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真球理説  作者: root
第一章 原罪
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第一章 1話 <廃壁街>

―――吸血鬼の眷属によりミグマが滅ぼされてから2週間が経ち、各国が結成した合同調査隊によって吸血鬼の新たなテリトリーへの調査が行われてからは3日目。帝国内は未だに吸血鬼に関する話題で持ちきりだ。


しかし、ここ旧国ではそのような一過性の話題に構うような人間は少ない。世界の危機が何だのと言っているのは一日を生き残るのに何の労力も必要としていない幸せな境遇に身を置く者だけで、旧国では一日を生き残る為に必死な人間の方が遥かに多い。


それはここ廃壁街でも例外では無かった。


かつては迫る外敵と外に跋扈する異形の民を阻んでいた堅牢な壁は崩れ、街の中央にあった巨大な監視塔として役割を果たしていた巨大な建造物は異形化した廃壁街の民がその中を徘徊しており、時折そこから現れる異形によって度々人の居住区は襲撃を受けていた。


「―――急げ!!捕まった奴には構うな、どうせ助けられない!」


「あの翼を持った異形からどうやって逃げるつもり!?」


「協会に連絡はしたから、あとは救助が来てくれるまでの辛抱だ...!」


「でも、警備の奴等も統治者お抱えの護衛も殺されたのよ。今更協会から派遣された奴らにこれをどうにか出来るの!?」


「落ち着け!今はとにかく少しでも多く生き残る為にやれることをするんだ!」


ヒステリック気味に叫ぶ幼馴染を諭し、そのパニックが他に伝染しないように努める。それが出来るのは焦ってはいながらも冷静な判断を下せるだけの余裕を持った自分の役目だと自分自身に言い聞かせ、泣き出したくなる気持ちを抑えて走る。


誰も彼もが突然のことでパニック状態に陥っているなかで自分までそれに飲み込まれてしまったらここに居る全員が死んでしまう。

それだけはダメだ、それでは足手纏いになってしまうからとあの異形の群れの足止めをして死んでいった人達と、死ぬのが分かっていながら子供と妊婦を逃がした警備の人があまりに報われない。


果物屋の斎藤さん、古着屋の佐々木さん、街一番の長寿である荒木の爺さんに廃壁街の警備員リサさん。他にも僕達を逃す為に命を投じていった人たちがたくさん居た。中には生まれてくる我が子の顔を見ずして死んでいった男が居た。


『妻を―――、子供を頼む』


頼まれた...頼まれてしまったのだ。

誰よりも生き残りたかったであろう父になったばかりの男が、妻を守り、生まれてくる我が子を死なせない為に震える手で近くに落ちていた鉄パイプ一本で異形に立ち向かった。

―――あの勇敢な行動を、無かったことにしてはいけない。


「―――逃げて、上から来る!!」


誰かがそう後方で叫んだ。その声が聞こえてきた刹那、風を切る羽音と獣に似た唸り声が空から迫る。


しまった、と後悔する間もなくその翼を持った異形が列の中央、周りを小さな子供と一人の成人男性に守られた身重の女性に迫る。

ここからでは間に合わない、―――助けられない。


「お、――――おぉぉぉぉ!!」


だが、その狂爪が唯一の妊婦の女性を切り割く間際、大きな叫び声を上げながら間に割って入った男が翼を持った異形に体当たりをしたことで最悪の事態を間一髪のところで防いだ。だが、身重の女に変わりその爪を受けた男は胸に深々と大きな傷を負い、血をボタボタと流しながら地面に倒れ込む。


弾かれた異形が列の中に割って入り、一度の威嚇だけで折角少なくない犠牲を出して整えた陣形を乱していく。


「くそ!!戦える者は足止めを!!子供を優先して前に行かせて―――」


青年の号令が飛ぶよりも早く、その翼を横に凪いだ異形によって突風と鋼鉄如き羽が周囲に放たれ、一瞬の内に後方から走ってきて翼の異形を取り囲んだ大人たちと近くに居た数人の子供達を吹き飛ばし、鋼鉄の羽で串刺しにした。


それは近くに居た妊婦も例外ではなく、その羽が彼女の命を奪うかと思われたが、一度は身を挺して異形の爪を防ぎ、もう動くことが出来ないと思われた男性がその体で女性に覆いかぶさり、放たれた羽を全てその屈強な背中で受け止めた。


