続・洋上の幼女が養生して養女になる話
無印の一応続きです。
もしかしたら今度こそ長編になる可能性のないこともないです。
ああ…夜風が気持ちいい。
いや、夜じゃないな今は。なんと言うのが正しいのか。
朝風?うむ、これも違う気がする。
まあ、名称などどうでもいいのだ。要は気持ちのいい風が吹いているのさ。
もう少し味わっていたいけどもうすぐ水平線から太陽が顔を出しそうだ。目的も果たしたことだし、また明日も来ようと思ったから今日はもう帰ろうかな。
納得して僕は海岸に向かって船を漕いだ。
重たくなった箱を背負って家に帰る。
くそう、力も体力もないのが恨めしい。それでも誰かに助けてほしいとは言えない。僕が勝手に始めたことだから。
家には光が灯っていた。
帰ってくる時間はぴったりだったようだ。
安堵の気持ちと共になぜか愉しい気持ちになる。
いや、本当は理由は分かっている。頭のなかでくらい思ってもいいじゃないかと思わないでもないがいくら自分にでも本音を言っていい時と言わないほうがいい時があると思うんだ。
それに、そんなことを思わなくたって今があるんだから考えるだけ無駄なことだともう一回思い直して勢いよくドアノブに手をかけて、今が早朝だということに気づき控えめにドアを開けた。
「あ、おかえりなさい。いつもぴったりね」
「ただいまです。太陽が見え始めたのを区切りにしてますから」
やはりというかそこにはこの家の主人のマックさんの奥さんであるフィーネさんが迎えてくれた。
「そうなのね。それでどう?」
「ええ!ノルマは達成してきましたよ!」
「さすがね。彼ならそんな早く釣れないわよ」
「朝ですからね。よく釣れるんですよ」
「時間によって変わるの?」
「そうですね。あと今日は船を出して少し沖の方で釣ってたのでそれも少し関係してるかもしれません」
なんで?と訝しげな顔をされる。うーん、こんなにも海の近くに住んでいるのに朝の風を感じたことがないのは残念だなぁ。
「揺れる船体と風が気持ちいいんですよ」
「そうなの?でもやっぱり危ないから防波堤にしてね」
「大丈夫ですよ!僕がどこから来たか思い出してみてください?」
そう、僕は海の向こうから来た異邦人。海のことなど知り尽くしているのだ。
陸に上がったからといって海の扱い方を忘れてしまうほど僕は馬鹿でも恩知らずでもない。
「でもあなた、海岸に打ち上げられてたじゃない」
嵐に巻き込まれた時のことを言っているのだろうか。木の板に乗っているだけで強風と波に飲み込まれない人間がいるなら紹介してほしいと言ったが、「もうちょっと街のほうに行けばたくさんいるわよ?」と真顔でおかしな事を言い出したので「なんで陸に海で生きてられる人間がいるんですか?」と聞き返してしまった直後にそうか、これが異世界風のジョークなのかと気づき謝罪したが、彼女はいまだに首を傾げたままだ。
よく分からないので話を進めることにした。
「まあ、その話は置いといてですね。はい」
魚の入った箱を渡す。本当は処理もしたかったんだけど、この世界の魚はなんか光ってるしこっちの魚と同じやり方でいいのか分からないから任せることにしている。
まあ、そのまま焼いて食べても大丈夫だったからいい気もするけど念のためというやつだ。決して楽しいことだけやって面倒くさいものを押し付けているわけではないのだ。適材適所Win-Winの関係というやつだ。
「いつもありがとね、マックがいないから余計助かるわ」
「いえいえそんな大したことじゃないですよ。じゃあ僕は水浴びてきますね」
「あ、じゃあその後でいいからレオナを起こしてきてくれる?」
「了解ですー」
シャワー(そもそも存在していなかった)ではなく水を汲んで洗ったあとレオナの眠る2階の寝室へ行く。
この家、歩けるようになってから探検したがなかなかに広い。3人家族のはずなのに部屋はそれよりもはるかに多くあるがもちろん宿屋を営んでいるわけでもない。
まあ、だからこそ僕がここで住んでいてもあまり問題がない理由の1つでもありありがたい限りだ。
そのことをを階段を上り5対の空き部屋を通過した最奥の『レオナ』と彫られた板を吊るしたドアの前で改めて感謝する。
「起きてる〜?」
