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真球理説  作者: root
第一章 原罪
15/21

第一章 7話 <先の先>

「―――なるほどな。柊アカリというのか、お主」


「あぁ、誰と勘違いしているのか分からないが...。いや、どこかで会ったのか?」


「心配せずとも儂の勘違いじゃ、儂の知っている柊と言う男とお主は血は繋がっているじゃろうが、別人だろう。しかし、そうか。あの男の子がこの墓所に...」


頭を締め付けていた痛みが引いていき、次第に冷静さを取り戻していった柊は目の前にいる老人に自身の名と、墓所の中に立ち入った理由を説明し、それを聞いた老人は納得したように言う。


「外が騒がしいのはそれが理由じゃったか。全く、ここまで来るのにどれだけ時間が掛かった事か」


「やはりあんたは知っているんだな。この街の秘密、何の罪も無い今を生きるあの人達がどうして苦しんでいるのかを」


「知っておるとも、お前さんと外に居る賢者が知りたい事全てを。じゃが、一つ訂正しておこう。外に居るあの老人共を貴様は罪も無いと言ったが、それは間違いじゃ。あの者らだけに限った話では無いがな」


「―――何だと?」


この老人の言い分だと今も現実世界で必死に生きている廃壁街の住人全員が罪人だと言っているようにしか聞こえず、柊の思考に僅かな熱が籠る。


「自分達が犯していない罪に苛まれ、それを自分達の代で断ち切ろうとしている人間達が罪人だと?何も知らない子供たちまでもが罪を犯したとお前は言うのか」


「そう熱くなるな柊の末裔。今のは儂を形作る集合意識の見解、儂自身の意見ではない」


「―――お前は、さっきから何を!」


「じゃから、そう熱くなるな」


柊の糾弾が何もない真っ白な空間に響き渡る。世界が平面なのにも関わらずその声は木霊し、柊の声が何度も繰り返される。しかし、その声は山彦のように遠ざかっていくのではなく、少し離れてから柊の下へ返ってくるかのように近づいてくる。

木霊したその声が返ってくる頃にはそれは柊の声ではなく、幾重も重なった誰かの怨嗟の声となり―――。


「絶望と渇望、死ぬ間際に残された苦悶の声から、誰かを呪いながら死んでいった者達の声だ。幾万という月日が流れ、世界を越えて尚この場所が残り続け、儂の魂が世界の再生によって抹消されなかった理由がこれだ」


そうしてその老人は立ち上がり、迫りくる怨嗟の声を跳ね返すように腕を横に振る。その動作によって白い世界に黒い波紋が広がり、柊の怒りを糧に零れ出た呪いが一瞬の内に祓われる。


「ここではあまり激情を見せるな、柊の子孫よ。奴等は生きている人間の負の感情を利用して自らを増長させる。じゃが、今回のは儂が悪かった。すまなかったな、酷な言い方をした」


その老人は律儀に頭を下げ、長く城塞都市を治めてきた王として生きてきた年月の長さと、その統治が如何に善政であったかを彷彿とさせる。―――だから、許せなかった。沸き上がる怒りは、悲しみへ。頭を焼くような痛みが喉元を刺すような苦しみに変わる。


「...どうして、お前はそんなに大人なんだ。どうして、冷静でいられる」


「お前さんは少し感情移入をし過ぎだ。一々他者の痛みを理解していては生き辛かろうに」


「―――無理だ。何も感じないなんて、それじゃあ化け物みたいだろう」


「そうか、善い事だ。だが、生きる上ではこの上なく無駄なものだとも言える。他者を踏みにじり、踏み台として生きる事は道徳的に良くは無くとも、生きると言う意味ではこの上なく効率的なものと言える。多くの人間がそうしてきたし、これからも生きる為の正しい行いを選ぶ人間は居続けるだろう。―――だが、お前さんのような間違いを持った人間に儂は敬意を払おう」


老人は一歩柊の方へと歩み寄り、その手を伸ばす。しわがれ、年季の入った手を握ると、魂だけになってもその手の温もりを柊は感じ取る。同時に、それは正しい意味での儀式の始まりでもある。


城塞都市スパーリニア、エンプティーの度重なる襲撃によって終末国家として滅びゆく定めにあったその国の全盛期。終わりの三年を踏み越え、奇跡の七年と呼ばれる程の繁栄を極めた彼の大国が以下にして滅亡を回避したのかを。


―――そこで生きた、幼き王の話を私は語ろうと思う。


【記録 周回期第二再世歴13年】

 

この記憶を見ている誰かへ。初めまして、私は城塞都市スパーリニアという小国で王を支える宰相として王宮に勤めているシオンという。君達の時代では珍しいかもしれないが、シオンという名しか私は持っていない。


