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――数ヶ月後――
とある侯爵家所縁の夫人の死亡が社交界を駆け巡った。
ただの死亡なら特に噂になったりはしなかったが、その夫人は『自殺』だった。
しかも、ただの自殺ではない。
夫人の体には暴行の痕が至るところにあったのだ。それも昨日今日のものではなく、長期間にわたって暴力を受けていたと思わしきものばかり。手口も陰湿極まるものであった。衣服で隠れる箇所を狙ったものばかりなのだ。
犯人は間違いなく家族の誰かだった。
一番疑わしいのは夫だろう。
(あらあら、御婦人はお亡くなりになったのね。お可哀そうに。かの御婦人には私も随分とお世話になったものだわ)
ヴィクトリアは、自殺した夫人のスキャンダルな死を面白おかしく記事にしている新聞を読んでいた。彼女は、夫人のことをよく知っていた。義理の伯母になるかもしれなかった人物なのだから。そう、元婚約者であるアーサーの実の伯母である。
(婚約期間中も事ある毎に「茶会」に出席させられたものだわ)
金がなくとも名門の侯爵家だ。
煩い親族のおば様方に“侯爵家の嫁との交流”と称された嫌味交じりのお茶会も多かった。
成り上がりの子爵令嬢が名門侯爵家の次男との婚約は、当時でも話題に上っていた。いい話題ではなく悪い方に。金に物を言わせて侯爵家と縁組した、と社交界でヴィクトリアを詰る者は多かった。
アーサーもヴィクトリアが他の令嬢達に嫌がらせを受けていた事は聞き及んでいたが、特に対策はしなかった。こういった女同士のイザコザに男が割って入ると余計に拗れるものだ、と言う忠告を既婚者の友人からされていたのも原因の一つであったし、この程度は淑女としての洗礼のようなものだと親族の女性たちも笑っていたため、大した問題と思っていなかった。
確かに、アーサーとヴィクトリアが結婚していれば問題はなかっただろう。
だが、実際そうはならなかった。
婚約破棄以前の問題で、非常識極まりない駆け落ちだ。
そのせいでヴィクトリアはスキャンダルに塗れ評判を落とした、とアーサーは考えていた。
それは概ね正解である。
ただ世の中、下位貴族だからといって、高位貴族相手に泣き寝入りしない人種もいる。地位は低かろうとも、金と情報と幅広い人脈を持つ子爵がそうはさせなかった。
結果、元凶の侯爵家と男爵家以外にもその怒りの矛先は向かったのは言うまでもない。
侯爵家との縁組だからこそ、耐えた嫌がらせの数々。それを何倍にもして各方面に報復したのだ。嫌がらせをした者は、まともな縁組は出来なくなり、既婚者は一方的に相手から離縁された。ヴィクトリアをかばう事もしなかった侯爵家の縁戚の親切な伯母様方は、社交界での居場所を失い、二度と姿を見せることはなかった。
(まあ、離縁はできない状態にさせていましたからね。あんな連中を野に放たれてしまったら、迷惑を被る人が多そうですもの。あの時の判断は正しかったわ)
子爵は愛する娘に喧嘩を売ってきた相手の一人一人に、懇切丁寧にお返しをしたのである。
その苛烈さと執拗さに、貴族社会は震えあがった。
今では、子爵とその娘に喧嘩を売る様な無謀な者はいない。
やらかした侯爵家と縁組をしていた者達も、当然、子爵家に恐怖した。
婚姻していた者は離縁を申し出たのも仕方がない。
だが、それを子爵家は止めたのだ。
勿論、親切心からではない。
彼女達を止めることもなく、一緒にヴィクトリアと子爵家を「成り上がり」と嘲笑していたことを知っていた。連帯責任として婚姻継続を命じたのだ。反発する者もいるにはいたが、子爵家の報復を恐れて実行に移すことが出来なかった。
彼らの鬱憤は、負債となった者達に集中した。
残りの者達も、自殺した夫人と似たり寄ったりの環境にいることは間違いない。
「ご愁傷様」
読み終えた新聞をゴミ箱に捨てると、ヴィクトリアは立ち上がり、ある方向に向かって歩き出した。
今はバラが見頃の季節。
中庭のバラ園も美しく咲き誇っている。
ヴィクトリアは少女のように微笑むと、夫と子供達のいる中庭に向かった。