そんなわけはないと分かってはいるが一応の礼儀としてノックをしてから入る。
目覚まし時計という今まで当たり前に使ってきた便利グッズのないこの世界では基本的には繰り返し同じ時刻に起きることで身体に覚えさせるしかない。
だけどどうやらレオナはそれが苦手らしく1人で起きてくることはない。
寝相は悪くなく寝返りもほとんど打たないようで、比較的綺麗な姿勢で規則正しく寝息を立てているのを見ると、起こすのを躊躇ってしまう。
北欧系の彫りがあって鼻たちがスラリとした顔つきのレオナは普段は活発な雰囲気と大きな目が彼女の性格をよく表しているが寝ている時がそれらが身を潜めているのもあって思わず人形を想起させる。しかし胸を微かに上下させているのは呼吸をしているということで、彼女が生きている証拠だ。
だから僕には眠っている彼女はどうにも曖昧な存在に見えてしまう。
そんな様子にしばらく見惚れていたがやはりレオナはレオナだと思い直し、身体を揺さぶる。
「レオナ!朝だよー!レオナ‼︎」
中途半端にゆすっても起きないので少し強めにするのがコツだ。揺籠のように動かしていると「ん…んう…」と眉を顰めた。すると途端に人間味が出てきて安心する。
「朝ごはんだよー魚だよー」
「はっ!」
僕が魚と言ったからか、それともちょうどいいタイミングで匂ってきたのが効いたのか、ぱっちりと大きな目を全開にしたレオナが面白くて苦笑しながら声をかける。
「おはよう。そんなに魚が好きなの?」
「えー当然だよ〜だって海の近くに住んでるんだよ、新鮮な魚ばっかり食べれて幸せだよぉ〜」
「うん、刺身もあるんじゃないかな?」
やった〜と両手をあげて喜んだ後、あ、そうだ。と言ってスッと僕の方に向き直る。
「おはよっ、ミリアちゃん!今日もいい朝だね!」
◇
ミリア。そう、この世界での僕の名前だ。
水難事故をおこしておそらく元の世界とは違う世界の人に救助され何故かその人の家族に歓迎されて留まっているただの釣りが趣味の元男子高校生である。
『元』というのは高校生にかかっているのではなく男子にかかっている。
そう、これが1番重要にして最も謎な出来事なのである。
僕は今、この場所で女の子として過ごしている。
という事でこの世界では、というよりもいまだに現状を把握しきれていないのでこの国では、と表現した方が良いかもしれないが、日本人の名前では色々と生活をしていく上で不便があるかもしれないと思い、一応はこの場所に合った名前を付けてもらった。
「いやぁミリアちゃんがきてくれたおかげで朝ごはんにまで魚が出てくるようになったかぁ。ミリアちゃん様様だね」
レオナが支度するのを待つ間、雑談をしていた。
僕は女の子だから同じ部屋にいても問題はない。
ただ、なんとなく悪い気もするので本棚を見る風を装ってレオナに背を向ける。
「アハハ、なにその呼び方?僕こそここに置いてもらえてるんだからせめてこれくらいのことはしないと僕が申し訳ないよ」
「まだそんなこと気にしてたの?まったく律儀な子ね!私達お友達でしょ?だったら困っている友人がいたら助けるのが人情ってものよ!」
あ、一緒に住んでるからもう実質姉妹ね!とかなんとか言い始めたが、そんな眩いばかりの厚意を受けてどうにも二の句が繋げずにいた。
なんて純粋な子だろうと感動をしたのだろう。たぶんね。
「でも、ミリアちゃん釣りが得意なんてすごいなぁ」
「元々は得意なわけじゃなくてただの趣味だったんだけどずっと漂流してたから得意にならないと生きていけなかっただけの話だけどね」
「わたし、ミリアちゃんはどこかの船から落ちて流れ着いただけだと思ってたなぁ」
「商船とか?」
「そうそう。あそこの海はよく船が通るんだよ〜。商船はもちろん通るし、領主さまの船だって通るんだよぉ。だからたまに嵐とかで船が難破したりすると放り出された人があの浜に打ち上げられたりするのぉ」
それにあの日の前の夜は雷が鳴っていたくらいの豪雨だったから尚更、僕もその類ではないかと思ったという。
まあ、実際は日本という異世界で釣りをしていただけの男子高校生が謎の高波に巻き込まれてやってきたというだけの話だった訳だけれど。とはいえそんな事は言えないので漂着以前の記憶が曖昧であるという風に言わざるを得ない。
