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後宮呪術物語  作者: メグリくくる


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2/6

○第一章

 <査燕(チャーイェン)

 

 控えめに言って、私は非常に不機嫌だった。

 上司の書類不備による後始末に、上司に色目を使おうとした女官同士の仲裁。更に上司がご発注した物品の予算再見積もりに、結局届いたその物品の使い道を考えていなかったと上司から言われて無理やり使い道の検討をさせられて、上機嫌になれるわけがない。

 ……その上、俊軒(ジュンシェン)のやつ、更に面倒事を押し付けて来やがって。

 心の中で、上司に対して悪態を吐く。

 俊軒は顔と要領がとにかく良いが、仕事はこれでもかと言うほどまともにやらない。

 その結果部下の私が文字通り忙殺され続けるというのだから、周りから冷たいと言われる表情も更に冷たくなるというものだろう。

 最近では疲労感が表情から滲み出て、悲壮感を感じるとすら言われているが、こればかりは自分ではいかんともしがたい。

 愚痴を口から零してしまわないように、私は足早に押し付けられた面倒事、その現場に向かっていた。

 ……この忙しい中、更に人が死んだ、だと?

 つまり、殺人事件である可能性がある。

 しかも、昨晩の内に二人だ。

 それも亡くなった内、一人が中級妃で、もう一人というのだから、笑えない。

 ……上級妃ではなかっただけ、まだ救いはあるか。

 いや、人が死んでいるのだから、救いがあるわけがない。

 もはや誰も、正確に後宮に住んでいる人々の実際の数字を把握出来ない状況とはいえ、もし卑劣な手段を使われ殺されたのだとすると、死者も浮かばれないというものだろう。

 ……とは言え、情報が例によって全く俊軒から聞かされていないから、本当に事件性があるかもわからんがな。

 むしろ、そういう事情が複雑で面倒なものだとわかっていたからこそ、あの上司は私にこの件を丸投げしてきたような気もする。

 ……ともかく、まずは情報を集める必要があるな。確か、事件があったのは――

「あら? そこにいらっしゃるのは、査燕じゃありませんか?」

 呼ばれた方へ振り向くと、そこには中級妃であることを示す、勿忘草色の衣服に身を包んだ女性の姿があった。

 その服に小さく青紫色の刺繍で虎の模様が入っているのを見ながら、私は口を開く。

「これはこれは、律詠(リツエイ)中級妃ではありませんか。ご機嫌麗しゅう」

「そういうあなたは、ご機嫌が斜めどころか垂直になっていそうね。また俊軒の伊達男に仕事を押し付けられたのかしら?」

「話が早くて助かります。そうした事情を酌んで頂けるのでしたら、是非律詠中級妃も私の心労を減らすご配慮をお願いしたいものです」

「あら、何のことかしら?」

「刺繍の色が」

 そう言うと、律詠中級妃はいたずらがばれた子供のように笑う。

 そんな彼女に向かって、私は嘆息した。

「律詠中級妃もご存知だと思いますが、この後宮では衣服に使える色は厳密に決められております。宦官の私であれば百入茶色、女官であれば萌葱色、下級妃であれば撫子色。そして刺繍で使われるのは――」

「下級妃が赤、中級妃が青に、皇帝陛下と上級妃は紫、でしょ? もちろん知っておりますわ」

 ……やはり、確信犯だったか。

「でしたら、青『紫』色は少々やり過ぎです。もし陛下と上級妃に見つかりでもしたら――」

「大丈夫よ、査燕。下級妃に中級妃も文字通り数えきれない程いるのよ? 私一人が色を変えた所で、誰も気にしないわ」

「ですが、皇帝陛下が突然お越しになられることもあります」

「それも、宴の時ぐらいでしょ? あの方はもっぱら、四人しかいない上級妃に夢中ですから」

 その言葉に、私は内心頷く。

 四夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻の制度が形骸化したとはいえ、四夫人、つまり上級妃の数だけは四人のままとなっていた。

 ……現在の上級妃は、牡丹宮に住む珊瑚(シャンフゥ)妃様に、仙水宮に住む琥珀(ホウプゥ)妃様。そして梅蓮(ばいれん)宮に住んでいる黒玉(ヘイユゥ)妃様と、蘭菊(らんぎく)宮に住んでいる斑彩(バンスィ)妃様の四人だ。

 そして彼女たち四人だけは、自由な色の服を着ることを許されている。だがもっぱら、自分の名に関した宝石の色合いを好む傾向があった。

 そう思っている私よそに、律詠中級妃は少し寂しそうに笑う。

「それに、刺繍を入れるのはかつて滅ぼされた国の子孫である私たちに許された、祖先とのつながりです。査燕は私に、祖先とのつながりを切れ、というのですか?」

 その言葉に、俺は苦笑いを浮かべる。

 丑はかつて大陸に存在していた半数の国を滅ぼし、吸収した。

 その結果後宮に連れてこられた民は数多くいたが、自分たちの国の誇りまでは捨てれないと、彼らは配られた服に自分がどこの一族なのかを刻むようになったのだ。

 皇帝もその動きを認識していたが、現在まで残っていることから、黙認されたのは想像に難くない。

 心の拠り所まで奪ってしまえば、女性であっても反乱を起こされると考えてのことだろう。

 好色故の自業自得であったが、後宮では自分の祖先の国を刺繍するという文化が残った。

 それは国の名前であることもあれば、動物の場合もあった。

 ……律詠中級妃の刺繍は、虎。つまり、『寅』の一族の血を引いている、というわけか。

「私は何も、祖先とのつながりを切れ、と言っているわけではありません。やり方と見せ方、そして時と場合を選んで頂きたい、と申し上げているだけです」

「あら? でも私、母からあなたは寅の皇族の血筋だと聞いておりましもの。でしたら、『紫』を使ってもおかしなことはありませんわよね?」

 ……何を言っても無駄かな、これは。

 某国の皇帝の血筋だ、と自称する人や噂話は、この後宮には五万と溢れている。

 元々国を吸収する際それなりの地位の女性を連れてきたということもあるし、好色だった当時の皇帝が種をばら撒きまくったということも関係あるのだろう。

 ……でも、皇帝の血筋というのは眉唾もので、言ったもん勝ちな状況だからな。

 現在の皇帝がほとんど上級妃しか相手にしていないのに、後宮の人口が増え続けているのが、何よりの証だろう。

 内侍省の中には男を捨てていない宦官も混じっているという噂もあるが、それは事実だ。

 つまり、もはや誰の血をどこから引いているなんて、もはやわからない状況になっている。

 ……こういう形で民族浄化を狙っていたのなら恐れ入るが、完全に偶然だろうな。

 本来であれば皇帝以外と関係を結んだ妃は、すぐに後宮を追い出されて然るべきだ。

 だがそう出来ないのは、丑が歪な形で大きくなったためだろう。

 その象徴とも言える後宮は、維持するだけでも膨大な費用がかかる。

 逆に言えば、大量の働き手が必要だ。

 そしてもっと言えば、その後宮の規模を縮小しようものなら、国中に大量の失業者を生むことになる。

 ……そうなったら国はもっと荒れるし、皇帝に対しても国民は反感を持つようになる。

 だから皇帝は、巨大化しすぎた後宮を切ることが出来ない。

 官に妃を下賜せずとも、実情的にそうなっている。

 むしろ、生まれた子供はきちんと教育を受けさせれるし、将来この傾いた国を立て直す人材になってくれるかもしれない。

 ならばいっそのこと、そういった労働力を確保するため、もとい、国を延命させるための悪あがきをするため、歪な丑の後宮は、ぶくぶくと家畜が太っていくかのごとく膨れ上がりながら、現在も運営されていた。

