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真球理説  作者: root
序章
6/21

序章 5話<なんてことはない一日>

「―――おや、梟さんではないですか。ようやく仕事もひと段落したんですか?」


ちらほらと雪が降る昼下がりの午後、普段使用していた小屋から旧国ではかなり値段の張る屋敷へと拠点を移した柊家に客人が訪れる。


「サービス残業もいいところでしたがね。まだやることが少し残ってはいやすが取り合えずはひと段落ってとこですぜ」


「それはそれは。すみませんね、僕等の後始末までやらせてしまって。あくまでも梟さんは協会との仲介人でしかないのに」


「ま、柊の旦那とも長いつきあいですからね。これくらいのことは喜んで引き受けやすよ。ですが、こうも広くて綺麗な屋敷だと、その、何というか落ち着きやせんね」


「どちらかと言うと都住まいの梟さんにはこっちの方が慣れているのでは?」


「長らく家には帰ってやせんからねぇ」


彼の名前は梟、それは姓でも無ければ名でも無く、旧国内での呼び名である。


わざわざ厳格な法が敷かれた帝国や周辺諸国から逃げてきた人間の溜まり場であるここ旧国には厳格な法が敷かれる訳が無い。


何故なら旧国とは、帝国内において人間では無いと判断され追われたもの、長い年月迫害を受けてきた人間、停滞を受け入れ堕落したものに与えられた廃退者と呼ばれた人ならざる者が最後にたどり着く場所に廃棄場にして終着点。


かつては帝国の主要都市として機能していたがエンプティ―と呼ばれる空想から現れた化け物との大々的な戦争によって敗北し、人類が手放した広大な土地に人が集まり、そこはやがて終の国、(ふる)びた国と呼ばれるようになり、それが長い年月を経て現在の旧国という名称に変わったと言われている。


そこに居る人間の99%が普通の国に籍を持たない、いわゆるはぐれ者達だ。治安はかなり悪く、盗みや人攫いは勿論のこと、殺人すら当たり前に起こる場所だ。

しかし、旧()である以上そこでは物を買うのに対価はいるし、何でもかんでもしていいという訳でもない。


「旧国の管理は帝国に比べればザルでしょう?ここまでの大事件を引き起こしても貴方の身分がバレることはないんですから」


「あんまり大きな声で言って欲しくはないんですがねぇ」


「それを言ったら僕は旧国でも抹消対象である狂学者ですよ。今更帝国内部、それも王お抱えの街である都に籍を持つ人間が居ても驚かないでしょう。貴方のように身分を隠して旧国に忍び込む人間は他にも居るでしょうし」


あくまでも国としての体裁を保っているつもりなのか、人が集まる場所には統治者がおり、彼等に雇われた警備員が最低限の安全の保障と、形だけの街の巡回などを行っている。統治者の殆どは帝国から追い出された貴族が多く、策略渦巻く帝国とは違い、ここ旧国での活動はさぞやりやすいことだろう。


馬鹿真面目な人間を利用し、頭の悪い人間に金だけ握らせて邪魔な人間を殺させる。何の用心もせずに金を貰いに来たところを信頼できる部下に殺させれば悪事を握りつぶすことは容易だ。旧国で人が消えたところでそれは日常茶飯事、誰も隣人を気に掛けることはない。

それどころか隣人が居なくなったとなれば隣人の家に忍び込み金品を盗む始末。


ここでは権力を持とうと思えば誰でも持つことが出来る。知恵を持つ者、武力だけを頼りにする者、何か一つに長けてさえいればそれだけで統治者になる資格があるのだから。


「協会は何と?」


「仕事が失敗したなら何も言う事はない。仮に成功しており、依頼成功の料金を騙し取っていたとしたらその時は少額の罰金と規約に則った成功報酬の七割を徴収するまで、らしいですぜ」


「うーん、変化なしですね。まぁ、依頼料の七割を常に貰っている訳ですからお金には困っていないでしょうし、僕等がこれまで依頼の偽装や未払いを一度もしていないから寛容なのでしょうか」


旧国での仕事は千差万別、帝国でも無かった職業がここにはあるし、長い時を掛けて人で行うのは非効率と判断されAIなど用いることで消滅した職業もここでは必要なものとして受け入れられる。ここには便利な機会も無ければ、人以上の効率を可能にするAIも存在しない。


