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真球理説  作者: root
序章
4/21

序章 3話 <吸血鬼>

―――吸血鬼。

古来より各地で語られた常外の存在。

民話や伝説などでも語られ、現代においても比較的誰もが知っている類の怪物だ。

それは太古より現実に存在すると信じられており、技術が発展し、それらの存在が現実には存在しない空想の産物として淘汰されていく中でもある一部の地域では実在する脅威として信じられてきたもの。


存在を信じられたからこそ、彼は多くの人に語られ、物語上の敵として、時には頼りがいのある味方として彼には多くの属性が与えられた。

曰く彼は死人である。曰く、彼は死なない存在である。


つまりは彼は生であり、死だ。生と死の狭間に位置し、生きてもいれば死んでいる。―――世界の隙間から零れ落ちたエンプティーとして、生と死の狭間に位置するという解釈を得た彼はこれ以上ない脅威であり、人間では元より、多くの国家が彼の討伐に名乗り出ては返り討ちにあってきた。


彼の伝説とエンプティ―として生まれた相性の良さ、解釈はそれだけに留まらず、エンプティ―の内容物を人に埋め込むことで生まれた人間でもエンプティ―でもない怪物である異形と呼ばれる存在の発生、及び認知は彼の脅威を飛躍的に上昇させた。


異形という存在がまだ居なかった世界でも彼の被害は目に余るものであり、その対処に多くの国が乗り出さざるを得なかったのだ。その中で生まれた新たな脅威、異形と呼ばれる人間だった者達の集団発生によって世界に新たな怪物が生まれ落ちた時、吸血鬼という存在は最早天災となり、人の手の及ばぬ()()の体現者となる。


物語に現れる吸血鬼は血を吸った生物を眷属とする。今更誰も疑問を唱えないその特性を持った彼に訪れた最大の転機。元より人の血を吸うと言う行為によって爆発的に増えた意思持たぬ屍人。吸血鬼程ではないにしろある程度の不死性を持った彼等の脅威は数のみだった。


吸血鬼の眷属は個としてはあまりに弱く、不完全だったが故にその膨大な数によって被害を齎していた。そんな数だけの眷属は所詮吸血衝動を持った赤子のようなものだったのだ―――のだが。


ある日、吸血鬼はその変化に気づいた。今まで食事で増えてきた眷属に期待などしておらず、大した関心も無かった。そんな彼の目を引いたのは知性の光を持った眷属の出現であった。


自身の前に首を垂れ、まるで命令を待っているかのような腐った死体に吸血鬼はその時初めて自身の眷属に興味を持ち、赤く濡れた牙を覗かせた口角が微かに上がる。


―――その時、彼は完成した。完璧な個として君臨し、吸血の際に微量ながら自身の血も流し込むことで生まれた眷属は意思を持たぬ傀儡では無く、人とは一線を画した身体能力を持った異形になる。

彼等には個体差があるが知性があり、吸血衝動に駆られ、朝であっても人を襲っていた時とは違い、日の光の届かぬ場所で狩りをすることを覚え、主人である自分の命令を受諾し行動に移す兵となったのだ。


異形と言う存在の側面を持った眷属の不死性はそれまでよりも多少なりとも落ちたが、それを持って余りある進化、人の何倍もある腕力を持ち、知性と言う最大の武器を得ただけでなく、吸血鬼の眷属から新たに眷属が生まれるという目覚ましい進化を遂げた。


それだけで世界を滅ぼすには余りある進化だったのはこれまで彼とその尖兵である異形化した眷属によって幾度となく滅ぼされた世界の歴史が証明している。


最早数えきれない程の能力を持った絶対の個として君臨しながらも、たった一体の眷属から爆発的に増え続ける眷属を得るという特性を持ち、一定以上の水準を持った数の暴力は最早人の手ではどうしようも出来なくなってしまった。


彼の気分次第で世界は如何様にもなる、それだけにこの世界はかなり幸運であったと言っていい。

記憶の蓄積をするのは人間だけではなく、彼等にもあったようでこれまで百以上の世界を滅ぼした彼は世界に退屈を覚え、微睡みに体を委ねたのだ。


数十年に一度、一人の人間の生き血を吸い、そしてまた眠りにつく。最初に眷属が発見された時、その場で迅速な処理をすることが出来れば被害は最低限で収まるが、市街地に侵入した場合、眷属から眷属が生まれ、爆発的に増えた異形によって国の存続すら危ぶまれる事態になる。