―――助からない。一度目でも十分致命傷だったというのに二度も異形の攻撃を受け、それもあの数の羽を受けてはあの男性を救う事はもう医者が居たとしても―――。


「構うな、リラ!!お前はお前にやれることをしろ!!」


その雑念を払ったのは他の誰でもない、異形により二度の攻撃を受けて血は吐く男、この廃壁街を治める統治者が連れてきた護衛の一人だった。

廃壁街の統治者は治安の悪い旧国において数少ない善政を敷く権力者。かつては帝国に身を置き、権力争いを繰り広げていた貴族の一人。


彼は権力争いに負け、財産と共に人権までも失い、多くの従者に支えられながらここに流れ着いた。そこで廃壁街の住人に施しを受け、一命を取り留めた彼はその恩を返す為に旧国について学び、いずれここがどこかの統治者に目を付けられ、搾取される前に自身が統治者として名乗りを上げて支配することで事前にその危機を回避した。


支配と言ってもそれは名ばかりのもので、彼は市政には最低限しか関わらずこの街が在りのままの姿であるよう努め、街の中央にある異形の溜まり場を電気柵で覆い、定期的に協会へ監視塔の周囲の異形の駆除を依頼することで、平和を維持していた。


そんな街の治安維持、時には街の周囲を徘徊する異形を討伐する彼が長い時を抱えて用意した傭兵集団の一人がこの男だ。


「俺がお前達に付いてきたのは隊長にお前達市民の護衛の任を任されたからだ!!本来なら、俺もあそこであの勇敢な男や隊長たちと共に死んでいた!!」


何も託されたのはお前一人では無いと、そう言って男はそのボロボロの体で立ち上がり、剣を構えた。


「くそ...陣形を立て直すのに時間が居る!」


先頭には当たりの地形に詳しい自分と後方の様子を随時伝えてくれる幼馴染を置き、一番後ろには殿を買って出た同じくらいの歳の子供を置き、最も優先して守る人間を中央に置いた。


そうしたのは今まで空を飛んでいたこの異形が何もしてこなかったからだ。城から現れた異形を率いてきた将らしきあの翼を持った異形、あれはただ逃げる自分達の上空を旋回して地上を走る異形を誘導していただけで、あれが直接こちらを狙ってきたことは無かった。


故にあの異形は獲物の群れを逃がさない目の役割を持ったものだと考えていた。

直接自分の手を下さない、異形になる前はどこかの街の統治者だった人間がベースになった狡猾で臆病なタイプの異形だと。


そうであればあれが将として城の異形達を引き連れて現れた理由も、空を旋回するだけで直接襲ってこなかったことも頷けたし、それなら空を飛ぶ異形は大して気にする必要も無いと思っていた、いや―――思わされてしまったのだ。


「ちょっと、どうすんのよ!!」


「どうしようもない!!だからやることは変わらない!!」


ここでの最適解はあの異形のターゲットとなっている人間を犠牲にして逃げ出すことだけだ。

基本的に知性を持たず、誰彼構わず生きている人間を襲う異形がどうして一人の人間だけを狙うのかは分からない。

それに奇襲を仕掛けてきたタイミングもタイミングだ。まるで自分が思考に容量を割いて、僅かな緩みと隙が生まれる瞬間を待っていたような―――。


「まさか...。いや、絶対そうだ」


―――あの異形には知性がある。

今まで空を旋回するだけで何もしてこなかったのも、この集団を率いている人間を見つけ出し、じりじりと追い詰めることで余裕を奪い、僕が隙を見せるのを窺っていたからで...。


「駄目だ!!そいつに真っ向から挑んじゃ―――」


能ある鷹は爪を隠す、その言葉の通りあの異形が知性だけでなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()


そう思考が及んだ瞬間に、立ち上がった男の胴から上が僅かに()()()

鋭利な刃物、それも並みの刀程度では比べ物にならない鋭さをもった何かに切り割かれた男の体は一秒後には上半身と下半身が鋭い羽根の刃によって切り離される。


「強さも頭の出来も他の異形とは比べ物にならない。これが統率型の異形...」


知性を持たず、本能のまま動く異形を束ねる将と呼ばれる存在。

世界を経ることに進化を重ねるのは人間やエンプティーだけではない。空想の怪物エンプティーの一部を人間に埋め込むことで生まれる異形もまた、世界が繰り返される度に進化を遂げていった。


その中でも将と言われる存在はここ最近新たに発見されたもの、その生態も謎が多く、発見例も極めて少ない。知性を持った異形の発生の要因は吸血鬼の進化の産物、しかしまるで軍隊の如く異形を束ねる将の発生要因は解明されていない。