何もかもが古びていて、何もかもが進歩しない。何度世界が滅び、再生しようと旧国は生まれるべくして生まれ、長い間停滞し続ける。ここは変わり続ける未来ではなく、変わらない過去を孕んだ国なのだ。


「しかしまぁ、今回は本当に散々でしたね。当たり前と言えば当たり前ですが木城家領土が丸ごと吸血鬼のテリトリーになった以上、木城蕾に財産と呼ばれるものは存在しない。仕事自体は完遂していても、金を払えないとなれば―――まぁ、こうなるのは必然というか何というか」


「―――報告書の件ですかい?」


「えぇ、僕等はともかく木城蕾という人間はあそこで死ぬしか無かった。彼女が帝国で生きている限り、僕等の存在が帝国に知られてしまう可能性は高い。それも吸血鬼が関係した事件ともなれば帝国はどんな手を使ってでも木城蕾の身柄を確保し、如何なる手を持ってしても真実を知ろうとする。生きていては僕等にリスクでしかない上に、本来支払う筈だった成功報酬を支払う方法も無い、僕等としては木城蕾という人間を生かしておく理由が無い」


秘密主義の大帝国、そこには学者ですら知り得ない科学と神秘が存在する。常人ならざる国の守り手、防人と呼ばれる彼等は空想から生じたエンプティ―へのカウンターであり、彼等もまた空想上、人間の想像でしかなかった様々な力を手に入れている。


中でも魔法はまさしく奇跡の具現そのもの、無尽蔵のエネルギーを獲得し、ありとあらゆる事象に干渉することを可能にした。ともすれば魔法を持つ人間の量産と普及を図りそうなものだが、帝国は同時に科学の発展にも力を入れ始めた。


魔法を得た防人は常に限界な管理下に置き、数をむやみやたらに増やすことはしない。時には間引きを行いながら数を一定に保っているという。


「徹底的な秘密主義、科学の進歩も市街と王宮内では雲泥の差の筈です。尋問は尋問足りえず、彼等の技術を持ってすれば記憶の抽出すら可能です。彼女が口を噤んでいたとしてもそんなことをされたら抗いようがないでしょう?」


「まぁ、旦那と学者様が良いってんならあっしが言う事は何もありやせん。あぁ、そういやぁ頼まれたものはこれで良かったんですかい?」


そう言って皮のカバンから新聞紙を取り出した梟がそれを学者の前に差し出す。そこには大きな見出しで【吸血鬼の手によってミグマ壊滅、逃げ出した木城家令嬢の水死体も発見か】と書かれている。


読み進んでいけばそこには木城家領土で突如として吸血鬼の眷属が大量に発生し、それらがミグマに到達したことで街がまるまる一つ滅びたと報じられており、モザイクを掛けられた木城蕾の死体の写真も掲載されていた。


「秘密主義の帝国は吸血鬼の存在を隠しやせんでしたね。読んでいただければ分かりやすが、吸血鬼が現れたことまでちゃんと書いてありやす。こんなことが書かれてるもんだから吸血鬼が活動を開始したってんで都じゃあこの世界もそう長くないんじゃないかっていう話で持ち切りでさぁ」


「まぁ、隠さないでしょうね。吸血鬼の観測を行っているのは何も帝国に限った話ではありません。どの国も吸血鬼の覚醒を感知する(すべ)は持ち合わせていますし、それを隠したところでいずれ外国から情報が(もたら)されることになる。秘密とは当人以外知ることが出来ないからこそ秘密足りえる、外部が知ることの出来るのならばそれは秘密ではなく大した価値を持たないただの情報(もの)ですよ」


吸血鬼の存在は国という小規模の話ではなく、世界を巻き込んだもっと大きなものだ。吸血鬼の一挙手一投足で世界が滅びるか否か決まってしまう以上、どの国も吸血鬼の監視と観測を行うのは常だろう。


「直に吸血鬼の調査をしに各国が動き出すでしょう。あくまで上辺だけの対処、根本的にどうすることも出来ないでしょうが」


「話には聞いていやすが吸血鬼ってのはそんなに強いんですかい?今ある国が動けばどうにかなりそうなもんですが」


「うーん、どうでしょうねぇ。この世界は比較的長続きしていて技術の発展も前回、前々回に比べれば目覚ましい進化を遂げてはいますが、吸血鬼を討つには人の質も人の技術もあと一歩及ばない、良い線は言っているとは思いますよ。十数回前のやる気のない吸血鬼を基準にすればですが」