だが、それまでに比べれば100倍、否―――万倍マシであったのは確かだった。

吸血鬼さえ活発的に行動しなければ被害は世界規模から一国単位に収まる。いざとなればその国ごと焼き払うなりして滅ぼせばそれで事態の収拾は叶う。

現に、この世界でも吸血鬼の眷属によって滅んだ国は10に及ぶが、それでも世界は存続している。


つまり、彼が関心を持たず、数十年に一度食事をするだけであれば大した被害は出ない。そう、結局は()()()()()()()()()()()()()


―――つまり、吸血鬼が笑みを浮かべながら現れたその時。


『―――僕達、引いては世界の終わりの幕開けという訳です』


いやはや、我ながら長ったらしい解説をしたものだ。ここには自分以外誰も居ないというのに、語りたくなってしまうのは立派に狂っている証拠でしょうか。だとすれば狂学者を名乗る手前、誇らしくもありますが。


『簡単な話。世界の()()から生じるエンプティーという存在と、生と死の()()に位置する彼の在り方は相性がとても良い。それだけでなく、眷属を作るという特性とエンプティーの内容物を取り込んだ人間が成る異形という存在もこれまた最高の相性です。ただ血を吸うという行為のみで彼は異形を生み出すことが出来てしまうのですから』


そんな空気を吸うように異形が生まれていたら人類側からしてみればたまったもんじゃないでしょう?けれど、これは空想妄想の類などではなくどうしようもない現実です。


全く、この世界はどこまでバランスが悪いんでしょうか。これじゃあいつまで経っても人類が()()にたどり着けなんてしやしない。超えられぬ障害の一つや二つ、人間であれば乗り越えて見せますが百を超えはじめたらどれだけ奇跡が折り重なっても超えることなんて出来やしない。


かといって諦められないのも人間の性ではありますが...。


兎にも角にもこの世界は人間に厳しすぎる!!詰みがないだけまだマシですが、それもそう遠くない未来に訪れるかもしれないのが昨今の学者の間では通説です。

―――ま、全員狂っていますけど。


とにかく、再局するにしろ、もう少しまともな駒が人間側に居る。

これまで幾度となく先人達がアプローチしてきましたが、それでも圧倒的に人間は非力だ。

多少体が頑丈で、普通の人間よりは動けて、更には少し先のことが見れるというチート染みたオプション付きの柊さんでさえ、異形はともかく怪物そのものであるエンプティーには歯が立たないのが人間の現状。


―――これでも、今まで会って来た人間の中で一番期待していたんですが...。


いやぁ、ここで一人シアターに居ると言うことは僕や柊さんは死んでしまったのでしょうか。

逃げ上手の鼠さんなら僕達よりは生き延びれそうですけど、そんなの些細な問題。世界もまぁ九割で滅びますからね。

吸血鬼が現れたとなれば旧国はおろか、都のある帝国も無事では済まないでしょう。幾ら秘密主義であっても散り際にドでかい花火くらい打ち上げて欲しいものですね。


それとも次回に持ち越して何もしないのか、まぁそこは統治者次第ですが。


『あの人、ほんと隠すのだけは上手だからなぁ...』


とまぁ、考えても仕方ない。終わった事は仕方ないと割り切りましょう!

記憶の引継ぎがどの規模で行われるのかは知りませんけど、次はまた別の人間に―――。


「さっさと起きろ!」


おや!?おやおやおや?


何もないシアターに鳴り響くフィルムの音ではない、僕以外の生の人間の声が上から聞こえてきましたね。これは驚きました、吸血鬼が笑って目の前に現れた瞬間、あーこれは終わったなと思いましたが運が良かったんでしょうか。誰かが助力に来てくれた?


いーや、僕にも柊さんにも人望何て大層なものは無いのでその線は二重線。

だとすれば自力で脱出を?―――どうやって?