「では、律詠中級妃におかれましては、あの寅の皇帝の血を受け継ぐ方だったのですね」

「ええ、そうよ。あの時、辰が同盟を裏切らなければ、上級妃になっていたのは私だったのかもしれないのですから」

「同盟、というと、寅と卯、そして辰が滅ぼされる前に三カ国で共同して、丑と戦ったという、あの同盟ですか?」

「ええ、そうよ。当時の卯の皇帝が旗頭となって戦ったの。でも劣勢となるや否や、卑劣な辰は統合後自国の国民を優遇させる密約を丑と交わし、その同盟を裏切ったのよ」

「……律詠中級妃。少し、お声が大きいかと」

「あら、ごめんなさい」

 後宮の中には、当然辰の血を引いている、と考えている人達もいる。

 律詠中級妃が語った内容はあくまで噂話ではあるが、それを聞いて面白くないと感じる人もいるのも事実だ。

 ……また余計な話に巻き込まれる前に、この場を離れた方がいいな。

「では、律詠中級妃。私はこの後仕事がありますので」

「そうだったわね。俊軒にもよろしくお伝えくださいませ」

「かしこまりました。それではこちらで、失礼いたします」

 そう言って一礼すると、私は足早にその場を後にした。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 事件現場となったのは、先日建築が終わったばかりの金木(きんもく)宮だ。

 元々は次に皇帝が訪れる宴の席として使うために建てられたのだが、まさかこんな形で先に脚光を浴びることになるとは思わなかっただろう。

 そのある一室で、勿忘草色の衣服に身を包んだ女性が、苦悶の表情を浮かべて倒れている。

 両眼は見開かれ、口は顎が外れそうなほど広がり、そこから舌がなめくじのように這い出していた。

 袂の内側には、青色で『巳』という字が書かれている。

「それでは、亡くなった莉瑤(リヨウ)中級妃以外に、この部屋に入った人はいなかった、ということだな?」

「その通りであります、査燕様」

 私の言葉に、先に殺人現場の保存を担当していた宦官の俊宇(ジュンユー)が、生真面目そうに頷きながら答えた。

 俊宇は分類的には武官に相当するが、この後宮では武官も文官も宦官とひとくくりにされている。

 成り立ちからして実にいい加減なこの後宮らしい雑なくくりだが、だからといって私までいい加減な仕事をするわけにはいかない。

 怠惰なだけでは、この世界で生きていけないからだ。

 とはいえ――

「密室、か。俊宇、君がこの部屋に来て以降、誰かここに人の出入りはあったのか?」

「いいえ、ありません。死体を発見した莉瑤中級妃の侍女以外ですと、私以外にこの部屋に入っておりません。その女官にも、今回の件についてはくれぐれも他言無用だと念を押しています。莉瑤中級妃がお亡くなりになられたことを知っているものは、ほとんどおりません」

「……そうだな。昨晩ここに泊まる予定だったのは莉瑤中級妃ではなく、本当は黒玉妃様だったという情報も出回らないよう気をつけておいてくれ」

「了解しました」

 その返事を聞きながら、私は悩まし気に唸った。

 ……間接的にしろ、上級妃の黒玉妃様が関係しているのが、またこの件を複雑にしているな。

 黒玉妃は本来、梅蓮宮に住んでいる。

 それが何の気まぐれか、出来上がったばかりの金木宮で過ごしてみたいと言い出したのだ。

 だが結局、前日でやはり気分が乗らないからと、泊まられるのを中止。その衣服に紫色で『辰』の一文字を入れる彼女は、非常に気まぐれで有名だった。

 そしてそれをどこからか聞き付けたのか、莉瑤中級妃が強引に金木宮に泊まってみたいと言い始めたのがことの発端だ。

 上級妃のお下がりであっても、上級妃の代役として振る舞えるというのは妃たちにとって一種の勲章に近しいものなのだろう。

 それを手に入れようとした結果、昨晩彼女は無理やりこの部屋で過ごし、今その屍を私の前に晒している。

 ……本来ここに泊まるつもりだった黒玉妃様が、莉瑤中級妃を殺害したのか? でも、何のために? 煩わしければ、殺さずとも彼女の力なら中級妃ぐらい簡単に潰せるだろうに。

 そもそも、殺し方が非常に不可解だ。

 心臓麻痺を起こしているように見えるが、何か毒を飲んだような形跡もない。

 おまけに人の出入りもないというのだから、手の打ちようがなかった。

「俊宇。すまないが、もう一つの現場も確認してもいいか?」

「かしこまりました。こちらです」

 その声に連れられて、俺は下級妃たちが暮らす屋敷へと向かっていく。

 やがて俊宇の足が、ある場所の前で止まった。

「もう一人の被害者、梓潮(シチョウ)下級妃の部屋です。こちらのお部屋にも事件発覚後誰も入れておりませんし、梓潮下級妃のご遺体が発見されるまで、遺体が発見された寝室に入った人はいないということです」

「……こっちも密室か」

「ですが、その」

「何だ?」

「とにかく、一度中を御覧ください」

 そう言われて、私は素直に梓潮下級妃の部屋に入る。

 そして、すぐに小さく呻いた。

「何だ? これは」

 寝室の中には、莉瑤中級妃と同様、心臓麻痺を起こしたような梓潮下級妃の姿がある。

 しかし、金木宮とは違う所があった。

 梓潮下級妃のそばに、木でできた筒のようなものが転がっているのだ。

 恐らくその筒は、壇上に置かれていたのだろう。

 その壇上に苦しんだ梓潮下級妃の体が当たり、筒が落ちてしまったのだ。

 筒の中を確認してみるが、中は空だった。

 しかし、筒の底に何か文字が書かれている。

 ……丹桂? 花の名前が、どうしてこんな所に?

「俊宇。君は、この筒に心当たりはあるか?」

「いいえ、ありません。長さを測った所、人差し指で十二指、周囲の大きさは八指ほどでした」

「……中々の大きさだな」

 そう言いながら、俺は梓潮下級妃の帯を見る。

 帯の裏には、赤色で『寅』の文字が刻まれていた。

 昨晩起こったという、二つの密室殺人事件。

 犠牲者の一人は、黒玉妃の代わりに金木宮に泊まった、莉瑤中級妃。

 もう一人は、下級妃の屋敷で謎の筒と共に見つかった、梓潮下級妃。

「二つの事件に関係性があるのか、それとも全く別の事件なのか、検討もつかんな」

「それどころか、どうやって誰にも見つからずに部屋に忍び込んだのかも不明です」

「……心臓発作であれば、病で倒れるということもあり得るだろうが」

「では、医者にお二人の遺体を確認頂きますか? あまり長い時間お二人の亡骸を部屋に置いておくことも出来ませんし」

「そうだな。では悪いが、医者の手配を頼む。それから、お二人を弔う準備もしておいてくれ」

「かしこまりました」

「私はもう少しこの部屋と金木宮を調べたら、一度自分の部屋に戻る。悪いが、医者が到着したら知らせてもらえるか?」

「承知しました」

 俊宇が部屋を出ていくのを横目に、私は寝室に抜け道や隠し通路がないか確認して回った。

 残念ながらそういったものは見つけられず、扉も内側から鍵がかかっていた。

 梓潮下級妃の遺体を発見した侍女たちにも話を聞いて回ったが、俊宇からもらった情報以上のものは得られない。

 それどころか、侍女たちの証言だけでなく、屋敷を見回りしていた兵も梓潮下級妃の部屋には誰も入らなかったという証言を得た。

 金木宮に戻り、同じ様に部屋を調べる。

 新築というだけあって、壁も床も押しても引いてもびくともしない。窓もしっかり鍵がかかっている。

 証言についても、梓潮下級妃の時と同じようなものだった。

 莉瑤中級妃の侍女も彼女の部屋に入った人を見ておらず、警邏からも同様の報告を聞いた。

 ……これは、本当に病気だったんじゃないか?