この名は私の仕えているルピナス・ツクンフト様が路地裏で凍死しかけていたあの夜、凍える体を毛布で包み、助けてくれた時につけてくれた大事な名前だ。私を捨てた両親が付けた名など知らなくとも良いと思える人生を送れているのは間違いなく彼の王、ルピナス様あってのものだ。


だから、私はこの記録を残すことにしたのだ。この美しき城塞都市に住む、民に優しく、善政を敷き、他国の人間にも優しき賢王が後世に国を滅ぼした暴君などという汚名を被らない為にも、私はあの人の造り上げたこの国の正しき情報を後世に伝えんとする為に。


「日記か、シオン」


気づくと、手記を取る私の後ろで聞きなれた大事な人の声が聞こえ、私はペンを置いて振り返る。


「ルピナス様」


「様などつけなくてよいと言っただろう。お前は私の子も同然。昔のように父上と呼んでも構わないと言うに」


「...いえ、今の私は貴方に仕える人間の一人です。私だけが特別では、周りの人々に嫉妬されてしまいますから」


かつてのように何も知らない我儘な子供のままであればそれでも良いだろうが、成人した今、それも宰相という立場からすれば子供のように振舞うなどあってはならないのだ。

私はこの国を背負う役人の一人。そして、ルピナス・ツクンフトを支える大人として在らねばならない。


「子はそう思うだろうがな。やはり親としては大きくなろうと子は子。甘やかしたくなるものだ。―――しかし、お前がそれを嫌と言うのなら儂もそろそろ子離れをせねばならんな」


そう言って悲し気に微笑む父の姿を見て、ほんの少しの罪悪感と、これで良いのだという大人としての常識がせめぎ合う。


―――そして、


「...そんなに悲しまないでください、父上。私はこの名を貰い、この生を貴方に貰いました。ですからこれがせめてもの親孝行なのです」


悲し気な優しき父の手を握り、私はせめてもの償いとしてその細く暖かな手を握り、目の前の愛おしい父を悲しませまいと微笑む。


既に貰うものは全て貰い、与えられるものは全て与えられた。私が今もこうして生きているのも全てはあの夜この方に救われたから。生涯かけても返せない程の大恩を返す為に、私は今を生き、王を支えると決めたのだ。


「...そうか、そうじゃな。お前は昔から優しく、聡い子だ。だが、もうこんなにも大きくなったのだな」


かつては両の手で包み込み、温めることの出来た小さな手は重い荷物の運搬、豆が出来るほどの書記業務で出来たぶあつい皮の奥底に隠されている。記憶の中のシオンは今も小さいままなのに、目の前にいるシオンはこうも大きくなってしまった。


「お前は一人の大人として成長し、儂も支えられるような年になったか」


「あの夜から10と3年、人が変わるには十分な年月です。ですがルピナス様はまだまだお若い、これからもこの都市をお支えなさるのでしょう」


「お世辞も言えるようなったか。儂はただの老いぼれ、お主らと変わらぬよ」


「...えぇ、そうでしたね。ほらルピナス様、明日も早いのでしょう?早く休み、少しでもお疲れを取らねば」


「それはお主も同様じゃろうて」


そう言ったルピナスへシオンは悪戯をする子供ような笑顔を浮かべ、


「夜更かしは若者の特権、ルピナス様はもうお若くないのでしょう?」


「―――。ハッハッハ、してやられたわ。そうじゃな、老躯は早めに休息を取り、明日に備えるとしよう」


昔から変わらぬ王宮の一室、子供用のベッドや絵本が残されたままの部屋の扉が閉まる直前、ルピナスは「そうじゃ」と思い出したように扉の取っ手を抑え、振り返る。


「知っておるじゃろうが、明日の午後、他国より王とそのご令嬢が訪れ外の怪物共の対処について話し合う。決して遅れる出ないぞ」


「えぇ、勿論です。そのような大事な会議の場に遅刻するようなことがあってはいけません。午前の内に公務は終え、お迎えの準備をする予定です」


「そうか、であれば良い。――よいか、決して遅れる出ないぞ」


珍しく念を押してくるルピナスにもう一度返事を返し、重厚な木製の扉が閉まるとシオンは日記を付けていた革製の本を戸棚の中にしまい、カギをする。そして成人の祝いとして送られた豪華なベッドに横になり――数分後には小さな寝息を立てて、シオンは眠りについた。