目の前で血となって溶けた扉と、死体だらけの屋敷に鳴り響く屍人の低い呻き声。

今回、吸血鬼の眷属となった大寺博人は大した再生もしていなかった事から、食事はおろか血の一滴すら及ばぬ本当にごく少量の血を摂取、或いは投与された訳ですが、だとすれば大寺博人は自身のあずかり知らぬところで生まれた、大して興味の無い眷属の一人に過ぎなかった筈ですが、どうして吸血鬼は興味を持ってしまったんでしょうか。


『―――やはり、木城百合との契約で何かあったと考えるべきですね」


誰も居ないシアターに響く古ぼけたフィルムの巻かれる音が遠くなっていき、頭上のライトが完全に消灯し、意識が徐々に現実へと引き戻されていく。

同時に、思考の端が僅かに鮮明になりながらも頭に僅かな痛みが生じ始める。よく考えてみれば体も妙に気怠いというか、とにかく意識が現実の体に戻されていくのを感じて男は隣の椅子に置いていた白衣をスクリーン越しの光だけを頼りに掴み、身に纏う。


「さて―――行きますか」


白衣姿の青年の姿が淡い光となって消えると、無人となったシアターは観客を失い、砂嵐に似たノイズを映し出していたスクリーンも天井のライトと同じように光を失い―――やがて心の奥底へと沈んでいく。


「やっと起きたか。その体で動けと言うのは無茶ぶりだろうが...。無茶をしてもらわなければいけなくなった」


「死ぬよりはマシと割り切れば骨の一本や二本安いものです。それよりも僕からすれば柊さんが動けてるのが驚きなんですが」


「多少人より頑丈なのが功を奏した。といっても、流れる血は止められなかった。すぐに治療したいところだが―――」


成程、大して戦力にもならない自分をたたき起こしたのはまともに治療を出来るのが自分しか居なかったらしい。生きているだけで儲けものと言いたいが、かなりの速度で走る馬の足音とはまた別の人間の足音、吸血鬼により異形化した眷属に追われている真っ最中らしい。


「旦那!!そろそろ限界でさぁ!これ以上走らせたら馬が潰れちまう!」


「10分で説明を済ませる、馬はここで捨てる」


「......了解でさぁ!」


揺れ動く馬車の荷台、そう多くない荷物を積んだ隙間に寝かされているのは白衣姿の青年ともう一人、片方の足があらぬ方向に曲がっている女性だ。意識がある分、痛みに耐えるのはかなりの苦痛を伴うだろうに、話の腰を折るわけにはいかないと我慢しているのだ。


「―――状況を教えてください」


「吸血鬼が()()()()()()()()()


「えぇ、そこは覚えています。その後の話を」


「大寺博人が殺して回った屋敷の住人が吸血鬼により血の活性化が行われ、再び息を吹き返した。―――体積は二倍に、速さは今も聞こえている通り馬車の全速に迫る程だ」


吸血鬼が現れた瞬間、柊達が真っ先に取った行動は屋敷からの脱出だった。隣に居た梟と学者を窓際まで突き飛ばし、その後に残っていた手斧を窓へと投げ、逃走経路を確保する。


吸血鬼の出現に気づかず、従者の死体に縋って泣いていた木城蕾へ血となった扉が意思を持っているかのように飛び掛かったのを見て、柊は何の迷いもなく割れた窓から外へ投げ捨てる。そのまま梟と学者も両手で一人ずつ掴み、窓から放り投げた後に胸ポケットから取り出した小型の手榴弾を部屋に投げ捨て、柊も飛び降りた。


「成程、そこで僕は意識を失い、蕾さんは足を折ったと」


「木城蕾の足の件はそれで間違いないが、お前が意識を失ったのは窓から放り投げる前に奴のヒルを付けられたからだ。奴が溶かした扉があっただろう、木城蕾が居たところに飛んだかと思えばすぐにヒルに姿を変えた。生きてようが死んでようが血を吸うヒル、その内の一匹がお前の右腕に付いたらしい」


「あ、だから右腕の肉の一部が抉れてるんですね」


「血を全部抜かれる前に肉ごと引き剥がすのが最善だった。その後は用意していた馬車へお前と木城蕾を運び、今に至る」


頭が若干ボンヤリし、目が覚めているというのに体になかなか力が入らないのはそのヒルに噛まれたことで血を吸われたのが原因だと言うのなら納得も行く。むしろ意識を失う程、一気に血液を失ったというのに後遺症が無いのは不幸中の幸い、そこは自分も純粋な人間でない証拠。


