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後宮呪術物語  作者: メグリくくる


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○第三章

 <査燕>

 

 後宮は、騒々しさに溢れていた。

 いや、後宮はそもそもいつでも騒がしい。

 いつも大なり小なり問題は起こるし、その小な問題であっても上司の俊軒が、まるで小さい子供が嬉々として雪だるまを大きくしていくように巨大化させていく。

 もちろん小さい問題も大きくするのなら、大きな問題は更に大きくされてしまう。

 つまり後宮での問題は大なり小なりではなく、巨大なり大なりの、最悪の二択になっていた。

 そしてそのはちきれんばかりに膨らんだ問題の中でも、特大の問題が後宮にのしかかっている。

 ……ついに来月、皇帝陛下が後宮にいらっしゃる。

 元々、皇帝を迎えての宴を開くために金木宮も建てたのだ。

 それが莉瑤中級妃がそこで梓潮下級妃に誤って呪い殺されるという事件が発生し、延期されていた。

 死人が出た場所に、皇帝を招くわけにも行かない。

 そのため急遽金木宮は改築工事が行われ、それがもうすぐ完成する、という所まできているのだ。

 改築を行っている大工も大忙しだが、それ以上に大忙しなのは中級妃に下級妃だ。

 普段皇帝は四夫人である上級妃たちしか相手にしないが、宴の席だけは話が違ってくる。

 宴の席で演目や料理で皇帝の目に留まれば、たちまち出世が見込めるからだ。

 特に真面目に皇帝へ操を捧げている中級妃と下級妃の気合の入り方は、鬼気迫るものがある。

 普段皇帝からは見向きもされない彼女たちだが、ここでの頑張り次第で人生一発逆転が見込めるのだ。

 そして今回の宴にかける彼女たちの熱意は、いつも以上に並々ならぬものだった。

 その理由が、金木宮の存在だ。

 現在丑の後宮で宮に住むことを許されているのは、上級妃の四人だけ。

 そこに、新たに金木宮という五つ目の宮が出来たのだから、他の妃たちの目の色も変わるというものだろう。

 ……ついに、四夫人が五夫人になるのではないか、という噂が流れているな。

 先日、皇帝から届いた献上品、その量が上級妃とそれ以外で雲泥の差があったことからも、上級妃がどれだけ優遇されているのかわかるというものだろう。

 ……しかし、実際金木宮が建てられたのは、今後の宴でも使うためだ。間違っても上級妃を増やすというようなことはない。

 もちろんこの情報は、一語一句違えずに、後宮中へ知らされている。

 しかし人間というものは欲深いもので、自分が信じたいもの、そしてそのほうが面白いという事柄が強調されて、話が伝わっていくのだ。

 残念ながら誤って伝わった情報は、今なおこれが真実だとして後宮中にはびこっている。

 結果として、その噂に踊らされた中級妃や下級妃たちから、宴で披露したい演目や料理の申請を出してきて、私はその取りまとめに追われていると、そういう状況が発生していた。

 ……くそっ、俊軒のやつ、金木宮の建設が始まった時に、とっとと噂を否定していればよかったんだ。それを、何が皇帝陛下の機嫌如何ではそういうこともあるかもね、だ。

 その噂を盛大に盛り上がらせる燃料を投下し、炎どころか業火にまで燃やした上司の姿は、今日も今日とて見ていない。

 自室の机の上、そこに天井高く積み上げられた申請内容に、私は溜息混じりに視線を走らせる。

 ……なになに? 象に曲芸を仕込んで、それに皇帝陛下に乗ってもらう? 安全面がまるっきり考慮されていないじゃないか。却下だ却下、こんなもの。

 無難な内容では宴の席で目立てず、皇帝の記憶に残らないと、奇抜な内容がかなり寄せられている。

 しかし、珍しさだけで演目の内容を許可出来るわけがない。

 ……こっちは、毒物を含んだ魚の刺し身? 舌が痺れるぐらいの刺激を、ってそれはもう舌が毒を感じているだろうが。却下だ却下、こんなもの。

 そもそも、毒見役がついている皇帝がこんな品を口にするとは思えない。

 奇抜過ぎる提案も許容できないし、陛下からも敬遠されるだろう。

 ……次の申請は、女官たちのものか。

 中級妃と下級妃たちが次の宴に熱を上げているのと同様に、妃に仕えている女官たちも必死に提案をしてきている。

 自分が仕えている妃が出世すれば、彼女たちの生活も良くなるからだ。

 それに、女官の中でも皇帝からのお手つきがあれば、今度は自分が下級妃へと昇進出来る可能性もある。

 ……何だ? これは。女官を四十八人も集めて、歌って踊る? 場所の広さ考えて申請してきてるのか? 却下だ却下、こんなもの。

 無茶な要求に振り回されるのは、いつだって現場の私のような人間だけだ。

 却下の箱に入れたものであっても、きっとすぐに不服申立ての申請に名前を変えて舞い戻ってくるはずである。

 どれだけやっても終わらない書類を前に、私は目頭を押さえて嘆息した。

 ……頭が痛くなってきた。少し休憩しよう。

 外の空気でも吸いに行こうと、私は部屋を後にする。

 あてどもなく散歩していると、勿忘草色の衣服に身を包んだ女性の姿が目に入った。

 服には小さく、青紫色で虎の刺繍が入っている。

 すぐに踵を返して歩き始めるが、どうやら私の行動は遅かったようだ。

「あら? 人の顔を見て逃げるだなんて、ひどいじゃないの、査燕」

「……これはこれは、律詠中級妃。逃げるだなんて滅相もございません。私、ちょうど用事を思い出した所でして、すぐに自室へと帰らねばと思っていた所です」

「嘘おっしゃいな。どうせ次の宴の申請に嫌気が差して、気分転換に散歩でもしていたのでしょう?」

 ……そこまで察しがいいのであれば、放っておいて頂きたいものだな。

 そう思う私を置き去りに、律詠中級妃は嬉しそうに笑っている。

「それで? 何か面白い演目なり料理の申請はあったかしら?」

「他の方の申請内容については、口外出来ない決まりとなっておりますので」

 この言葉は、嘘ではない。

 他の妃が考えた内容を、さも自分のものだと偽って申請されるのを防ぐための処置だ。

 そしてそれは、当然申請する権利を持つ妃たちも知っている。

 つまり、律詠中級妃も知っている内容だ。

「あ、今、当たり前なことをいちいち聞くな、って思ったでしょ?」

「……そんなこと、考えたこともありませんよ」

「本当かしら? でも、安心しなさい、査燕。私は、今回の宴で何か催し物を出すつもりはないから」

「おや? そうなのですか」

 どれだけ言っても、刺繍の色を青紫色から変えなかったので、律詠中級妃は出世欲が強い方だと思っていたのだが、どうやら私の勘違いだったようだ。

 そう思っていたのだけれど、しかし彼女の考えは違うらしい。

 律詠中級妃は、自信満々に口を開いた。

「ええ。だって私は、『寅』の皇帝の血筋に連なるものですもの。そんな姑息なことをしなくとも、いずれ勝手に上級妃の地位の方から私の手の中にやってくるわ。わざわざさえずるような歌を歌わずとも、ね」