 一晩で二人が全く同じ症状で倒れて、死んだ。

 確率的に限りなく低いが、全くあり得ないというものでもない。

 医者の診断結果を待ちたい所だが、二人の妃が病死だった、という報告を上げたとしても、上司の俊軒は簡単に受理をしてくれそうだ。

 そして私は、他の仕事に取り掛かれる。

 めでたしめでたし、だ。

 しかし――

 ……あの、筒が、どうしても気になる。

 梓潮下級妃の寝室に転がっていた、あの筒。

 あの存在が、私の頭の中から離れてくれない。

 今回の事件には、あれが関係しているような気がするのだ。

 と、そこまで考えて、私は頭を振る。

 ……何を考えているんだ。論理的ではない。

 気がする、だろう、という表現は、非常に曖昧な基準だし、第一そんなものは感に頼った捜査でしかない。

 最近疲れが溜まっていたから、突拍子もないものに飛びついてしまいそうになっているのだ。

 ……これは、よくない兆候だな。一度自室に戻って、少し休憩するか。

 しかし、部屋に帰るまでの間、私はどうしても気になって二人の妃を密室で殺害する論理的な方法を考えてしまう。

 そして、部屋に到着しても、その論理的な方法が全く思い浮かばなかった。

 部屋に入り、茶でも入れようと湯を沸かし始める。

 そこでふと、窓の方へと視線を向けた。

 窓の隙間に、何か挟まっている。

 引っ張って取ると、それは後宮で女官が掃除に使っている雑巾を裂いたもののように思えた。

 そしてそこには、こんな事が書かれている。

 

『呪いに巻き込まれてあなたも苦しんで死にたくなければ、これ以上その件に首を突っ込まない方がいい』

 

 <玲冥(レイメイ)

 

 ……とりあえず、やれることはやれたかな。

 そう思いながら、私は雑巾を絞って柱を磨いていく。

 そんな私の耳に、小声で話す他の女官たちの会話が聞こえてきた。

「ねぇ、聞いた? 建てたばかりの金木宮で、出入りが制限されている、って話」

「聞いた聞いた。下級妃の暮らす屋敷も、一部出入りが禁止されてるんでしょ?」

「梓潮下級妃の部屋らしいわね」

「宦官の査燕様の姿を見たって聞いたわ」

「あぁ、上司の俊軒様にいつもこき使われる、あの?」

「でも私、俊軒様にならいじめられてもいいわぁ」

「わかる。いつ見ても笑顔が素敵よね、俊軒様」

「でも、俊軒様の部下の査燕様がお調べになられているということは、また厄介事なんじゃないかしら?」

「査燕様は、金木宮にも足をお運びになられたって聞いているわよ」

「そう言えば、昨晩金木宮には、莉瑤中級妃がお泊りになられたとか」

「あら、それじゃあ、お二人のお妃様に何かあったってことかしら?」

 後宮に妃が多数いるのであれば、その生活を支える女官、侍女や下女も含む、の数は無数に存在していると言ってもいい。

 その後宮を管理する宦官も膨大な数がおり、問題が起こって情報統制をするが、人の口に戸は立てられぬもの。

 莉瑤中級妃と梓潮下級妃の身に何か起こったのではないか? という噂は、一瞬で女官の間で広まり、そして妃たちの耳にも入っているだろう。

 特に、俊軒にこき使われる査燕が動いているというのであれば、なおさらだ。

 彼は上司から、色々と面倒事を押し付けられることで知られている。

 とにかく、査燕は目立つのだ。

 それは、彼の特徴的な外見が大きく影響している。

 だから私たちのような女官だけでなく、妃の間でも覚えがいい。

 ……査燕様も大変だ。今度は、殺人事件の調査を押し付けられるなんて。

 流石にまだ、莉瑤中級妃が殺されたという噂までは出回っていない。

 それどころか、調査をしている査燕ですら、まだこれが殺人事件なのかどうかの判断も出来ていないだろう。

 しかし私は、あの人から直接その話を聞いていたため、莉瑤中級妃が殺されたという事実を知っていた。

 だから私は、査燕に忠告を送ったのだ。

『呪いに巻き込まれてあなたも苦しんで死にたくなければ、これ以上その件に首を突っ込まない方がいい』

 それは、ちょっとした親切心だった。

 あのまま査燕が行動していては、彼の身に危険が及ぶかもしれない。

 それをたまたま知ったので、知ったからには見て見ぬふりも出来ず、とりあえず彼に忠告を送ることにした。

 読んでもらえたかどうかは、わからない。

 読んでもらったとしても、本気にしてくれるかどうかも、わからない。

 ……でも、危ないと伝えても危険に向かっていくのなら、私にはもう止められない。

 そう思いながら、私は掃除を続けていく。

 その傍らで続けられていた女官たちの噂話は、いつしか全く別の話題に移っていた。

「そう言えば、聞いた? あの下女の話」

「聞いた聞いた。とある下級妃のお父様が亡くなった事を、文が届く前に知らせたんでしょ?」

「他にも、中級妃がお飼いになられていた猫がいなくなった時、その居場所をすぐに特定したとか」

「……でも、死んでたんでしょ? その猫って」

「その下女が、自分で殺して報告したんじゃないか? って話だったとか」

「それが、どうもそうじゃなさそうなの」

「その下女は猫がいなくなった時は、全く別の妃様の館のお掃除をしていたみたいなのよ」

「え? それじゃあ、そもそも猫がいなくなったことを知ることが出来ないじゃない」

「前髪で顔も隠しているし、気味が悪いわよねぇ」

「あまり、誰かと話している所も見たことがないし」

「仕事はしっかりしてくれるんだけど」

 彼女達は、ある下女、なんて言っているけれど、視線はしっかりと私の方を向いていた。

 ……はぁ。また陰口ね。

 どれだけ口を開いてくれてもいいけれど、一緒に手も動かして欲しいものだ。

 そうじゃなければ、私の分の仕事も増えてしまう。

 色々と噂をされる身ではあるのだけれど、もうそれには慣れてしまった。

 以前は必死になって弁明していた時期もあったのだが、それをしても相手を喜ばせるだけだと知ったのだ。

 彼女達は真実ではなく、盛り上がれる話題が欲しいだけ。

 更にその話題が荒唐無稽なものともなれば、こちらの話を聞く気にもないし、逆に反応すればやっぱりそれが事実なんだと喜んだ。

 ……まぁ、私は一介の下女ですから。もうどうだっていいんですけどね。

 そう思いながら、私は桶の水に汚れた雑巾を入れて、汚れをすすぐ。

 査燕に忠告をするために裂いたからか、どうにもほつれが目立った。

 ……こんなことなら、雑巾ごと置いてくればよかったかな。

 しかし、雑巾の太さでは窓の隙間を通すことが出来ない。

 裂く以外に、方法がなかった。

 ……でも、こんなほつれた雑巾だと仕事に影響が出そうだし。

 今日の仕事が終わったら、新しい雑巾に取り替えてもらおう。

 最近予算が厳しいらしく、なんでもっと大切に使わないんだ、と女官の取りまとめに怒られそうだが、消耗品なのだからそこは多めに見てもらいたい。

 そう思いながら雑巾を絞っていると、どうやらまだ女官たちは私の話をしているようだった。

 私の耳に、こんな会話が聞こえてくる。

「だから、やっぱり、あれなんじゃないか? って」

「何もない場所を見上げて、ぶつぶつ呟いている時もあるらしいし」

「そうよねぇ。だって、刺繍の色があれなんですもの」

 その言葉に、私の手が一瞬止まる。

 私が着ている服の色は、他の女官と同じく萌葱色だ。

 その胸元には、犬、つまり『戌』の刺繍が施さている。

 当然、色は中級妃が使う青や下級妃が使う赤ではないし、当然皇帝や上級妃が使う紫でもない。

 女官や宦官、その取りまとめが使う色の黄色ではないし、それ以外の女官や宦官が使う白色でもなかった。

 私が使っている刺繍の色。

 それは――

「失礼する」

「査燕様!」

 突然訪れた来客に、女官たちが話を止めて入口に集まっていく。

 そんな彼女たちとは対照的に、私は柱の影へと隠れた。

 ……ど、どうして忠告した彼が、こんな所に?