「では、僕を起こしたのはこの後の事を考える為ですね」


「見ての通り、怪我人が3人だ。梟はあばらが数本、木城家の娘は足が一本。お前は貧血でまともに動けないだろう。馬で逃げるのもうじき限界が来る。吸血衝動に駆られている異形はまだしも、もう一度吸血鬼本体に狙われればそれで終わりだが―――出来ることは全部やっておきたい」


「分かりました。では、僕も微力ながらお手伝いしましょうか」


そう言って血相の悪い顔の学者は気怠い体を起こし、荷台に積まれた箱に体を預け隙間から外の様子を確認する。


外には数えるのも嫌になるほどの人間の形をぎりぎり留めているかいないかの異形の軍勢、時折足を挫かせた異形が後続の異形達に踏み潰されて動かなくなっているが、そんなこともお構いなしに正者の気配だけを追う彼等には倫理観も仲間意識も無いらしい。


「まぁ、大体分かりました」


「そうか。であれば早急に案を出せ」


「まず、彼等は吸血鬼の眷属とは言っても不完全です。今回、吸血鬼の血を与えられたのは大寺博人です。と言っても大した再生力もない彼に与えられたのは0.1mLにも満たない量の血、食事で造られる眷属よりも劣化した知性があるだけの出来損ないです。そんな彼の血で造られる眷属は彼以上に劣化した存在、屋敷の近隣住民を襲って数を増やしてはいますが、第一眷属である大寺博人ならまだしも、彼等ではとてもではないが吸血鬼の眷属とは言えない」


聞きようによっては希望的に見える学者の言葉は良い意味でも悪い意味でも現実に他ならない。今回のケースは最悪の中でも比較的マシな部類の最悪で、まともな眷属による繁殖が行われていれば逃げ切ることは不可能だ。


彼等は吸血鬼の血の一滴にも満たない出来損ない、しかし裏を返せば出来損ないであっても人の膂力を上回り、馬の全速力にもついてこれる程のスピードも持っているということ。人類にとって絶望的な戦力差であるのは薄まった血で増え続ける雑兵にも満たない彼等がここで証明した。


「世界規模で見れば最悪の証明になった訳ですが、僕達としては相手が弱いならそれに越したことはない。そして本体が僕等の誰かを狙っている訳でもないのは分かりました」


「根拠は」


「―――僕等が生きています」


仮に吸血鬼が誰かを狙っているとして、追手がこんなに甘い筈が無い。統率も取れていなければ知性も無い彼等では命令を真っ当に受諾する機能すら備わっていない。異形と眷属と言う最高の解釈を得ていながらそれを使わないのは必要が無いから。今回の彼の目的に特定の人間の始末は含まれていない、寝起きで特に何を考えている訳でもなく適当に近くに居た人間の死体を利用したまでのこと。


「そして、彼の目的ですが―――」


―――瞬間、大地が大きく揺れた。


揺れる馬車の上に居ても分かるほどの揺れと共に、遠くから鳴り響く大きな建物が崩れていくような音。


「何があった!」


荷台から顔を覗かせ、馬車を操縦している梟に質問をするが、音の出所を見ればその質問も徒労に終わる、一目瞭然、という言葉がこの場で最も正しい表現であった。


崩れているのは栄華を極める貴族である木城家の領地の中で最も高い場所に建てられた大きな屋敷。どれだけの労力と時間を掛けて建造されたか分からない屋敷があろうことか、真っ赤に染まった血のような液状になり瓦解していく。


目を疑うような光景も、屋敷で一度吸血鬼の触れた扉が血となるのを見ていたことからそれが吸血鬼の能力によるものだというのは理解できた、―――理解できたが。


「旦那、多分ここらはもう駄目でさぁ。―――あれは駄目だ、あっしらじゃどうにも出来ねぇ」


揺れる大地と崩壊していく音に交じり、不気味な笑い声が鳴り響く。地の底から響く血の主の声、彼にとってそこが人の治める土地だとか、どれだけの人間が住んでいるかなどは関係ない。ただ―――欲しいから自分のものにする。


触れた屋敷の床が血となった、血となった床が触れた場所もすぐに血液へと変わり、その侵食は留まるところを知らない。屋敷が全て血と溶け、流れる血により大地も血へと形を変える。そこには物理法則もなければ、人の常識は一つとて通用しない。