 ……そう言えば、この人はこういう人だったな。

 自分が亡国の皇帝の血縁だと、何の疑いもなく信じられるのは少し羨ましいが、同時に危うくもある。

『寅』の縁者ということで彼女は、『辰』に対して、特に『辰』の一族に連なる黒玉妃を軽視するような発言が多い。

 ……しかも黒玉妃様は歌が上手く、それを気に入られた現在の皇帝陛下に見初められて上級妃という地位についている。

 つまり先程の律詠中級妃の発言は、黒玉妃を貶めるための発言なのだ。

 誰かに話しを聞かれていたら、私も余計な疑いをかけられるかもしれない。

 ……ここは、すぐに撤退すべきか。

「左様でございますか。では私は、仕事が残っており――」

「どうせやるなら、歌よりも劇の方が私はいいわ。寅卯辰の三カ国同盟の話なんてどうかしら? ああ、でも、旗頭となる卯の皇帝役を演じられる人がいないわね。だって卯の皇帝が旗頭となったのは、彼らの一族が紫色の瞳をしているからですもの。それこそ、ぴったりの役なのは、卯の皇帝の血族の方だけですわ」

「……そうですね。この後宮では私のように目が黒いものが多いですから、探すのはなかなか難しいでしょう。では私はこれで」

 多少強引だったかもしれないが、会話を打ち切って私は律詠中級妃のもとから立ち去った。

 ……本当に、勘弁してもらいたいものだ。

 三カ国同盟の劇だなんて、冗談ではない。

 あんなものを宴で演じようものなら、皇帝の前で黒玉妃を侮辱するようなものだ。

 律詠中級妃の言っている三カ国同盟の話は、『辰』が『寅』と『卯』を裏切って『丑』に寝返るというもので、演じ方によってはどれだけでも『辰』を悪者のように表現できる。

 というか、彼女は『辰』を悪として皆に知らしめたいのだろう。

 自分のことを『寅』の皇帝の一族だと信じるのは勝手だが、それで余計な仕事を増やさないで欲しい。

 もし『辰』が『寅』と『卯』を裏切っていたのだとしても、黒玉妃は現在『丑』の皇帝の寵愛を受ける立場だ。

 その黒玉妃を侮辱するようなことをすれば、後宮からの追放だけではすまないだろう。

 ……本当に、厄介なことに巻き込んでくれるなよ。

 気分転換のつもりに出たのだが、逆に疲れてしまった。

 自分の部屋に戻り、申請内容の確認を行っていく。

 ……炎が付いた棒を振り回す踊り? 室内でやるんだぞ。却下。三すくみの拳遊びで負けたほうが着ている衣類を一枚ずつ脱いでいく? 意味がわからない。却下。皇帝の頭の上にりんごを乗せて、それを弓で射る? 申請する前に不敬罪に問われると思わなかったのか? 却下。それで、次は――

「査燕様!」

 血相を変えて部屋に入ってきた俊宇を、俺は一瞥した。

「どうした? 俊宇。またおかしな申請が上がってきたのか? 安心しろ。おかしいのはもはや当たり前になてきたぞ。見ろ、これを。蛇に蛙、そして蛞蝓を一つの檻の中に入れて勝者を競わせるって、勝負になるわけないだろうが。先に蛙が蛇に食われて、蛞蝓は放置されるに決まっている」

「いや、それよりも大変なんですよ! 宴に出す予定の歌舞の練習中に、希璃(キリ)下級妃とその女官の妙英(ミョウエイ)が亡くなったと、たった今連絡がありまして」

「……何だと?」

 なんだか、とてつもなく嫌な予感がする。

「死体は? 二人の亡骸は、どの様になっているんだ?」

「それが、彼女たちが死ぬのを見ていた希璃下級妃の女官、涼暁(リョウギョウ)の話だと、本当に練習中に、突然血反吐を吐いたそうで」

 ……また不自然死か。

 先ほど感じていた頭痛がひどくなってきたのを感じながら、私は俊宇に向かって口を開いた。

「悪いが、玲冥を呼んでもらえないか? ああ、そうだ。彼女が抜けた仕事の調整はこちらでやっておく。とにかく、すぐに彼女を連れてきてもらいたい」

 

 <玲冥>

 