レオナのご両親も僕が打ち上げられていた浜には船の積荷はおろか木材すら流れ着いていなかったので別の理由だろうと判断したらしい。
「ちなみに流れ着いた人とか積荷はどうしてるの?」
だから僕はちょっと気になって、単なる好奇心のつもりで問いかけた。
「……んー?いやぁわたしは知らないなぁ」
「え、知らないの?」
「しらなーい」
思わず僕は後ろを振り返ってしまった。
レオナは間延びした口調で答えながら焦点の合わない眼で薙いだ海をぼんやりと眺めていた。
ただ、寝ぼけているだけだと思った。
だからどうせ、深く聞いても答えは返ってこないんだろうなぁ…
「…あっ、ごめんごめん、よし!じゃあ食堂いこっか!」
「う、うん」
ハッとした表情を浮かべたレオナに引きずられ階段を降りる。いや、危ないから。
それはそうとこの家の凄いところ其のニ、立派な、といっても差し支えない食堂があること。僕は友人宅を含め一般家庭で直接目にした事はない。
その上、レオナの部屋から食堂まではそこそこ距離がある。
もうここ、家じゃなくて屋敷と呼ぶべきだろう。
「ミリアちゃんとずっと釣りをしてたっていう割には肌がすごく綺麗だよね」
「なんかね、僕もよくわからないんだけどあんま焼けないんだよね。でもそれをいうならレオナだってずっとここで暮らしてたって言ってるけどそうは思えないくらい綺麗だよ」
「え〜そんなことないよぉ〜」
嬉しそうに頬に手を当ててくねくねくねくね…
褒められ慣れてないのかぁと微笑ましく見守っていると我に返ったレオナが今度は打って変わってジトっとした目になる。
女の子のジト目って可愛い。
「…なんかミリアちゃんに言われると嫌味に聞こえる…」
「え、え?なんで」
「だってさぁーミリアちゃんの方が可愛いじゃーん」
「え」
「なにぃ〜その反応。自覚がないような顔したって無駄なんだからね!」
そんなこと言われても…という感じなんだが。いや、僕とて男子高校生だったわけですから可愛い女の子を見抜く眼には自信がある。だからこそレオナを可愛いと言った訳なんだが、では自分はどうなのか、と言われると返答に困る。
いざ自分が女になって自分の顔を鏡で見た時、特にこれといった感想が浮かばなかったのだ。
自分の意識って不思議だなぁ…
そんなどうでもいいような会話をしているうちに到着した。
食堂の扉を開けるとフィーネさんが配膳をしているところだった。給仕の人はいないらしい。これほど広い屋敷なら掃除をするのだって大変だろうから雇ってもよさそうなものだけれど。
ちょうど並べ始めたところだったようなので僕も配膳を手伝った。
…この状況を客観視するとこれで僕がメイド服でも着たら充分メイドに見えるのではないだろうか。なんかこの屋敷ならメイド服の一着や二着余裕でありそうだ。
別に僕に女装趣味があるわけじゃないが。
そしてレオナは着席してる。めっちゃお嬢様っぽい。
もしかしてレオナって本当にちょっと高貴な方?などと一瞬考えそうになったが、いや、じゃあその母であるフィーネさんが配膳してるのもおかしな話じゃないかと気がついた。
…なーんかなぁ。
やはりこれほど大きな屋敷があって、しかも海の近くの丘にポツンと建っている。当然そこから見える範囲に人の家はない。
ここまで状況が揃っているのだ。ならばそこに住む人物は、主人とその妻、娘、そして住み込みで働く使用人というキャスト構成が理想だろう。
つまり、料理から洗濯、もちろん配膳まで僕が受け持つのが最も理想的とみた。流石に今はまだ難しいだろうが徐々に仕事を僕の管轄にしてもらおう。そうすれば僕もここに住み続けられるし僕にとっていいことずくめだ。
「どーしたのー?なんかぼーっとしちゃって」
「…え」
レオナの声で我に返る。どうやら僕はいつの間にか配膳を終えて既に席に着いていたらしい。
「わかったぞっ、さてはミリアちゃん、寝不足だな!」
「いつも早いものね〜」
「いえいえ、もう慣れてるからそんなことはないですよ。ただ少し、そうですね、思考に沈んでただけです」
「アハハハハ!ナニソレ!」
「なにか面白い要素あった?」
それじゃ当分は信用を稼ぐことに精を出しますかね。今はこれといってすることもないですし?
