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キセキとは、何の前触れもなく起きた偶然であり、積み重ねによって訪れた必然でもある。第三者にとっては突然起きたことのように見えても、ある人間にとってはきちんとした手順、工程を経て至ったものである。
故にキセキとは、奇跡であり、軌跡なのだ。
「―――成程な、よもや狂学者だけでなく巫女とも通じていたとは。ルピナスめ、考えたな」
城塞都市がヒイラギの手によって存在事消されてから一刻半が過ぎた頃、その跡地にて積まれた死骸の山とその上に座す一人の人間を見あげながら彼女は呟く。
これは駄目だ。幾ら13の賢人の祖であり、統一帝国を率いた彼女とて始まる前ならまだしも既に始まってしまった世界の滅亡までは止められない。
「あぁ、落ちる。空から来たる、終わりの羽」
「...狂っているか。いや、当然だな。これまで幾万、幾億の世界を救わんとした貴様が正気で居続けられる筈が無い。―――お手上げだ。私にお前を裁くことは出来ない以上、受け入れざるをえないな」
赤く染まった空はまさしく世界の滅亡に相応しい光景と言えるだろう。立ち上る硝煙の匂いと積み上げれた死体から香る死臭が更にこの状況が如何に終わりきっているかを現していた。
遠くから聞こえる何かの動物の鳴き声と、一瞬空を覆った黒い影。遠くで何かが落ちる音がして―――。
ぐしゃりと、女の体が潰れ、世界から音が消えた。
―――世界の終わり。それはこれまで幾度となく繰り返されてきた今更驚く必要もない一つの終わりだ。
しかし、この世界の歪なところは世界の終わりが終わりでないこと。
世界が終わった後、何らかの要因によって世界はその有り様を少し変えるだけで、殆ど同じ形で再生される。だが、そこで同じ国、同じ人間が生まれることは基本的にあり得ない。
誰もが前世の記憶を持ちながらも新たな人間として歩きだすのだ。
だが、勿論例外は存在する。
例としてあげるのならば、ある一つの国から分かれて生まれた7つの大国と、その国の王は名と形を変えず、新たな世界でも全く同じ存在として生まれる。
それ以外にも防人と呼ばれる存在も、防人として覚醒するまでは別の人間として生を享受するも、王との邂逅により防人としての自認と情報の上書きが行われ、これまでの記憶などを取り戻し、王に仕える戦士となる。
要は、抜け道があるのだ。形を変え続ける世界、繰り返すという新たな世界の理においてもそれを超越し、引き続き同じ生を歩き続ける為の抜け道が。故にこそそれらは特別であると言える。
だが、―――その特別が普遍的に当たり前のように、人が息を吐くのと同じように他の人間にも与えられた場合は?
そう、異常、異変、或いはそれを―――キセキと呼ぶのだろう。
「――――――!!?」
ハッと夢から覚めたかのように私は目を開いた。何が起きたのかは、体に残っている感覚が覚えている。体を、心を、魂をも斬り裂いたあの痛みが未だに内側で朧げな感覚として残っている。
「一体、何が起きて...?いや、そんなことよりも―――」
何が起きたかの確認よりも先に確認するべきことがあった。時計の秒針、それが指し示す現在の時刻と、その暦を正確に示す砂で出来たカレンダーの確認だ。
そして、私はおおよその事態を把握する。時刻は午前零時。日にちは―――昨日と変わらぬ3月4日。
―――私は時間を逆行した、否。そんなものものではない。あの時、あの場において城塞都市とそこに在った全てはヒイラギアカリと呼ばれていたあの男の手によって消滅させられたのだ。あれは人を、物を、現象を、空間を、時間を、―――理たるその機構、それを造り上げた神すらも切り裂き、消滅させることが出来る。
故にあの世界線、あの瞬間にありとあらゆる並行世界からすら城塞都市は消失した筈―――筈なのだ。
「...誰の、記憶だ?」
ズキズキと痛む頭は、体を奪われかけていたあの時よりはマシだが、それでも防人として自我を上書きされていた名残が残っているのだろう。だが、飲まれなかった。
「―――違う。飲まれる前に...?」
遠ざかっていく彼方の記憶。そこで一人佇む彼の顔が浮かぶ。誇るべき戦友、数少ない理解者にして、運命に踊らされ続ける同胞の姿が。
「あんたは、まだ戦っているのか。あの後も、これからも―――。......?」