「……問題を起こさなければ、後宮では健やかに生活出来るのではなかったのですか?」

 そう言いながら、私は前を歩く査燕の背中を睨む。

 一方彼は、こちらを一瞥して口を開く。

「本気で嫌がらない限りは、とも言っていたぞ」

「……だとしても、頼りすぎなんじゃないですか? 下女としての仕事より、最近査燕様のお手伝いをしている方が多い気がします」

「君の仕事の調整は済ませてあるから心配するな」

「二度ならず、三度もこうして呼ばれると、流石に噂になるのですが」

「私と君がいい仲になったとか、そういう話か?」

「いえ、私が査燕様の弱みを握って代わりに仕事を任されているとか、また査燕様が厄介事を押し付けられているとか、そういう噂です」

「……一体私は、後宮でどの様に思われているんだ?」

「どうもなにも、その様にしか思われていないのでは?」

「全く。どいつもこいつも」

 こめかみを押さえる査燕へ、私は問いかけた。

「そう言えば、査燕様はどうして私を御自分の侍女にしないのですか? これだけ仕事を手伝わせるのなら、そうしたほうが色々とやりやすいと思うのですが」

「これだけ仕事を手伝ってもらっていると思っていなかったから、というのが答えの一つだな」

 その言葉に、私はうなずいた。

「確かに。後宮で人が亡くなることはありますが、これほど頻繁に亡くなるのは珍しいですからね」

「私も完全に想定外だよ。他の仕事が全く終わらん」

「それで?」

「それで、とは?」

「いえ、先程査燕様は、答えの『一つ』とおっしゃられましたので。他にも私を侍女にしない理由があるのかな? と思っただけです」

「ああ、そういうことか」

 そう言った後、査燕は苦笑いを浮かべる。

「私は基本的に、文官も武官も、侍女も下女もつけていない」

「え? でも、俊宇様は?」

「彼は別に私の下についているわけではない。善意で助けてくれているだけだよ」

「ですが、それだと俊軒様からのご依頼をこなすのに支障が出るのではないですか?」

「むしろ、支障が出ないように私の下に人はつけていない、と言ったほうが正しいな。私の下に人をつけると、そのものまで上司の理不尽な振る舞いに直接巻き込んでしまうことになる。それは流石に忍びない」

「ですが、結局それに他の宦官の方も巻き込まれることになるのでは?」

「それについては、本当に申し訳ないと思っている。俊宇のように支えてくれる人がいなければ、とても私の仕事は回らないだろう。ああ、もちろんその中には君も入っているぞ、玲冥」

「……いえ、入れていただかなくてもいいのですが」

 しかし、彼を助けようと思う人がいるというのは、なんとなく納得出来た。

 最初はその外見も関係し、話しづらいが、実際は気さくだし、面倒見もいいのだろう。

 表情から、どことなく悲壮感と疲労感を感じるのも、この人を助けてあげなければ死んでしまうのかもしれない、という保護欲をかきたてられる理由なのかもしれない。

「だが、今回の事件は今までの事件と違い、早く解決ができるかもしれないぞ」

 査燕の言葉に、私は首をひねる。

「と、いいますと?」

「生き残りがいるんだ。今向かっているのは、その女官から話を聞くためだよ」

 そして私たちはその生き残った女官、涼暁が待っているという部屋までやってきた。

 涼暁は、下級妃たちが暮らす屋敷の一室で横になっていた。

 私たちが部屋に入ると、彼女は気だるげに体を起こす。

「これは、査燕様。わざわざご足労頂き、ありがとうございます」

「いや、こちらこそすまない。気分が優れないと聞いていたが、加減はどうだ?」

「少し、良くなりました。希璃下級妃と女官の妙英の死を目の当たりにして、どうしていいのかわからなくって」

 憔悴しきったように、涼暁は口を開く。

 人が死んだ所に遭遇して、体調を崩さないほうが稀だろう。

 幽霊と気軽に会える私の方がおかしいのだ。

 そんな涼暁を気遣うように、査燕が口を開く。

「辛い思いをしている所すまないが、その時のことを教えてもらえないだろうか?」

「……大丈夫です。それが査燕様のお仕事であるということは、理解しておりますので」

 口元を抑えて、涼暁が懸命に言葉を紡ぐ。

「事件が起きたのは、皇帝陛下がお目見えになる宴で披露する予定だった、歌舞の練習中をしている時です」

「希璃下級妃の歌舞については、申請は許可されているのですか?」

 私の疑問に、査燕が首肯する。

「余程奇抜なものでなければ、基本的に申請は通している。希璃下級妃については、確か歌に踊りと、一般的な歌と舞いの範囲に留まるものだと聞いていた」

 そこまで言った所で、査燕は思い出したように口を開いた。

「いや、申請に書かれていた内容はそこまでだったな。確か、歌と踊りについては従来のものではなく、今まで演じられてこなかったものを探している最中で、見つけ次第再申請する、という話だったか」

「おっしゃるとおりです。ここ最近は、色んな国の歌を歌い、舞いを踊ってどれが宴に適しているのか、試行錯誤を繰り返していました」

「それでは、今日も同じ様に何処かの国の歌と舞いを練習されていたんですか?」

 私の言葉に、涼暁がうなずく。

「そうです。今日は希璃下級妃がどこからかお聞きになったという歌と演舞を練習していました」

「希璃下級妃は、どこからその歌と演舞をお聞きになられたんでしょう?」

「……すみません、査燕様。そこまでは聞き及んでおらず。お話をお聞きになってお部屋にお戻りになられた希璃下級妃は、非常に興奮されておりまして。絶対にこれなら上手くいくからと、すぐに練習を始めようと、私と妙英をお部屋にお集めになられたのです」

 私の方へ視線を向ける査燕へ、小さくうなずく。

 恐らく今回の事件の鍵は、その希璃下級妃が聞いてきたという歌と踊りだ。

「では、その希璃下級妃がお聞きになられたという歌と演舞の練習中の状況を聞かせてもらえないだろうか?」

「わかりました。楽器と歌は私が担当して、主役となる踊りを希璃下級妃が、そしてその補助として妙英がついて練習をしておりました。最初は、何も問題なかったのです」

 そう言いながら、涼暁は思い出すように口を開く。

「まず、希璃下級妃から歌を教わりました。まず鼻歌で旋律を確認して、一単語ずつ私と妙英が歌えるように確認しながら、歌と踊りの雰囲気をつかんでいったのです」

「一単語ずつ、ですか?」

 私の疑問に、涼暁が答える。

「面倒、と考えられるかもしれませんが、希璃下級妃もその様に教わったとのことで。他の方にこの歌を教える場合、必ずこの手順で伝えることを念押しされたそうです」

 ……その教え方に、何か意味があるのだろうか?