『―――暖かく、穏やかな物語の始まり。今の僕が君へ残せるせめてもの贈り物だ』



~ ~ ~



慌ただしい午前の業務を予定より一時間早く終え、午後に控えた会合を前にシオンは城の衛兵や使用人と共にその下準備を始める。


「出迎えは私とルピナス様の二人だけで行くことになった。会議の最中は一時的にだが王宮を閉める予定だ、衛兵は鼠一匹通さないように」


「かしこまりました」


「あとは料理なども運び込む形式ではなく、予め机の上に並べて置き、何か必要なものがあれば適宜私が厨房に受け取りに行くことになっている」


「お料理が冷めてしまいますがそれでもよろしいのでしょうか?」


「あぁ、構わない。今回のものは談話をしながら友好を図るものではなく、近年活発化してきたエンプティーの対処や極北にて三度(みたび)観測された龍の再封印に関しての話し合いが中心になるだろうからね」


小国であるとはいえ最低限の国交がある以上食事会という歓談がメインの催しもあるが、今回は事態が事態。龍の対処については一国に留まるものではなく、その存在が確認された永久凍土から遠く離れたこの地も当事者になり得る。


龍というものはそれほどまでに強力で、その対処を後回しにしてしまえば間違いなくその世界はたった一頭の龍によって滅ぼされるだろう。既に封印から解き放たれたことでただでさえ劣悪な環境である極北の地の大部分の国が終末国家として認定、壊滅ないしは放棄が決定されている。


「この話し合いは城塞都市、引いては世界の存亡が掛かったものといっても過言ではないでしょう。まぁ、世界の滅亡なんていい加減慣れてきたのか、事態をそう重く捉えない国も増えてきましたが...」


「ルピナス様はそんなこと許さないでしょうねぇ。あのお方はこの国を、この国に住む人間を愛していますから」


「えぇ、たとえ世界が何度滅び、再生しようとその世界に生まれた人間のその人生が一度きりであるものに違いはない。そんな当たり前すら変わりつつありますが、ルピナス様はお考えを変えるつもりはないと言っています。今回の会議はその為の協力要請でもあります、他の国が動かないのならせめて動ける国だけでも寄せ集めて抗うのでしょう」


その中でも今回の話し合いに同席する国は城塞都市とそう変わらない小国であるにもかかわらず、特殊な力を持った人間が多く生まれ、その人間達で構成された戦闘部隊を持つことで有名な先進国家の一つ。

龍という空想の存在に対処するには物資もそうだが、戦う人間の質、数も重要である。


()()が既にこの世界を見限っている以上、龍に立ち向かう英雄の誕生は期待できない。であれば人海戦術が現状最も適した戦法であり、それ以外に方法は無いと言ってもいい。


「―――シオン、こんなところで時間を潰していていいのですか」


と、そこまで考えたところで大広間の扉が開かれる。扉の向こうから歩いてきたのはルピナスの午前の公務を手伝ったリーリャという使用人だ。シオンがルピナスに引き取られた当時から王宮に仕える古株も古株、シオン自身幼い頃は身の回りの世話の殆どを彼女にして貰ったことから、付き合いも長く、宰相と言う地位を得て尚、彼女の自分への接し方は変わらない。


年齢も自分とそう変わらないと言うのに彼女は昔からしっかりしていて、そこら辺の大人よりよっぽど大人らしかったのを覚えている。


どれだけの年月が経ち、立場が変わろうと尚変わらないその繋がりをシオンはありがたく思っており、ルピナスも物怖じしないリーリャを重宝しており、今となっては公務にも付き添わせるなど一介の使用人とは思えない待遇だ。


「ということはルピナス様も公務を終えたんですね」


「えぇ、先程街の視察が終わったところです。今は自室にて貴方を待っていますよ」


「分かりました。ではこの場はリーリャさんに任せても?」


「えぇ、それが使用人である私の仕事です。貴方には貴方しか出来ない仕事がある。シオン、ルピナス様のことをしっかりと支えるのですよ」


「勿論です、では」


そういってリーリャと入れ替わるようにシオンは衛兵達の横を通り過ぎ、大広間の扉の取っ手に手を掛ける。


「あぁ、そうだ。シオン、一つ言い忘れていました」


「はい?」


先日の夜にも似たやり取りをした気がする。今回部屋を後にするのが自分か自分ではないかの違いしかない、そんな既視感のあるやり取りを。


「粗相のないように。あとは...そうですね。―――頑張りなさい」


「......?」


「私に言えることはここまでです。応援していますよ、シオン」


彼女が一瞬何かを言い淀んだように見えたのは間違いだろうか。幼い頃から付き合いがあるシオンにとってそんなリーリャの姿はあまり見たことがない。先日もそうだが、どうにも隠し事をされている気がしてならない。