ただ、主人の赴くままに周囲を鮮血の大地へと変えていき、粘土をこねるようにその形を変容させていく。


「木城百合は表と裏、両方の世界を行き来する内にその狭間。世界の隙間から生まれ落ちた怪物と繋がりを持ってしまった。より裕福に暮らしたい、より自分にとって都合の良い世界にしたい。そういった尽きぬ野心がこの事態を引き起こした」


「屋敷を早急に手放そうとしていたのはそういうことか」


「えぇ、彼女に大寺博人、本来であれば来世で結ばれる筈だった男のペンダントを見せたでしょう。そこに彫られていた文字は何でした?」


「゛For those of you who will never visit anymore˝と英語で小さく彫られていた」


「直訳で゛もう訪れることの無い君へ˝ですね。英語で書いたのは、恐らく記憶の混濁によるものでしょう。彼は真球の外側を覗いてしまった、柊さんが見るのは少し先に起きる出来事の先読みのようなものですが、彼はこれから先の幾千、はたまた幾億かもしれませんが幾度となく繰り返すであろう世界を全て観測してしまった。繰り返す世界の機構(システム)である記憶の引継で施される処理を通さず、全ての記憶を一度に見せられ、狂ってしまった」


それを仕組んだのはどこかの世界で結ばれる筈だった愛しい人間である木城百合であり、その愛情も、奪われたことにより芽生えた復讐も全て利用したのだ。


「木城百合が見たのは来世の記憶、大寺博人が見たのは先の世界のほぼ全て。木城百合はこの世界で実の姉である木城蕾を陥れ、両親を薬で言いなりにさせた。蕾さんからすれ妹に脅され、弱みを握られたかと思えばそれをばら撒かれ社交界での立場も親友も失い、挙句に優しかった両親も奪われた憎い相手です」


大寺博人の死の間際、柊が見た彼の記憶で木城百合が虐げられていたのは木城百合がこの世界で行なったことの意趣返し、全てを奪われた後に絶望のどん底に叩き落された木城蕾は死の間際、実の妹への復讐を胸に誓った。


記憶の引継ぎはその時々で違い、また個人差もある。だが、殆どの人間は死の間際から数時間、長くとも三日程度の記憶しか保有していない。それだけでなく、それらはあくまで記憶でしかない為、遠い昔の事は忘れてしまうことが殆どだ。

しかし、その人間の死の間際に強い感情を抱いていた場合、その感情の源となる記憶を引き継ぐ傾向にあるため、彼女は生涯に渡って虐げられ続けていた日々を一つとて忘れてしまうことなく次回の世界に引継ぎ、そこで復讐を果たした。


「何も知らない大寺博人からしたら木城蕾の仕打ちは理不尽に思えたでしょう。しかし、当事者視点からすればその罰は行われて当然とは言わずとも、理解できるものです。むしろ、売り払われてすぐに死ねただけでも温情ではなかったのでしょうか。奪われてしまう前に全て奪ってしまうんです。彼女の地位も、権利も、意思も、―――命さえも奪ってようやく復讐は成就する」


柊が記憶で見た光景と今の木城蕾と言う人間のギャップ。

()の世界において血も涙もない人間だった彼女はこの世界では痛みを知り、他者の為に涙を流せるような女性であった。これで未来と現実(いま)の整合性が取れれば、あとは簡単だ。


()()()()()辿()()()()()()()()()()()。我々が木城家に干渉せず、吸血鬼とも出会わなかった場合に次の世界での木城家で木城蕾は復讐を行い、前世を殆ど知らない木城百合は殺される。しかし、もう僕等の居る世界がその道を辿ることはありません。それはあったかもしれないものとして真球の外側に葬られることでしょう」


そう、その悲劇は二度と起こらず同じ世界が訪れることも無い。

何故ならこの世界において木城百合は世界の理の外側から訪れたエンプティ―と遭遇し、未来を観測してしまった。


「存在自体が呪いのような彼等との遭遇で発狂したと言う報告はこれまで幾つもありました。その一環として未来を視るということが起きても何ら不思議では無いでしょう。木城百合が大寺博人を使って今回の件を災害(しょうがないもの)として片付けようとしたのは、いずれ自分が辿る結末に気づいてしまったからと考えるのが妥当です」


