第一章 6話 <墓所>
老人たちの案内の先、廃壁街とかつてこの地にあった城塞都市の中心地にある時計塔を隔てる巨大な壁を越え、長い年月による風化と度重なる異形の侵攻とその戦闘の際に崩れた家屋群を更に抜けた先にある墓地。
数多くの墓標が乱雑に立ち並ぶそこに秘密は隠されていると廃壁街の老人たちは言った。
「...随分と街から離れた場所にあるんですね」
廃壁街へ侵入してくる異形を拒むために協会によって造られた壁の先にあるということはそこは異形が跋扈する危険地帯だ。柊のような異形殺しを生業にしている人間ならばまだしも、一般人がここまで立ち入ることは不可能に近いと言っていい。
「そりゃあな。ここは俺達廃壁街の住人が来なきゃ何の変哲も無い普通の墓地だ。だけどここに来るには異形を何体も倒さねぇといけねぇ。そんな場所に来たがる奴はそう居ねぇし、来れたとしてもあるのがただの墓じゃあ取り越し苦労もいいところだろ?」
故に、何かを隠すにはうってつけだったという訳だ。
「...成程、理には適っていますね」
壁を越え、何体もの異形を倒して、危険を冒してまで来てもそこにあるのはただの墓地だ。故に報告書にもこの墓地に関する記述は最小限しかなく、違和感を抱かせずらかったのだろう。
「でも、墓地ってのは遺す場所だ。―――だからこそなんだろうな」
そう言って男は無数にある墓石の中の一つ、長い年月の経過によって風化し、端が欠け、そこに書かれていた名前は雨風に長い間晒されていたからか削れて見えなくなってしまっているものの前に佇むと周辺に転がっている鋭利な石を握り、―――自身の左手の甲へ勢いよく突き刺す。
「おい」
「柊様、止めないでくださいな。あれは必要な儀式なんです」
男の奇行を止めようとして伸ばした柊の手が隣に居た老婆によって優しく包まれ止められる。学者はと言うとその行為をさも当然のように遠くから見ており―――。
「墓石が門で、血が鍵でしたか」
「あぁ、この墓は城塞都市を造り上げた大昔の王様のものだ。この都市で最も古い建造物であるこの墓石の地下には空洞がある。口伝によればその空洞は王の骨をここに埋めてから7日後、急に現れたらしい」
そう言いながらその男は突き刺した手から流れ出る血を墓石に掛ける。すると、ボロボロになった墓石が瞬く間にかつての形を取り戻し、風化によって削られた文字もそこに眠る人間のものと思われる名を映し―――数秒後に赤く流れる血によってその姿を変える。
それは紛れもなく、ここがかつてこの都市を治めた王の墓である証明だ。
最初に墓石が記した文字はヴェロレーン・ツクンフト、城塞都市の二代目の国王にして滅亡間際の小国を大帝国と呼ばれる程にまでのし上げた稀代の為政者でもある。その名は学者も協会の文献を読み漁っていた頃に幾度か見る程度には世に名が知れ渡っている人間だ。
そこに彼の骸があると言われてまず最初に疑問に浮かぶこと、それは―――。
「その人間が存命していたのは記録上101回目に該当する世界の筈。何万回も前に滅びた世界の遺物が形を残していると...」
世界は滅びと再生を繰り返している内に幾分か形を変えた。国の在り方、人の思考、海洋面積、人の活動域等、世界が繰り返す以前の世界と比べて変わっていないものを探す方が困難な程にだ。
故に学者からしてもこれは真の意味で予想外であったと言って良い。太古の昔、記録上存在はしていても幾万と繰り返す内に失われつつある、かつての世界に在った遺物の発見は狂学者である以上知的好奇心をくすぐる代物に違いないだろう。
―――故に、彼女がその情報を自分達に共有せず、何の調査も行わず放置していた事実も受け止めなければいけない。
リリー・アントワネット。狂学者の中でも指折りの実力を持った彼女がここの調査をしなかったのは自分の手に負えなかったか、余程の専門家でなければ調査すら危険かのどちらかだ。出来るなら後者であることを祈るばかりだが...。
「まぁ一応生きて帰ってはいるみたいですし大丈夫でしょう」
「何の話だ?」