自分ではない誰かが最後に顔を覗かせ、それを最後に違和感が姿を隠す。原因によって齎された痛みがあっても、すとんと、体が軽くなったように感じると、とてつもない睡魔が体を襲う。
「寝ちゃ...駄目、だ」
だが、それは決して彼に逆らえるようなものではなかった。人生で一度も感じることの無かった強烈な睡魔がシオンを襲い、それに抗う事も出来ずに彼は瞳を閉じ、暗闇の底に沈んでいく。
~ ~ ~
「―――。――ぉ、――シ―――ン。シオン!!」
体を揺さぶられると共に、誰かが叫ぶ声が聞こえシオンの意識が現実へ引き戻される。目を開くとそこには息を切らしながら自分の名前を呼ぶ見慣れた同僚の姿があった。
「リーリャ...?」
だが、その服装は普段メイドとして仕事をし、その仕事に誇りと信念を持った彼女らしからぬ可愛らしい動物のデザインが施された刺繍のあるパジャマに身を包んでいる。故に在り得ないのだ、私生活と仕事を切り離して行動する彼女が、それを羽織ったままここに居るという事が。
そして、普段冷静な彼女らしからぬ焦り、動揺した姿から異常事態が起きていることは容易に理解できた。
「今、この街で何が起きてるんですか」
「皆、貴方やさっきまでの私のように眠ったまま目を覚まさないの。夜に警備を担当していた筈の衛兵も、毎日朝早くに起きて仕事の準備を始める果物屋のおばあさまも...。それに―――ルピナス様の呼吸が浅いの」
「――――え」
「名前を呼んでも、必死に体を揺さぶっても、目を覚まさないの。そんなこと、今まで一度も無かったのに。私だけ目が覚めて、何が起きているのか、もう―――分かんないの」
顔を両の手で顔を覆い、今にも消え入りそうな涙声でリーリャが状況を説明する。彼女も事態を未だに飲み込めず、混乱している筈だ。だが、彼女は必死にシオンに現状を説明した。感情に振り回され、ちぐはぐな報告にならぬように、感傷に浸り過ぎて大袈裟に表現せずに、全てをありのままに伝えた後に、ようやくため込んでいたものを吐き出す。
故に、シオンは彼女のその献身に報いなければならなかった。彼女が自分を頼ってくれたのだから、その信頼に答えるためにシオンは自分の私情を全て捨て去る。眠りに落ちる直前、抱いていた疑問や疑念よりも、今は取るに足らない。
それはこれから起こるであろう未来から逃避するのではなく、見ようとせずに蓋をするのではない。―――それはまさしく、シオンが持った善性であり、目の前の人間を救おうと必死に足掻く人間のものだ。
冷たい武器であり、王を守るだけの道具である紫苑ではなく、ルピナスが育てたシオンという人間の善性の発露。
「分かりました。リーリャ、貴方はまず衛兵を起こしに行ってください。恐らく僕のように名前を呼びながら揺すぶるだけで彼等は起きるでしょう。起こした衛兵にも同じことをさせ、まずは城内の人間を起こさせてください。途中、適当な人数の衛兵を王室へ来させてください。彼等には僕から別途命令を下しておきます。出来ますか?もし辛いようなら」
「...大丈夫。シオンは―――ルピナス様をお願い」
「――――えぇ。リーリャもあまり無理をしないように。起きてきた人の数が増えてきたら小休憩を取って心を落ち着かせる時間を取ってくださいね」
そう言ってシオンは自室を出て、ルピナスが眠る王室へ向かう。未だ気怠い体、それを物ともせず場内を駆け抜け、ルピナスの眠る王室へとたどり着き、彼はそこから溢れ出る瘴気に目を疑う。
「なんだ、これ」
ルピナスの自室にして、城塞都市の要たる王が住まう王室。普段であれば昼夜問わず厳重な警備の下、ルピナスはそこで眠りにつく。
それだけじゃない。ここに至るまでに人の手による警備はもちろんのこと、旧式とはいえ魔法と呼ばれるものに近い結界が張られている。
それはルピナス自身が張ったものであり、それが破られたとなればルピナスは如何なる眠りにあっても目を覚まし、迎え撃つことが出来る。
王とは民を守る者であり、その為に必要なものは力や知識はもちろんのことだが、命がなければ何も成せない。死んだ人間は何かを残すことはできても何かを成すことは出来ない。
故にルピナスは何よりも生にこだわった。他者は勿論、自身の命さえも自分だけのものではないのだと。
「...なん、で」
結界は破壊されていない。何者かが干渉した痕跡さえ残っていない。それはつまり、彼の安全が保障されているも同然だった。―――故に、侵入者無き王室から溢れる瘴気の出所が分からない。一体だれが、何の為に、リーリャはこの瘴気の存在に気づかなかったのか?