 そう思っている間に、涼暁の話は続いていく。

「全体感がつかめたので、それでは踊ろうと、そういう運びとなりました。私は楽器を鳴らし、二人は踊り始めました。確かに、あまり見たことがない踊りでした。足運びが独特で、何度も地面を踏みしめるような。ですが、不思議と騒々しくなく、むしろ楽器の音色とあっているように思えました」

「では、問題があったのは、歌を歌い始めてから?」

「はい、そうなります」

 査燕の言葉に、涼暁はうなずく。

「初めての曲を楽器を鳴らしながら、それでいて歌を歌うので、私も最初はゆっくり、慎重になりながら歌っていました。どうにか一節歌い終えた所で、一呼吸置いたのです。元々、そこまでしか希璃下級妃に歌も教えてもらっておりませんでしたし。そうしたら、急に二人が苦しみだして、血を吐いて、それで……」

「わかった。辛いことを思い出しながら話してくれて、ありがとう」

「あ、あの!」

 すがるように、涼暁が査燕を見上げる。

「わ、私、何か、大変なことをしでかしてしまったんでしょうか? でも、私、何も悪いことなんてしていません! 誠心誠意希璃下級妃にお仕えして、楽器も歌も、言われたとおりにやっただけなんです! お願いします、信じてください!」

「……大丈夫だ。落ち着きなさい」

 査燕は涼暁の背を撫でる。

 それを見ながら、私は彼女が取り乱した理由を頭の中で思い描いていた。

 ……まぁ、普通に考えたら、希璃下級妃と妙英様を殺したのは、一緒に練習していた涼暁様ってことになるからね。

 涼暁は、二人を殺害した容疑をかけられていると思い、自分の無実を査燕に訴えたのだ。

 下級妃とはいえ、妃を殺したら、死罪は免れない。

 彼女も生き残るために、必死なのだろう。

 袖に白色で『戌』の文字を入れた涼暁をひとまず落ち着かせ、再び横にさせた所で、私たちは部屋を後にした。

 何も言わず歩き出した査燕を追って、私も歩いていく。

「どちらに向かわれるおつもりですか?」

「希璃下級妃と妙英が亡くなった現場を見に行こうと思う」

 ……つまり、幽霊との会話をご所望、ということか。

 そう思っていると、査燕がこちらに向かって疑問を放った。

「どう思う?」

「どう、とは?」

「涼暁の話だ。後宮の中級妃と下級妃、そしてそれに従う女官たちは、皇帝陛下がいらっしゃる宴に向けて試行錯誤を繰り返している。当然自分の役割や演目を公開する人はいないから、演目の練習は秘密裏に行われるだろう」

「希璃下級妃の歌に演舞も、誰にも見られないように行われていたんでしょうね」

「つまり、希璃下級妃と妙英が死んだ部屋は、密室だった。その密室を抜け出せるのは、唯一その部屋の中にいた涼暁しかいない」

「普通に考えたら、お二人を殺害したのは涼暁様しかいませんよね」

「普通に考えたら、か」

 苦笑して、査燕が更に口を開く。

「含みがあるような言い方だな」

「自分が疑われるとわかっているのに、犯行に及ぶなんてあまり考えられません」

「わからんぞ? 突発的に殺してしまうことだってあるだろう」

「刺殺や絞殺であればそういうことはあるかもしれませんが、こと呪殺についてはそれはありえませんよ」

 私は彼に向かって、断言する。

「人を呪うという行為は、少なからず準備が伴います。人を殺すのであればその対象を、場所を呪うのであればその場所を呪うための道具や呪文が必要になります」

「確かに、先の二つの事件は道具や蓋に呪文が書かれていたな。そして、今回は」

「呪文。呪文歌ですね、恐らく」

 私の言葉に、査燕がうなる。

「あの場で涼暁から、歌の内容を聞かなかったのは、私たちもその呪文歌を聞けば、呪われて死んでしまうと思ったからか?」

「そうです。その点、幽霊から歌を歌ってもらえれば、その声を聞けるのは私だけなので、最悪死ぬのは私だけになりますから」

「……馬鹿なことを言うな」

 少し怒ったように、査燕が振り返る。

「やはり、涼暁から歌の内容を聞こう。筆談であれば、呪いの効果も発動しないはずだ」

「いえ、呪文はその言葉自体が力を持っています。聞いて呪われるのであれば、その歌を見るだけでも少なからず呪いの効果は受けてしまうでしょう」

「待て。それならどうやって希璃下級妃は涼暁に歌を教え、いや、それは一単語ずつ教えたんだったか」

 その言葉を聞いて、私はあることに気がついた。

「そうか。歌は、一節まとまることで意味のある呪文になる。だから希璃下級妃は、一単語ずつ二人に歌を教えたわけですね」

「なら、涼暁から話を聞いても問題ないな」

 そう言って歩き出そうとした査燕を、私は押し止める。

「いえ、死ぬことなく歌の内容を把握出来るというのであれば、わざわざ涼暁様から聞く必要はありません。それよりも、希璃下級妃御本人からお話を伺ったほうがいいでしょう。呪文歌以外にも、聞きたいことがありますし」

 それは、希璃下級妃に呪文歌を誰が教えたのか? ということだ。

「そうだな。確かに、そちらのほうがいいだろう」

「行きましょう」

 そう言って、私たちは希璃下級妃と妙英が殺された現場へと向かうのだった。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 希璃下級妃と妙英の殺害現場は、ひどい有様だった。

 涼暁が奏でていたであろう楽琵琶だけでなく、壁脇に置かれている笛や太鼓にまで鮮血の跡がある。

 その発生源である二人の死体だが、見るも無惨な状況だ。

 下級妃が着ていた撫子色の服と女官の萌葱色の服はものの見事に血まみれで、床には凝固してにごり固まった血溜まりが存在している。

 うつ伏せで倒れた希璃下級妃の顔は自分で吐き出した赤い死に化粧で汚れており、首元に黄色で縫われた『午』の文字がやっと読めるという状況だった。

 反対に仰向けで倒れている妙英は、口から下が全て吐血にまみれている。胸元に描かれた龍の刺繍がほとんど赤に変えられており、龍の尻尾の部分だけ、どうにか白色を保っていた。

 そんな彼女たちの死体の上に、彼女たちの霊が立っている。

 希璃下級妃はさめざめと泣き伏せ、それを妙英が慰めていた。

『希璃下級妃。どうか、お気を確かに』

『出来るわけ、ありませんわ。せっかく、せっかくまた皇帝陛下のお情けを頂こうと、頑張っておりましたのに』

『女官時代にお情けを頂いてから今まで、陛下のお運びがない状況を変えようと奮起されていたのは、あなた様の女官である私たちがよく知っております。ですが、死んでしまったものは仕方がないではありませんか』

