであれば、ある矛盾が更に発生する。

 それは――

「ですが、それだとおかしなことが発生しますな。それは目録上、何故なくなったはずの宝石を律詠中級妃がお持ちなのか、ということです」

「そ、そうです、査燕。俊軒も先程言っていたではありませんか? 上級妃にすらなかなか手に入らないような品であれば、中級妃の私ごときが手に入れられる機会なんてありえません!」

「それが、あったんですよ。その機会が。私、さっきこう言いましたよね?」

 

 一箱だけ、黒玉妃様のもとから更に中級妃や下級妃へ下賜されることになった、と。

 

「その箱の中に、この宝石が指輪として入っていました。目録にもあるので、皇帝陛下から下賜頂いたもので間違いありません。あなたは黒玉妃様を呪い殺す最終手段として、宝石に目をつけていた」

「ま、待ちなさい! 私たち中級妃や下級妃へ下賜されることになった一箱は、偶然事件に巻き込まれたから起こったもので――」

「それが、偶然ではないんですよ」

「それこそあの日、私とすれ違ったあなたは、こう言っていたな?」

 私の言葉に続いた査燕が、その時の言葉を口にする。

 

『特に、黒玉妃様の所に仕える宦官に女官たちは大変よ。気まぐれ家でかなり振り回されるでしょうし、付き従うにしても、何か見返りがないと割に合わないでしょうね。愚鈍に仕えるのは、心労が耐えないでしょうし』

 

「何かの見返りが欲しい。たとえば、目録の調整をして一つや二つ、献上品を手に入れる、とかな」

「あの事件でなくなった浩宇様と栗貴様は、亡くなる前に何名かの下級妃と中級妃とお話されている所が目撃されています」

 本当は、二人の幽霊から聞いた内容だが、律詠中級妃は否定することは出来ないだろう。

 更に、栗貴はこうも言っていた。

 

『黒玉妃様にお仕えして、これだけ頑張っているんだから何かあってもいいだろうと、そんな考えが頭に残っていて』

 

 ……そんな考えが、頭に『浮かんで』ではなく、『残っていて』て言っていた。

 つまり、誰かから聞いたのだ。

 それは――

「お話をされていた妃様の中に、律詠中級妃もいらっしゃったんですよね? そしてその甘言に乗ってしまった二人は、窃盗対策の呪いにかかり、死亡した」

「箱の蓋に書かれていた呪いは、あなたが自分の息のかかった業者に施させたのだろう? 改めて調べたが、黒玉妃様へ献上品を運ぶ業者の持ち主や働き手に、何名かは寅の血族に連なるものが混ざっていた」

「梅蓮宮に運ばれた全ての箱の中には、美しい宝石がはめられた指輪が必ず一つは入っていたそうです。皇帝陛下から下賜いただいたものの、収納する箱を変えるだけなら罪には問われません。後は黒玉妃様の下で働く宦官や女官の方々に魔が差すような言葉を吹き込んでいけば、どこかの箱で窃盗対策の呪いが発動したでしょう」

「そして自分の手の届く所まで箱が下賜された時に、あなたは宝石を盗み出して、呪いを施した。はめたものを呪い殺す、必殺の指輪を作り上げたんだ」

 だが、実際に身につけたのは若汐だった。

 その遺体と一緒に指輪に付いた宝石も回収されたため、紛失扱いだった宝石が見つかったのだ。

「さて、話を戻しましょうか、律詠中級妃」

 追い込まれた獣のように私たちを見る彼女に向かって、口を開く。

「律詠中級妃。御自分の無実を主張されるのであれば、この指輪をはめてください」

「だ、誰が下賤なお前みたいなやつが持ってきた指輪なんか――」

「ああ、それは心配いらないよ。この指輪は僕が持ってきたものだから、玲冥ちゃんが触ることはなかったことを保証しよう。それに査燕の上司だからね、僕は。君が気にする位というやつでも、なかなかのものさ。というか、君が位を理由に指輪をはめない理由に使えないようにするためだけに、僕はこの場にいるんだけどね」