そんな些末な疑問を持ちつつも、シオンは刻々と迫る時間に追われるように大広間の扉を閉め、ルピナスの私室へ早歩きで向かう。


「お待ちしておりました、シオン様。王が中でお待ちです」


「あぁ。ナルガス、シルトギア、二人とも午前はルピナス様の護衛ご苦労だった。長い間気を張っていて疲れたろう。しっかり休息を取り、午後の公務に向けて他の衛兵と合流し、引き続き街の警備を頼むよ」


街の視察とはいえ、王が城下町を出歩く以上、護衛は必要だ。ルピナスは善政を敷き、多くの民に慕われてはいるが、仮にも王である以上その命が狙われるリスクは少なからずある。ここより遥か東、遠方の国ではルピナスと同じように街の視察をしている最中、その命を狙う何者かに雇われた傭兵集団から襲撃を受けた等、不穏な話は尽きない。


最悪なのは、その国の資源ないしは希少的な人材などを狙っている国が雇った可能性もあるということだ。そういった国同士の諍いは今も絶えず続き、各国間の緊張は高まりつつある。エンプティーという人類共通の敵が現れてからどれだけの年月が経ち、数多の世界が滅んでも人類は学習しない。


「どうした、シオン。考え事か」


「―――っ。も、申し訳ありません、つい考え事をしておりました」


午前中ルピナスの護衛をしていた二人の傭兵を見送り、その任と共に会議の進行を任されたというのに、こうも他の事に気が取られては、何か起きた時に対処することなどできはしないだろうに。


「構わんよ、人間誰しも考え込むことはあろう。特にお前のように周りが良く見える賢い子なら尚更考える事は多かろう」


「ルピナス様ほどではございません。私に見えているのはこの小さな手が届く範囲に居る人間だけです。少しでもこの手から離れてしまったものや、私の手から進んで離れていく人間を止める為の言葉も、力も私は持たない」


「―――それでいいのじゃよ。人によって出来る事柄には限りがある。救いを求めぬ人間を救おうとし、意思だけが先行しては本来ならば救えたものまで取りこぼすことになろう。であるのなら、自分に出来る限界を見定め、自分に助けを求める人間だけは救えた方が良い。誰かを救おうという優しさを持つ人間はシオン、お前だけではない。きっとお前の手から零れた水を掬うことの出来る人間はこの世界に居る」


「私には救えないものも、救う事が出来る人間」


世間ではきっとそれを英雄と言うのだろう。自身の事を顧みず、多くのものを見て、多くを救わんとする心とそれに見合うだけの力を持つ人間。

今も人類の救済、引いては世界の救わんと願う巫女のような、清らかで大いなる力を持った人間のような、そんな存在こそ今の人類には必要なのだろうか。


「―――そう悩むでない。もっと簡単に考えるのじゃ。世に言う英雄にしか救えぬものがあるように、英雄では救えないものも世界にはある。誰も彼も、全てを為し、全てを救うことなど出来はしないのだからな」


「それでも、それを為そうとする人間をルピナス様はどう思いますか」


「―――どうじゃろうな。儂は既にそれを諦め、その意思を憐れで身勝手なものだと思うようになってしまったが、幼い頃は違った。特別な力を引き継いで生まれ、他人より秀でていたと言う自尊心がそう思わせていたのかどうかは知らんが、儂ならば世界を救えると息巻いていた時期もあった。だが、世界を知り、多くの物事と人を知って、儂もまた凡人であることを知って、夢を諦めた」


何かを諦めてしまった人間が同じ意思を持ち、自分と同じことを言い、自分と同じ事を為そうとする人間を見て、それを否定したり、揶揄うことすらあるのだろうか。かつては自分も抱いたそんな哀れで―――何よりも尊き、輝く意思を前に、自分はどうするのだろうか。


「儂もまた、醜く酷い人間じゃ。だが、せめてそれを為さんとする人間が居た時にはその背中を押せるような人間でありたいと思っている。他者を侮蔑し、無理だと嘲笑う悪心があるように、人には善の心がある。考え方はその時々の立場や環境によって異なるが、せめて困難な道を歩く事を決めた者には誠意と敬意を持つべきだと思っておるよ」


考えの奥底には侮蔑があるにしても、それは自分が為すことが出来なかったからという僻みや妬みからくるものだ。それを知らず、ただ輝くものを追い求める者に現実を教えるのはきっと自分の役目ではない。故にルピナスは表面を取り繕い、その背中を押すべきなのだ。