何もかも未知数の怪物だ。 


だったら、尚更相手なんてしてられなかった。地上の異形から逃げるだけでも精一杯なのに、知性を持った空を飛ぶ異形から逃げるなんて不可能だ。しつこく付きまとい、地上の異形を振り切っても、あれが付いてきて一度叫ぶだけで折角振り切った地上の異形に居場所を知られてしまう。


知性が無いのならどこかで簡単な罠に嵌めてやろうとしたが、知性があり、尚且つ狡猾なあれを相手に生半可な罠は意味を持たなくなってしまった。


だったら、あの翼を持った異形の狙いである妊婦をここに置いて逃げるのがここでの最適解だ。

あの人を見捨てて僕等だけで逃げれば、一直線の近道を避けて建物と建物の間を縫うように回り道をする必要も無い。


そうすれば生き残る確率も、生き残る人間の数も飛躍的に上がる。走って逃げないのも、あの女性を気遣ってのもので、辺りの地形に詳しい自分が居なければとっくにこの集団は異形の群れに食い散らかされていたことだろう。


そう、仕方の無い事だ。それで僕も幼馴染も絶対に助かるし、大勢の人間が助かる。

たった一人、そう―――たった一人犠牲にすればいい。それで全員とまではいかなくても七割近くが生き延びることが出来る。


考える必要も無い、極めて単純な―――。


「あ...」


隣で不安そうにしている幼馴染の顔を見た、―――見てしまった。


小さい頃から廃壁街で一緒に遊んでいた唯一の親友、お互い親を異形に殺された孤児で、よく働く場所が一緒で、同じような年頃で働いている僕と彼女しか居なかったから、勤め先の店主は仲良くするようにと、よく一緒の仕事場を用意してくれていた。


子供でも運べるには運べるけが、子供には少しだけ思い荷物を運んだり、良い果物と悪い果物の選別をしたり、一緒に売り子をしたり。最初は話すことも最低限で、歳が近いと言っても他人同士だった僕等、仲良くなったきっかけはほんの些細なことだ。


歳が近いからでもなく、同じ場所で働いているからでもなく、どっちも孤児だったからでもない。

週に一回の休みの日。廃壁街の外にある小さな庭園、誰が手入れしている訳でも無い花畑で偶然彼女と会ったのだ。今まで何度か来たことがあるが、ここに誰かが居たことは無かったけれど、その日は休みの日も、その日の気分も彼女と一緒のだっただろう。


時折一人になりたくなる、名前も知らないあの不思議な感情。それが今も何なのかは知らないが、きっと僕は知らず知らずのうちに惹かれていたのかもしれない。


そこは秘密の花園、花の妖精が住まう神秘が宿る秘境。

その妖精は人間が大好きらしく、昔は花畑に向かうと言って姿を消す子供が後を絶たず、当時の大人たちは大昔の童話になぞらえてそこをハーメルンの花園と呼び、新しく生まれてきた子供達に秘密の花園を見つけても決して中に入ってはいけないと厳しく言いつけたという。


実際に妖精の姿を見た人間は居ないが、時折聞こえてくる笛のような音が子供達を誘っていたという。そして、妖精の姿を見たことのある人間が居ないのは、妖精を見てしまったら食べられてしまうかららしい。


だから、そこは一人だけになれる唯一の場所だった。中で異形が沸くことも、外から異形が入ってくることもないから好きなだけそこで遊んで、好きなだけ歌って、好きなだけそこで微睡んだ。


眠くなると聞こえてくる歌声のような音、それは怖いものなんかじゃなく優しいものだった。親が子に聞かせる子守歌のような、そんな優しくて悲しい歌声。夕方になり、太陽が沈みそうになるとその歌声の主は僕のほっぺたをつついて帰る時間だよ、と教えてくれる。


けれど、その日僕を起こしたのは妖精ではなく、同じ年頃の小さな女の子。


『ねぇ、ここで何してるの?』


不思議そうな顔で訪ねてきた顔を今でも覚えている。忘れることのない、遠い昔の記憶。思い出すだけで柔らかな花の香りのする、そんな暖かな記憶だ。


―――あぁ、そうか。我ながら何とも馬鹿なことをしたものだ、あれだけ自分の中で仕方の無いことだと言っておきながら最後の最後になって諦めがつかなかったらしい。


気づいた時には体が勝手に動いており、今度こそその命をお腹の子供と共に散らそうとしていた女性の前に飛び出していた。目の前の怪物は人を殺すことに躊躇わない化け物だ、二度も女を殺すのを邪魔をされて気が立っているのか、目を赤く充血させ、嘴からは唾液をだらだらとこぼして、折角の知性を微塵も感じさせない獰猛な顔でその鋼鉄の如き硬さと鋭さを持つ羽を振り下ろす。