最初は己の力を誇示するように世界の滅亡を積み重ねてきた吸血鬼も次第に圧倒的な力に人類が太刀打ちはおろか追いすがることすら出来ないと悟り、回を重ねるごとに自身に縛りを重ねながら人類と戦ってきた。


「...吸血鬼は強くなり過ぎた。その結果が孤独と飽きとは―――悲しいものですね」


温くなったコーヒーを飲み干し、テーブルの上に置く。中身を失ったコップが発した音はとても静かで重みの無い空虚な音。


「かつて見せた圧倒的な強さも、生物の頂点に立つその迫力も、世界を赤で照らす高貴さも今の吸血鬼にはない。あれはもう人類に期待していないんですよ」


人類が一歩先へ踏み出す度に吸血鬼は十歩も先を行く。それを何千回と重ねていく内にその隙間はとてつもなく広がり、吸血鬼は徐々に歩くことを辞めた。長い眠りにつくことで進化を遅らせ、時たまに人類がどれほど強くなったか尖兵を放つ。


放った尖兵が人類を滅ぼした頃、誰一人いなくなった惑星を破壊して次の世界を始める。何度も、何度も世界の終わりに立ち会った彼が何を思い、長い眠りに身を投じるのかは誰にも分からないだろう。


「梟さん、貴方は前回の記憶をどれほど覚えていますか?」


「いきなり何ですかい。...そうさなぁ、死んだのが25で、死因は空から降って来た光に貫かれて。確か四人家族で―――」


「あぁ、失礼しました。質問が良くなかったですね、死から遡って何日前までの記憶がありますか?」


「...三日?」


「えぇ、平均的な日数の記憶の持ち越しです。それ以外にも自分がどんな人間だったか、愛していた人間は居たか、どんな思いで生きていたか、それらを断片的に僕等は自分が自分であるという確かな確証を持ったまま次の世界で生まれ変わる。逆に言えば自分が自分であるという記憶以外は不要なものとして切り離されるんです。三日前どんなおかずが食卓に並んだか、三日前とは西暦何年何月何日なのか、そういったのは自己の証明とは何ら関りの無い不要なもの、実際に梟さんは自分が死んだ日にちを覚えていないでしょう?」


「.........」


「分からないでしょう。それが当たり前の反応です。それを覚えているのはよほどその日が特別なものだった人か、宮廷お抱えの予言者、過去を覗く力を持った境界者くらいのものですから。ようは何らかの特別な人間と執着を持つ人間しか持ち越せない情報があるんですよ」


沈黙を解答と受け取った学者の男、実際に梟には自分が死んだ日にちは覚えておらず、それを知ろうとしても答えは出てこない。学者の言葉を借りるのならばその死は特別な日でも何でもなく、自分にとって未練があった訳でもないのだろう。


「では次に、貴方は100回前の世界の自分がどんな人間だったか覚えていますか?」


「...分か、らない?」


「えぇ、それも当然の反応です。ぼんやりと覚えているようなそうでないような、しかし確かにその世界に生きていたという意味の分からない自信がある。正確なことは知らない、けれどこの世界で梟と名乗る自分の前身がそこには居た。これを虚生証明(きょせいしょうめい)と言います」


その生がどんなものだったか詳しくは覚えていない、しかしその世界には確かに人間という種が息づいていて、その集団のいずれかに自分は属していた。中身がなく、虚ろでどこか空しさすら感じるその意味不明な感情と、それに相反するような確かな自信。


そこに自分は生きていた、何も覚えていないというのにそれだけは声を大にして言えてしまう矛盾に与えられた名称が虚生証明。

虚ろな生の証明とは、考えた人間の人間性の無さがが伺える何とも最悪な言葉だ。


「あぁ、この名前にしたのは賢者だった頃の僕です。『虚生証明』。どうです、かっこいいでしょう?」


「...まぁ、えぇ、学者様らしいっちゃあ、らしい言葉だとは思いますぜ」


自慢げに笑みを浮かべる学者を前に本音を言えるわけも無くそれらしい言葉で場を凌ぐ。そういえばそうだった、目の前に居る名を持たない学者はかつて居た13人の賢者の一人、彼がこれまでに残した功績は数えきれない。

世界に恩恵と災いを齎した13の賢者。後に人類最後の魔女狩りと称される大規模な戦いを生き抜いた数少ない賢者の生き残り、それこそが目の前に居る学者の男なのだ。年齢も不明、名前も出自も何もかもを話さないがその知識が彼が賢者であったことを証明している。