「嘘をつくことは悪なのではないのですか?」


「何かを取り繕う事は悪ではない。要は自分の為か、他人(ひと)の為かじゃよ。人間とは難しい生き物だ、心に振り回され、感情に飲まれやすい。それでも―――自分を忘れてはならぬ。シオン、故にお前は心を律することの出来る優しい人間のままであり続けよ。他者を貶め、無様を笑うような人間では無く、手を指し伸ばせる人間であり続けるのだ。そうすれば自ずと人が付いてきて、次第に心は迷わなくなろう。今はどれだけ迷い、変わっても良い。ただ、他人(ひと)を尊ぶ心を忘れてはならない。これを」


「―――怪物にならない為の方法と言う」


「そうじゃ、昔からお前にはよく言って聞かせた話じゃな」


昔からルピナスが言ってきた怪物の話。心の醜い人間が次第にその体も醜く歪み、終いには怪物となり多くのものを傷つけ、世界をも滅ぼす怪物に成り果てると言うどこでも聞くような教訓の役割を持ったお伽噺。大衆に知れ渡り、やがれ長い年月を経て忘れ去られてしまうその悲劇をルピナスは忘れることはない。


「少し、話し過ぎたようじゃな」


街の中央にある小さな監視塔から午後の始まりを告げる鐘の音が聞こえ、客人を迎え入れる為の時間が迫っていることを知らせる。城内からは慌ただしく動き回る衛兵や使用人の足音や会話が聞こえ始め―――。


「さて、行こうか。客人を待たせてはいけない」


「かしこまりました」


これ以上ルピナスの時間を取らせては悪いと思い、シオンは胸の内に燻る気持ちを抑え込み、その背中についていく。


王室を出て、数人の衛兵がシオンの更に後ろへ付き、他国の使者を迎え入れる準備が整う。

小さくとも、外界からの脅威を阻む城壁、その正門が開かれ向こう側から馬車に乗った複数の王族が訪れる。


王宮へ続くまでの街道は多くの衛兵を動員、そこに住む商業組合の手も借りて事前に舗装や飾りつけを行ったらしく、シオンの知らぬところで街は大きく様相を変えていた。市民の多くが今日この日にその客人が訪れる事を心待ちにし、来訪を心の底から祝福している。


「私の知らぬ間に街はこんなことになっていたのですね」


「お前にはここ数日事務などの王宮内で出来る事を任せていたからな。衛兵達にも今日この日の事をお前には伝えぬよう言っておいた」


「?」


確かにここ数日、シオンはルピナスが度々城外にて公務をしている中、その補佐ではなく城内で行なわれる市政のこと、外部から訪れる客人の対応など、殆ど外出をすることのない城内で行なわれる業務をルピナスに代わり行っていた。


それも全てはルピナス直々に頼まれたからだ。ここ数日城外での公務を優先せねばならないから、そんな自分に代わりシオンが諸外国の客人の対応をしてくれと、彼自身の口で言われたからこそ、シオンはその期待に応える為に快諾した。


「良いか、シオン。決して心を乱してはならぬ、お前はお前のしたい事を選べ。儂らのことなど構わず、自分の正しいと思った道を行くのじゃ」


「一体何を―――」


シオンは何も知らされていなかった―――否、正確に言えば知らされていたことに偽りがあったのだ。初めからシオンには何も伝えてはならない、それが先方から出された条件だった。


「久方ぶりじゃな、―――ヒイラギよ」


「条件は守ってくれたようだな」


「当たり前じゃ、元より破ることなど出来ぬよう儂を監視させておったろう」


「勿論、お前は昔から情に厚く、俺の知っている人間の中で誰よりも賢く、そして、誰よりも人に優しかった。―――そんな人間が我が子も同然の者を手放す可能性があり、それに加え危険が伴うとなればそれを阻止してかかるのは彼の王には筒抜けだったようだ」


何を話しているのか分からない、何が起きているのかは勿論だが、それ以前の事もシオンは何も知らされてはいない。


「―――だから、一体何が...!!」


一瞬、心が激情に支配されかける。疑問と欺瞞が混ざり合い、疎外感と何も知らされなかていなかったという事実が失望を覗かせた時―――ヒイラギと名乗る男の背後馬車から降りてきた人間を見た。


透き通る黒き闇を灯した髪と瞳、湧いた感情が一斉に塞き止められ、新たな感情が心を支配しかける。

歓喜に湧く市民、その中でこの場に居る自分とルピナス、そしてヒイラギという男だけがそれに支配されなかった。


「―――何で、貴女が」


「シオン」


覚えている。あれから幾度も生と死を繰り返して尚、魂に刻まれていた記憶。消えかけていた傷跡、それが無遠慮にこじ開けられる。


「柊、護衛はここまでだ。お前は下がれ」


「―――は、王よ。どうかご無事で」


「万が一にもそれは無いだろう。なぁ、賢族の倅よ。人より優れた知性を持ち、人間以上の寿命を持った、エルフの血を引いた人間よ」


「あぁ、そうとも。儂には何も為すこと等出来ない。たとえ何を思おうと、この体に流れた血がそれを許さぬ」


エルフ、誰もが一度は聞いたことのある耳の長い人型の生物。それは多くの創作物に登場し、多くの人間を魅了した空想の存在。それが形を成し、人との間に愛を育み、子を産めばどうなるか。