吸血鬼の手によって邪魔な姉と必要の無い両親が死ねば、少しでも自身の罪が軽くなるとでも思ったのだろう。しかし、木城百合は未来を変えるという危険性を理解してはいなかった。


イレギュラーがイレギュラーを呼び、本来ここで死ぬはずだった木城蕾が高熱を出し、彼女に仕えていた人間が木城蕾に扮しているなど、想像もつかなかったことだろう。


「柊さんに言うのもあれですが―――確定した未来など存在しない。これが僕の持論であり、これまで幾度も重ねてきた実験の結果でもあります。直近のことならまだしも、未来というものは先であれば先である程不確実性を帯びるものです。これまで人類に訪れた大予言による災害、大枠自体は合っていてもそれらの仔細が予言書と違っていたのも予言から長い時を経て訪れたから、大災害が起こるまでの人類の積み重ねによってずれが生じたんでしょう」


そのずれが今回は致命的だったというまで、つまるところ木城百合は運が悪かったという他ない。自身が未来を変えたことにより、木城蕾が生き残るという未来が訪れてしまったのだから。


「木城百合が吸血鬼と遭遇し、この計画を実行するに当たって家族を異形化させ、災害(しょうがないもの)にする為には吸血鬼の血が必要だった。そうして吸血鬼の血と引き換えに差し出したのが自身の土地です」


木城百合の依頼料金が幾ら異形の駆除とはいえ普段の異形討伐の何倍もする金額であったのも、依頼の確認を急いだのも、それが理由だろう。

ある時刻を指定し、その時までに屋敷を手放し、早急にこの土地を去る必要があった。


吸血鬼と契約を結んだはいいものの、吸血鬼の領域にされる際に巻き込まれては元も子も無い。

エンプティ―は人間が死ぬ程度のこと、気にも止めないのだ。たとえそれが約束を交わした人間であろうと、吸血鬼からすればただの羽虫、人間を区別する意味を彼は持たないだろう、と。


「ですので、僕達がするべき行動は今も迫りくる異形の群れを処理し、迅速にこの土地を離れること。吸血鬼の興味が僕等に無い以上、本体が出張ってくる可能性は限りなく低い」


そう言いながら学者の男は荷台にあったカバンの中から透明な液体の入った注射器を取り出し、それを確認すると満足げに笑い―――。


「―――っ、ふぅ」


右腕に突き刺し、短い深呼吸をしたのちに勢いよく飛びあがり、先程までの気怠そうな表情から一変し、普段の飄々とした態度で小さい声で痛みに呻く木城蕾の下へ駆け寄った。


「今のは?」


「一時的に痛みや疲労感などを消す魔法の薬品、と言ったところですね。と言っても治った訳ではないので、戦力としては期待しないでください。動けもしない役立たずから逃げることだけは出来るようになった足手纏いになったと思っていただければ」


動かせるようになった体で木城蕾の容態を確認しだした学者の男、無骨に巻かれた包帯を取り換え、折れた足を動かせないように添木と包帯で固定を行い、痛み止めの錠剤を飲ませて応急処置を行う。


「...時間は無いぞ」


「えぇ、ですが依頼主に死なれては困るでしょう?ここを生き延びても、彼女に死なれたら木城家の財産を手に入れる手段が無くなります。そうなれば只働きです、命がけの只働き何て嫌でしょう?」


「はは、そりゃあそうだ。ですが学者の先生、旦那の言う通り時間が無いのも事実でさぁ。実際、馬ももう持たねぇ。あと一分もしねぇ内に...」


「―――ですから、死ぬまで動かせます。元から馬はここで使い潰す予定だったんでしょう?だったら薬で足が動かなくなるまで馬を走らせて、街まで向かいます」


倫理的にどうなのか、という問いはこの男への問いにはなり得ない。何故なら彼は狂学者、狂っている人間に普通の言葉、普通の倫理観、普通の道徳は通じない。同時に、だからこそ柊は彼の作戦を最善の策として受け入れることが出来る。


何の犠牲も厭わない彼だからこそ、思いつく策があると。


「街にはどうやって入る。木城家ならまだしも、俺達旧国の人間に端とはいえ都に踏み入る資格は無い筈だ」


「そこは木城家の立場と僕の持っている偽造したパスポートと戸籍で何とかします。それに今回は情報屋のね...。あー、いえ。梟さんも居ますし密入国自体は楽に出来るでしょう」