『それですぐに切り替えられるような性格でしたら、陛下の前で歌に舞いを演じようとは思いませんわよ!』

「あの、お話をうかがってもいいでしょうか?」

 私がそう言った所で、ようやく彼女たちは私たちの存在に気づいたようだ。

 一方査燕は幽霊を見れないので、他に手がかりはないか見回っている。

『どうしたというのですか? お嬢さん。私、今、死んで忙しいのです。ああ、今ならこの悲しみを歌と舞いに昇華させて、陛下へ奉じさせて頂けたものを』

『死んでしまっているので、もういい加減諦めてくださいよ、希璃下級妃』

『ですから、それで諦めれる性格でしたら、私は最初から――』

「あ、あの、お話を! お二人が亡くなられた時のことをうかがいたいんですけども!」

 やいのやいのと言い始めた二人の視線を、どうにかこちらに向けることに成功する。

「希璃下級妃の女官の涼暁様という方から、お二人が皇帝陛下がいらっしゃる宴の演目の練習中に亡くなったとうかがったのですが」

 私の言葉に、希璃下級妃がうなずく。

『ええ、おっしゃるとおりですわ』

『途中までは全く問題なかったんですが』

『涼暁が歌った後でしたわよね? 私と妙英が苦しみ始めたのは』

『そうですね。突然苦しくなって、こう、体の内側から食い破られるような痛みを感じました』

『その後は、お嬢さんの前に転がっているような有様ですわ。本当に、どうしてこうなってしまったのかしら』

「あの、その歌の内容を教えて頂けませんか?」

『構いませんよ。確か、ちゅうちゅうない――』

『ああ、駄目よ、妙英。教える時には一単語ずつ、という決まりになっているんですもの』

『そうなんですか?』

『そうなのよ。私がそう聞いたんだから、間違いないわ。いい? お嬢さん。私が言うことを、よく聞くのよ?』

 そう言って、希璃下級妃は呪文歌を一単語ずつ私に教えてくれた。

 その内容は、こんなものだった。

 

 ちゅうちゅう

 ないて

 いんとう

 むらがる

 たつころには

 しまいを

 おどる

 

 ……これが、二人を呪い殺した呪文歌?

 ところどころ、意味がわからない。

 そう思った時、私はこの歌がどういう呪いなのか気がついた。

 ……そうか。これは、掛け合い歌なんだ。

 掛け合い歌。もしくは、山歌や対歌とも言われることがある。

 簡単に言うと、歌の中に呪いを仕込むやり方だ。

 この呪いを打ち破るには、呪いが仕込まれた歌の内容を無効化する歌、返歌を歌わなくてはならない。

 逆に言うと、呪詛が込められていることに気づけなければ、この歌を聞いたものは呪い殺される。

 ……だから希璃下級妃と妙英様は、呪い殺されたんだ。掛け合い歌と知らずに歌った涼暁様へ、返歌を歌わなかったから。

 そう思っている間に、死んだ二人が話を続けている。

『でも、この歌って全体の意味がつかめませんよね? 希璃下級妃』

『そうかしら?』

『はい。特に、いんとう、とか、しまいを、とか』

『確かに。淫蕩であれば群がるではなく、ふける方ですものね』

『姉妹を踊るも、姉妹で踊る、ならわかるんですが』

『でも、いいじゃない。踊りやすかったわよ? この歌』

『そうですよね。節奏もいい感じでしたし』

『そうそう、こんな感じで踊るのよね。ちゅうちゅうないていんとうむらがるたつころにはしまいをおどる』

 希璃下級妃が、歌を口ずさみながら踊ってみせる。

 確かに涼暁が言っていた通り、見たことがない踊りだった。

 でも、その踊りは希璃下級妃が歌う調べと不思議とあっていて――

 ……って、何歌ってるんですか、この人!

 まずい。掛け合い歌を聞いてしまった。

 すぐにあの歌に対応した返歌を歌わないと、私が呪い殺される。

 ……落ち着け、落ち着け、私。さっきの希璃下級妃と妙英様の会話が、あの掛け合い歌を紐解くために使えるはずだ。

 そう思いながら、私は鼻血が出るんじゃないかと思うほど、深く深く思考を巡らせる。

 そして、早口で返歌を歌った。

「ねねはねむっていんとうなかんしまえばむらさりとんでった!」

 突然叫んだ私へ、こちらの窮地を知らぬ査燕がぎょっとしたように振り向く。

 驚いたのは希璃下級妃と妙英も同じだったようで、引き気味になりながら口を開いた。

『ど、どうしたの? お嬢さん。悩みがあるなら、私が聞くわよ?』

『そうです。悩みは早く解決するに限ります。残念ながら、自力で解決出来ない問題もありますが』

『そうそう、って、それ私のことを言ってますわよね、妙英!』

「お、お願いですから、お二人とも少しの間黙っておいてもらえますか? 後、絶対さっきの歌は歌わないでください! 寿命が縮むどころか、なくなってしまいますから!」

『寿命が、なくなる?』

『それは、どういうことでしょうか?』

 疑問符を頭上に浮かべる二人に向かって、私は口を開く。

「希璃下級妃がお聞きになられたという歌が、実は呪いが込められた歌だったんです。なので、その歌を聞いたお二人が死んでしまったんですよ」

『な、なんですって!』

『つまり、私は希璃下級妃に殺されたようなものなのですか?』

『ちょ、ちょっと待ちなさい! そんな、私、知らなかったのよ!』

『知らなければ何をしてもいい、というわけではありませんよ、希璃下級妃』

『しょうがないじゃないのよ、死んじゃったものは! というか、私も死んでるじゃないのよ!』

『確かに、それは不思議ですね。一単語ずつ聞いた時には、何も体に異変はなかったのですが』

「それは、一単語ずつだと一つの歌になっていないからですよ」

 そう言うと、妙英が納得したようにうなずいた。

『なるほど。込められた呪詛の意味がなくなってしまった、という所でしょうか?』

『でも、それならお嬢さん。どうして涼暁だけが無事なのかしら?』

『確かに、それは不思議ですね。彼女も、呪いの歌は歌って聞いていたと思うのですが』

「それは、涼暁が呪った側だからです。あの歌は掛け合い歌といって、呪詛が込められています。その呪詛を聞いた相手は、それに対応する返歌を歌わなければ死んでしまう。つまり、涼暁の呪いがお二人に対して成功したため、彼女は死ぬことはなかった、ということです」

『なんですって!』

 そう言うと、希璃下級妃は妙英に勢いよく振り向いた。

『聞きまして? 妙英。私たちを殺したのは、涼暁よ。私があなたを殺したわけではないわ!』

『ですが、そもそもその掛け合い歌というものを持ってきたのは、希璃下級妃ではありませんか』

『そんなの、教えてもらった時に死ななかったんだから、気づきようがないじゃないのよ! それに、私にあの歌を教えてくださったのは、歌で上級妃まで上り詰めた、あの黒玉妃様なのよ? そんなの、あの方にあやかりたくて、次の宴で披露したくなるじゃないのよ!』