空想と現実、どちらにも属さず、どちらにもなれない出来損ないが生まれるのは目に見えていた。


人間とはかけ離れた力と常人以上の寿命を持ちながらも、エルフという存在には遠く及ばない。人のコミュニティでは化け物と疎まれ、エルフの集落では汚れた血と蔑まれる。


「お前ほど長く生きた混血を私は多く知らない。殆どの者がその使命に耐えられず、次の世界へ旅立っていくからな。故に私はお前を称えよう、ルピナス・ツクンフト。貴様の人生がどれほどの苦難と苦痛を伴ったか私に知る術はないが、呪われた身で一国の王まで上り詰めたその手腕を」


「少しばかり、訂正をしよう。確かに儂は幼い頃、人には蔑まれ、同族にはその存在を疎まれた。だが、この人生が悲劇などとは言わせん。それでは儂を拾い、育てたあの者があまりに報われん。儂はこの生を幸せなものにするとそう決めた。―――血の繋がりすら持たぬ人に、自分の心にそう誓ったのだ」


「...そうか。であれば私の行いはお前にとってさぞや憎かろう。他者の魂を縛り、それまでの生を歪めるこの行いを優しき人であるお前は許せない、そうだろう?」


そう言って視線を移した先、何かに囚われたかのように呆然と立ち尽くすシオンにその黒髪に女性は話しかける。


「―――久しいな、紫苑。壮健だったか」


「なんで―――。私は、貴女を知らない。知らないのに何故知っている?私...は一体、誰で、どちらが正しいのですか」


冷たくこちらを見るその瞳、それがかつては優しく、穏やかであったことを知っている。今は彼方に忘れ去られた刹那の記憶。幾億の生を繰り返し、何度真球を回っても尚消えぬ魂の傷。


「そうだ、私は紫苑で、貴女と共に世界を救う事を誓った―――違う!私は...僕は、俺は!!」


頭を押さえ、何かを喚くシオンを見ても民衆や衛兵は誰も気にせず、王の来訪を笑顔で迎え続ける。鳴りやまぬ喝采が異常な光景をより一層際立たせ、彼等が正常な状態でないことは傍から見れば分かるが、それを異常だと認識出来る人間はこの場にルピナスとシオン、そしてヒイラギしか存在しない。


「よもやここまでとはな。―――救世の巫女よ、お前はそれほどの力を持って尚、どうして世界を救わない」


「それは誤解だ、小さき壁の王よ。私は13の祖であり、かつては全てを束ねた一ではあるが、救世の巫女などというものでもなければ、人々の渇望が生み出した英雄でもない。ただの人間だよ」


「では、この現象をお主は何と説明する。人々の正常な思考を奪い、存在そのものを彼等は祝福し続ける。この鳴りやまぬ喝采こそ、お主が救世の巫女足りえる証明ではないのか」


ルピナスの問いかけにその女性はふむ、と何か考える素振りをした後、冷え切った黒瞳をシオンからルピナスへと移す。


「これは呪いだよ、私が愚かにも世界を救おうとしたことで神は私を呪った。対等な関係を築けぬよう、孤独になるように仕組んだ最低で最悪の呪い。―――お前はこれを祝福と呼べるのか?何もせずとも存在を祝われ、人々にこの姿を晒せば拍手と鳴りやまぬ歓声だけが私を包む。誰も私を理解しない、理解できない。こんなものが救世の巫女の証明だと言うならば、勝手にそう思っていればいい」


どこまでも冷たく、何かを諦めたような瞳でその女性は―――。


「いや、お主はどこを見ている?」


その視線の先に居るのはルピナスしか居ない。だが、その瞳は()()()()()()()()()()()()()()()()


「私が見ているのは未来(さき)だけだ。常に人が人として生き続けられる最善の未来、その為ならば私は何でもする。人も殺す、国も滅ぼす。時には世界すらこの手で破壊しよう。―――これもまた、必要な行いだ」


今度こそ、その瞳が紫苑を捉える。苦しみに悶え、過去と現在(いま)に惑うシオンを在るべき形、彼女にとって都合の良い人間に書き換える為に。


「紫苑、私の目を見なさい。その目で、その魂で。私を思い出し、その役目を―――」


「―――うるさい!知っている、知ってたんだよ!!そんなこと、忘れるもんか。僕があの日、あの夜、ルピナス様に拾われたのは全てここに繋がるまでの必然だ!!あぁ、そうだろう。だって私は、僕は―――俺は防人なんだから」