 苦笑いを浮かべる俊軒をよそに、私と査燕が口を開く。

「安心してください。この指輪は、間違いなく皇帝陛下から後宮へ下賜いただいた品。指にはめて頂く分には、何の懸念もありません。普通は、ですが」

「一方で、指輪をはめられないのであれば、その理由をご説明頂きたい。たとえば、この指輪が呪われているとお考えの理由、とか」

「……そ、そうです! 私は、ただ普通に指輪を黒玉妃様にお渡ししただけ! 呪いは私がお譲りした後で誰かが――」

「では、紛失していた指輪を所持されていたことはお認めになるのですね?」

「皇帝陛下から下賜頂いた指輪の窃盗。それこそ、死罪は免れますまい」

「それで? 何故この指輪に指を通せないのでしょうか? 呪いがかけられていると、どこで、どうやって律詠中級妃はお知りになったのですか?」

 そう、これは律詠中級妃を追い込むための、多重の罠だ。

 俊軒が持つ指輪を、自分が黒玉妃へ贈ったものではないと答えたのであれば、律詠中級妃には指を入れれない理由がない。これは正当な、皇帝からの献上品だからだ。

 逆に黒玉妃へ贈ったものだとするのであれば、何故盗品を彼女が持っていたのか? という話になる。更に、指輪に手を入れれない理由を答えなくてはならない。

「律詠中級妃。あなたが自分の無実を証明するために出来た唯一の方法は、すぐに指輪を身につけることだけだったのです」

「もし、まだご自身の無実を主張なされるのであれば」

「今すぐ、はめてみてください。この、呪いの指輪を」

 俊軒の持つ指輪を見て、律詠中級妃の呼吸が荒くなる。

 彼女は震える腕を、手をどうにか持ち上げて、その指を指輪の輪へと近づけていく。

 徐々に、徐々にその距離が近づいていき、それと反比例するように律詠中級妃の呼吸が荒くなり、瞳孔も開いていく。

 そして、ついに――

「おっと、そうはさせないよ」

 指輪を奪い去ろうとした律詠中級妃の動きは俊軒にかわされ、彼女はたたらを踏んだ。

 その姿を見て、俊軒は笑う。

「あなたの敗因は、黒玉妃様に無理やり指輪をはめさせられなかったことだね。他の事件はいつか呪いが発動するかもしれない、っていう時限式の呪いだけど、この指輪だけは即効性がある。それは最初の事件以降、黒玉妃様の警備は強化されてしまったからだろう? だから確実に黒玉妃様を呪うため。指輪を直接持っていった。そして口八丁手八丁で黒玉妃様を褒めちぎり、それを見ていた彼女の女官たちも味方にして、どうにか指輪をはめてもらおうと思っての行動だったんだろ?」

「うるさい、知ったような口をきくな!」

 彼女は私たちをにらみながら、口を開く。

「どうして? どうしてよ? どうして私がこんな目にあわなくちゃいけないの? 悪いのはあいつが、黒玉妃が私たちを裏切ったのがいけないんでしょ!」

 金切り声を上げる律詠中級妃へ、査燕は淡々と口を開く。

「三カ国同盟は、もう昔の話です。黒玉妃様が生まれた時には、もう寅卯辰の三カ国は滅び、丑に吸収されていました。あの方を恨むのは、筋違いというものです」

「うるさい! 私だったのよ。今頃上級妃になってたのは、私の方のはずだったのに。寅の皇族の血を引いている、私だったはずなのに。なんで私が裏切り者の辰の下に甘んじないといけないの? あんな、歌だけが取り柄の気まぐれ家の愚鈍なんかの下に!」

 ……親から皇族の血筋だって聞いていただけで、よくあれ程盲信的に信じられるもんだな。

 私の場合、死者と会話をすることが出来るので、自分の力を受け入れることが出来た。

 しかし律詠中級妃は、何もない、ただそう聞いたからというだけで、何人もの人を動かし、死者すら出してみせた。

 幽霊なんかより、余程生きている人間の方が恐ろしい。

 呆気にとられる私とは違い、査燕は事務的な口調で言葉を紡ぐ。

「いかなる理由があろうとも、罪は罪。律詠中級妃、大人しく――」

「触らないで、汚らわしい!」

 査燕の手を弾き、つばを飛ばすように律詠中級妃は声を飛ばす。

「お前は勝者の丑の人間だから、私たちのように負けた人間の気持ちがわからないのよ。虐げられたことがないから、安全圏にいるから、いつもそんな綺麗事ばっかり言えるんだわ。あなたには、わからないでしょう? 祖先が敵国の後宮にみをやつし、自分を裏切った国がその頂点の四人に立つのを見る悔しさが、苦しさが! そもそも、他の寅と卯の子孫たちは、どうしてあの黒玉妃相手に立ち上がろうとしないの? どうして自分の祖先の敵を討とうと、思わない……」

