第一章 12話 <その献身に報いあれ>
―――目を焼くような白い光と、それに伴って訪れた耳を突き刺すような轟音と肌を焼くような熱気。何が起きたのかを知ったのは、硝煙と血の匂いで満たされた病室の一角、所狭しと並べられた少し分厚いだけの布の上だった。
「―――こ、こは」
「リラ!!」
ぼんやりとした視界でこちらを見下ろす涙目の少女。自分の体が彼女に抱きしめられ、土煙の匂いの向こう側に柔らかな花の匂いがして、思考と視界が急速に鮮明になっていく。
「アカネ?」
「良かったぁ...。ちょっと待ってて、すぐ柊さんを呼んでくるから!!」
アカネは目じりに残る涙を裾で拭い、気丈に振舞いながら別室で話し合いをしている柊の事を呼びに走る。ボロボロになった普段着の中、そこに幾重も巻かれた包帯を見れば彼女も決して無事と言えないのは理解できた。
痛む頭を押さえて、何が起きたのか思い出してみる。
確か、柊さん達が墓所から戻るまでの間、街で聞き込みをするアザレアさんと梟さんに付いていって、街の人とアザレアさん達が円滑にコミュニケーションを取れるように手助けをしていて。
そして―――そして、
『ごめんなさいね、リラ、アカネ。これも仕事だから』
そう言いながら悲しそうに微笑んだ女性の向こう、赤く輝く光が見えて―――。
「いや、おかしい。―――あの人は誰だった?」
同じ街に住むものとしてある程度、いやそこに住む住人の全員とリラは面識を持っている。それに街長を引き継ぎ、異形襲撃による街の復興作業に当たる一環として生き残った街の人達と一度全員話をしており、そんな中で顔も声も、名前すらも覚えていないなんてこと在り得る筈がない。
「でも、あの人はどうして僕とアカネの名前を?」
「―――起きて早々考え事か。その傷だ、今は少しでも休んでおくべきだと思うが」
アカネに連れられ、リラの居るベッドにまで足を運んできた柊が気遣いの言葉を掛けてくるとリラはパッとその声のする方向へと顔を向ける。
「柊さん!!」
「あぁ、すまないな。一緒にいてやれなくて」
「良いんですよ。あれは僕達の事を思っての事だったんですから...。その恰好は、先程まで戦っていたんですか?」
普段街中を出歩いている時のようなラフな格好でも無く、異形の討伐に行くときのような戦闘服と似た、衣服を纏い、小型の斧を収納したレッグホルダーを隠す為かやや薄みがかった黒いケープのようなものを柊は羽織っていた。
「いや、まだこれといった襲撃は起きていない。外壁が崩れたことで多少異形が入り込んでくる事があるが、その程度なら被害が出る前に対応できる」
梟が目となり、外敵の侵入を柊にいち早く伝え、それが街に到達する前に彼や衛兵が対処することであの爆発を生き残った人間が襲われるというような事態には陥っていない。
「まぁ、今はですがね。いつ悪魔の信仰者や異形の軍勢が攻め込んでくるか分からない以上、柊さんにはいつ戦闘が起こってもいいような服装で待機して頂いています」
と、言いながら柊の後ろからところどころ赤くなった白衣を纏った青年がリラの下に向かってくる。その顔の下半分を白い布切れで覆ってはいるが、その声と雰囲気で彼が誰なのかはリラでも容易に判断できる。
「協会の...。もしかしてこの包帯もお医者様が?」
そう言いながら撫でるのは頭に巻かれた包帯だ。どうやら爆発の折に頭に怪我を負ってしまったのだろう。
「まぁ、仮にも協会から派遣された医者ですのでね。これくらいのことはお安い御用ですよ。それにアカネさんも怪我をしているというのに、手伝ってくれているお陰で何とかこの診療所だけで治療が間に合っています」
「私は比較的軽症で、目を覚ますのも早かったかから...。それに、それくらいしか出来ないし」
「そんなに自分を卑下することはありませんよ。実際アカネさんは十分すぎる程、働いていました。貴方は街の人の役に立てています。それはそんなことなんかではありませんよ」
「お前が他人を褒めるとは珍しい事もあるものだな」
「正当な評価をしているだけですよ」
それをはっきりと言えるのは彼の悪い点でもあり、美点でもある。こういう時だけは、その神経の図太さが羨ましくなるが、それを差し引いても、彼の印象はとてもではないが良いと言えたものでは無いが。
「えへへ...って。そうじゃないでしょ!リラが起きたなら何が起きたのか伝えなくちゃ」
「そうでしたね。詳しい話は柊さん、頼めますかね。僕は他の患者を診察しなければならないので。アカネさん」
「うん、私も行くわ。じゃあ、また後でね」
そう言ってアカネと共にうめき声のする方へと去っていく白衣の医者を見送る柊とリラ。
「わざわざ僕の容態を確認してきてくれたんですね」
他人の事を気にするようなタイプの人には見えなかったけれど、やはり協会の医者を名乗っている以上その役割を果たすだけの力量も、心構えも持っているのだろうか。不思議な人だ、と何度も思った感想が頭をよぎる。