「では次に。―――吸血鬼は全部覚えています。僕らにとって前世は3日程度にしか感じませんが、吸血鬼にとっては長い時を生きた苦痛の時間として覚えている。世界の再生が行われる際に人間に施される記憶の補正が彼等エンプティ―には適用されない。故に彼は数百年を退屈に過ごしたという経験を数百年分の記憶として保持しています」


「そいつぁ、なんて言うか」


「―――残酷でしょう?故に吸血鬼はその大半を睡眠に充てているんですよ。退屈な世界が一刻も早く終わるようにと祈りながら、ね」


確かに吸血鬼が退屈しているという話もそのことを聞けば当たり前のことのように受け入れられてしまう。好敵手というものを持たず、触れるだけで壊れてしまうおもちゃに囲まれて数百年を苦痛のままに生きる、まさに生き地獄だ。


「―――じゃあ、そんな吸血鬼が今回目を覚ました原因は何か分かりやしたか?」


そんな退屈で殆どの時間を寝て過ごしていた吸血鬼が現れたのには必ず理由がある筈だった。それがただ現れるなら露知らず、()()()()()ということはそこに彼にとって興味を引く何かがあったということ。


「今のところは何にも。良くて吸血鬼の側近が来るとは思っていたので吸血鬼本人が来ることは想定していませんでした」


予め吸血鬼に関係する何かが来ることは分かっていても吸血鬼本体が出張ってくるのは予想外も良いところだ。吸血鬼にとって新たなテリトリーの獲得など眷属に任せれば事足りる筈だというのに、わざわざ本体が来たのにはそれなりの理由があった筈だ。


「木城百合との契約に何かしらの仕掛けがあったか、あの場に居た誰かを目的にしていたか。どれも限りなく可能性が低くはありますが、そうでもしないと吸血鬼が現れた理由を説明できません。前者であれば人間との契約で本体を動かすなど余程の対価を払わないと出来ない筈です。帝国内で集団失踪があった経歴はありませんでしたし、生贄を貢いでいないのだけは確かです」


であれば吸血鬼を呼ぶに足る貢物とは何か、古来より生贄は最上級の貢物であり、それを超える対価となれば吸血鬼の伝説などで語られる独自の供物などだろうが、あの場にその条件を満たすものがあったとは思えない。


「後者であれば吸血鬼の狙いがあの場に居た誰かということになりますが、吸血鬼が興味を持つような人間はあの場には居ない筈。それに僕等が逃げ切れた時点で僕等の誰かがその対象では無いのは確かで―――」


「どうかしやしたか?」


話の途中で学者がふと何かを考え込む仕草を見せる。自分の言葉に何か引っかかる点があったのかそうでないのかは彼にしか分からないが、考え込む仕草をしてから数秒もかからずに学者は「なるほど」と何か納得した様子を見せた。


「何か分かったんですかい?」


「いえ、あくまでもう一つの仮説が思い浮かんだ程度の事です。ですが、これであれば説明のしようはある。変に考えすぎるから答えから遠ざかる。もっと簡単に考えるべきでした」


そう言うと椅子から立ち上がり、その場から学者が離れてどこかに向かおうとする。その瞬間、立ち上がったはずみで学者の腕が空のコップに当たり、不幸なことにそのまま床に落ちると陶器の割れる音が家の中に鳴り響く。


「「あ」」


2人が同時にやってしまった、という風に声を上げると遠くから走ってくるような音が聞こえ、その足落ちとが勢いよく開かれてメイド服姿の女性が部屋に飛び込んでくる。


「大きな音がしましたが何かありましたか!?」


「あぁ、すみません。コップを落としてしまっただけですので」


「コップも破片が刺さったら危ないんですよ!すぐに片づけますから待っててくださいね」


そう言ってちりとりと箒を取りに向かう女性の元気そうな姿を見て隣に居た梟が微笑む。


「この家に来たときは見てられねぇくらい落ち込んでた()()()()()()()()も元気そうで安心しやしたぜ」


「...ここに木城蕾は居ませんよ。木城家最後の生き残りである木城蕾は今回の事件で気を病んで帝国で死にました。ここに居るあの人は木城蕾に似てるだけの他人だ。ここに居るのは実の妹に虐げられ、家族を奪われ、大切な人を無くしてしまった不幸な令嬢ではなく、至って普通の生活を送る女性。―――アザレアという名前のただの一般人ですから」