 疑問に思いながら、入口を盗み見る。

 百入茶色の衣服をまとう査燕の周りには、等間隔で女官たちが集まっていた。

 彼女たちが仕事だけでなく、噂話を止めてまで集まるぐらいには、査燕という男は美丈夫と言ってもいい容姿をしている。

 ただし枕詞に、凍えるほどの、という一言がつくのだが。

 その冷たい印象は鋭い眼光だけではなく、左目にした眼帯からも来ているのだろう。

 下級妃どころか中級妃から艶色の言葉をかけられても不思議ではない風貌であるにも関わらず、上司の俊軒と違って浮ついた話を聞かないのは、彼の放つ凍てつくような空気も大いに影響しているに違いない。

 更に最近では俊軒に無理難題を押し付けられすぎていて、眉は常に深く刻まれており、眼光も鋭くなっていると聞く。

 この後宮広しと言えども、隻眼の、それも恐ろしいほどの美丈夫ともなれば、宦官査燕以外該当する人物はおらず、そして目立たないわけがなかった。

「査燕様。本日は、どのようなご要件でしょうか?」

「確か、金木宮に聞き取りに行かれていたとか」

「下級妃のお住まいのお屋敷に伺われていたともお聞きしているのですが、その件でしょうか?」

 自分へ問いかけてくる女たちを見向きもせず、彼は辺りへ視線を向ける。

「玲冥という名の女官がいると聞いてやってきたのだが、いるだろうか?」

 ……どうして? なんで私を探してるの!

 いや、どうしても何も、彼が私に用事があるのは、私が送った忠告が関係しているに違いない。

 しかし、それを窓に差し込んだ時には辺りに誰もいなかったし、使った雑巾も女官なら誰しも触れるようなもので、私を特定出来るわけがない。

「れ、玲冥、ですか?」

「あのものが、もしやまた何かしたのでしょうか?」

「何か用があるのでしたら、私たちを介してご要件をお申し付けください」

「そうです、査燕様の身に何かあれば俊軒様も悲しみます」

「忠告、痛み入る。しかし、これも上司俊軒から頼まれた仕事の内でな。玲冥を呼んでもらえないだろうか?」

 そう言った彼の言葉に、どうしたものかと何人かの女官が私のいる柱へと視線を向けた。

 他の女官たちは、その視線を遮るように査燕の前に出る。

「ですが、査燕様!」

「ひょっとしたら査燕様はご存知ないかもしれませんが、玲冥の刺繍に使う色は――」

「委細承知している」

 そう言うと、彼の鋭い瞳が、私の隠れている柱へ向けられた。

「なるほど。あそこにいるのか」

 ……他の女官たちの視線と体の動きから、私が隠れている方向を導き出したの? 嘘でしょ!

 内心冷や汗を流す私をよそに、査燕は淡々とした表情でこちらに向かってくる。

 そんな彼の背中を、なおも心配そうな女官たちが追ってきた。

「査燕様、あの者には怪しい噂が常につきまとっております」

「どのような噂だろうと曰くがあろうと、人は人だ。話した程度で死にはすまい。死ぬのなら、君たちが生きている道理もないだろう」

「それは、あの者はめったに喋らぬ故」

「なら、筆談では死なんのだな。そいつは重畳。と、いうわけで」

 そう言って査燕が、私が隠れている柱に手をかける。

 そしてこちらを見下ろして、胸元の刺繍を確認すると、冷たく言い放った。

「君が玲冥だな。私の部屋まで、今すぐ来て欲しい。要件は、言わずともわかっているな?」

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 査燕の背中について、彼の部屋へ移動している。

 一言も喋らない査燕の背を見ながら、私は何かしら上手い言い訳がないかと考えてみた。

 しかし、どれもこれも上手くいくとは思えない。

 たとえば『あなたの窓に忠告を差し込んだのは私ではないですよ』と言えば、『何故私の部屋の窓に忠告が入っていると知っているのか?』と逆に詰められるだろう。

 他にも『どうして自分が呼び出しを受けているのか?』と聞いた所で、『言わずともわかると言ったはずだが?』と言われた後、あの忠告が私がしたものだと気づいた説明を滾々と説明されるだけだ。

 だったら、最初からその説明を聞いたほうが時間の節約にもなると思い、素直に疑問をぶつけることにした。

「……あの、どうしてあの忠告が、私のものだと気づいたのですか?」

「なんだ。やはり普通に喋れるのだな。そして私が死んでいない所を鑑みるに、筆談をする手間も省けたというもの。いやはや、噂なんて尾びれ背びれどころか胸びれすらもついてくるようだな」

「茶化さないでください」

「君が、黒色の刺繍を使っているからだ」

 その言葉に、私は歩く足を止める。

 それに合わせたように、査燕もこちらに振り向いた。

「統合されたかつての国の名か動物を衣服に刻むのは、もはやこの後宮の文化だ。だが、後宮広しと言えども、卑しい身分を示す黒を刺繍に使っている人物は珍しい」

 進むように促されて、私は歩みを再開する。

「ですが、珍しいだけで私以外にも黒を使っている方はいらっしゃったのでは?」

「いたは、いた。しかし、今日、私が部屋を出ていた間姿を見なかったという人物を探した結果、該当したのが君だけだったと、ただそれだけの理由だよ。実に論理的だろう?」

「……そんなにすぐに調べられるものなんですか? この広い後宮を」

「確かに、この後宮を全て把握できている人間は、私も含めて存在していないだろう。だが、いくつかの宮や建物の生活を把握している人物はいる」

「それでも、情報を集めるのにはもっと時間がかかるはずでは?」

「無論、全ての情報を集めたわけではない。届いたものから順番に見て回ろうと思っていただけだ」

 ……だとすると、私が忠告を出したとわかり切っているように見せたのは、はったりだったの!

 自分の失策を悟りつつ、私は口を開いた。

「何故、黒色だけを対象に探されたんですか? あの忠告が、他の女官や宦官からのいたずらの可能性もあったでしょうに」

 そんな話をしている間に、ちょうど査燕の部屋に到着した。

 部屋に入った所で、再び彼が口を開く。

(じゅつ)。その字は翻って、術とも書く」

 そう言われ、私は観念したように溜息を零した。

 ……そうか。この人が気にしていたのは、刺繍の色だけじゃなく、その国もだったんだ。

「ご存知だったのですね。かつて存在した戌の血筋の中に、そういった力を持つ血を引く存在がいることを」

「後宮というのは、実に厄介でね。自分の祖先がかつて存在した某国で地位が高かった、つまり自分が高貴なる身分の血を引いているはずだ。そう思っていないと、生きづらい人も多くてな。宦官として後宮を管理する身としては、そういった血筋についても詳しくなくてはならなくてな」

「そういう査燕様は、どこにも刺繍をしておられませんね」

 彼の衣服には、どこにも自分の血筋を示すものが見えなかった。

 私の言葉を受けて、査燕は苦笑いを浮かべる。

「私の場合、わざわざ縫う必要もないからな」

 ……ということは、丑のご出身ということなのかな?