「もっと冷徹な人間だと思ったか?」
「...正直、そうですね。虐められるのは虐められる方に責任があると言うタイプの人だと思っていました」
「まぁ、そうなのなら、そうなのだろうな」
「...?」
柊の言葉に戸惑いを見せる、リラに「いやなに。簡単なことだよ」と柊は付け加える。
「その人間に真に責められる要因があるのなら、あいつは止めないだろう。正当な復讐、正当な対価を支払っているに過ぎないと。しかし、今回は違った。あいつはこの街の罪を認めはしたが、そこに生きる今の人間に罪は無いと判断した。先祖が犯した罪を、わざわざ子孫が背負う必要は無い、と」
それこそ、柊がリラに伝えなくてはいけない真実だ。あの時、墓所の前でここから先は危険だからと追い返した柊が払うべき対価なのだから。
「情報を伝えることに危険性が無いのは、既に学者から確認は取れている。今すぐに全てを理解しようとしなくてもいい。分からなかった事、また別に知りたい事がある時にはその時、答えられる範囲で答えよう」
そうして語るのは遠い昔、何千、何万と月日、幾度となく過ぎ去った世界で起きた厄災と、そこで隙を求めた人間が犯した、決して許されてはいけない罪。リラもまた、この街に生きる者として、それを知らなくてはならない。
~ ~ ~
「―――戻りましたか」
多くの病人が伏す病室の一角。特に治療を優先すべき重傷を負っている人間が集められたその集団の中を抜けた先、数少ないベッドの上に横たわる、未だ目を覚まさない男と、彼を見守る形で配置された警備兵に、一冊の分厚い本を抱えた女性が二人を出迎える。
「この街の長であるリラは目を覚ましました。事情の説明も現在柊が行っています。それで―――今更、協会の人間が何の用です」
「...緊急事態に際し、増援が必要かと思いまして」
「緊急事態?どこがです、全部、協会は予期していたのでしょう?それを知っても尚、僕等に知らせなかった。―――それがどういう意味か、よく吟味した上で弁明があるのなら聞き入れましょう」
...怒っている、表情には出ないけれど、酷く透き通った怒りがその言葉の節々に感じられる。この人はきっと怒りを見せる時には何よりも感情を乗せていない。
ここに私が連れて来られたのは、この街の代表の代理であるリラのそのまた代理として。彼と最も付き合いが長いのはそうだが、この街で最も信じられる人間が私だったかららしい。
「彼女は?」
「貴女方協会の被害を受けた街の人間、その代表とでも言いましょうか」
「...そう言われると弱いですね。貴方だけならまだしも、本当の被害者を連れて来られては隠しとおすことは不義理に当たります」
「僕等に知らせなかったのは不義理では無い、と?」
正直言って怖い。この場の空気は酷く冷たく、お医者様と協会の人の間では大人がたまに見せる本心を隠して行われる駆け引き、それが行われている。それも命が掛かっているかのような、そんな重たく苦しい駆け引きが。
正直言って怖い。けれど、ここに来る途中、お医者様に掛けられた言葉を私は思い出す。
『―――この先、協会の役員との話し合いでアカネさんには、少々負担のある場面に居合わせて貰います』
『...負担のある場面?』
『会話の内容というより、その場の空気と言いますか。貴方は感受性が人より優れていますから、何というか、その場所に居るだけで怖いと思ってしまうかもしれません』
この人はこういうところで律儀だ。あの墓所の前ではあの人達に酷く冷たい態度を取っていたのに。
『ですが、アカネさんがその場にいるだけで話し合いはスムーズに進みます。こちらは明確な被害者、あちらは事前にそれを止めれていたかもしれない、ある意味での加害者、という立ち位置で話し合いが出来る』
理由はきっと至極単純なものだった。私がこの人にとって利のある存在だからだ。私が居ることで大人の駆け引きは意味を為さなくなる。だって、私は子供で、この街の代表者。協会の人だって人間だ。多分、私に同情を示すだろう。
それだけのことで、それ以上でもそれ以下でも―――。
『―――それに、貴女はあの時、あの爆発を受けてすぐに立ち上がり、多くの人を助けに向かった。街にはまだ危険があるかもしれないのに、それが誰かを助けない理由足りえないという理由で、です』
『でも、それしか私には出来なかったんです。リラに、梟さんに、柊さん。私、たくさんの人に助けられてばかりで、何も出来ていない。ずっと、見えない何かに怯えて、痛みに足を竦ませて』
『それでも、貴女はあの時立ち上がった』
その献身には報いが無くてはならない。彼女は自身が子供であることを自覚しており、多くを為せないことを知っている。―――しかし、何も出来ない訳では無いこともまた、知っているのだ。
『だから―――信頼していますよ、アカネさん』
信頼を預けられるのは少し重たくて、心が圧迫される。誰かに期待をされると、期待に沿えなかった時の事を想像して、ちょっとだけ苦しくなる。でも―――この時だけは何故か、認められたことが素直に嬉しかったのを、覚えている。