「黒玉妃様が? 本当なんですか?」

 私の疑問に、希璃下級妃は横行にうなずいた。

『そうよ。嘘を言ったって仕方がないじゃない』

『……ですが、この後どうしましょうか? 希璃下級妃。黒玉妃様を訴えるにしても、あの方から掛け合い歌を教えてもらったことを知っているのは――』

『私しかおりませんわ。どうしても何か珍しい歌はないか、って頼み込んで、他の人には広めないっていう約束で教えてもらったんですもの』

『いや、黒玉妃様との約束を破ってるじゃないですか。他の人に広めないっていうのに、皇帝陛下がいらっしゃる宴で披露する予定だったのですか?』

『だってしょうがないじゃない! まさかそんな歌を教えてもらっただなんて、思わなかったんだから! あぁ、今ならこの悲しみを歌と踊りに昇華させて、陛下に素晴らしい演舞をお納めできるというのに、死んでしまうとは私、情けなくて仕方がありませんわ!』

「……一応、演じるだけなら、幽霊でも出来ますよ。そのまま皇帝陛下の御前へ移動して、歌って踊ればいいかと。陛下からは見えないと思いますが」

 諦め半分呆れ半分で言った言葉だったけれど、どうやら希璃下級妃はその案がお気に召したらしい。

 彼女は嬉しそうに頷くと、隣の妙英の腕をつかんだ。

『聞きましたか? 妙英。今すぐ皇帝陛下の元へ馳せ参じますわよ!』

『……まぁ、それで希璃下級妃が満足されて成仏して頂けるのでしたら、私もここに留まる理由がなくなるので、それはそれでいいのでしょうか』

『何をぐずぐずしておりますの? ほら、行きますわよ! あ、お嬢さんも素晴らしい案をありがとうございます。あなたの幸せを、あの世で祈っておりますわ! ではっ!』

 そう言って、希璃下級妃は妙英を引っ張って私の前から消えていった。

 その方向へ手を振っている私のそばに、査燕が立つ。

「今回は、一段とばたばたとしたようだな」

「……ええ。なかなかいませんよ。死んで幽霊になってるのに、あんなに活き活きとしている方」

「ま、意気消沈して何も話してくれないよりはいいだろう」

 そう言った後、査燕は続きを促すように私を見つめる。

 しかし、こちらは何のことかわからず、首を傾げた。

「あの、なんでしょうか?」

「さっき、何やら口走っていただろう? 意味がわからないままだと、どうにも座りが悪くてな。申し訳ないが、意味を教えてもらえないだろうか」

「ああ、そのことでしたか」

 そう言われて、私は希璃下級妃が教えられた歌が、掛け合い歌だったことに気づいたことを伝える。

「それを踏まえて、あの掛け合い歌の意味合いを考えてみたんです」

 掛け合い歌の内容は、こういった内容だった。

 

『ちゅうちゅうないていんとうむらがるたつころにはしまいをおどる』

 

「呪いが発動した時、妙英は苦しくなり、体の内側から食い破られるような痛みを感じた、と言っていました。ということは、最初の『ちゅうちゅう』は、その人間の体を食い破れるほど沢山の『何か』を示すものだと推測できます」

 ちゅうちゅうと鳴く動物。

 つまり、鼠だ。

 そうなると、掛け合い歌の前半部分は、こういう意味合いになる。

 

 ちゅうちゅう

 鳴いて(ないて)

 うんと(いんとう)

 群がる(むらがる)

 

「後半部分は、食い破った鼠たちがどうなるのか? を示しています。餌がなくなった動物たちは、当然その場から立ち去ります。つまり、こういう意味になるんですね」

 

 立つ頃には(たつころには)

 死舞いを(しまいを)

 踊る(おどる)

 

 私の説明を聞いた査燕は、納得したようにうなずいた。

「なるほど。掛け合い歌に込められていた呪詛は、鼠に食い殺されて、腹を満たした鼠が舞を踊りながら去っていくことを意味していたのか」

「そうです。だから私は返歌として、こう歌ったんです」

 

『ねねはねむっていんとうなかんしまえばむらさりとんでった』

 

「鼠の呪いをかけられたのだから、鼠を遠ざけるための歌だったのか」

「そうです」

 沢山鼠がやってくる呪いなのだ。

 だから、

 

 子子は(ねねは)

 眠って(ねむって)

 うんと(いんとう)

 鳴かん(なかん)

 

「子を重ねて沢山の(ねずみ)を表現しました」

「それに食われないように眠らせて、ちゅうちゅう鳴かせないようにしたわけか」

「そうです。後は、眠っている鼠の掃除をしてしまえばいいわけですね」

 だから私は、後半部分の歌を、こう読んだ。

 

 仕舞えば(しまえば)

 村去り(むらさり)

 飛んでった(とんでった)

 

「村は、共同生活を行う単位です。そして、私たちが共同生活を行っている場所は――」

「後宮、ということか。後宮を大きな村に見立てて、呪いを外に遠ざけた」

「はい、その通りです。とりあえずそこまで遠ざければ、呪いは私を殺すことは出来ませんから」

「流石だな」

 そう言った後、査燕は隻眼で私を見下ろした。

「で? どうして君が返歌を歌わなければならない状況になっているんだ? 一単語ずつ歌の内容を教えてもらえれば、安全だったはずではないのか? 全く論理的ではないぞ」

「し、仕方がないじゃないですか。あれは私というより、突然希璃下級妃が歌いだして……。こっちだて驚いたんですよ」

「……ならば、仕方がない、か。では、事件が解決したのであれば、そろそろ向かうか」

「はい。涼暁様の所ですよね?」

 私の言葉に、査燕がうなずく。

「不可抗力とはいえ、彼女は人を呪い殺す力を手に入れてしまった。悪いが、野放しにすることは出来ない」

「……それよりも、野放しに出来ない人の話が出てきましたよね」

「言うな。いや、涼暁の件が片付いたらそちらの方も相談したい。すまんが、もう少し時間を貰えないだろうか?」

 苦渋に顔をゆがめる彼に、私はうなずくことしか出来なかった。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