 律詠中級妃の言葉は、徐々に小さくなっていく。

 何故ならこの部屋に、笑い声が響いているからだ。

 笑っているのは、もちろん律詠中級妃ではない。

 私でもなければ、俊軒でもない。

 つまり――

「いやはや、寅の皇族を名乗る相手が、まさかこの体たらくとは。あなたは、私を笑い殺すつもりなのか? まいったな。傑作だ、これは。君の天職は妃ではなく、道化師のたぐいだぞ」

 雰囲気が突然変わった査燕を前に、私と律詠中級妃は絶句し、しかし俊軒は嬉しそうに笑っている。

 その顔を見て、私はある言葉を思い出した。

 ……これが、査燕様の本当の姿?

 そう思っている間に、律詠中級妃が噛みつくように査燕に言葉を吐きつける。

「宦官風情が偉そうに! 私を誰だと――」

「お前は、ただの中級妃だよ、律詠。確かに寅の血を引いているのかもしれないが、君は丑の国に生まれた、丑の国民なんだ。その辺りを履き違えるな」

「なっ! わ、私をこれ以上侮辱するなら――」

「侮辱するなら、なんだ? そもそも君は、言っていることとやっていることがおかしいんだ」

「な、何がおかしいというのよ?」

「寅の一族の恨みを晴らすというのであれば、君がやるべきなのは黒玉妃を狙うことではない。寅を滅ぼした丑、その皇帝の血を引く、現皇帝を狙うべきなんだ。祖先を思うのであれば、丑を滅ぼそうとしてなきゃ、おかしいんだよ」

 その言葉に、律詠中級妃は衝撃を受けたように固まる。

 しかし、錆びた金具が動くような緩慢さで、どうにか口を開いた。

「で、でも、そんなの、無理よ。私が、丑を滅ぼすだなんて……」

「ほら、そこが笑える所なんだ。口では色々と御託を並べているが、君が国家転覆を考えないのは、結局我が身が可愛いだけ、自分の利益を追求しただけだ。竜頭徹尾、自分のことしか考えていない。それなのに、他の寅と卯の子孫も立ち上がれ? 君のやっていることは、自分のために都合のいい奴隷として他の人間を使いたいという、下劣で浅ましい人間の欲望を垂れ流しているだけなんだよ。それならば、まだ自国の民の安全を願い、寅と卯を断腸の思いで決断したかつての辰の皇族の決断のほうがまだ尊い」

「な、なんですって!」

 激昂した律詠中級妃が、査燕につかみかかる。

「丑で生まれた人間が、私を侮辱するだけでなく、私たち寅と卯の祖先を、辰よりも劣っていると貶めるだなんて!」

「ちゃんと私の言葉を聞いていたのか? お前は。私は、お前の行動が劣ると言っただけで、祖先までは言っていないぞ」

「減らず口を!」

 律詠中級妃の言葉に熱はこもるが、それとは真反対に査燕の視線は氷点下へと向かっていく。

「丑の人間が、これ以上私たちの物語に口出しするな! これは、三カ国同盟の問題よ!」

「三つ、言いたいことがある」

 律詠中級妃を睥睨しながら、彼が口を開いた。

「一つ目。さっきも言ったが、どれだけ否定しようにもお前は正真正銘の丑の国民だ。何故ならその体にも、しっかりと丑の血は流れているのだから。そして二つ目だが、三カ国同盟の問題だというのであれば他の国の子孫を巻き込んで、死者まで出している時点で論理破綻している。全く論理的ではない。そして、最後に」

 そう言って査燕は、自分の眼帯に手をかける。

 そして――

 

