第一章 3話 <線引き>
「―――では、調査を始めますか。梟さんとアザレアさんは街で廃壁街周辺の昔話や伝承など、些細なことでも構いません。そういった人の空想から生じた何か、或いは人智を越えた神秘に付随する情報を少しでも多く集めてきてください」
波乱の一日が終わり、廃壁街の補修作業に街が活気出してきた頃、二日目の聞き取り調査が始まる。二手に分かれることでより効率的に調査を進めたいという建前のもと、柊と学者の二人はこの街の秘密を探る為に少々強引な方法を取る為に二人を引き離す。
「それでは、午後三時を目安にここで落ち合いましょう」
「はい!行きましょう、梟さん」
「そうでやすね。柊の旦那の為に頑張りやしょう」
事情を知っている梟にアザレアの付き添い兼、警護を任せて二人はアザレア達とは逆方向、廃壁街の南、正確には街の中心部なのだが、かつては巨大な都市だったここ廃壁街の下半分は人の立ち入ることが出来ない危険地帯として旧式の電気柵で仕切られている。
原因はかつての城壁都市スパーリニアの中心部にある大きな監視塔に跋扈している無数の異形によるもの。協会が明確な脅威をこれまで放置してきたのは、異形の数もさることながらたびたび目撃されるエンプティーのような存在が原因だ。これまでの目撃情報からして旧監視塔には少なくとも4体以上のエンプティーが訪れている。
そこに留まっているか、あるいは既に去った後かは分からないが、これを刺激した場合被害は廃壁街に留まらないだろうということで協会はそこを禁忌地区として指定し、監視塔の周囲を旧式の電気柵で覆い、そこから十数キロ程離れた場所に城塞都市を分断する大きな壁を築き、システムによって無人で門の管理をした。
ようは人の出入りが出来ないよう徹底的な予防策を講じたに過ぎず、異形、あるいはエンプティーであれば容易にそれを突破することが可能になっている。
これを協会からの情報提供によって柊達が知った時、学者は猛烈な違和感をその文書に覚えた。
「協会が目に見える脅威を放置するなどありえません。旧監視塔が異形やエンプティーを引き寄せているのは明白、であれば取り壊すのが協会にとって最善策なんですよ。わざわざ電気柵で区切り、大きな壁を用意するまでもなく、その監視塔さえ消してしまえば万事解決でしょう?」
「それを出来ない理由がエンプティーの存在なんだろう。一体ならまだしも、複数体潜んでいた場合協会でも、」
「―――であれば、どうして僕等にこの依頼が届いたんですか?五日という明確な期限を提示した上に準備期間も無し。これが協会にとって脅威だったのであれば、依頼は監視塔の破壊のみです。わざわざ周辺地域の調査まで僕等に頼んできません」
今回の依頼は協会にとってもイレギュラーだったのは間違いないだろう。だが、彼等も脅威に対して何もしてこなかった訳じゃ無い。監視塔の調査を終えて、事件解決の目途はつけてはいた。
恐らくただ時期が早まっただけなのだ。いつか解決する問題としては認識していながら協会が手を出せなかった理由がきっとある。
「では、それを確かめに行くとしましょう。準備はしておきましたから」
そう言って向かった先、巨大な防壁によって仕切られた壁の前に居たのは―――。
「おはようございます、柊さんにお医者様。昨日はよく眠れたでしょうか」
昨日異形襲撃によって廃壁街の長が死亡し、その代理として一時的に廃壁街の指導者として選ばれたリラには街を束ねる為の義務と、それを補助する為の権力を統治者より与えられている。
集められた廃壁街の住人、皆ここで話があるからと集められ一体何を話すのかとざわめいている。
「大事な話があるとのことで街の皆さん、ではありませんがお医者様から伝えられていた年齢以上の方を集めました」
一定の年齢以上の住人、そこまで聞いて柊にも学者がこれから言わんとしていることを理解する。
「おい」
「黙って聞いていてください。これは事実確認です。僕の憶測が事実なのだと証明するには避けては通れない道なんですから」