 どこの国とも混じっていない方であれば、刺繍を入れて自分の一族を示す必要がない。

 そう思っていると、すまん話がそれたな、と言って、査燕が更に口を開いた。

「そもそも、国の政を占うのに祈祷師や呪い師の力を借りるというのは一般的だ。だが、そういった連中は既に皇帝陛下がお抱えになられている」

「そうですね。だからこそまがい物も多く、権力をお持ちの方へ取り入ろうとします。それなのに、査燕様は私のことはまがい物だとお考えにならなかったのですか?」

「君が権力者に取り入ろうとするのであれば、刺繍の色は絶対に黒にはしないだろう? それに、送られた内容が送られた内容だ」

 そう言って彼は、懐から私が渡した布切れを取り出す。

 そして、改めてその内容を口にした。

『呪いに巻き込まれてあなたも苦しんで死にたくなければ、これ以上その件に首を突っ込まない方がいい』

「のりとは、祝詞(のりと)でもあり、呪詞(のりと)でもある。術はすべからく、吉兆を指しし示すとは限らない。呪い。死。つまりは呪術だ。自分を卑しいとへりくだるため、刺繍に刻む色を黒とする事もあるだろう」

 その言葉に私は驚き半分、そして呆れ半分で口を開く。

「まさか、そこまで真剣に忠告を受け取ってくださるとは思いませんでした」

「正直な所、君の国の刺繍を見るまで半信半疑ではあったさ。しかし、『あなたも苦しんで死にたくなけれ』と言われると、流石に無視はできなくてね」

 そう言われて、私は自分のしでかした失敗に思い至る。

「そうか。まだ莉瑤中級妃が死んだことは噂になっていませんでしたね」

 その状況で、あなたも苦しんで死ぬ、などと忠告を出せば、どうしてお前はそんなことを、妃の死に方を知っているのか? と疑問を持たれもするだろう。

 そう思っていると、査燕が不思議そうな表情を浮かべてこちらを見つめていた。

「待て。何故莉瑤中級妃のことだけに言及する? 君は、梓潮下級妃のことも知っているのではないか?」

「梓潮下級妃? いえ、下級妃のことについては、私は聞き及んでおりませんが」

 そう言うと、彼はわずかに目を細める。

「聞き及んで? ということは、君は莉瑤中級妃が死んだことを、誰かに聞いたのか?」

「はい。正確に言うと、殺された、ということですけど」

 隻眼が、更に鋭い光を放った。

「誰から?」

「えっと、その……」

 言いよどむ私に対して、査燕はじれったそうに口を開く。

「既に君が術に通じていることは、論理的に証明されている。今更何を気にする必要があるんだ?」

「論理的なら、呪術の存在そのものを否定すると思うのですが」

「論理的に解決できない事件が起こったのだから、論理的ではないものが関わっていると考えるのは、論理的だろう?」

 ……なんだか、言い包められているような気がするな。

 そう思うものの、査燕は私が誰から莉瑤中級妃が殺されているのか話さない限り、逃してはくれないだろう。

 私は仕方がない、とばかりに口を開いた。

「莉瑤中級妃です」

「……何だと?」

「ですから、莉瑤中級妃です。莉瑤中級妃が殺されたというのを、御本人から聞いたのです」

「待て。莉瑤中級妃は、もう死んでいるんだぞ? それなのに、莉瑤中級妃から自分が殺されたことを聞いた、だと? そんな、方、法……」

 そう言いながら、査燕は口元に手を当てる。

 そして、焦ったように口を開いた。

「呪術は、呪い。そして死があれば、霊魂も存在する。まさか、君は――」

「はい。お考えの通りです」

 そう言って私は査燕の一つしかない黒い瞳を両眼で見つめながら、こう言った。

「私は、死者と会話をすることが出来るんです」

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 査燕は私のことを、術に通じていると、そう表現していた。

 しかし実際には、通じている、と簡単に言い表せるものではないらしい。

 むしろ戌の中でも術専門の血筋だったと、そう聞いている。

 ……だから私は、刺繍に黒色を選んだわけなんだけど。

 その過去を、忘れないようにするために、胸に刻むように、私は犬を縫ったのだ。

 そうした事情を胸に秘めつつ、私は査燕に連れられて、金木宮へと向かっている。

 前を歩いている彼に、私は問いかけた。

「よかったんですか? 俊宇様、先に部屋を出る時にはなんだか寂しそうな表情を浮かべていたと思うのですが」

「遺体を医者に見せた所で意味がないとわかった今、向こうに時間を割いている余裕はないからな」

「……本当に信じてくださるのですね。私が莉瑤中級妃から『自分は呪い殺されたんだ』と聞いたという話を」

「何だ? 嘘なのか?」

「いえ、本当ですが……」

 そう言いながら、どうにも座りが悪い感覚が拭えない。

 女官たちにはどれだけ言っても信じてもらえなかったことを、まだ話すようになって一日も経っていないこの男が信じてくれているという事実をどう受け止めればいいのか、私は悩んでいた。

 そんな私を一瞥して、査燕が口を開く。

「君が死者と会話をすることが出来るという話を信じるのも、先に君がくれた忠告の内容が亡くなっていた莉瑤中級妃の姿と一致していたからだ」

「『苦しんで死にたくなければ』、の部分ですか?」

「そうだ。心臓麻痺を起こしたような有様は、まさに苦しんで亡くなっている様子と重なった。莉瑤中級妃が死んでいたことだけでなく、死に様まで知っていたのであれば、死者と会話をすることが出来ると言われても信じる他あるまい」

「……本当の所は?」

「正直な所、起こった二つの事件の有力な手がかりが君しか存在していない。それならば君の発言に乗り、協力を得て捜査をした方が有用だと判断したまでだ」

「案外、査燕様ってものぐさなんですね」

「仕方あるまい。私にはまだ、上司のやらかした失敗の尻拭いが山のように残っていてね。むしろ死者と会話をすることが出来るのであれば、早く事件が解決して個人的には万々歳だと思っているんだよ」

「思った以上のものぐささですね」

 ……触れれば指が裂けるか凍りそうな印象だったのに、話すと以外に気さくな面もあるんだな。

 だったらもう少し、周りに愛想を振りまいてやればいいものを。

 そうすれば妃や女官たちからの覚えも、もっと良くなるはずなのに。

 呆れている私に向かい、査燕は真剣な声色になる。

「それで? 実際どうなんだ?」

「何がでしょう?」

「殺せるのか? 呪いで」

「そりゃ殺せますよ。実際、莉瑤中級妃は死んでますし」

 そう言うと彼は、自分の顎を撫でる。

「殺す、というのは、具体的にどういった方法があるんだ?」

「そうですね。呪いで人が死ぬのは、大きく分けて二つの場合があります」

「二つ?」

「はい、そうです。一つは、わかりやすいですね。一方が、相手を呪い殺す方法です」

 よく知られているものだと、相手の分身、人形のような依代を使う方法だ。

 この人形も、地域によっては藁で編んだものだったり、蝋人形だったり、相手の等身大の人形を作ったりと、様々な形態が存在する。

 他にも相手の名前と魔獣を壺に閉じ込めておくとその魔獣が相手の元へ向かってくれるとか、相手の体の一部、髪の毛なんかを使って呪うこともあるし、特定の時間に決められた行動をとったり、呪術を唱えたりするようなものと、様々な呪いが存在している。