「―――リラ!!」


今まで聞いたことも無い幼馴染の絶叫が鼓膜を打ち、終わりが来ることを察知して瞳を閉じる。


幾ら託されたといっても、他人は他人。そこにある命が一つでも二つでも、見捨てればそれで助かる命の数の方が上回る以上、冷酷であるべきだった。


『でも、良いじゃないか。君は君らしく(僕は僕らしく)あり続けた。命に価値を付けず、守れるもの全てに手を伸ばす。人として誇るべきことだ』


小さな僕と大きな僕。ハーメルンの花畑の中央にある、ツタが覆い、生い茂る草花が覆う石製の屋根と、木製の古びたベンチ。そこに座るふたりの僕。


「そう...かな。この選択は人として正しくはあっても、大勢の人間を助けるには間違っていた。きっと僕が死んでしまったら、誰も助からない。ここに来ればあの異形達も立ち入れないと思って、昔の記憶を頼りに放棄された住宅街を抜けて、ようやくってところまで来たんだ。けど、道を知らない人間にとってここは迷路だ。大人から目を盗むために僕は知っていただけで、この道はあいつも知らない」


『そうだったんだ。でも、ここに来ても無駄だったと思うよ。誰もが簡単に入れるような場所じゃない。同じ道を通っても、花畑に入るには色々と条件があるんだ』


「はは、じゃあ結局無駄だったてことだな。―――あんなに足掻いても、多くの人を見殺しにしても...助からなかった訳だ」


だとしたら、この選択すらも初めから間違っていたのだろうか。間違った選択の上にあった選択もまた、どれも間違いに違いないのだから。


『―――いいや、君の選択は間違って何て居なかった。たとえここに全員を連れて来れずとも、逃げることに意味があり、ここまで逃げてきたことは知らなかったとしても選択としては正しいものだった』


そう言って幼い子供は立ち上がり、花畑の向こう側に向かい歩いていく。その少年は最後に振り返り、勇敢な一人の青年に向かって言った。


『今、君があの女性を助ける為に翼を持った異形の前に飛び出したこともまた―――正しく、尊ぶべきものだ。おかげで、君達は助かった。いいかい、リラ。一瞬一瞬の積み重ね、それが君達を救うんだ。どうか、今度こそ忘れないようにね』


少年が指さした先、そちらの方を見ると出口があった。終わりの無いように続いていた広大な花畑、そこに突然現れた小さな鉄製の門。それはここ(記憶)から出る出口であり、走馬灯の終わりを表すかのように鉄の擦れる音ともに門を開けた。


「待って、君は一体―――」


何者なんだと、それを問う為に振り返るとそこには少年の姿は無く、その代わりに子供くらいのヒマワリが辺り一面に咲き誇っていた。

目の前を覆う花の吹雪が視界を覆い、記憶の花園から現実へ引き戻されていく。最後に鉄の門が再び閉まる音が聞こえると、走馬灯から転じ、絶体絶命の現実が眼前に広がる。


避けられない終わり、どうしようもない死が目前に迫り、


「よくやった、リラ」


―――それがたった一人の男の手によって遠ざけられた。


その男は高さ十メートル以上もある屋上から飛び降り、青年とその後ろに庇われた女が異形によって切り割かれるよりも早く、異形が振り上げた翼を愛用の手斧で軽々と切り落とし、高さ十メートルの建物化tら落ちてきたことで体中を駆け巡る衝撃をものともせず、着地した瞬間に懐から取り出した針で異形の首、心臓、両足の腿を貫き、生物としての弱点と動くための足を封じる。


しかし、元は人間とは言え異形の体の半分は空想に侵された人ならざる身、致命傷を受けたとしてもすぐに死ぬことは無い。ある文献では頭を切り落とされた異形が三週間以上動いたとされる記述もあり、生命としての歪さ、疑似的な不死身性は折り紙付きだ。


故に、男の追撃は念入りに行われた。両足を太い針で貫かれ、異形が体制を崩し、前に倒れてきたところを異形の左目に自身の右腕を突き刺し、その中身をぐちゃぐちゃにかき混ぜ、悲鳴をあげるようとしたところで嘴を膝で蹴り上げ、無理やり黙らせると左目の中身をかき混ぜた右腕を引き抜き、異形から距離を取る。