彼はこれが自身で危険視していた街の住人からの反感を買う可能性のある話であるのも理解して、その上で知らなければいけないのだと言う。
ここで協会がこれまで監視塔に手を出せなかった本当の理由を暴かなければいけない。勿論、話す必要なんてない。ここで反感を買えば、調査は困難を極め、依頼が成功する可能性は限りなく0に近くなる。
だが、条件が揃っていた。つい昨日起こった異形による廃壁街の襲撃。
―――正すなら、今この瞬間でなければいけない。
「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。今回、街の復興の手を止めてまで皆様に集まって頂いた理由はと言いますと。―――僕等の仕事をお伝えしなければいけないと思いまして」
「あん?あんたらが外の調査をしようがしまいが俺らには関係ねぇよ。ハーメルンの花園が無くなるなら無くなるで大歓迎さ。もうこれ以上俺達も子供達が連れ去られないですむし、怯えないで済むからよ」
「ちょっとあなた、この方たちは私らの為に来てくださったのよ。そんな言い方しなくても...」
六十を過ぎたガラの悪い男がそう言うと隣に立っている同年代の優しそうな女性がそれを制する。よくも悪くもその男は協会に興味が無いのは見て取れる。
「ごめんなさいね、協会の方。この人だって悪気がある訳じゃないのよ」
「いえいえ、大丈夫ですよおば様。その方の言う事は正しい。事実、私どもが伝えた話はあなた方には直接関係のない話でしょうから」
「そ、そうかしら。でもごめんなさいねぇ、私達のせいで協会のお役人様にご迷惑をかけてしまって...」
「それも大丈夫ですよ。僕等協会の人間はそれが仕事ですから」
ざっと見たところここに集められた廃壁街の人間は20人弱、その中でこの女性のように協会の人間に対し協会の人間に対し好意的な印象を持っているのが殆ど、先程の柄の悪い男のように協会に対して特に興味を持たない人間が3人、そして―――。
「おい、トメさん。そいつらに近づくんじゃねぇ。そいつらは人殺しで金を貰ってるような連中だ。何をされるか分かったもんじゃねぇ」
協会に対し、嫌悪感、強烈な敵意を抱いている男が一人。
そして、その顔には見覚えがある。この街に来る際、梟が協会から貰ってきた資料にあった要注意人物の一人。
過去に協会へ依頼された仕事によって子供を殺された男が廃壁街に滞在しており、度々定期駆除の邪魔をするとあり、柊の前任は彼の嫌がらせに耐えられず定期駆除の依頼を破棄、柊へ仕事が回ってくることになった。
「おい、言いすぎだろ。あんたの息子さんのことには同情するけど、そこの方々は俺達の為に来てくださったんだぞ。昨日あんただってそこの柊さんに助けられた筈だ、それを悪く言うようなら―――」
「やってみろよ。俺はてめぇらとは違って権力にへコヘコ頭を下げるような馬鹿じゃねぇ。そいつらは人殺し集団だ、聞いたぞ異形殺しの柊。てめぇは何人も人を殺してる大犯罪者だってよぉ!!」
言い返すつもりも無ければそれに意味も無い。関わるだけ無駄だと学者に事前に言われていたこともあり、冷静なままで居られる。それに、彼の言う事は間違ってはいない。今まで仕事だからと何人も殺し、先日のミグマの一件のように罪のない一般人も手に掛けたことがある以上人殺しの汚名は正しいものなのだから。
「やい、どうした怖くて言い返せねぇか!!この、―――人殺しの柊が!!」
そう、揶揄されても仕方の無いことだ。何も言う事は無い、だが―――何も感じない訳でも無い。
「―――――」
ただ、これから仕事の邪魔をされないように威圧さえすればそれで事足りる相手だ。前任者のように言われるがままではなく、多少の敵意を混ぜて威嚇すれば彼は委縮して何も言い返せなくなる。その程度の存在だ。
そう思い、視線を彼に合わせようとすると
「この―――バカ!!」
こちらを見て卑下するような醜い顔で罵倒する男の顔が、若い少女の掌ではたかれ、バチンという軽快な音を立てて男の顔がビンタの威力に耐えられず横を向く。