―――時は遡ること一週間前、帝国内部へ向かい偽物の遺書と死体を用意した柊一行が帝国からの脱出を図る時の話だ。


「それで、用意する死体は本当に一体だけで良いのかよ」


甘い香りのする煙草を吸いながら学者の男と親し気に話すのは、右目の辺りに大きな傷を持った男。

付近には柊達とその男の護衛としてついてきた人間のみ、一夜にして滅んだ帝国最南端にあった街ミグマ。そこから逃げ延びた人間に用意された仮設避難所からこっそりと抜け出した彼等は当初の予定通り死体の偽装を図っていた。


「えぇ、僕等の死体を偽装したところで本物の従者かそうでないかは簡単にバレてしまうので偽装をするのは意味がありません。王宮が事態を完全に把握できない内に失踪したことにすればまだ僕等の正体が見破られるリスクは幾分か減りますが、木城蕾という存在はだけはここで確実に消しておきたい。吸血鬼の情報はどの国も喉から手が出る程欲しい情報です、そんなものを帝国がみすみす見逃す筈がないでしょう?」


「そうかい。ほらよ、言われたもんだ」


そう言いながら寝静まった夜の街、その郊外にある湖のほとりに青いシートで覆って持ち込んだ()()|を男は荷台から運び込むよう付き人に支持する。

二人係で運んできたその()()を覆うシートを学者の男が剥がすとそこにあったのは木城蕾と瓜二つ、いいやまさしく木城蕾本人と言ってもいい程精巧に作られた死体がそこにはあった。


「身長、年齢、身体的特徴、持っている病気、血液型、スリーサイズ、どれも要望通りに仕上げた。心配ならてめぇで調べろ」


「心配何てそんな、確認するまでもなくこれは木城蕾本人の死体として再現されているでしょう。流石は死体彫刻家、今回も完璧な仕上げです」


ちらりとブルーシートの中を見て、一目で出来の良さを確信する。帝国の技術が如何ほどのものかは分からないが、民間では死体から記憶を抽出することが出来るほどの発展は遂げていない筈だ。


「てめぇが勝手につけた呼び名だろ。それにどちらかと言えばこれは死体の偽造だ。なら死体偽造家が正しい呼び名じゃねぇか?」


「死体偽造家ってなんかダサくありません?死体彫刻家の方がなんかこう透き通って聞こえるというか、それっぽくも聞こえるというか」


「ハッ、相変わらずイカれてんな。まぁいいぜ、今回の仕事で金は十分すぎる程貰ったしな。にしても何があったんだ、お前が連絡してくる時は大体面倒事を持ち込んでくるが今回はそんなちんけなもんじゃねぇ。―――聞いたぜ、混在の街が壊滅したって」


混在の街、人呼んでミグマの壊滅は一時間前にこの街に逃げてきたミグマの生き残りから知らされた。不思議なことにミグマにある警備庁舎からの報告も無く、それどころかミグマの住人からも今吸血鬼の眷属によって襲われていることが電話などで知らされることは無かった。


何でも吸血鬼の眷属が来る十数分前から街の電子機器が不調をきたし、電話や外部への連絡する手段のことごとくが行えなかったという。電話をかけても街の中以外の人間には繋がらず、電子機器が使用できない時に用いる神秘の技術の応用、ありとあらゆるジャミングを突破して連絡することが可能な緊急外線のある庁舎に向かった人間は帰ってこない。


「ミグマは最下級の人間が住む街、他の都市に比べて神秘も技術も百年以上遅れている街の連絡網を潰すことくらい訳はありませんでした。我らが王にとってあの街(ミグマ)がどうなろうと構わないのでしょうね」


「まぁ、あそこは()()()が集められた街だ。都からの交通は勿論なし、防人の派遣も無いし物流と言えるものもねぇ。全てをあの街で完結させてんだ。そうまでしてでも他の都市と関わらせたく無かったんだろうな」


咥えた煙草をふかしながら淡々と事実を受け止め、そのうえで驚きもしない傷の男。

学者の知り合いということは恐らく裏側の人間であり、死体の偽造を行うような人間だ。まともな倫理観を持ち合わせていないのだろう。


「私達があの街を滅ぼしたことを聞いて驚かないんですね」


「―――イカれてるってか?そのことに反論はしねぇが、これは()()()()()だぜ。木城家のお嬢様には分かんねぇだろうがな、あの街は元々無いようなもんだ。体裁上仕方なく街と呼んじゃあいるが、あそこは()()()()()()()()()()()()()()