―――冷え切った言葉の応酬、互いに何かを探るような話し合いに一人の少女が割り込んで入る。
「どうして...」
「―――何でしょうか」
あまりに小さくか細い、絞り出したかのような声。それを協会役員である彼女は聞き逃さなかった。学者の言う通り、彼女はアカネに対してだけは真摯にあろうとする。それが、彼曰く正当な対価らしく―――。
...対価。
正当な、対価。―――それが何だと言うのだ。不義理だの、対価だの。そんなことどうでもいい。私はただ、己の心の中に沸々と湧いてきたそれを言葉にする。
「なんで、こんな大変な時に言い争っているんですか!!この街の惨状を見て、どうして、まだ何かを探り合う気になれるんですか...?たくさんの人が亡くなって、多くの人が今も苦しんでいる」
「......」
あぁ、そうだ。私は怒っている。けれど、それ以上に―――悲しかった。
「どうして、私達はこんなにも苦しい思いをしなければならなかったんですか...?」
少女の瞳から大粒の涙が溢れ出し、悲痛に満ちた言葉がその小さな体から絞り出される。それを受けて、警備兵の視線が病床に伏す統治者から協会の役員である一冊の分厚い本を持った彼女の下へと移る。協会に依頼され、仕事を忠実に遂行するだけだった彼等が、今この瞬間、立ち位置を中立から廃壁街の方へと一歩ずれていく。
「―――ここまでですね。もういいでしょう、アルフ」
そして、その警備兵達の中、これまで傍観を貫いていた存在が遂にその姿を現す。
「おや、姿が見えないので、てっきりいらっしゃっていないものかと思っていましたが」
「君は相変わらずだな、学者君。最初から僕をこの話し合いに引きずり込む算段だっただろうに...。まぁ、構わない。その少女に悪魔の目が巣くっていないことは確認できた。彼女は先人の咎を知らず、ただ今を生きる人間だという確証が取れた。その時点で、何も隠す必要は無い。―――君に話を聞かれるのだけは癪だけどね」
そう言いながら体を包み隠していた分厚い甲冑を脱ぎ捨て、姿を現したのはリラと同じくらいの体格をした少年。その姿を見て一斉に警備兵たちが顔を引き締めて、片膝をついて首を垂れる。アルフと呼ばれた協会役員の女性と大柄な体格の集う警備兵の中、一際大きな背丈と、年季の入った鎧に身を包んだ男が両脇に立つ。
「だが、今回は明確に協会に非がある。だが、君も理解している筈だ。―――こうなってからでないと僕達協会が本格的にここ廃壁街に干渉することが出来なかったのだと」
そう言ってその少年は涙を流すアカネの下に近づき―――。
「―――すまない、廃壁街に住む罪なき市民の代表にして、勇敢な少女よ。僕の名前はアポレア・ノファロ」
「―――――――」
その名前を、知っている。否、彼の名前を知らぬ者など、この旧国に居る筈も無い。協会長アポレア・ノファロを。
旧人協会を代々務めるアポレアの呪いに身を置き、ここ旧国の為にその一生を捧げる救世主。彼等は協会長を務める時、それまでの全てを捨て去り、アポレア・ノファロになる。
それは比喩でも冗談でも無く、協会長と言う役割を務める時、前任者より名前と記録を受け継ぎ、彼等はアポレア・ノファロになる。その際人格はリセットされ、記憶は上書きされる。ある意味での生まれ変わりと言っていい。その時、その瞬間より生を受け、以降をアポレアという人間として生きることになる。
「城塞都市スパーリニアについての記録は実に100と18回前の世界から続いており、先代も多いに頭を悩ましていました。先代曰く、―――私の代では切除することは出来ない世界の癌だと。ですが―――ようやく運命が出揃いました」
しかし、目の前のアポレアを引き継いだ少年はそんなことを微塵も感じさせない、確固たる意志を持っていた。たとえ過去を知らずとも、アポレアの記録を引き継いだ時点で、彼の精神性はとっくにその行く先を決めていた。
「118回前の世界より続く呪いに終止符を打つ時が来ました。ルピナスの献身を知る者の一人として、僕は僕の責務を果たす。ですが、―――それ以前に僕は貴女達贖罪を果たさなければいけない」
既に呪いの切除は廃壁街の一部の人間達の懸命で賢明な手段と、学者の知識欲と柊の特異な共感能力によって為された。最早、呪いに怯えて過去を隠す必要は無く、協会にもようやくこの問題に着手する事が許された。
「学者君、君がここに彼女を連れてきたのは彼女にも知る権利があると判断しての事なのだろうが、良いんだね?柊君に恨まれることになるよ」
「えぇ、彼女には知る権利があります。それは彼女の献身の成果であるのと同時に―――彼女の罪でもあるんですから」
たとえ、それが柊に恨まれるような行いだとしても関係ない。彼女は遅かれ早かれ、それを知らなければならない。
「では、語ろうか。アカネ君、いや―――リーリャ。君の生きた時代の話を」