頬に大きな掌の痕が赤々と残る、厳めしい顔の男に恐れもせずその少女、―――アカネは叫んだ。
「ふざけないで!!柊さんが昨日、私達を助けてくれる為にどんな怪我をしたか知ってるの!?背中に大きな爪痕が残っていたのを、あなたは見てもいないんでしょう!!この人が、どんな思いで私達を助けてくれたか分かんない癖に―――ふざけたことを言わないで!!」
「......おい、ガキ。大人に手ぇ出したらどうなるか教えてやるよ」
明らかにその目には殺意が宿っていた。年端のいかない少女に言い返され、じんじんと痛む頬に苛つき、男はその太い手を上げる。まさか少女に手を上げるとは思っても居なかったのか、周りの大人が一斉に男を制止しようとするが、振り上げられた腕が、力のこもった拳が少女に当たる方が早い。
「アカネ!!」
幼馴染の叫ぶ声が聞こえた。
周りの大人が止めようと動き、リラが動いたとこまで見て恐怖で目を瞑って下を向いて立ち止まってしまった。
こうなることは薄々分かってはいたけれど、それでも柊さんが言い返せないからって在りもしないことを言う男が許せなかった。
...違う。多分、この人の言っていることは正しかった。柊さんはきっとこれまで何人も人を殺したことがあるし、そこにはきっと何の罪も無い人が居たかもしれない。
でも...卑怯だ。その正しさを盾に、正義を振りかざして間違ったことをするのは間違っている。
私は学が無いからそれが正しい事なのか分からないけど、私は私の心に、心の中の貴方に従ったの。
私は幼い頃から親が居らず、義務教育すらまともに受けていない世間知らずの子供だ。
だから精一杯働いていたし、―――それに、自分と同じ境遇の男の子と出会ってからは特に寂しさは無かった。
最初はお互い無口で、何も話さなかったけど、勇気を貰っていたんだ。
あの子も頑張ってるんだ、だったら私も頑張ろう。あの子が頑張って売り子をしている、私も何か手伝えることは無いかな。
あれ、今日はお弁当忘れてきたのかな。私のお弁当分けてあげよう。あ、店長が果物あげたから、大丈夫かな。でも...ううん大丈夫。
今日は居ないんだ。そう言えば昨日咳してたな、風邪かな、大丈夫かな。...一人で、寂しくないかな。
あ、今日は来れたんだ。良かった。でも、やっぱり辛そう。あの子の分まで私が頑張ろう。
ただ、私と同じ年頃、似た境遇の男の子が居たから幼い頃の私は頑張れた。それだけ、それだけだ。
そして、私は彼とあの花畑で出会い、そこで仲良くなってそれから彼の事を今まで以上に知れた。
―――リラなら、こうする。でも、今の彼は廃壁街の長の代理人。統率者から任された以上、彼は全力で仕事を全うするし、きっと今まで以上に街の事に気を使うようになる。
個人の感情を後回しにして、体裁を保つんだろう。中立を保ち、どちらか一方に加担しない。
昨日死んじゃった前任の街長のおじいちゃんは昔言っていた。廃壁街の街の長は色んな不満も聞くし、時にどうしてこうしないだとか、街を良くするにはああした方が良いだとか、色々言われるのを我慢しなきゃいかない。
一杯考えて、色んな人と話し合って、時には話を聞いて、よりよくなるよう努める。大変だけど、やりがいはあるし、苦しい時もあるけど、嬉しい時もある。リラは頭が良いからきっといつか正式に街長を継ぐ日が来る。
『あの子は頭が良いけど、ちょーっと頭が固いのが玉に瑕じゃな。確かに常に中立であるのは素晴らしい事じゃ。どちらか一方の言葉しか聞かないのは間違いを生みやすいし、両者の言い分を聞くのは勿論正しい事じゃ』
―――だけどな、とおじいちゃんは付け加えて言う。
『それは決して自我を殺したり、中立を保とうとするあまり自分の気持ちを後回しにすることじゃない。怒りたければ怒ればいい、悲しかったら泣けばいいし、辛かったら助けを求めてもいい。きっとあの子が街長になった時、それを勘違いする。我慢してしまう。そうなった時は、お前さんが助けて上げなさい。大人が間違ったことを言っていてあの子がそれを我慢して聞いているなら、リラに代わって―――こう、女の子らしくビンタでもしてみんしゃい。ふざけるなーとか、間違ったことを言うなーとか、何でもいい。あの子が言いそうな事を言うといい』