「つ、疲れた……」

 査燕の部屋の机に、私は突っ伏した。

 希璃下級妃が宴で披露する演目に掛け合い歌を使おうとしていたことを受け、申請が許可されたものの中で、同じ様に呪いが混じったものがないか、精査していたのだ。

 ……私しか判断出来ないから仕方がないけれど、量が膨大すぎる。

 逆に言うと、それだけ膨大な申請を査燕はさばいていたということであり、更に私が見たものの中に却下されたものが含まれていないことを考えると、彼が処理した量の途方もなさがわかるというものだ。

 そして、その当の本人は、椅子の背もたれに全ての体重を預けるようにして、口を半開きにしている。

 その口からは、彼の魂が抜け出ているようにも見えた。

 だが当たり前なことに、それらは全て錯覚だ。

 査燕は、ふっ、と一呼吸した後、口を開く。

「演目の確認、助かったよ、玲冥」

「査燕様の方は、いかがだったんですか? 俊軒様は見つかったんですか?」

「なんとかな。ひとまず涼暁の処遇だが、俊軒預かりということになった。ただ、流石に後宮には置いてはおけんだろう」

「……自分の意志ではなかったとはいえ、希璃下級妃と妙英様を殺してしまっていますしね」

「君のおかげで返歌が判明しているとはいえ、掛け合い歌を知っている以上、不便な生活を強いなければならん。とはいえ、俊軒が女性を悪いようには扱いはしない。彼に任せておけば、ひとまず安心だろう」

 その言葉が意外だったので、私は思わず査燕の方へ視線を向ける。

「驚きました。査燕様は、もっと御自分の上司を信頼していないのかと思いましたが」

「ずぼらでさぼり癖があり、女性にだらしないが、仕事は出来るんだ。出来なければ宦官の中でも上役には抜擢されないし、私も仕事を放り出して逃げ出している」

「むしろ査燕様は、俊軒様が放り出した仕事の後処理をしているように思うのですが」

「……やめてくれ。今はそういう正論が一番きつい」

「では、正論ではなく、直視しなければならない現実の話題をしましょうか」

「その前に、茶を入れてもいいか? 茶菓子も持ってこよう」

「……それには、私も賛成します」

 私が二人分のお茶を入れて、査燕が茶請けを持ってきた頃には、もう窓の外は夜の帳が下りていた。

 茶請けのまんじゅうを頬張りながら、二人で茶杯を傾ける。

「疲れた体に、甘みと水分が染みますね」

「一休みしたら、より疲れる話題が待っているがな」

 紅なつめをかじりながら、査燕が窓と扉をしめる。

 その風に揺らされて、灯火器の炎が揺れた。

 私と査燕の影も揺れるが、この部屋の中での会話は、風のようにゆらゆらと外に漏らすことは出来ない。

 何せ、今から話題にするのは、この後宮で四人しかいない四夫人、その上級妃の内の一人を疑うという話なのだから。

「希璃下級妃の話から、あの掛け合い歌は黒玉妃様から教えてもらった、という話だったな」

「希璃下級妃のお話は、間違いないものだと思われます。あの場面でわざわざ嘘を言う必要性がありませんから」

「……だろうな。だが、だとすると、黒玉妃様が希璃下級妃へ掛け合い歌を教えた理由は何だ?」

 そう言った査燕に向かい、私は首を振る。

「査燕様、わかってて私に言わせようとしてますよね? そんな事、希璃下級妃があの掛け合い歌をどこで披露しようとしていたのかを考えれば、一目瞭然ではないですか」

「次に開催される、皇帝陛下がいらっしゃる宴の席、か」

 掛け合い歌は、返歌を歌わなければ呪われて死ぬ。

 つまり――

「黒玉妃様は、皇帝陛下を呪殺しようとしていた? だが論理的ではない。計画があまりにもずさん過ぎる」

 そう言った後、更に査燕は言葉を重ねる。

「陛下をお守りするため、祈祷師が絶えず祈りを上げている。呪おうとしたとしても、返されるのが落ちではないか?」

「だからこそ、希璃下級妃を使おうとしたのではないでしょうか? 彼女が陛下を呪うのに失敗したとしても、呪詛返しにあうのは黒玉妃様ではなく、掛け合い歌を歌った希璃下級妃の方です」

「しかし、それなら何故黒玉妃様は呪う方法に歌を選んだんだ?」

「どういうことでしょう?」

 私の疑問に茶杯を傾けてから、査燕が口を開く。

「希璃下級妃は歌う側ではなく、踊る側だ。もし歌う立場だったのであれば、今回のように涼暁に歌わせる事はない」

 その言葉に、私ははっとなる。

「そうですね。もし黒玉妃様が希璃下級妃に見たものを呪う踊りの方法を伝授していたら、下級妃は死ぬことがなかった」

「だが、掛け合い歌を教えたせいで肝心の希璃下級妃は練習中に死んだ。これでは到底皇帝陛下を呪えることなんて不可能だし、そもそも宴で披露するための練習を下級妃が当日まで全くしないとは黒玉妃様も考えないだろう」