「その空洞とやらがどれくらい危険なのかという話ですよ。仮に特定の血筋を引いた人間しか立ち入れないなら彼女はとっくに死んでるし、儀式の最中に体の不調を感じていたならその情報を伏せている理由が無い。まぁ、要は遺跡に致死性のガスが充満している訳でも無いし、門さえ開けてしまえば中に立ち入ることに何らかの条件が必要な訳でもないというだけです」
門を開ける為に特定の血液を要求しておいて中に立ち入る人間に制限を掛けないのは少々気がかりだが、既に別の狂学者が儀式を執り行ったという前例がある時点で廃壁街の住民以外の人間が中に入れるのだけは保障されている。
「といっても危険なのは変わりはありませんよ。ここは狂学者ですら手を引いた場所、彼等が何も言えないのは儀式によるものだとしても、彼女が中の情報を最後まで言わなかったのはやはり知ることで呪いが伝播するからでしょう」
彼女はこの街の秘密の一端を知り、その知識を呪いと断じた。正確な情報はおろか断片的なものですら呪いを発動する起因になり得ないと判断したのだろう。と言っても呪いに対して常人以上に耐性のある狂学者にその心配は不要の筈なのだが―――。
「...まぁ、一筋縄でいかないのは分かっていましたし行きましょうか」
そこにあるのが仮に呪いだとしてもここまで来てしまった以上引き返すと言う選択肢はない。柊の精神状態を考えればやはりこの場に立ち会うのは自分だけで良かったとは今でも思うが、柊がああも自分の意見を通そうとすることはそう無い。
そしてそういった時は決まって柊に何かしらの変化を生じさせた。それが果たして良い方に変化するのか悪い方に変化していくのか今はまだ分からない。ここでは学者の予見染みた推測も、柊の持つ未来視すら通用しない。
ここは城塞都市スパーリニアの国王が眠る墓所。時を越え、空間を越え、世界線すら超えて残った古代の遺物。
―――その踏み出した一歩先、境界線を越えた先で彼は視た。この街の人間が消し去ろうとした真実、後世に残すべきではない廃壁街の汚点。城塞都市スパーリニアが犯した大罪を。
「―――なんじゃ、誰かと思えば見知った顔じゃな」
突如として広がった白い世界。どこを見渡しても空白が続き、その真っ白な世界で唯一色を持ったものはと言えばこちらを見つめる豪華な装飾の付いた衣服に身を通した男ただ一人。
「そんなに呆けた顔をしてどうしたんじゃ?」
墓がひとりでに動き出し、その地下に広がっているであろう大きな空間に続く階段を下りた先、一瞬の内に移り変わった景色に動揺を隠せない柊にその男は親し気に接してくるが、文字通り何も知らない柊にとってはその親し気に接してくる理由すら分かっていない。
ここがどこで、目の前の自分を知っている見知らぬ老人が誰なのか。必死に思考を働かすが、その思考がいつまで経っても答えを弾き出すことが出来ず、知恵熱によるものなのか締め付けられるような頭痛が柊を襲う。
「一体...何が」
分からない。何も分からない―――筈なのに。
「頭、が」
―――割れそうだ。頭を締め付けるような痛みと共に脳内を駆け巡るどこかの記憶。ここではないどこか。既に過ぎ去って、取り戻すことの出来ない誰かの記憶。産声と歓喜に満ち溢れる人間達の声。
全て、自分のものではないと断言できる。あの木城家の屋敷で起こった事と同じだ。自分は誰かの記憶を見ている、いや―――見させられている。
情報の遮断が出来ない。脳内に溢れ出す■■の記憶は留まることを知らず、このままでは情報処理を出来ず柊の辿る道は考えずとも分かる。
「―――失礼な奴じゃな。出会ってすぐに人の記憶を覗く阿呆がどこに居る」
頭を締め付ける痛みとはまた別の物理的な痛みと軽い衝撃があったかと思うと頭の中を駆け巡る誰かの記憶―――否、目の前に居る老人の記憶の読み込みが止まると、頭を締め付けるような痛みも徐々に引いていく。
「あんたは...」
「見たら分かるじゃろう...ってそうじゃった。今の儂は老人じゃった。というか、お前さん少し痩せたか?目つきももう少し悪かった気が―――って」
右手で顔の半分を覆い、頭痛に耐えていた柊の眼前まで顔を近づけた老人はしばし柊の顔を覗き込み、