そう言っておじいちゃんはよく読んでいた昔の本にあった漫画の少女のビンタを真似をしながら笑う。
『手を出すのは悪いことだって?んなこたぁ、言ってもな。ここは旧国、そういう常識は常識じゃない。人殺しだって必要ならしなきゃなんねぇし、理不尽が当たり前のように降り注いでくる。ま、それにそんくらいやっても周りの大人は怒んねぇよ。やられた当人は勿論怒るだろうさ、そりゃあそうだ。自分よりも年下のガキにやられたら誰だって頭に血が上る、でもな―――』
『―――きっとあの子が、周りの人間がお前さんを助けてくれる』
―――振り上げられた腕が何秒経っても降ろされることは無かった。数秒先に訪れるであろう衝撃に耐えるべく目を瞑って下を向いていた顔を上げる。
「...何してんの」
「あ、あはは。でも、こうするしかなかったからさ。僕じゃ街一番の力持ちの斎藤さんは止められないだろうし...。でも、良かった。アカネも僕もあの人に殴られないで済んだみたいだ」
目の前には自分を庇うように手を広げたリラが立っており、その少し奥では街一番の怪力を持っている斎藤豪がたった一人の男によって組み伏せられていた。
アカネはその光景を見て助かったと感じると同時に、必死に隠していた恐怖が今になって込み上げてきてしまいその場に力なく座り込んでしまう。
「ごめん、アカネ。それを言うのは僕の役目だったのに...」
「いい、覚悟は出来てたから。でも、怖かったから、今度からはあんたがやって」
「―――。...うん、ほんとにごめんね」
流れる涙を周りに見られたくなくて、しゃがんでくれたリラの胸元に抱き着いて顔を隠す。後から思い出して、それが涙を見られること以上に恥ずかしい事なのだと悶絶することになるかもしれないが、今はそれでいい。―――それが、良かった。
「...ッそ!放せ、この人殺しが!!」
二人の少し先では懲りもせず男が柊へ悪態を付きながら暴れていたが、不思議なことに街一番の力持ちである斎藤はその場から一歩も動くことはおろか、手足を動かすことすら出来ていない。恐らく、彼と柊では腕力は元より、人を組み伏せるための技術の差があり、男は力、技術、知識、全てにおいて柊の足元にも及ばず、一方的に組み伏せられるしかない。
「柊さん、お手柄です。流石に年端もいかない少女が殴られるのは僕も見たくありませんでしたから。それが僕等の為を思って声を上げてくれたものなら、尚更です。さて―――アカネさん」
「な、なによ」
「ほら、柊さん。それを言うのは僕じゃありませんよ」
そう言ってこれまでリラと同じように事態を静観し、無言を貫き通していた柊が男を組み伏せながらこちらへと顔を向け。
「すまない、俺のせいでお前に迷惑を...」
「違います、違います!!こういう時は謝るんじゃなくてですね...。あぁ、いえ。分かりました。柄じゃないって言いたげですね。仕方ないなぁ...」
まるで子の面倒を見る親のように柊とは長い付き合いと言っていた青年が柊に代わって言う。
「―――ありがとうございます、アカネさん。柊さんの為に怒ってくれて」
「ほ、ほらアカネ」
その光景と同じように、子が親にするようにアカネはリラの服にしがみつきながら柊達を見て―――。
「リラならこうした、それだけ。それに、私もちょっとモヤモヤしたから」
片目越しに恥ずかしそうに言ったアカネにその青年は少し驚いた顔をしたあと、振り返る。決してその微笑が誰にも見られないよう口元に指を当てるが、もう遅かった。柊に見られてしまった。
だが、彼は何も言わない。不思議そうにこちらを見た後に組み伏せた男の方へ顔を向ける。
「...ま、いっか」
小さく、誰にも聞こえないようそう言って学者も柊の下、いまだ身動きも出来ず哀れに罵詈雑言を吐き続ける男に近寄った。