柔らかな瞼が人の腕サイズにむりやりこじ開けられ、その中身はかき混ぜられて目として機能することはおろか、その壮絶な痛みで欠片のような知性も約に立たない。生物として歪であっても痛みは人間の時と変わらない、化け物なら化け物らしく痛みも捨て去るべきだろうに。


「生きていたとしても痛みでまともに動けないだろう。そのままにしておけ、後で協会に検体として送ることになっている」


「わ、分かりました。ありがとうございます、おかげで助かりました。柊さん」


あれほどまでに自分達を追い詰めた異形を30秒ほどで倒し、この窮地を救った男の名は柊。

異形殺しの柊とまで言われるほど、これまで多くの異形を葬って来た旧国でも指折りの実力者だ。何でも帝国で大犯罪を犯して、命からがら旧国まで逃げ延びてきたらしく、15という年齢で旧国最大の勢力である協会と雇用契約を結び、それ以来異形と戦っている姿が各地で目撃されている。


時には依頼の為に帝国領土まで赴くことがあるほどの実力を持ち、協会からの信頼も厚い。

定期的に廃壁街にある監視塔周辺を徘徊する異形の駆除も行っており、廃壁街に住む人間の殆どが彼のことを知っている。


「いや、どうやら間に合わなかったようだ。すまない」


柊が辿りついた時、その場には胴体を切り離され絶命している男と、体の至る箇所に白い羽が突き刺さり苦悶の表情を浮かべる多くの人間が居た。最悪の事態ではなくとも、あと少し到着が遅れていたら全滅すらあり得たかもしれない状況だ。


「で、でもどうして柊さんがここに?まだ定期駆除の時期でもないのに...」


「お前の救援要請とは別に協会から依頼を受けていた。内容は廃壁街の周辺にある伝説や言い伝えの調査だ。その一つとしてこの近くに花の妖精が住む花畑があると聞き、そこの調査中に協会から連絡がきた」


「なるほど、近くに居たは居たんですね。すみません、重ね重ねありがとうございます。もし柊さんが来てくれなかったら僕等はきっとここで全滅していました」


リラが安全な避難場所と期待しハーメルンの花畑に向かい、丁度そのハーメルンの花畑の付近に柊が居た。偶然の巡り合わせにより、窮地を脱したのだ。先程の走馬灯で聞いた言葉はこれを意味していたのだろうか。

だとしたら()()()()とは―――。


「いや、そんなことよりも!!異形が他にも大勢僕等を追ってきています、個としての強さはその異形とは比べ物になりませんが、数がとても多くて幾ら柊さんでもちゃんとした装備が無ければ危険です」


今の柊は最低限の武装、彼が日ごろから愛用している手斧や服に忍ばせている小道具はあれどもその程度では数で攻めてくる異形の群れに対しては無力に見える。

正確な数は分からないが30以上は超えている異形の群れを相手に定期駆除で着ていた服も無しでは、一度食らったら致命傷になりかねない異形の攻撃を防ぐことも出来ないだろう。


「数は」


「30以上、下手をしたら50を超えてます」


「ギリギリだな、お前たちは怪我人の治療を。万が一に備えて動ける人間で警戒をしておけ、正面からの異形は俺が何とかするが知性体が潜伏していた場合厄介だ。梟が到着すれば高所からの警戒も出来る、それまで耐えれるな」


「警戒自体は今いる人で出来なくはないですけど、相手は異形の群れ。それも30体は居るんですよ!?それを柊さん一人で―――」


「―――できますよ。むしろ加勢しようって思っているなら無駄です、貴方とそのお仲間が居ても邪魔になるだけでしょうから」


リラの質問に答えたのは柊本人ではなく、いつの間にか倒れている怪我人をしているラフな格好の青年だった。その口ぶりからするに彼は柊の仲間ということになるのだが、リラが知っている梟と名乗る男はもっと歳を取っていて、猫背が特徴のくたびれた服に身を包んでいた筈だ。


「貴方は?」


「協会から派遣された臨時の医者です。今回柊さんが受ける依頼は極めて危険なものになると想定されているので、万が一柊さんが怪我を負った場合、その治療を行うようにと協会長から命じられ付き添っています」


その証明として彼が提示したのは協会からの依頼書。それは旧国で最も信頼のある協会の押し印があることからそれが偽造されたものではないことも証明している。


「随分と柊さんの事を知っているんですね」


「えぇ、こうして付き添うのも初めてではありません。実際に柊さんが戦っている姿も間近で見ていますから、貴方よりは彼の事を知っているつもりです。そんな僕から言わせて貰うと、下手な援護はかえって柊さんの行動の選択肢を狭める、貴方もこの方たちの警護に守るのが得策でしょう」