「呪い殺す方法ですが、人を直接狙うのではなく、殺したい相手の場所を不吉な場所に変えてしまう、という方法もあります」

「場所を?」

「はい。星の巡り合わせとか、方角によって、そこに住む人を災厄から守ってくれる場所にすることも出来るんですが、反対に悲劇を引き起こすような場所、凶穴にしてしまえることもあるんです。他にも夭砂といって、健康を害したり短命に至らせる効果があるものもあります。なので、そういう建物で生活すると、長生きは出来ません」

「……そんな場所に住むのは、御免被りたいものだな」

「流石に後宮の建物は、その辺りも考慮されているはずなので、大丈夫だと思います」

「では残りの二つ目の方は? どうやって人が死ぬんだ?」

「そちらは、本当に簡単です。呪いが失敗した、もしくは相手が気づいて、呪った本人に返ってきてしまう場合です」

 呪詛返し、人を呪わば穴二つという言葉がある通り、呪うという行為には呪う側の危険も付きまとう。

 手順を間違えても呪いは成功しないし、呪文を間違えても駄目だ。

 それに呪っている現場を見られると、呪いが成功しないというものもある。

 そして呪いが成功したとしても、それに感づかれてしまうと、呪った本人にその呪いが返ってきてしまうことも往々にして発生し得た。

 そうなった場合、呪いを返された人物の魂は、この世にもあの世でもない、ここではない何処かへ行ってしまうことになる。

「だが、相手を死に至らしめるための呪いだぞ? それに気づいて、返すまでの時間はあるのか?」

「だから皇帝陛下は、常に返す準備をしているのですよ。祈祷師が絶えず祈りを上げているのは、陛下に降りかかる呪いを常に返すためなのです」

「その方法が取れるのは、陛下以外存在していなさそうだな」

「他にも、身代わりを用意する、という方法もありますね。先程出た依代であったり、影武者なんかもこちらに該当します。こうすれば、自分への呪いを回避することが出来ますね」

「そう言われると、呪術というのは万能な暗殺手段ではないんだな」

「それはそうですよ。そんなにお手軽に人を殺せるのであれば、この大陸からはもう国は残っていないでしょう」

「確かに。それもそうだな」

 査燕がそう言った所で、私たちは金木宮に到着した。

 ここに着た目的は、私と一緒であれば何か新しい情報が得られるかもしれない、という査燕の考えだ。

 ……私も、この件から手を引くよう査燕様に言うように聞いただけで、詳しい事情までは莉瑤中級妃からうかがわなかったし。

 莉瑤中級妃が死んでいた部屋を覗くと、既に遺体は運び出された後だった。

 査燕の指示で先に部屋を出ていた俊宇が、しっかりと仕事をしているのだろう。

 その彼に促されて、殺人現場に私が足を踏み入れようとした、その時――

 

『駄目よ、入っては。危ないわ』

 

「どうした? 玲冥。入らないのか」

 そう言った査燕に重なるように、死んだ莉瑤中級妃の姿が見える。

 青白い表情の彼女に見下されながら、なんとも言えない表情を浮かべていると、査燕は何かを察したようだ。

「少し、外で風にでも当たるか」

『ありがとう、私の声を聞いてくれたお嬢さん』

 ……今話せないんで、少し待っていてもらいたいんですけど。

 そう思うものの、考えただけでは自分の気持を幽霊どころか人間にすら伝えることは出来ない。

 表に出て、人影がない所まで移動して、ようやく私は口を開く。

「現世に留まられている莉瑤中級妃におかれましては――」

『御託はいいわ。私としては、早く私を呪い殺した相手を見つけ出して欲しい所なんだけれど』

 そう言いう私の向こう側で、査燕が『死者とはそんな感じで言葉を交わすのか』と関心したような表情を浮かべているが、今は莉瑤中級妃の話を聞くのが先だ。

「では、やはり莉瑤中級妃は御自分が呪い殺されたとお考えで?」

『当たり前じゃない。真夜中に突然胸が苦しくなったかと思ったら、そのまま死んでしまったの。全く、嫌になってしまうわ。生きていたら今晩は、贔屓にしていた宦官とよろしくやろうと思っていたのに』

「そ、そうですか」

 呪い殺されたというのに、二言目に出てきた不満が下の話とは、恐れ入る。

「それで、莉瑤中級妃がお亡くなりになられる際、何かお気づきになられたことはありませんか?」

『そうね。今際の際、何か祝詞みたいな、呪文みたいなものが聞こえてきたわ』

「呪文、ですか?」

『ええ、そうよ。確か、こんな感じだったかしら?』

 そう言って莉瑤中級妃が、自身が聞いたという呪文をそらんじる。

 その内容は、こんなものだった。

 

『しんしんとうねむれ、しんしんとうねむれ。とうらはわらう、そのさまをみて』

 

 ……しんしんとう眠れ、しんしんとう眠れ。とうらは笑う、その様を見て?

 とうらは、織物の兜羅のことだろうか?

 さっぱり意味がわからない。

「莉瑤中級妃の方で、何かこの呪文にお心当たりは?」

『あるわけないでしょ。あれば気づいているは』

「……左様でございますか」

『早く、私を殺した相手を見つけ出して頂戴。それから、私の死んだ部屋に誰も入れては駄目よ。私が死んだ時、なんだかあの部屋、とっても嫌なんじがしたんだから』

「かしこまりました」

『それじゃあ私、行くわね。どうせ現世に留まっているのなら、あの世に行く前にもっと色々と後宮を見て回りたいし』

 そう言って、莉瑤中級妃はその場から去っていった。

 それを見送る私に、査燕が話しかけてくる。

「莉瑤中級妃は、もう別の所へ?」

「はい。呪い殺されたのは間違いないと、そうおっしゃられているのですが、その、話がどうにも掴みどころがないものでして」

 そう言って私は、査燕に先程聞いた話を伝える。

「何か、査燕様の方でお心当たりはございませんか? 莉瑤中級妃が聞いたという、呪文に関して」

「……はっきりとしたことまではわからんが、莉瑤中級妃が呪い殺されたというのであれば、彼女は一体誰に呪われたというんだ?」

「私に言われましても……」

 それを見つけ出す唯一の手がかりが、殺された莉瑤中級妃が聞いたという呪文だ。

 だが、それが意味不明なものであれば、あっても無価値という他ない。

「ひとまずここは一旦置いておいて、梓潮下級妃がお亡くなりになられた現場に向かうか」

「わかりました」

 そう言って私たちは、下級妃たちが暮らす屋敷へと移動する。

 梓潮下級妃が亡くなっていたという寝室も、既に彼女の遺体は運び出された後だった。

 寝室に入る私を見て、査燕が不思議そうに首を傾げる。

「この部屋に入るのは、ためらいがないんだな」

「まぁ、止められていませんので」

「止められていない? 確か金木宮では、莉瑤中級妃に嫌なんじがするから入るのを止めるようにと、そう言われたんだったか」

「はい、おっしゃる通りです」

「では、この場に入るのは梓潮下級妃からは止められていないと、そういうことか?」

「いえ。そもそも、梓潮下級妃の幽霊とお会いしておりません」

「……何だと?」

「そう睨まれましても、お会いしていないものはお会いしていないので、仕方がないではありませんか。そもそも梓潮下級妃が亡くなられているというのも、査燕様から話をうかがっただけですし」