「―――お前さん、誰じゃ?」
「...知るか」
痛みが引いたとはいえ、未だ上手く思考を回すことの出来ない柊が発した言葉、それは考えるよりも前に出た言葉―――心の底から湧き出た本音であった。
~ ~ ~
「―――おい!!本当に大丈夫なのか!?」
突然の出来事にそう言いたい気持ちは分かるが耳元でこう叫ばれては迷惑極まりない。
第一、狂学者でありながら自分でも何が起きたのかまだ理解できないでいるというのに、それを説明しろと言うのは到底、不可能な話で―――。
「...息はしてます。意識を失っているのは、この場所にある何かと同調したからでしょう」
その何かが一体何なのかすら分からないが、恐らく彼の特異体質の一つである先見、俗にいう未来視と起因した何かなのは確かだ。本人もその力の本質を理解できず、殆ど発作のように起きる病に近い恩寵が起こすのは数秒、或いは数分の範囲内で起きるかもしれない未来を視ることに加え、時に世界という隔たりすら超えて他人の記憶を覗き見ることが可能だ。
「ここに眠る王の記憶か、はたまた大勢の名も無き民のものなのかは分かりませんが、柊さんは恐らく当時、その世界において存命していた人間の記憶を見ています。儀式の有無に関わらず、柊さんには権・利・があったということです」
「権利って...どうして血も引いていないこの人にそんなものが...」
「それが血による繋がりで無いとすれば―――人との縁と言う他ありません。柊さんの前身が城塞都市が健在だった頃、数万回前の世界でここに訪れていた...?とにかくまだ断定できるだけの情報が出そろっていない以上、考えるのは無駄です」
柊アカリ、この世界を救うべく学者が可能性を見出した最後の英雄。局所的な未来視を持ち、他者の記憶を覗き見ることも出来るそのあまりに特異かつ、特別すぎるその体質がこの世界で急に発生したものとはとてもではないが考え辛い。
となれば彼は得るべくしてその力を得たのだ。途方もなく繰り返された世界で培ったものがこの世界で芽吹き、世界を救う英雄足り得る素質を得たと考えた方が辻褄が合う。
―――だが、その力を得るためには勿論きっかけがあった筈だ。それが真球の外側、放棄された未来、或いは過去との同期か、そこから訪れた人間との出会い。今あるこの世界においても、過去数万と繰り返された世界においても理外の力というしかないその特別な権能を手に入れるには、やはりそういった理の外より訪れた存在、或いは法則との接触が不可欠なのだから。
そうして得た力によって彼は今もどこかで誰かの記憶に囚われている。
そうなることは予想は出来ていたが、まさか地下に降りる為の階段に一歩踏み込んだだけで起きるとはさしもの学者も予想出来ず、階段を転げ落ちていった彼の体は若干傷を負ってしまっている。
「にしたって柊の旦那、頑丈過ぎないか?」
「ですよねぇ...」
とはいえ常人以上の頑強さを誇る彼の肉体にとっては治療すら必要の無い程度の軽症でしかなく、現状命に関わるような怪我は確認できていない。
流石に階段を顔から転げ落ちていくその姿を見た時は学者も急いで階段を下り、柊の安否を確認しに行ったが、外傷という外傷が殆ど見当たらず柊の頑丈さに思わず笑いが零れてしまったほどだ。
だが、同時に柊が無事で良かったと心の底から安堵したのを覚えている。まさか世界を救える可能性を秘めた英雄が階段から落下して死ぬだなんてことは冗談でもあったとしても聞きたくないし、見たくも無いものだ。
「とにかく今僕らに出来ることは少しでも早く解呪の儀式を行う事です」
柊が見ている記憶が誰のものであれ、それはこの地に残った誰かのもの。彼等の言う呪いの大本に対峙している可能性が最も高く、一刻でも早くその呪いの性質、及び記憶の解析とその沈静化をし、彼の受けているであろう呪いの分散を図る必要がある。
最悪、引き剥がす事が困難な呪いだとしたら、自分自身に移すことも視野に入れて、行動しなければならないだろう。
「一番は呪いが何なのかを教えてもらう事ですが...」