「……だったら、黒玉妃様が希璃下級妃へ掛け合い歌を教えたのは、ただの不幸な偶然、ということですか?」

「わかってて私に言わせようとしているな? 君。流石に、偶然と考えるのは無理だろう。これまでの事件を考えればな」

 そう言って査燕も、まんじゅうに手を伸ばす。

 それをお茶で流し込むと、眉をひそめながら口を開いた。

「浩宇と栗貴が窃盗対策の呪いで死んだ、あの事件。彼らが死んだ現場は、どこだった?」

「梅蓮宮ですね」

「そこに住んでいる上級妃は、一体誰だ?」

「……黒玉妃様です」

「次に、梓潮下級妃が誤って莉瑤中級妃を呪い殺し、御自分も呪いに失敗して死んでしまった、あの事件。中級妃が亡くなった金木宮には、元々誰が泊まるはずだった?」

「……黒玉妃様です」

「そして、寅の血を引いている梓潮下級妃が本来呪い殺そうと思っていた、辰の血筋に連なる相手は、一体誰だ?」

「……黒玉妃様です」

 査燕は、特大の溜息を吐く。

「二度どころか、三度も関連が続くのであれば、流石に無関係とは論理的に考えられない」

「そもそも、どうやって黒玉妃様は掛け合い歌のことを知ったのでしょうか?」

「……それこそ、私が知っているわけがない。君こそ、どうなんだ? そういった事情を知っていそうな幽霊は、この辺りに浮いていないのか?」

「そんな都合のいい幽霊なんていませんって」

「では、幽霊に頼んで黒玉妃様へ探りを入れてきてもらうとかは出来ないのか?」

「無茶言わないでくださいよ。彼らはもう死んでいて、もう何も取り繕わなくていい存在なんです。だから自分勝手に振る舞いますし、交渉だって難しいんですから」

 莉瑤中級妃の霊は、一応警告はしてくれたものの、それ以外では一方的に自分の要求を伝えてきたし、自由に動き回っていた。

 浩宇と栗貴に至っては、自分たちが盗みを働こうとしたことを隠すため、こちらに嘘をつこうとした。

 希璃下級妃と妙英も、こちらの話を聞かずに好き勝手に喋り散らかしていた。

 妙英に至っては、もはや仕えていた希璃下級妃に対して敬意がいまいち感じられない受け答えをしていた。

 そうしたことから考えても、幽霊に調査を手伝わせようという考えは、悪手でしかありえない。

 私の言葉を聞いた査燕は、ままならないものだな、とでも言わんばかりに、嘆息する。

「結局、楽は出来ないということか」

「……まさか、黒玉妃様をお調べになるおつもりですか?」

 私の疑問は、言外に『下手をしたら不敬罪で殺されますよ?』と聞いているのと同義だった。

 そして、彼はそれがわからないような人ではない。

 しかし査燕は、しっかりとうなずいた。

「私の仕事はこの後宮を管理すること。ここで生きる人のために働くことだ。で、あればこそ、ここ最近黒玉妃様の周りで何故頻繁に事件が起こっているのか、その原因について調べなくてはならない」

 その言い回しが気になったので、私は突っ込んでみることにする。

「頻繁に事件が起こっている原因、ですか。査燕様は、黒玉妃様が全ての事件で手を引いているとはお考えではないのですか?」

 莉瑤中級妃が梓潮下級妃に殺されたのは、黒玉妃が金木宮で泊まるのを取りやめたから。

 これは穿った見方をすれば、自分が狙われていると感づいた黒玉妃が、その身代わりとして莉瑤中級妃を用意したようにも見える。

 ……莉瑤中級妃が強引に金木宮に泊まったから彼女が殺されてしまったけど、黒玉妃様なら何かしら理由をつけて別の妃様を泊まらせることだって出来たはず。

 私の考えていることがわかったのか、査燕は苦笑いを浮かべた。

「確かに、見方によっては黒玉妃様が他の妃を生贄に、自分を狙う相手を呪詛返しで殺そうとした、という考えも出来るな」

「だったら――」

「証拠がない」

 その反論に、私は口をつぐむ。

 確かに、今のところ黒玉妃が意図的に誰かを殺した、という証拠は存在していない。

 何も言えなくなった私に向かい、彼が言葉を紡ぐ。

「それに、浩宇と栗貴の件では、むしろ黒玉妃様は被害者だ。皇帝陛下から下賜された献上品、その一箱分が駄目になったんだからな」

「上級妃にとって、一箱分ぐらいなんてことないと思いますが」

「だが、被害は被害だよ。それに黒玉妃様が掛け合い歌を希璃下級妃に教えれたということは、彼女は一度その内容を聞いているはず。だが、彼女は死んでいない」

「……希璃下級妃が言っていたように、一単語ずつ聞いたのか、あるいは返歌を知っていたのか」

 もし黒玉妃が返歌を知っていたのだとすると、彼女はわざと希璃下級妃へそれを教えなかったことになる。

「黒玉妃様が返歌の存在を、希璃下級妃へ伝えなかったということが証明できたら、彼女の殺意を証明出来る、ということですね?」

「……探りを入れるべきなのは、やはりそこからだろうな」

 そう言って査燕は、お茶を飲み干した。

 私も紅なつめを頬張り、茶杯を傾けて、口を開く。

「わかりました。では、私の方でもそれとなく女官たちに話を聞いておきます」

「いや、黒玉妃様の件については、君は何もしなくていい」

 その言葉に、私は驚きすぎて茶杯を落としそうになる。

「な、何を言ってるんですか? これだけ巻き込んでおいて、今更何を遠慮しているんですか?」

「……いや、君、幽霊と話している所を目撃されて、色んな噂が立ってるんじゃなかったのか? そのせいで気味悪がられていて、他の女官からも距離を取られていると聞いているが」

「うっ!」

「そもそもそれとなく聞くと言っていたが、君にそんな話術があるとは思えない」

「ううっ!」

「大体、気軽に話かけられるような友達が君にいるのか? 普段話しをしない相手が突然話しかけてきたらそれこそ目立つし、あっという間に噂になるぞ。そうなれば黒玉妃様の耳に、君が彼女の周りを嗅ぎ回っていることが知られてしまうな。気づかれたら最後、不敬罪は免れれないぞ」

「うううっ!」

 査燕の言葉が全て図星過ぎて、何も言えなくなる。

 私は半目になりながら、隻眼を睨んだ。

「な、なんですか? なんなんですか、もう! 人がせっかくやる気を出したと思ったら、それをくじくようなことを言って!」

「別に私だって意地悪をしたくて言っているわけではない。人には適材適所があると、そう言いたいだけだ」

「向き不向きの、不向き側の人間に対して辛辣すぎやしませんか?」

「私に対して俊軒から被っている被害を突きつけ続けた君が言うのか、それを」

 査燕は苦笑いを浮かべているが、私はわずかに唇をとがらせる。

 子供っぽいと自分でもわかっているが、ここまできて除け者にされるのが、悔しかったのだ。

 ……でも、なんでだろう? いつもなら、誰にも関わらないようにして、一人で静かに息をひそめるように過ごそうとするはずなのに。

 私の中でその疑問の答えが出る前に、もう話は終わりだと言うように、査燕が茶杯などを片付け始める。

「まんじゅうが一つ余ってしまったが、包んだら君が持って帰るか?」

「……頂きます」

 綺麗な手ぬぐいにまんじゅうを包んでもらい、私は彼の部屋を後にする。

 ……もう、どうなっても知りませんからね!

 そう思いながら、まんじゅうとわずかな寂しさを抱えて、私は自分の寝床へと返っていくのだった。


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