 大抵の人間は、自分が幽霊になるとまず慌てる。

 そして死んだその場にずっと留まるか、自分の姿と声を見聞きしてくれそうな人を求めて、あちこちを動き回るのだ。

 そしてどういうわけだか、霊は自分の存在に気づいてくれる人の元へと引き寄せられていく。

「だが、梓潮下級妃の霊は玲冥の元へは訪れていない、と?」

「はい、その通りです」

「死んだ後、幽霊にならない場合もあるのか?」

「そうですね。寿命だったり、この世に未練がなければ、そうなります」

「だが、梓潮下級妃の遺体は莉瑤中級妃と同様に、苦しんで死んでいたぞ」

「莉瑤中級妃と同じく呪い殺されたのであれば、確実に霊として現世に残っているはずです」

「……だとすると、梓潮下級妃は殺されたのではなく、寿命だった? 別の中級妃が呪い殺された同じ晩に、たまたま心臓発作で死んでいた、と?」

 そう言われても、それが事実なのかどうかは、私にわかりようがなかった。

 私は呪術に関することに詳しく、死者から話を聞けるが、他の人と違うのはそのぐらいだ。

 卓越した推理能力もなければ過去を見通せる瞳も持っていないので、それ以外のことを求められても、正直困る。

 そう思っていると、査燕がしゃがんで何かを探し始めた。

「何をなさっているんですか? 査燕様」

「いや、あの筒が見当たらなくてな」

「筒、ですか?」

「そうだ。木でできた筒でな。確か長さは人差し指で十二指、周囲の大きさは八指ほどだと聞いている」

 その言葉で、私の脳裏に閃きが起こった。

「そ、その筒の中に、何か像のようなものは入っていませんでしたか?」

「いや、空だったな。待てよ。筒の底に、確か花の名前が書かれていたはず」

「花の名前、ですか?」

「ああ、そうだ。恐らく筒は、俊宇が遺体と共に片付けてしまったのだろう。どうやら君の反応を見る限り、実物を確認してもらった方がいいみたいだな」

「はい、是非」

 私の考えが正しいのであれば、梓潮下級妃が死んでしまった謎も、梓潮下級妃の幽霊が見当たらない謎も、解けるかもしれない。

 自分の頭に閃いた仮説を、査燕に伝える。

「詳細は筒を見なければなんとも言えませんが、恐らくこれが梓潮下級妃が亡くなった真相です」

「……なるほど。確かに、それはあり得るな。大手柄じゃないか、玲冥」

「ですが、肝心の莉瑤中級妃が殺されてしまった理由がわかりません。それに、あの謎の呪文の意味だって」

「ああ、そちらの方か。それなら心配するな。お前が梓潮下級妃の事件を解いてくれたおかげで、そちらの方は俺の方で解くことが出来た」

「ほ、本当ですか!」

 私の言葉に、査燕が頷く。

 彼の話を聞いて、私は目から鱗が落ちる思いになった。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

『それで? 私を呪い殺したのは、一体誰なのかしら?』

 金木宮の外で、莉瑤中級妃が冷たい瞳で私を見下ろす。

 査燕も一緒にいてくれるが、霊が見えない彼には、彼女が放つ威圧感を感じることもない。

 いつも通りの淡々とした表情をしている彼を横目に、私は口を開いた。

「莉瑤中級妃を呪い殺した犯人は、梓潮下級妃です」

『なんですって!』

 莉瑤中級妃は表情を鬼のように変え、激昂してみせる。

 しかし、すぐになにかに気づいたように、口を開いた。

『でも、待ちなさいな、お嬢さん。私、後宮を見て回ってきましたけれど、確か梓潮下級妃はもう死んでいるのですよね? 彼女は私を殺した後、自殺したのですか? それとも、私を殺した後に別の誰かに殺されたのですか?』

 莉瑤中級妃の疑問に、私は首を振って答える。

「その、どれでもありません、莉瑤中級妃。梓潮下級妃は、あなた様を呪い殺した結果、御自分も亡くなる結果となったのです」

『どういうことかしら?』

「呪詛返し、という言葉があります」

 人を呪わば穴二つ。呪うという行為には呪う側の危険も付きまとう。

 手順を間違えても呪いは成功しないし、呪文を間違えても駄目だ。

 それに呪っている現場を見られると、呪いが成功しないというものもある。

 そして呪いが成功したとしても、それに感づかれてしまうと、呪った本人にその呪いが返ってきてしまうことも往々にして発生し得た。

 そうなった場合、呪いを返された人物の魂は、この世にもあの世でもない、ここではない何処かへ行ってしまうことになる。

「梓潮下級妃は、確かに呪殺を行おうとしました。しかしそれに失敗し、自分も死んでしまったのです。だから彼女は幽霊として現世に留まることなく、ここではない何処かへと行ってしまった」

 私の言葉を聞いた莉瑤中級妃は、訝しげな表情を浮かべる。

『待ちなさいな。それは、道理に合わないわ。呪いが失敗した、ですって? だったら、どうして私は死んでいるの? 呪いが成功したから、私は殺されたということでしょう?』

 その言葉に、私は小さく頷く。

 確かに、その疑問はもっともなものだ。

 私も最初、梓潮下級妃の死の真相に気づいた時、彼女が行った呪いと莉瑤中級妃の死を結びつけることが出来なかった。

 ……でも、その二つの事件を、査燕様が繋げてくださった。

「梓潮下級妃は、確かに呪いを成功させました。ですが二つ、間違いを犯してしまったのです」

『二つの、間違い?』

「はい。それは、呪い方と、呪う方法です」

 そう言って私は、俊宇から受け取った筒を莉瑤中級妃に見せる。

「これは、梓潮下級妃の寝室で見つかった、呪術につかう道具です。本来であれば、呪い殺したい相手の名前を筒の底に書き、それを踏ませるように像を中に入れるのですが、見てください」

『中は空だけど、そこの方に何か文字が書かれているわね。書いてある文字は、丹桂かしら?』

「そうです。丹桂には、いくつか別名が存在しています。たとえば、桂花であったり、木犀花であったり」

『……それに、金木犀とも呼ばれるわね。そして、私が呪い殺された場所は、金木宮』

 その言葉に、私は頷く。

「梓潮下級妃は、特定の誰かを呪い殺す方法であるにも関わらず、場所を呪おうとしてしまった。つまり、呪い方を誤ってしまったのです。だから莉瑤中級妃は、ご自身が亡くなった場所を不吉な所だと考え、私たちが部屋に入らないように忠告をしてくださったのです」

 しかし実際の所、この呪いで効果があるとすれば、特定の場所を一時的に凶穴へと変えるぐらいの効力しかない。

 今あの部屋は、全くの無害なはずだ。

 私の言葉に、莉瑤中級妃が呻く。

『呪い方が間違っていたというのは、わかりました。では、呪う方法というのは? 呪い方と呪う方法というのは、対して差がないように思えるのですが』

「いいえ、大違いです。何故なら梓潮下級妃は、場所を呪う道具を用いて、特定の個人を呪うための呪文を唱えてしまったのですから」

『それは、私が聞いたものね』

 そう言って莉瑤中級妃は、またあの呪文をそらんじてみせる。

 

『しんしんとうねむれ、しんしんとうねむれ。とうらはわらう、そのさまをみて』

 

『この、訳の分からない呪文の意味も、分かったということかしら?』

「はい、その通りです」

 ……本当は、査燕様が解いたんだけど。

 だが、その情報を莉瑤中級妃に伝えても意味がないだろう。

 だから私は話を進めるために、呪文を解読するための情報を口にする。

「あの呪文の謎を解くには、この国の歴史、丑が滅ぼした国の名を当てはめればいいのです」

『丑に滅ぼされた国というと、寅、卯、辰、巳、午、戌の六つね』

「そうです。それを先程の呪文に当てはめると、こうなります」

 

 (しん)(しん)(とう)(ねむ)れ、辰辰永眠れ。(とうら)(わら)う、その(さま)()

 