「―――え?」


一瞬、目の前の男が何を言っているか理解できなかった。


それもそうだろう、そのような話貴族の生まれであり、そこそこの地位を築いていた自分はおろか他の貴族からも聞いたことはない。人でなしが集まる社交界、その中で一度も話を聞かないというのはおかしい。


人の死を楽しむ彼等がそのような娯楽に興味を持たない筈が無いのだから。


「言っただろ。文字通りあの街は無いようなもんなんだよ。そこで誰が死のうと、街が滅びようと関係ねぇ。知っても意味のねぇことを教える物好きはそこの狂人くらいで、他の人間は話題に出す事すらしねぇよ」


「数少ない友人にこの人は何て言い草でしょうか」


「ハッ。てめぇと友人?冗談で言ってるつもりでも、さぶいぼが立つわ」


と、軽口を交わしあう二人を横目に確認を求めるように木城蕾は梟と柊にも視線を向ける。柊は知らんと言うように興味なさげに話を聞いていたが、梟は「本当の事ですぜ」と傷の男の言っていることが真実であることを木城蕾に告げる。


「どのみちあの街の人間は死ぬことが決まっていた。疫病か災害か、はたまたお国の実験か。どちらにせよ、あと数年の命だったんだよ。それが早まったところで王様は興味ねぇだろうさ―――笑えるだろ?」


「...笑え、ないです」


「――――――。そうか、その感性を大事にするこったな」


木城蕾の反応に少し驚いたような顔をしたのち、傷の男は周囲に配置していた護衛に声をかけはじめ帰りの準備を始める。


「今回の件は大々的に報じられるだろうが、特段調べられることはねぇだろうな。世間はミグマの壊滅より吸血鬼の方に興味を持つ、じきに周辺諸国から調査隊が派遣されるだろうな。あんまり帝国に長居することはおすすめしねぇぜ」


「元から長く留まろうとは思っていませんよ」


「おめぇに言ってんじゃねぇよ。木城の娘の方だ」


「私ですか?」


「そうだ。あんたが慣れ親しんだ帝国は今日限りでお別れだ、きっともう帝国に来ることは出来ない。そうなればあんたはもう友人に会う事も手紙を送ることすら出来なくなる」


そうは言うが木城蕾に友人と呼べるものはもう居ない。妹の策略によって社交界から実質的な追放をされた時に繋がりがあった人間とは関係を断たれた。今まで木城家の跡継ぎとして接してきた人間は皆、いざ私が跡取りでは無くなるとすぐに妹の方へついた。


上辺だけの付き合い、木城家の跡取りという肩書にしか興味の無い連中には初めから情らしい情は抱いては抱いてなかった。ただ、少しだけ心の奥がもやっとしただけ。...それだけだった。


「私に友人と呼べる人はもう居ませんよ」


唯一の理解者も先日の件で命を失い、もうこの世界で会う事は二度とない。もしかしたら、この先も幾度世界が巡ったとしても―――。


悲しそうに微笑んだ木城蕾を見て、傷の男は「それでも」と言葉を続ける。


「社交界なんて場所はこの腐った世界の中でも特に腐ってやがるウジ虫すら湧かねぇ吐き溜まりだ。もちろんお前を捨てた奴なんてごまんと居るだろう。けど、その中にも居た筈だぜ。飛びぬけたお人好し、―――お前にとって縁を切ってでも守りたかった人間が」


まただ、この傷の男は木城蕾という人間の事をまるで知っているかのような物言いをする。社交界の事を知っているのはこの人間もどこかの世界で貴族として生きていたからか、はたまたこの世界で表向きは貴族として生きているからかは分からないが、それでも社交界を知っていることは納得は出来る。


でも、初めて会った時から私のことを見る目は既知の人間、それも私の事を良く知っているような感じで見ていた。しかも、その瞳は怒っているような、悲しんでいるような目だったのだ。