「くそ、てめぇら。くせぇ芝居見せやがって!!そうやっててめぇらは人に近づいて殺してきたのか!あぁ!?」
「...そうですね。僕も柊さんも仕事上、そうしなければいけないことがありました。きっと貴方が思っている以上に僕等は人を殺めています」
それは柊と斎藤豪、学者の三人にしか聞こえないよう発せられた言葉。辺りは突然の事態にざわめき、そのざわめきで聞こえなかったと説明できるようタイミングを見計らって学者は話す。
「は...やっぱりな。聞いたか!!おい、お前らこいつは人を―――あぁ?」
「聞こえませんよ。防音結界、貴方は知らないでしょうがそういうものが世の中にはあるんです。これを張れば僕等の声は一定の範囲内まで近づかないと聞こえません。認識は不可能ですよ、だって貴方はこの結界の原理を知らないでしょう?それに、存在を知らない人間は認知による察知すら出来ないでしょう。要は貴方は原理を知らないから、周りの人間は防音結界という存在すら知らないからこれが張られたことすら認識できません。―――ただ一人を除いて、ですがね」
だが、そんな彼も今は幼馴染の事で手一杯。今後一分弱はこちらを見ることは無いだろう。
「クソが...糞、くそ、クソォ!!この人殺し、てめぇら絶対ぶっ殺してやるからな!!」
「...そうですか」
辺りに自分の聞こえないと分かった途端態度も口調も数倍大きくなった男の聞くに堪えない罵詈雑言に学者は心底つまんそうにため息をつく。
きっとこれが彼の本性なのだろう。
しかし、彼ならばそれをやりかねないし、こちらにはアザレアと言う明確に力らしい力を持たない人間が居る。柊達ならともかく彼女を襲われたら抵抗のしようもない、考えられる限り最悪の方法で殺されることになるだろう。
―――空気が冷え、陽気な太陽が雲に隠れる。
仮面が剥がされ、瞳から光が消える。そこに居るのは協会から派遣された医者ではない。
世界に傷を残した大罪人、幾光年立とうと消えぬ罪を背負ったかつての13賢人。そして―――狂学者としての本性だ。
「今、ここで僕の殺した人間の数が増えても僕はどうとも思いませんよ。あぁ、そうだ。柊さんの前任の方に息子を返せだとか、息子に会わせろだとかぬかしてましたし―――いいですよ。同じところに送ってあげても」
「...ぇ、いや」
「えぇ、えぇ。そうだ、そうしましょう!良かったじゃないですか、ようやく息子さんに会えるんです!」
「ま、待て待て待て!!本気か!?ここに居る奴等に見られても...」
「―――僕がそんなこと気にすると思います?」
この青年は本気で言っている、それは彼の雰囲気が瞳が、口が語っていた。人を殺すことに躊躇いはなく、それを周りに見られて恐れられることも、追われることになったとしても構わない。
狂ってる、この青年は絶対に正常ではない。だが、それが彼にとっての正常なのだ。人が呼吸をし、ご飯を食べて、夜眠るように彼にとって人の死もまた身近なもの。あって当たり前のことなのだ。
「さて、どうしますか。ここで死ぬか、それとも今後僕等に手を出さないと誓うか。後者の場合は約束を守る限り命は保証しましょう。勿論破れば殺しますが。死ぬのが怖くないと思っているのならあれですけど、多分来世はまともに過ごせませんよ?」
「わ...かった。分かったよ!あんたらに手は出さない!!」
この世界の人間は兎角死ぬことに関して疎い。人によって違いはあれど、殆どの人間が来世があることを知っていることで安心している。
ここで失敗しても次がある、この世界で何をしても次の世界では無かったことになる、そんなことを思っている人間には出来る限り苦しませて殺すことで来世の人格にも影響を与えられることが確認できている。
勿論、方法は常人では出来ないような内容だが、それは彼の出自からして可能なこと。ただ準備に三十分程時間を要するが、逆に言えばそれだけで可能なこと。
そんなことをこの男は知りもしないが、学者により恐怖を植え付けられた男はそのでまかせのような真実を信じてしまっている。