ドクン、と何かが脈打つのが聞こえた。それが心臓の音か、そうでないかは分かり切っていた。

それは()()だ。かつて、世界が繰り返されていることにある人間が気づいた時のように、知ってしまったから起きる災害。


知らなければ変わらなかったのに、知らなければ自分のままでいられただろうに。


「ようやく認識したか。随分と長い間世界を彷徨った弊害だろう」


私に親が居ないのは必要が無いから。私は人では無く、防人だ。彼の王より与えられた役目は世界の機能となり、自然発生する。そして生みの親である貴女に出会って始めて彼等はこの世に生を受けるのだ。


―――故に世界は道筋を整える。運命という逆らうことの出来ぬ道を用意し、王と防人を引き合わせる。それは偶然であり、必然でもあると言えるだろう。シオンがルピナスに拾われたのはここに至るまでの過程に他ならず、生きてさえいればやがて紫苑として王と邂逅するのは初めから決まっていた。


「...嫌、だ」


「――――――――」


心は歓喜に震え、体は言う事を聞かない。当たり前だ既にこの心と体はシオンのものではなく、紫苑のものに変わりつつある。そこに至るまでの人格はこれから先の防人としての紫苑には必要が無い。


この記憶も、ルピナスとの出会いも、暖かな幼少期の記憶も何もかも無駄で、在っても何の意味も無いものと見做され消去される。

防人として彼の王と共に世界を救う為に生きる以上、それ以上の幸福は存在しないのだから。 


―――だが、それでも。防人として世界を救うために生きることが如何に素晴らしいことで、シオンが追い求めていた理想にどれだけ近かろうと、そのためにこれまでの全てを捧げるのは間違っているだろう。


シオンが目指した願いは、そんなものではない。シオンが誰かを救いたいと願ったのは全ては彼等が居たからだ。


今も寝室に残る幼い頃の自分が使用していた小さいベッドや勉強机を、シオンが今も捨てずに残しているのはその物に込められた願い、そこに詰め込まれた温かな記憶を残しておきたかったからだ。


「僕は、忘れたくない。―――無かったことになんて、したくない」


心を支配する歓喜の感情に逆らってシオンが涙を零す。上書きされつつある心の奥底から溢れ出した最後の言葉を聞き届けて、―――彼はようやく決心した。


「そうか、それがお前の願いなのだな」


その独り言をまた、その男も聞き逃すことは無かった。かつては共に戦い、数多の怪物と対峙してきた仲間の一人、ルピナスのことをヒイラギはよく知っている。


その人柄、その波乱に満ちた人生、多くのものから必要とされずとも、たった一人の人間に必要とされるのならばと生きてきた彼の生き方を。

そして―――その人知を超えた力を、ヒイラギは忘れることはない。


瞬間、鳴り響いた轟音が城塞都市に鳴り響く。剣を抜いたヒイラギが黒髪の女の前に立ち、振るわれた風刃を切り捨てる。


風という見えぬ武器を用いた攻撃を、彼は剣一つで斬り伏せるという神業を見せる。それこそ防人としての力、それこそ世界を救うための英雄として彼が与えられた力だ。


「付いていく必要もありませんでしたね」


「…そのようだな。―――やはり、こうなったか」


荒れ狂う風の中、その長い黒髪をたなびかせながらも、その女性は命を狙われたにも関わらず顔色すら変えずヒイラギの後ろに立ち、まるで他人事のように事態を俯瞰していた。ただ、その視線の先に在るのは荒れ狂う風を纏う賢者の血を引いた英傑、それを侮ることは無い。


ヒイラギがかねてより言っていたのはルピナスの凶暴性や力などではなく、その優しさだった。彼は子の願いを聞いてしまえばきっと抗えない。


「お前は昔からそうだったな、ルピナス。誰よりも長く生きていたからこそ、誰よりも人を理解していた」


しかし、それを持ってしてもルピナスは目の前に居る男には勝つことは出来ない。たとえ13の賢人に名を連ねたかつての弟子の息子であろうと、防人と言う存在には遠く及ばないのだから。