リアと会話していながらも怪我人の治療を行う彼の治療で適切で迅速。人の血にも慣れていて、衣服に血液が付いて汚れるのも構わず、怪我人の治療を行っていた。一瞬、とても柊の事を知っている人間と思い疑ってしまったが、それだけ見れば十分だった。


「協会の方がそう言うのであれば僕も警護の方に回ります。柊さん、くれぐれも気を付けてください」


「えぇ、賢明な判断です。妊婦の女性を抱えながらこの人数の集団を率いて、廃壁街から離れたここまで逃げ切れたのも頷けますね」


―――でも、やっぱり少し不思議な人だ。

最初はとてもキツイ言い方で僕の助力は足手纏いとはっきり告げたかと思えば、次は僕の判断を賢明なものという。もしかしたら、人付き合いというのに無頓着なのだろうか。それが言われた人間によっては嫌われるようなことだとしても、言いたいことをはっきりと言えるタイプの人だ。


「...言っておくが、そいつは人でなしだ。お前が思っている程、出来た人間じゃない」


「え?」


「散々な言われようですね。これが協会長直々の依頼で無ければ今後のお付き合いを考えさせて貰ってますよ」


柊の発現に対し、憤りを見せながらも医者の男はどこか嬉しそうだ。これまで幾つもの戦場を共に渡り歩いたのもやはり嘘では無いのだろう。このやり取りですら柊と医者の関係性の良さが伺える。


「お前は少し思っていることが顔に出やすい。素直なのは良いとこだが、廃壁街の外に出ようと思っているのなら少しは腹芸も覚えておくといい」


そう、まるで親のようにリラに助言をすると柊は聞こえてくる異形の足音に意識を向け、リラたち廃壁街の住人から少し距離を取った場所で陣取り、来る敵に備え始める。


「思ったより時間に余裕があったな。梟、持ち場につけたか」


『えぇ、旦那。ここからなら異形の群れもばっちり目視できやす。先頭集団は比較的足の速いタイプ、そこから300メートル離れたとこには人型タイプでさぁ。最後に一番後ろに見えんのは...ありゃあ何だ?随分とデカい奴が居やす』


放棄されたかつての住宅街、その中でも見通しが良い場所を選び、梟が敵情視察をする。より正確な情報を柊に伝えるのが梟の主な役目、その報告を受けて柊はそれぞれのタイプに合った戦い方を模索する。荷物を置いて、ここまで走って来た柊はリラが懸念していたように大した装備を持っていない。


だが、それでも今あるものと状況を照らし合わせ、的確に事態に対処することが柊には出来る。彼が無理だと判断すれば、殿を柊が務めて逃走を続けただろう。その内、空の目を失った異形が生体を検知できなくなるとこまで逃げれば多少時間が掛かっても安全に事を運べる。


梟から正確な情報を受け取って尚、退かないということは柊には既に異形の群れをここで葬る為の道筋が見えているということだ。


『来やす!!』


特殊な石で加工された連絡用の無線機、体の近くにあればそれだけで機能する特別製の透明な石。そこから聞こえる梟の声を聞いて、柊が手斧を掲げ―――。


「っふ―――」


―――放る。


まだ異形の姿は見えていない、だが()()()()()()()()()()()()()()()。獲物を追っている異形が見せる最高速、四足歩行で迫った一体目の異形がその脳天を斧で割られ、一瞬の内に絶命する。


次いで現れた五体の四足歩行の異形、その狙いが後ろの住人にばらけることなく、柊一人に集中している。知性の無い異形らしい行動はむしろ柊にとっては有難くすらある。下手に異形がばらけるようなことがあれば、その負担を背負わされるのは柊だけでなく、怪我人の警護をしているリラ達もだ。


「借りるぞ」


胴体と下半身が切り離され、絶命した男。圧倒的な戦力差はありながらも最後まで異形に立ち向かった勇敢な護衛の持っていた、最後まで抜かれることのなかった使い古されていながらも、よく手入れの行き届いた一振りの剣。

それが柊の足によって蹴り上げられ、宙に浮かぶ。


眼前まで浮き上がった刀身が柊によって抜かれ、鞘は重力に沿って地面に落下する。だが柊が使う武器は抜き身になった刀身だけではなく、それを納めていた鞘の方も異形を殺す為に用いられる。