尽きぬ疑問と葛藤、震える指先で取っ手に手を掛ける。ルピナスの結界を通る為の承認、かつて父が張った結界は今も健在だ。誤作動も起こしていなければ、部外者の侵入を許した訳でもない。
―――開いたドアの先、溢れ出る瘴気がシオンの全身を包み込む。と、同時にシオンを襲った不安感と吐き気、たまらず口元を抑え、喉奥から湧きだしてきた吐気を飲み下し、シオンは痛む頭と絶え間なく襲い来る吐き気に耐え、ふらふらとした足取りながらもルピナスの眠る寝台の前に到達し―――。
「――――――ぁ」
あぁ。駄目だ。これは―――もう。
「...そ。くそ、くそ――――くそぉ...」
嗚咽と共に大粒の涙が瞳から流れ、べちゃべちゃとした液状とも固形とも言えぬ消化途中の吐瀉物がシオンの口から吐き出された。
この瘴気は生者を蝕む狂気の毒。その残滓ですらここまでの効力を発揮している。ともすれば、それを一身に浴び続けたルピナスがどうなっていようかなど、考えるまでもなかった。
それでも、信じたくなど無かった。この目で見て、しっかりと確認するまで悲観的で絶望的で、目を背けたくなるような事実を受け入れたくなど、無かったのだ。
リーリャが言うように呼吸はしていた。それは酷く浅いものであり、耳を近づけなければ感じ取れない程微弱ではあるが、肉体は辛うじてその機能を完全には失ってはいない。
―――だが、肉体があろうとその中身が奪われてしまったのなら?
人を人たらしめるのは肉体だけでなく、その内に宿る魂があってのこと。どちらも必要で、どちらかが欠けてもいけない。
故に魂が欠けてしまったルピナスは死んでしまったと結論付ける他ないのだろう。不完全な生、欠けて、失われてしまった形を───紫苑はその目で見て、感じ取ってしまった。
───もう、戻らない。戻れない。失われた形、真ん丸な月は欠けて、道はそこで途絶える。
落涙が血涙に変わり、吐き気を催し、歪んでいた口元が僅かに上がるのを、―――彼女は遠くから見ていた。
「皮肉なものだな。今生をその国に住まう民のために捧げた貴様は最後の最後に子の親であろうとした。その結果がこれか」
暗闇に包まれた漆黒の空間。そこにポツンと置かれた玉座に座る女は少しの憂いを秘めた顔で呟いた。その傍らには未だ目覚めぬ側近の姿があり、彼女の言葉を聞いている存在はこの世界には居ない。
だが、彼女は知っている。遠い未来、これから幾度と無く巡った先にあるその景色を。
「お前は親である以前に王であらねば無かった。命の価値を知り、平等なものなどこの世界には何一つとして存在しないということを知っていながら、自身を犠牲にした。国の存続に必要なものは民ではなく、王だ。それを失えばどうなるか分かっていたろうに」
王に必要な器と資格、それを併せ持った人間を彼女は多くは知らない。時にどちらが欠けていたり、どちらも持ち得ない出来損ないが王になることもあったが、どれも国として長くは続かなかった。
しかし、ルピナスはそれら凡俗な者達とは違い、王として必要な器と資格、両方を備えたまさに賢王であった。優しさを知り、必要であれば切り捨てる為の覚悟と冷酷さを併せ持っていた。
「特異な緑血を持ち、賢者に等しき知識を持ちながらも、お前は王としてではなく親として死んだ。───その選択ができた事を私は羨ましく思うよ」
だが、その結果がこれだ。先を見るのではなく、刹那の感情を優先したルピナスは残された者の気持ちを知らなかった。
それもそうだろう。彼はいつだって先へ進んでいく。世界を救う英雄の仲間として歩もうと、呪いを宿して生まれようと、彼という人間は大切なものを守る為にその命を賭した。
玉座の近くで眠る男の瞳から一粒の涙が零れ落ち、その一滴が過去を覗き見る存在の景色を正しい方へ修正していく。
―――そうして、記録は巡る。全ての始まり、全ての終わり。諦観と怠惰、人の持つ業、己が感情を優先した人間達の末路を。