あと、レオナともっと仲良くしたいなぁ……なーんてね、アハハハハハハハハ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
…ミリアちゃん。この娘、もしかしたら結構な掘り出し物かもしれない!
食事が終わったと思ったら急に立ち上がって、
「洗い物は僕がやります」
って言ったの。お母さんは、助かるわぁって言ってたけど客人にそんなことさせちゃっていいのかなぁ。
そんなことを思ってたんだけど、数日後にはそんな考えは吹き飛んじゃったのよ。というのもわたし、ミリアちゃんの姿を後ろから見てたんだけど、ものすごく手慣れてるのね。髪も似てるし、お母さんが2人になったみたいな作業効率で実際助かってしまったから、もう任せちゃってもいいかなぁ、なんて思っちゃったの。
あ、人を利益で評価しちゃダメだよね。ごめんね。
って誰に謝ってるんだろ。
謝意は本人に伝えないと意味がないもんね。あとで、焼き菓子でもあげてこよ。
ミリアちゃんって表情はそこまで豊かじゃないけど、眼でどんな気持ちなのかすぐわかっちゃうんだよね。
とりわけ美味しい料理を食べたてるときはこんなに分かっちゃうんだってくらい分かりやすいの。
お母さんの料理、美味しいもんねぇ。
そんなミリアちゃんに甘い焼き菓子を食べさせてあげるの。もう1人で食べられるよって言われるかもしれないけど、それは嫌がってるんじゃなくて恥ずかしいがってるだけだからこっちが引かなければそのまま食べてくれるはず!
……いけないいけない、ちょっとトリップしてた。
お父さんが背負ってきた時にはお父さんに変な性癖があるのかしらって不審に思ったものよ。
だってこれまでそんなこと一度だって見たことがないんだもの。
……そのことをミリアちゃんに聞かれたときはヒヤッとしたなぁ。
わたしだってミリアちゃんとはこれからも仲良くしていきたいもの。
だからここ数日、ミリアちゃんが何か思案しているのを見て、それが私たちについてなんだって分かる度にわたしはあの娘の私に向ける眼が怖くなっちゃう。そして私もミリアちゃんに心の中で問いかけるの。
あなたはどこから来たの?本当の名前は?ここで何をしたいの?って。記憶がない今のミリアちゃんには答えられないことばっか。
そんな時に思うの。
わたしって自分の家の事、全然知らないなぁって。
これまでは気にならなかったのに、ミリアちゃんが来たことで、これまで感じなかったことを感じるようになった。今まで当たり前だと思っていたことが揺らいできた。
ミリアちゃんのことを知れば色々と納得できるかな。
そのためにはミリアちゃんにはずっとここにいてもらわないとだめだね。
純粋な好意じゃないことが分かって胸が苦しくなる。
本当は…本当はね、本物の姉妹みたいになりたかったんだよ。
だってそうでしょ?
何も知らないということは情報を自分で信用するということ。
でもミリアちゃんを疑う必要なんかないよね。ミリアちゃんは何も知らないんだもん。
だから私は疑わないの。ミリアちゃんが言うことは信じなくてはいけない、疑問を持ってはいけないの。無条件に信じることそれがミリアちゃんと仲良くできるためには必要なこと。
そして無知で無垢なミリアちゃんはなんでかわからないけどお母さんみたいな髪を持っている。
じゃあ私たちは姉妹になれるはずじゃない。
わたし、ミリアちゃんとは本当に仲良くしたいんだ。
ここまで読んでくださった方に感謝します。