「すまん、これは俺らにはどうしようもねぇものだ」
「そうですね。今更確認するまでもなく、狂学者の呪いは気合でどうにか出来る類のものではありません」
気合でどうにか出来るものであればそれは純粋な呪いではなく、気の持ちようの話だ。狂学者の呪いは魂を縛る鎖そのもの、生身で鎖を断ち切れる人間が居ないように―――否、この表現であれば出来てしまう人間がこの世界にはごまんと居る為、適切な表現では無いだろう。
少々過剰な表現になるが、煮えたぎるマグマの中で生きていられる人間が居ないように狂学者の呪いは絶対の法則として働き、魂そのものを縛る鎖となる。故に彼等はこの街の秘密を話すことを禁じられており、この緊急事態、手を取り合って尚話すことは不可能だ。
それを望んだのは後世に城塞都市スパーリニアより残る呪いを伝えまいとした彼等の善意だ。それを非難するつもりは無いし、それはむしろ学者の好むところ。
故に先に進むしか選択肢が無いのだ。
事態は最悪だが、唯一幸いなのが柊が意識を失ったままでいる事だ。仮に目を覚まして発狂していようものなら廃壁街の調査どころではない。最悪協会長にも出張ってもらわなければいけないような惨事になっていたことだろう。
学者にとって柊は何よりも優先すべきもの。であればやはりこの状況は学者にとって最悪の状況であると言ってもいい。
―――だというのに、心の底から沸き上がる知的好奇心、狂学者としての性がこの先に在る何かを知れることに喜びを感じている。
第7賢者のリリー・アントワネットすら匙を投げた何か、それが一体何なのか。知りたくてもどかしい、見たくて仕方がない。
あぁ、酷い人間だ。親としての感情、友としての感情すらこの知的好奇心には遠く及ばない。柊アカリと言う人間を差し置いてでも知らなければ―――。
「...学者様?」
「どうかしましたか?」
「いや、なんかやけに嬉しそうに見えたもんだからつい...」
「柊さんがこんな有様でそんな筈無いでしょう。見間違いですよ」
漏れ出る狂気を抑えきれなかったのか、学者の顔を見た男がそれを指摘するも学者はするりと抜けていく。彼等は分かっている、狂学者と言う存在が自分達のような普通の人間に理解できないものであると。
「そうか。そうだよな。すまん」
故に正しいこともあやふやに見えてしまい、それを本人が違うと言うだけで自分の間違いだと思ってしまう。何故ならば姿は同じでも学者は万を知る狂学者であり、彼等一般人とは考え方がまるで違う。その違いを知っていれば知っている程、盲目的に自分の言う事を信じ、自分達の抱いている感想が違うものだと彼等は誤認する。
―――たとえ狂学者であろうと、賢者であろうと自分は生物と言う観念においては彼等人間と何ら変わらないと言うのに。
人である以上感情は切り離せず、唯一それだけが狂学者を知る術だと言うのに、彼等はそれすらも紛い物に見えてしまうのだろう。こればかりは自分と言うよりは他の狂学者が常軌を逸した行動を続けた賜物だろう。
「壁画が見えてきた、もう少しだ」
そう言った誰かの言葉を聞いて、学者がちらと周りを見ると暗がりに紛れていて見にくいが確かに壁画のようなものが壁に刻まれているのが分かる。
今はその壁画の解析をする時間すらも惜しい為、後回しにするほかないが、一目見て学者はその壁画の示すところ、つまりは意味に気づく。
空に盃を捧げ、そこに乗せられているのは小さな子供。多くの者が何かを乞い願うその様を、学者は腐るほど見てきた。このような壁画越しではなく、この目で見て、この足で訪れた多くの場所で見てきたものと何ら変わらないものがここには描かれている。
「―――見えた」
地下へ続く長い階段、その終着点にあったのは石の棺だ。これまで多くの年月を経て、世界そのものすら書き換えられても尚消えなかった古代の遺物。
そこにたどり着いた学者は息を切らしながらもその棺の中身を守る為に施された結界を解き、重く閉ざされた蓋を開ける。
「――――――」
そして、全てがようやく明らかになって。
―――もう全てが手遅れであることを知る。