「まぁ、あっしも戸籍自体は都にあるんで問題はありやせんが、旦那は今や都はおろか帝国全土で指名手配されてやす。衛兵までは誤魔化せても防人に出会ったら終わりじゃねぇんですか?」


街の警備を担当する衛兵と、国という機構そのものを守護する防人と呼ばれる人外集団の集まり。

人外とは言っても彼等はエンプティ―や異形ではなく、人でありながら数多の実験や儀式を施したことで人の持つ身体能力を遥かに凌駕する力を持ち、脳に埋め込んだチップにより常に国からの情報を更新し続けることが出来る人間のことを防人と呼ぶのだ。


「えぇ、国愛主義の彼等(防人)には賄賂も意味無いでしょうしね。ですが彼等が現れることは万が一にもありません。それでも心配だというのなら、梟さんの変装術で柊さんを別の人間にしていただきます。大寺博人の身分証明書はまだお持ちですよね?」


「血で汚れてはいるが」


「汚れは落とせば問題ありません。戸籍等々は僕に任せてください、()にそういうことに長けた人間が居ます。少々値は張りますが、腕は確かです」


「一旦の逃げ道は分かったが―――あれはどうする」


柊が指をさした先、全力疾走する馬に追いすがる勢いで正者の気配だけを頼りに走る異形化した吸血鬼の眷属の成りそこない。

個の力事態は大して問題ではないが、その凶悪的な数による暴力が問題で、今の柊にあれを捌き切る為の手段は無い。


「...もう少し準備をしておくべきだったか」


「イレギュラーに対してあの時こうしてれば良かったというのは考えるだけ無駄ですよ。考えるべきはどうすれば良かったかではなく、どうすれば良いかです」


より効率的に、より自分達が生き残る可能性のある作戦を考えなければ事態は進展しない。

そして彼の考える作戦に―――人道という言葉は存在しない。


「―――だから言ったでしょう?ここで馬は使い潰して、都の最南端。旧国に最も近い下層階級の住む街へ向かうと」


「...囮か」


「えぇ、下層階級であればあるほど街に住んでいる人間の母数は増える。幾ら地獄の入り口と言われている最南端であっても、そこに住まなければどこにも行けない人間は大勢居ますし。生きている人間が多ければ、あれら出来損ないの眷属の矛先も分散できます」


結局の所、吸血鬼の興味が自分達に無いのであればその眷属にも柊達を狙う理由も無い。今追われているのはこの付近に生きている人間はもう柊達を残して他に居ないからで―――


「......」


「言っておきますが、その感傷も今この時において不要なものの一つですよ。貴方は自分が生き残る可能性が高い方に乗っかるべきだ。今までもそうしてきたでしょう?」


まるで柊と言う人間の全てを知っているかの物言いだが彼は柊という人間の事を本人と同じか、それ以上に知っている。

付き合いはこの場の誰よりも長く、まだ幼なかった柊に旧国での生き方を教えたのも彼だった。


彼が居なければ自分はここで死ぬような思いをすることすら無く、死んでいた。ひねくれていた当時ならいざ知らず、今となってははっきり言える。


「そうだな、お前はいつだって正しかった。であれば、これが()()なのだろう」


「えぇ、今の貴方にはそれが一番必要だ。世間は綺麗事を好みますが、それで生きていける程世界というは甘くありませんから」


この学者の言う通りだ。俺の事を知っていても、知らなくても構わない。ただ、この青年の言う事に無駄は無く、意味が無かったことも無い。


―――どうしようもなかった。

そう、仕方なかったことだろう?