「三カ国同盟の問題だと言うのであれば、尚更私にも関係のある話だ」

 

 そう言いながら、眼帯を取ってみせた。

 私は以前、律詠中級妃が言っていたように、査燕の出身が丑だと考えたことがあった。

 その理由は、彼の衣服に血筋を示す刺繍がなかったからだ。

 その時査燕は、こう言っていた。

『私の場合、わざわざ縫う必要もないからな』

 だから丑の出身だと考えたわけだが、眼帯の下から出てきたものを見れば、その意味がわかる。

 確かに査燕は、わざわざ縫ってまで示す必要がない。

 彼の場合、ただそこにあるだけで、彼の血筋が明らかになるからだ。

 眼帯の下の彼の瞳は、その色は。

 

 紫色だった。

 

「ひっ!」

 査燕に食ってかかっていた律詠中級妃が、あまりの驚愕に後ろに倒れ込んで尻餅をつく。

 その両目、黒と紫の瞳を見上げながら、彼女はわななく唇でなんとか言葉を紡いでいった。

「む、紫色の瞳、ですって? 三カ国同盟で、卯の皇帝の一族が旗頭となったのは、その皇帝の一族が紫色の瞳をしていたからだって、それじゃあ、あなたは、いえ、あなたさまはっ!」

「みなまで言うな。所詮国の舵取りに失敗した一族の末裔、その証というだけだ。こんなもの、あっても何の役にもたたん」

「どうして? どうして、あなたがこんな所に? あなたさえ立ってくれれば、それこそ皇帝を討とうと言われても、私たちは――」

「何のために?」

 律詠中級妃の言葉をばっさりと切り捨てて、彼は口を開く。

「この国は、私が何もせずとも緩やかに滅んでいく。それなのに、わざわざ私が手を動かす必要もあるまい」

「なら、何故あなたは後宮の宦官という職に就いておられるのですか?」

「滅びを、最前線で見届けるためだ」

 眼帯をつけ直しながら、彼は口開く。

「この後宮は、腐っていく丑の縮図だ。だから私は、ここで働いている。この国が腐り果てていくのを最初から最後まで見届けるために。そしてその苦しみを長く続かせるために、私はここで生きている人々の生活を守っている。この左目で、その時を見届けるために、な」

 役者の違いを実感したのか、律詠中級妃は魂が抜けたようにうなだれる。

 それを見ながら、俊軒が唇を尖らせた。

「何だよ、もう左目隠しちゃうの? その色、きれいで好きなんだけどな」

「お前のために見せたわけじゃない。律詠を大人しくさせるためと、一応卯の皇帝の残り滓としての矜持を見せるべきだと思っただけだ」

「えぇ、いいじゃん減るもんじゃないし。玲冥ちゃんもそう思わない? せっかくきれいなんだから、出しておいたほうがいいよね? 兄さんの左目」

「え、ええ、そうです、え? 兄さん?」

 狼狽する私をよそに、査燕は特大の舌打ちをした。

 それを弟の俊軒が、笑いながら聞き流す。

「似てないでしょ? 腹違いなんだよね」

「は、はぁ……」

 なんだか、情報量が多すぎて頭がついていけない。

「いちいち言う必要もなかっただろう、俊軒」

「いいじゃんいいじゃん、これから僕ら、一緒に働くことになるんだからさ」

「え? え?」

 俊軒の言葉に驚いたのは私だけでなく、査燕も同じだったようだ。

「待て。どういうことだ?」

「え? だってこの部屋で、ずっと僕の部下『たち』って言ってたけど、否定しなかったじゃない君たち」

「それはお前の部下の私と玲冥で『たち』という風に普通は考えるだろうが!」

「何言ってるんだよ、査燕。自分の普通なんて、他人にとっての例外なんだから、もっと思考を柔軟にしていこうよ」

「お前のはぐにゃぐにゃ過ぎるんだよ! 大体、お前は本当に――」

 やいのやいのと言っている間に、俊宇が他の宦官を連れて部屋に入ってきた。

 律詠中級妃が連行されてく中、夜は更けていく。

 ほんの少しの親切心で関わった関係だったが。

 どうやらもう少し、腐れ縁になりそうな予感がした。


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