勿論、私が勝手にそう思っただけで実際はそんなことを(おくび)にも出さない冷ややかな目だったが、それでも何故か私はそう感じてしまった。


でも、そうだ。―――そうだった。


思い出せば体が震え、鮮明に思い出して使い物にならなくなってしまうから知らぬ間に心の奥底に閉じ込めた苦痛に満ちた記憶の中にあった、数少ない暖かな記憶。

その中に、顔は思い出せないけれど、とても楽しそうに笑う私と、それ以上に無邪気に笑う少女が居て―――。


「...エリーゼ。リトラス・エリーゼ、確かそんな名前の―――」


「リトラス家...。上級貴族のあのリトラス家ですかい?」


「はい、そう。あの子は初めて会った時からよく笑って、よく泣いていて...」


ふと、頬を何かが伝った。

痛かったこと、辛かったことしか思い出せなくなってしまった傷物になった記憶の中にあった朧げな記憶だというのに、それはとても輝いていて、暖かくて―――。


「私、勝手に突き放したんです。これ以上、私と居たらあの子まで妹に目を付けられてしまうかもって。二人きりで遊ぼうって言って、笑顔で二人だけの秘密基地へ行って、そこで思っても居ない最低の言葉で、あの子を傷つけて、それで―――」


「いい。やり残したことがあるんなら最後くらい直接言ってやれ。ま、それに別れの言葉以外にもやることがある筈だぜ。これまでやられっぱなしだった奴らに最後くらい噛みついてやると言い。今まで自分がそっち側(勝ち組)だと思っていた勘違い野郎共がどん底に落ちていく様を見るのは最高に笑えるぜ」


悪い笑みを浮べて笑う傷の男はそれだけ木城蕾に告げると、水死体として偽装工作を行っている学者の下へ向かう。取り残された蕾は頬を伝った涙を袖で拭いて、後ろに立ってい事の成り行きを見守っていた柊と梟の下へ向かい、


「すみません。私やり残したことがあるんです。これから先、今回払えなかった依頼金も含めて全てを返済する為に何でもします。ですから私の我儘の手助けをしてください」


そう言って地面に頭をつけて懇願する木城蕾に、これまでどこか遠くを見るような目で立っていた柊の目にほんの少し光が灯る。何もかもを捨て去り、感情に蓋をしたような無表情に包まれた口が開かれて―――。


「梟、リトラス家へのパイプは」


「前にそこの当主が協会へ依頼してきたことがありやす。その時に協会への連絡用の不法外線があることも」


「...本当に良いんですか?」


「生きる上で後悔は少ない方が良い。後になってやろうとしても大抵のことが過ぎ去って、取り返しがつかないことになる。これは―――人が怪物にならないための方法だ」


これもまた、私が感じてしまったこと、もしかしたら私の妄想にすぎないことなのだけれど。


―――その言葉はまるで柊さんがそうなってしまったかのような、もう戻れなくなってしまったことを悔いているような気がした


「...あれは何の冗談でしょうか」

 

柊達から少し離れた場所、大きな湖のほとりで傷の男に依頼した死体を水死体に偽装している学者のもとに現れた男性へ向けて静かな声音が放たれる。


「あ?何がだよ」


「貴方が会ったばかりの、それも大嫌いな貴族の出の彼女にあんな助言じみたことを言うとは思いませんでした」


「それを言ったらお前もこれは何の冗談だよ。そこにあるべきは名前も知らねぇ木城蕾に似せた他人の死体じゃなく、木城蕾本人の死体であるべきだった。木城蕾はここで死ぬべきだ、完全にリスクを排除するなら木城蕾だった人間も居ちゃあならない。あいつを生かしておくメリットよりデメリットの方が断然に高い。それに依頼料金も払えないような奴だ、―――体でも売らせるつもりか?」


「僕がそんな人でなしに見えますか」


「あぁ見えるね」


躊躇いなく断言する傷の男の言葉に「酷いなぁ」と言って上辺だけは悲しんでいるつもりでも本人はそれを否定しようとはしない。自分が人として持つ常識も倫理観も持ち合わせていない、俗に言う人でなしであることも納得しているのだろう。


「あの人にそんな価値はありませんよ」


「旧国にはそういう元貴族を弄んで優越感に浸ったりする輩が一定数居るだろうが。そういう歪んだ考えはどっちかというと旧国の人間の方が多いぜ」


「少なくとも僕等に彼女をどうにかしようというつもりはありませんよ。ただ偶々大きな家に拠点を移そうと柊さんと話してした時期に、偶々メイドとして雇えそうな人が居た。―――それだけのことです」