これまでと何ら変わらない。そうすることでしか生きられないのなら―――。


「...良い顔です。貴方はそうでなくては」


―――その日、平穏だった街に警報が鳴り響く。

その街は人間であることが保証される帝国においても、廃退者などと呼ばれる存在に限りなく近く、帝国内で最も低い階級に位置する人間達が住まう街。


それでもここに住む人間は(みな)、この世界に生きる希望を見いだせず、堕落した人間である人間に与えられる廃退者という蔑称を持たず、人ならざるものに与えられた烙印を持たぬ、()()()()()が住む街。


喧嘩はあれど、それに勝る活気がこの街にはある。

下層階級が何のその、毎日を面白おかしく生きていられればそれだけで人間は幸せさ。


ここは秘密主義の大帝国、その最南端に位置する街ミグマ。あの世とこの世の境目、人ならざるものが住む旧国に最も近い場所。金は無くとも幸せはある、それを証明する―――私達の街です。


―――噴煙が立ち上り、悲鳴が跋扈する。

そこにあるのは賑やかさを象徴する喧騒ではなく、必死に逃げ惑う人々の絶叫だ。あるところでは子供が親に食い千切られ、あるところでは我が子を逃がすために二人の男女が人では無くなった老夫婦の頭を割っていた。


毎日のように通ってくれた常連の客が店主の喉元に噛みつき、親子同士での、あるいは顔も知らない他人同士で殺し合いが繰り広げられる。その様相はまさに地獄と呼ぶに相応しかった。


つい先刻、目を血走らせた馬が検問を強引に突破し、同時にその後方で検問を行っている衛兵たちの悲鳴が聞こえた。何事かと駆けつけた警備員、衛兵もろとも外から現れた何者かに殺され、無線を使っていた警備員を見つけるとその影は人間離れした速度でその警備員に迫り、何かを聞き出した後に喉元を鋭利なナイフで突き刺し、その影が検問所から離れていく。どうして私以外の民間人がそれに気づいて声を上げなかったのかは、少し考えれば分かることだった。


去り際にこちらを振り向いたが、その影は目撃者である筈の私に何もせずにその場から離れていった。―――私は見逃してもいいと思ったのか、はたまた気づかなかったのかは今となっては知る由もない。


影がその場を去ってから15分程経った後だろうか、地面が揺れ始め、外から何かのうめき声と折り重なり大きくなった足音が聞こえ始める。頭を抱えて蹲っていた私はもう一度、窓から外を見る。


まず初めに何事かと興味を持った野次馬が辺りに散らばっている死体に気づき声を上げると同時に、木城家の領地から走って来た人ではない何かに食い殺された。


次に衛兵が市民の安全を守る為にそこかしこから大量に現れ、それらに立ち向かっていく。

街は突然の出来事にパニック状態に陥り、必死に誘導を行う警備員達の声が悲鳴にかき消されて統制を失った大量の人で街道が埋め尽くされ、逃げる事すらままならなくなってしまった。


冷静を保てた者と移動手段を持った一部の家族のみが故郷であるミグマを放棄し、都へ向かうホワイトロードで脱出したが、それが出来たのはおよそ千人程。他の者は恐怖によって冷静さを失い、家の中に籠るか、人の密集した場所を安全な場所と勘違いし、密集した街道を更に狭めるのに役立った。


それによって少しずつ進んでいた人々はまともに前に進む事すら出来なくなってしまい、じきに後ろから迫る異形の群れに襲われ、その殆どが命を落とすことになるだろう。


「―――なんで、こんなことに」


そんな些細な疑問を口にした女も、衛兵としての責務を果たすために異形の集団に立ち向かい、人ならざる姿で帰って来た恋人に腹を食い荒らされ、血の涙を溢していた。

その問いに答えることが出来るまともな人間が居ない事は理解している。周りに居るのは火事場泥棒か、木城家の領地から訪れた人ならざる何かによって食い殺された死体か、人では無くなったかつてのミグマの市民のみ。


―――それでも。たとえ答えが返ってこずとも、この地獄に何か意味があるのかと質問せずにはいられなかったのだ。


何の為に人では無くなった家族と殺し合わなければいけなかった、何のために母が子を喰らうなどという悲劇が起こらなければいけなかった、―――何の為に愛し合った人に殺されなければいけなかった?


分からない。分からないまま、私は死んでいく。


「...でも」


目の前に居る赤い目をし、口元を自分の血と臓器で汚した恋人の顔に手を這わせて優し気に笑い―――、


「次が、またあるもの」


ここでは成し得なかった恋も、次の世界ではきっと叶うと信じて女は二度と目覚めることの無い眠りに身を委ねて、重たい瞼を閉じ、暗闇へと通じる微睡の底へ沈んでいく。

―――まだ、街の中では甲高い悲鳴と怒号が鳴り響いていた。

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