「つまり、寅の血筋に連なる梓潮下級妃は、あの日金木宮に泊まっている辰の一族の血を引いている相手を呪い殺そうとされたのです」

『ま、待って頂戴な! 辰の血を引いている? 私は辰ではなく、巳の血を引いているのよ。見た目は似ているかもしれないけど、(りゅう)(へび)では全く別物だわ!』

 莉瑤中級妃の袂の内側にある青色の刺繍を見ながら、私は小さくうなずいた。

「おっしゃる通りです。だから梓潮下級妃は、間違ってしまったのです。呪い方と呪う方法を誤った結果、間違って莉瑤中級妃を殺してしまった」

『そんな! それじゃあ、何? 私は、本来別の誰かを呪い殺そうとした結果、人違いで殺されたっていうの?』

「そうです」

『誰なのよ!』

 怒髪天を衝くような勢いで、莉瑤中級妃が犬歯をむき出しにしながら口を開く。

『私は、一体どこのどいつの代わりに殺されたっていうの? 私が死んだのは、完全なとばっちりじゃない!』

 彼女の怒りは、わからなくはない。

 ある意味、呪いの身代わりになったような格好なのだから。

 しかしその一方で、同情できない所もある。

「梓潮下級妃は、間違っていたとはいえ、呪具に呪いたい場所を書いていました。それは新しく建ったばかりの金木宮で、元々そちらにお泊りになる予定だったのは――」

『辰の血筋に連なる、黒玉妃様……』

 呆然とそう言った莉瑤中級妃に向かい、私は口を開く。

「黒玉妃様は、気まぐれなお方です。金木宮にお泊りになるとおっしゃられていたのに、急に泊まるのをおやめになられました」

『そして、それを聞き付けた私が昨晩強引に金木宮に泊まり、呪い殺されましたのね』

 そう言って莉瑤中級妃は、自嘲気味に笑う。

『一晩だけでも上級妃の気分を味わいたいと思い、しゃしゃり出てしまったのが運の尽きだった、というわけですわね』

「もちろん今回の事件の発端は、そもそも黒玉妃様を呪い殺そうとした梓潮下級妃が――」

『いいのです。身の程をわきまえなかったばちが当たった、と思うしかありませんわ。私が死んだ事実を変えることは出来ませんし、何より、恨むべき梓潮下級妃がもうどこにもいないのに、この場に留まる必要もありません』

 そう言って彼女は寂しそうに笑うと、ふっ、と姿を消した。

 幽霊がこの世からあの世へ消えてしまうのなんて、あっという間だ。

 何かの未練が残っていたとしても、霊自身が、もうこのぐらいでいいか、と思えばすぐに消えてしまう。

 逆にあの世へ向かうのにしち面倒な手順が必要なのであれば、この世は今頃幽霊だらけになっていて、私は歩くことすらままならない有様となっているだろう。

 ……何はともあれ、ひとまず一件落着、かな。

 そう思い、溜息を零した所で査燕が口を開いた。

「終わったみたいだな」

「ええ、なんとか。査燕様も、お付き合いありがとうございます」

「何。私の方は、君に仕事を手伝ってもらった側だからな。死者との対話ぐらい喜んで同席させてもらおう」

「……でも査燕様、幽霊見れないじゃないですか」

「だが、私がいることでこれ以上君に変な噂が増えることはあるまい。少なくとも今回の件で、一人で宙を見上げてぶつぶつ喋っていた、と言われることはなかろう」

「まぁ、それについてはもはや何をやっても今更、という感じではありますが」

 そう言うと査燕は、肩をすくめた。

「莉瑤中級妃は聞かなかったみたいだな? 梓潮下級妃が黒玉妃様を呪い殺そうとした動機を」

「ええ。自分が強引に金木宮に泊まったことで、結果として黒玉妃様の身代わりとなって死んでしまった。それで、ひとまずご納得頂けたようです。恨み言を言いたい梓潮下級妃も、この世にもあの世にもいらっしゃいませんし」

「……そうだな。今更、国が滅ぼされた大昔のことがきっかけで殺されたんだと言われた所で、どうにもならんしな」

 やるせなさそうに首を振る査燕に向かって、私は問いかけた。

「査燕様は、梓潮下級妃が黒玉妃様を呪い殺そうとしたのは、やはり過去の三カ国同盟が原因だとお思いなのですか?」

「寅と卯、そして辰が同盟を結び、そして辰が裏切って三カ国とも丑に滅ぼされた。寅の血を引いている梓潮下級妃が、辰を憎むように育てられていたのであれば、そういうこともあるだろう。過去に何かが変われば、上級妃になっていたのは自分だったはずなのに、という思いもあったのかもしれない。まぁ、どれだけ考えた所で、推測の域を出んよ」

「そうですね。死人に口無しではないですが、霊としてもこの場にいない以上、梓潮下級妃が何を考えていたのかは誰にもわかりませんから」

「そうだな。私としては、一つ厄介事が片付いて嬉しい限りだ。というわけで、次の仕事に早速取り掛かるぞ、玲冥」

 その言葉に、私はぎょっとした。

「な、何を言っているんですか? 査燕様。事件は解決したんですから、私はもうお役御免なのでは?」

「何を言っている。その後片付けがあるだろうが」

「後片付け?」

「そうだ。莉瑤中級妃と梓潮下級妃の死体を弔ってやらねばならんだろう。寅の作法の心得はあるのだが、生憎巳については疎くてな。呪術に詳しいのであれば、そういうことも知っているんだろう?」

 そう言われて、私はきょとんとしてしまう。

「お言葉ですが、査燕様。お忘れですか? 莉瑤中級妃も梓潮下級妃も、もう霊はこの世に留まっていないのですよ」

「心配しなくとも、覚えているよ」

「では、もういない霊を鎮めるための墓を、査燕様はお建てになろうと考えておられるのですか?」

「……なるほど。霊が見える君には、弔いを死者のために行う、という考え方になるわけか」

「では、査燕様はどの様にお考えで?」

「人だよ、もちろん。この後宮に生きている人のためだ」

 査燕ははっきりと、そう言い切った。

「たとえ皇帝陛下が中級妃や下級妃に振り向かなくとも、どれだけ数が増え、実態が把握できなくなろうとも、私の仕事はこの後宮の管理だ。ここでの生活は、常に誰かと誰かがつながることで行われている。そんな中、突然その誰かがいなくなってみろ。突然つながりを断たれたら、皆困惑してしまうだろ? だからその、断たれた余白を一時的に埋め、次の新しいつながりを作るために、墓を建てるんだ」

「それが、誰かを呪い殺そうとした人物であっても、ですか?」

「そうだ。どんな人間でも、二面性というものはあるからな。呪い殺したくなるほど憎い相手にも親しい人もいれば、聖人君子を嫌う人だっている。ここで生きている人々の生活を守る義務が、私にはあるのだよ」

「生きている人、というのであれば、私もそれに含まれますか?」

 そう言った私を見て、彼は鼻で笑った。

「当たり前だ。もっとも、問題を起こさない人物に限られるがな。私の仕事を増やす相手は、私の敵だ」

「それだと、査燕様の上司の俊軒様が一番の敵なような気がするのですが」

「……よせ。私のやる気が削がれる」

 眉をひそめた査燕を見て、私は笑った。

 厄介事を嫌う宦官は、どうやら自分から色んなものを背負いにいってしまうらしい。

 ……そんなに仕事が嫌なら、お墓だって適当に建ててしまえばいいのに。

 それに事件は解決したのだから、わざわざ莉瑤中級妃を送る場についてくる必要もなかった。

 先程自分でも言っていたが、やはり私を気遣ってくれたのだろう。

「仕方がありませんね。では、もう少しだけお手伝いをさせて頂きます」

「頼む。では、向かうとするか」

 歩き出した査燕の背中を追って、私も歩き出した。

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