「たかが数回前の人生、あの頃から儂は何も変わらぬよ。それにお前は私を買い被りすぎだ、これは優しさなどではなく―――我儘というのだ」


三度(みたび)振るわれた風は相も変わらず不可視の攻撃だ。それを感覚というあまりに曖昧なもので斬り伏せて、ヒイラギは黒髪の女を抱きかかえる。


「王よ、ご無礼をお許しください」


「許す」


短い問答を終えたヒイラギが高く飛び上がり、城塞都市を囲む外壁の上に着地する。そこで黒髪の女を降ろした後、ヒイラギは剣を構え―――。


「残念だ、ルピナス。お前は強く優しい、かつての盟友であり、親友だ。俺はお前とこの世界でも肩を並べたかったよ」


「互いに求めるところが違うのなら相反することもあるだろう。それに、―――お前の求めるものは何も変わっておらんよ、ただ目的に邪魔な障害を排除するのに悲しむ必要も怒る必要もない。ただ、無感情に、機械的に排除するだけだろう」


「それでも、言いたかったんだ。お前とは親友だったのだから」


「そういうところも変わらぬなぁ、柊よ。お前のやることは間違ってはおらん、その自身の無さもまたお前の魅力ではあるのだがな」


構えられた剣に込められたのは世界の理を超えた、否、その理さえも切り裂くことが出来る力が込められた力だ。

一太刀振るうだけでこの程度の小国、跡形もなく消え去り、歴史の闇に埋もれてしまうだろう。


「任務の遂行に支障が出ると言うだけで、友もその友の造り上げた素晴らしき理想郷も破壊する。こんなこと、気に食わないというだけで泣き喚く赤子の癇癪とそう変わらない。―――だが、俺は必要なことならそれをしよう」


振るわれる一太刀は紛うことなき破壊の一刃、この世に存在するありとあらゆるもの、物質だけに留まらず概念すらも斬り裂く事を可能とした彼だけが持ちうる神秘の具現。それを持ってして、此度切り伏せるは城塞都市。


そこに住まう民、それを束ねる賢王、そして彼等が積み上げた軌跡、その悉くが彼によって薙ぎ払われる。―――それは即ち存在の抹消だ。

誰の記憶からも今日この瞬間、この世界線を持って失われるのだ。


「―――じゃあな」


振り下ろされた剣の纏う光が眼前に居る全てを破壊する。荒れ狂う風はルピナスの起こした風による攻撃とは比べ物にならない。たかが余波で神秘の一端を軽く凌駕する程の威力、それが直撃した場所がどうなったかなど見るまでも無い。


―――滅亡など生ぬるい、世界からの消失。包まれた光はそこに住まう障害を排除したのだ。


全てが滅び、この世界に存在していた痕跡ごと消えてしまった荒野でその男は剣を鞘に納め、一つ小さなため息とともに瞳を閉じる。


感傷に浸るヒイラギの前でそれを命じた女が称賛と共にその名を呼んだ。


「よくやった、()()()()()()()。我が防人にして、いずれは世界を救う英雄よ。かつての友をその手で葬った今、貴様は何を思う」


「...何も、感じない。ただ、また空っぽになっただけだ。俺には何もない、何もなかった。貴方が、そう望んだのでしょう?」


「あぁ、お前こそ世界を救う。いいや―――世界を終わらせることの出来る怪物だ。その使命が果たされるその時まで私はお前を防人として側に置くと、そう決めたのだから」


その言葉を最後に記憶の再生が止まり、シオンという男の記録の再生が止まる。記録者が死んだのだから、それは至極の当然の事だ、―――しかし。


「どういう、ことだ」


この記憶はシオンという男の遺したものであるのは確かだが、その内容は出鱈目だと言いたくなるほどに、整合性の取れないものだった。


そして、その記憶で現れた自分と全く同じ名を持った男の存在もまた、柊を困惑させるには十分だった。


「どういうこと、とは?お主と同姓同名の人間が居た事か?それとも存在事消された筈の城塞都市が今日まで存在し、認識されていることか?それとも―――あの女に見覚えでもあったか」


「全部、そう、全てだ。矛盾することばかりで、俺からしたら何一つとしてこれが本当にあった事とは思えない」


この世界では異質な考え方を持つ柊にも虚生証明というこれまで幾つも滅びてきた世界に居た自己の認識が出来ると言う習性を一応は人間なのだから当然だが持ち合わせている。


そんな柊だからこそ言えることは、シオンという男の記憶に現れた自分と全く同じ名前の男は前世の自分ではないということだ。


「そうじゃろうな、この記憶だけ見たのでは混乱するのは至極当然だ。長々と語るのは年寄りの悪い癖だが、これも仕方のないことだ。ただ、今お主に見せたのは紛れもなく起きたこと、そして今度こそ語るものこそお主の知りたがっていたことだ」


何故存在そのものを消された都市が今も存在するのか、そして城塞都市の民の末裔である彼等がどうして罪を持って生まれるのか、そして―――何故何万回も前に滅びた筈の城塞都市がこの世界でも発生したのかを。

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