「俺には汚ねぇぼろ小屋じゃあの女の体に悪いから小奇麗な屋敷に引っ越す、って言う風に聞こえるぜ」


「勝手に解釈して頂いて結構ですよ。さ、僕は貴方の質問に答えました。次は貴方の番です」


街一つを簡単に滅ぼすような作戦を立てておきながら自分達にとってリスクにしかなり得ない女の為に手を尽くす、あまりに普通の人間とはかけ離れた思考はまさしく彼が狂っている証拠だろう。

だが、彼の言う事は必ず正しい。一見優しさに見えるその気遣いも、他人の命すら顧みないその冷酷さも、人としては正しいとは言えずとも、彼とその仲間達が生き残るという一点においては常に正しい選択をする。

だから、今回の件も冗談だろ、と驚いてはいるものの大して心配はしていない。いつかこの選択が正しかったのだと彼は証明するだろう、これまでもそうだったように。


「さ、早く教えてくださいよ。てっきり僕はさっさと失せろとか、お前は嫌いだ、とか言っちゃうものだと思っていたのに。まさか罵倒ではなく気遣いとは、何か心変わりでもしましたか?」


「そんな大したもんじゃねぇよ。ただ、俺の知っている貴族とは違った。あれは、あの考え方はどっちかつうとあっち側(勝ち組)じゃなくてこっち側(負け組)だ。だから妹に木城家跡取りの座を奪われたんだろうな。人間として出来過ぎてる、とまではいかねぇ。社交界のことも黙っていた以上、あれも共犯者だが共謀者じゃねぇのは一目で分かった。―――それだけさ」


「それだけ、に色々意味が込められていそうですがまぁ隠し事はお互い様ということですね。その答えでひとまず納得しておきましょう」


お互いの腹の内を探るような問答を終えると同時に、死体の偽装を終えた学者は立ちあがる。


「もういいのか?」


「水死体としての処理も事前にして貰っていたので、僕がしたのはそれらしい遺書とそれらしい死に方の演出です。これで木城蕾を非業の死を遂げた令嬢として表舞台から完全に姿を消します。王宮に報が届いたろころでそれを疑うようなことをあの王はしない」


「もしも疑ったら?」


「そのもしもは絶対に無いと断言できます。あの人はミグマのことも気にかけていないし、地方の小貴族には目もくれないでしょう。仮に王の腹心が疑ったとして、その意見すらあの人は無駄な事だとして処理する。柊さんは都きっての大犯罪者、億を超える懸賞金を掛けられて尚、王の兵、国の防衛機構そのものとも言える防人を派遣しないのはその為です。防人を戦わせる、それすら柊さんという命には値しないと考えているからです」


これはある種の信頼でもあった。王は人に期待しない、王は奇跡を信じない。秘密を秘密のままにし、幾度も世界を犠牲にし、数千年という時をかけて技術を、神秘を積み上げ続ける。

防人は帝国が生み出した人類の技術と世界の神秘の叡智の結晶、その戦う様すら見せるに値する人間は存在しない。

故に防人という存在をもって悪事の抑制は行っても、実際に何か起これば大抵が衛兵や警備員、良くて王宮の兵が駆り出される程度だろう。


「てめぇがそこまで言うなら心配はねぇ。じゃあな、1日だけとはいえここは帝国の中だ。無茶は程々にしとけよ」


「もうここに来るまで散々してきましたからね。これ以上の無茶をするつもりはありませんよ。―――それではまたどこかで」


短い別れの言葉を終えて二人はそれぞれの馬車へ向かい、静かな湖を後にする。


「あ!そういえば、あの方の名前を聞くのを忘れていました」


誰もが寝静まった夜の街道を抜け、リトラス家の支配する領土へ向かう峠道に差し掛かったところで木城蕾が思い出したかのように声を上げる。


「あぁ、それなら問題ありませんよ。あの人も名前は持っていませんので」


「そうなんですか?だったら梟さんみたいに通り名のようなものは無いんですか?」


「勿論通り名はありますよ。僕とは違い仕事上、名は必要ってことで店名からそのままとってスカーレッド、死体彫刻家のスカーレッドと名乗っていますね。今度会った時にでもその名前で呼んでみると面白いですよ。あの人、通り名で呼ばれると途端に嫌そうな顔をするので」


「な、なら言わない方が良さそうですね」 


そうして、他愛のない話で地獄のような1日が終わり、新たな1日が訪れる。何もかもが変わってしまう1日が。

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