「では、今後僕達の邪魔をしないことと、柊さんの知り合いに手を出さないと誓えますね、斎藤豪。仮に敵対行為を確認した場合その命を以て対価を支払ってもらいます。これは契約なので今回の一件が解決しても半永久的に続きます。斎藤豪、貴方に証を刻みます。決して他者からは見れない魂への楔、これは狂学者に歯向かった罰です」
「...狂、学者?」
「おい」
「大丈夫ですよ。僕等の邪魔には僕の正体を他者に伝えることも含まれます。口頭だけでなく文字に残す事も許されません。それに名乗っていた方が邪魔されなくなる可能性が高くなるでしょう?」
男の顔がみるみるうちに真っ青になっていく。決して手を出してはいけない存在に自分は手を出してしまったのだと、彼の怒りを買ったのだとようやく理解したのだろう。
青年の言っていた真偽の分からない言葉は今この瞬間男によって疑いようもない真実となった。
「...誓えますね?」
「...はい、誓います。決して貴方達に手は出しません、あの子供に報復もしません。ですから、命だけは―――私だけは奪わないでください」
「えぇ、勿論ですよ。不必要な殺しは僕も嫌いですので」
そう言って笑う青年にしおらしくなった態度の男が恐怖で口を震わせ許しを乞い項垂れる。
そうして耐えられない恐怖に侵された男の股下から暖かい液体が流れ出し、辺りを濡らす。
男から手を放し、距離を取った柊は男に少し同情しながらも、因果応報だと思い、その場を後にしてリラの下へ向かおうとする。
「彼の行動は予想外でしたが、おかげで上手くいきそうです。それでも幾らか反感は買います。でもこれで得られるリターンの方が大きいので心配しないでください」
「あぁ、そこはお前を信じる。好きにしろ」
初めは学者のやろうとしている事が危険だと思っていたが、そんなことは彼も織り込み済みの筈だ。きっと柊にとって理解の出来ないことだとしても彼がやるからにはそれは正しい事なのだろう。
彼は様々な視点、多種多様な考え方で物事を見て、考えている。そこには柊が知らないこの街の秘密もあるだろう、或いは柊でも知っているような事も彼にとっては別のものとして見えているのかもしれない。
これを彼は避けては通れない道だとも言っており、事実これを実行するにあたって彼等廃壁街の住民の了承を得なければいけなかった。勿論、最後まで隠し通すことも出来たが―――。
「皆さん、申し訳ございません。突然のことで話が逸れてしまいました」
「...あ、あぁ。すまねぇな斎藤の旦那が、あんたらが俺らの為に頑張ってくれるのは分かったよ。アカネもリラも無事で良かった。あの距離で乱暴する斎藤の旦那を俺らには止められなかった、あそこの旦那には感謝してる。けど、一体何を話そうってんだ?」
最初は協会の人間に、協会そのものにも大して関心の無かった男も柊の行動により幾らか興味を持ち、心を開いてくれたらしい。周りの人間もその意見に同調し、今や柊一行をよそ者呼ばわりする者もそう思っている人間すら居ないだろう。
廃壁街の為に、引いてはそこに住む人間の為に彼等がここに来てくれたのは先日の異形の襲撃、そして斎藤豪の一件で明らかになった。情が生まれ、流れが自分達に向いていると学者の青年は確信し―――。
「僕等の本当の仕事は旧城塞都市スパーリニアの中央に位置する監視塔の調査及び、―――その破壊です」
「「「――――――――――――――――――――」」」
心配するような顔の老人の顔が一瞬の驚きの後に冷ややかなものへと変貌する。今まで笑顔だった老婆の顔が凍り付き、暖かな視線は冷え切った視線に染まる。
生まれた関心と情は敵意に、廃壁街の為に来てくれた心優しき協会の人間は一瞬の内によそ者以下の敵へと変わる。
この2日間で積み上げた十分すぎる程の信頼を無に帰す一言に柊は無言を貫き通し、その隣に立つ少年少女は驚愕で顔を強張らせる。
沈黙が訪れ、その間も冷たい視線が学者の青年に、柊に降り注ぐ。
それは間違いなく彼等廃壁街の住人にとっての地雷―――踏み越えてはいけない一線であった。