迫る五体の異形、通路に転がるの同胞の死体を踏み越えて猪突猛進に突っ込んできた異形の内、前に居た二体の口から上が柊によって振るわれた刀によって切り離され、勢いそのままに柊の横を通りすぎていき、少し行ったところで無くなった頭部があった付近の空を掴む仕草をしたのち、下あごだけでは叫ぶことすら出来ないままに地面に倒れ伏す。


残った三体、先の二体を相手にして僅かな時間が生まれたことで柊の隙をつくように一斉にかぎ爪を煌めかせて飛び込んでくるが、それを柊は住宅の壁を強くけり、飛び込んできた異形の上を取ることで回避する。

攻撃の瞬間、無防備になったその背中に一刀が振るわれ、一体の胴体が切断されると柊はそのまま空中で一回転し、残る二体をまとめて鞘で壁際まで吹き飛ばす。


最初に脇腹を鞘で抉られた異形は全身を襲った痛みの後に立ち上がるも、腹部の左半分が右側まで食い込んでおり、体のバランスを保つことが出来ず再び転倒する。

一体目の異形の体を介して吹き飛ばされたもう一体の異形は比較的軽症で済み、再び柊の居た空中を見るが、そこにはもう人の影は無い。


次いで訪れた衝撃は頭を割るような打撃によるもの、時を同じくして隣に倒れている異形の頭が刀によって地面に縫い付けられ、前方へ視界を向けた最後の四足型の異形が見たのは、その手に血濡れのパイプを持った人間の姿だ。


「慣れない獲物(パイプ)は落ちていたからとはいえ使うもんじゃないな」


放棄された住宅街の風化によって壁から剥がれ落ちたパイプを片手に柊がもう一度それを振り上げる。


「―――だけど、何度か叩けばお前らの頭も潰れるだろ」


打ち付ける度に痙攣する異形の体、飛び散る脳漿と真っ赤な液体が地面を濡らし、近くにあった壁まで飛び散る。叩きつけるパイプが振るわれる度に異形の怪物の頭の形に沿って変形し、軋む音が鳴っても構わず何度も叩きつけると六度目の殴打でパイプの方が限界を迎えてひしゃげるが、その頃には異形の頭も無事ではない。


昔の建造物に用いられる材質のパイプでは今も尚進化を続ける異形の硬質化した体を傷付けるには不向きだ。故に何度も叩きつけなければこうして頭を割ることすら叶わない。


「すごい...。近くに落ちていたパイプで異形を倒すなんて」


「真似はしない方が良いですよ。大昔に放棄された住宅街に用いられている建材は異形に対してあまりに無力だ。この年代のものは下手をすればあなた方人間より脆く、ああして異形を殺すことが出来るのは柊さんの握力が常人の何倍もあるからです」


「せ、正確にはどれくらいですか?」


「そうですねぇ、用意した握力測定機器が軒並み握りつぶされるくらいでしょうか。一応この時代で一般に用いるものを用意したつもりなんですがね」


ともすれば柊の握力はゆうに常人を超え、彼でなくてはあんな芸当は出来ないということ。確かにこれまで異形の駆除を行っていた人間の殆どは帝国から仕入れた武具で戦っていた。その点、柊であれば効率さえ気にしなければ異形を殺すのに得物の質は関係ない。


「...少し時間が掛かったな。梟、様子はどうだ」


『遅れてきた人型の後続があと30秒ほどで到着しやす。仮に手間取るようなことがあれば最後に来る()()の対処が出来やせん。近づいてきたんでようやく全容がつかめましたが、ありゃあ何体も異形を取り込んで肥大化してるからデカくなっている。先に旦那が仕留めた翼を持った異形が目の役割をしてたんならあれは恐らく兵器の役割でさあ。どうしやす、足止め程度なら出来やすが』


「いい。数が多いのは人型なんだろう、それさえ始末すればひと先ず廃壁街の住人の安全は確保できる。お前は引き続き他の知性体が居ないかを入念に監視していろ、仮にはぐれている個体が居るならそいつは知性を持っていることになる」


異形を引き連れる新型の異形、将と呼ばれるその存在はまさしく軍隊のように異形の群れを引き連れ狩りを行う姿が目撃されている。しかし、将が引き連れる異形はどれも知性を持たない異形ばかり、そんな彼等に下せる命令は極めてシンプルで人間のように複数の部隊に分けることは出来ず、引き連れる異形のタイプにより多少の間隔はあるものの、別々のルートで挟み込むなどといった戦術は存在しない。


あくまで群れを引き連れる長としての役目しか果たしていないのだ。


「少し前進する。その分後ろの警戒が疎かになる、仮に知性体が居るならその時を狙う筈だ」


『あいよ。最低限の援護はしやすぜ』


前に歩きながら近づいてくる異形の群れの足音に耳を澄ます。数は10、20、30。

リラから事前に聞いていた通りかなりの数の異形が迫ってきているのは異形の群れが起こす地鳴りに似た揺れと音からして明白。足が速い異形を仕留めるのに鞘は砕け、刃はただの少し頑丈な鉄の棒同然の鈍ら。


手に馴染まない武器を使った弊害だ。加減が分からず、一瞬で使い物にならなくなってしまった。


「36体か。討ち漏らしは出来ない、かといって手間取っていればボス戦に間に合わない。...仕事着くらいは着てくるべきだったか」


そう言いながら懐から小さな何かを取り出し、柊は眼前を見据える。鉄格子の向こう側、最低限人の形は保っていても彼等が異形と呼ばれる所以通り、その姿はとてもでは無いが人のものとは思えない。


人にエンプティーという空想から生まれた怪物の持つ何かを混ぜ合わせた結果生まれる彼等は、その見た目を引き継ぐ傾向にある。不死鳥や三つ足の烏のように大衆に知れ渡っている存在に留まらず、人の空想の産物から形を得たエンプティーは鳥型だけでも数百以上の種が存在する。


その中の殆どが不死鳥や三つ足の烏のように名称を持たない存在だが、空想から生まれ落ちたというだけで脅威の度合いは跳ね上がる。柊が異形を相手してもエンプティーを相手どらないのはその為だ。異形でさえ人の手に余る脅威だというのに、世界の隙間から零れ落ちた彼等エンプティーは人間を滅ぼす災厄そのものだ。


そんなものを狩るのを生業にしている人間が居るとしたら余程の命知らずか、英雄願望を持った死にたがりくらいなもの。

―――これは人間の手にどうにか出来る存在ではない。人生で初めて打ち取った名を持たないエンプティーを相手に死にかけた柊はそれ以降、エンプティーとの正面切っての戦いを避けている。


「やるなら効率的に、死ぬのは御免だからな」


そう言いながら懐から取り出した小さな何か、それについていた栓を引き抜き、柊はそれを間近に迫った異形の群れへ投げ入れる。


必要なのは安全ピンを外す事と衝撃。それだけでこれ(小型爆弾)は効率的に異形を排除する。


―――少し離れたところで爆発音が聞こえ、大気が僅かに揺れる。誰が聞いてもそれはかなりの威力を持った爆弾であることは間違いが無い。それが柊によって起こされたものだということもわざわざ距離を取った事から推察できる。


しかし、その爆音の少し後に響いたのは頭上から鳴り響いた乾いた鉄砲音が聞こえ、爆発した場所と近い場所でとてつもない獣の咆哮を聞く。その何かが暴れ回ることで引き起こされる地響きに、再度起こった爆発音。


柊が離れて三分程した頃だろうか、頭上で聞きなれた方の柊の仲間の声が聞こえた。


「リラの坊ちゃんはいやすか!!」


「はい!!梟さん、柊さんが無事なんでしょうか!!」


「丁度今終わったところでさぁ!!けど、旦那も相当無茶をしてやした!手を貸せるなら行ってくだせぇ!!」


離れるリラに代わり、辺りの警戒は全部自分が引き受けるという梟の声を聞き、リラは急いで柊の下へ向かう。


「柊さ―――」


たどり着いた先で見たのは目を疑うような光景だ。爆発に巻き込まれて四肢を損傷した異形、そのどれもが念入りに頭を潰され、そこから10メートル離れたところで全身血塗れの男が自身の三倍以上もある大型の異形の腹を裂き、そこから取り出した大きな心臓を地面に投げ捨てる。


「ゲテモノはこれだからやり辛い。何度頭を潰しても死なないのは心臓の方にからくりがあったか」


辺りに漂う血の匂い、それに加えて腐った後に異形化したものが居たのだろうか、僅かな腐敗臭も混ざっており、一瞬吐き気が喉元まで来るが、寸でのところでそれを飲み干し、最悪な味のする口を動かしてリラは大型の異形の上に立つ男の名前を呼ぶ。


「帰りましょう、柊さん。廃壁街まで案内します」


大型の異形の死体の上に立ち、こちらを見下ろすその人の目は、とても冷え切っていて。

僕は初めて柊さんの事を怖いと―――そう、感じてしまった。

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