夢電車の終着駅
「――で、何か面白い怪談話とか、都市伝説の類ってないですかね?」
そう言って、彼は期待と共に返事を待つ。ワクワクという言葉を隠しもしていない彼に、オカルト部部長――彼女は怪訝そうに眉をあげる。
「また、いきなりですね。新聞部の取材というには、何やら個人的な思惑を感じますが」
「そういう話が好きでして。試しに取材に行って来い、とこっちの部長に命令されたので、これ幸いと来た感じです」
二つ上の先輩に対し、新入生でもある彼は物怖じする様子もなく、堂々とそう答える。すると、彼女は一つ嘆息を見せた後、分かりましたと小さく頷く。
「そうですね……貴方は、人と駅の間にある類似点をご存じですか?」
「駅、ですか? 人が駅を利用……は関連性か。すみません、ちょっとピンときません」
「では、夢というのは別世界の光景である、というのは?」
「ええっと…………寝ることってのは、実は魂が別世界に飛んで行っている、という考えですっけ? 飛んで行った先に見聞きしたものが、実はその別世界の情景だとかいう」
「そうです。身体から魂が抜け、異なる場所に行き、そして戻ってくる。これがかつて考えられていた、夢を見るという行為の解釈、その一つです。まあ、かなりざっくりとしたものですがね」
「それが駅と関係ある……いや、駅とみなせる?」
なんとなし、とそう彼がつぶやくように言う。それを聞いた彼女は、然りとばかりに頷く。
「人の身体を駅とみなし、夢というものを解釈しましょう。身体という駅から、魂という電車が出発し、別世界という名の別の駅に向かう。人がどこかの間を行き来するように、魂もまた元の身体をどこかを行き来すると考える」
「そう置き換えれば、夢というのは確かに、電車での移動に似ているように思えますね」
しかし、と彼は首を傾げる。
「それなら、別にバスやらタクシーやらでも成り立ちそうな感じもするんですけど」
「ええ、それはそうです。ただ、今回は貴方に教えることに関しては、電車として解釈した方がやりやすいので」
「ほほう?」
明らかに目を輝かせる彼と対照的に、静かな雰囲気を変えない彼女は、その通りの口調で続ける。
「私が今からお教えするのは、この夢の解釈を利用して、他人の身体に入る方法です。儀式、とはまあ、言えなくもないでしょうか」
「そんなことが出来るんですか!?」
思わず、詰め寄るように尋ねる。そんな彼の反応にも、さして動揺を示すそぶりもなく、彼女は淡々と続ける。
「身体を駅と解釈しての話ですからね。自分の身体が駅なら、他の人の身体もまた駅。駅同士ならば、互いに発着も出来る。そういう理屈、いえ、こじつけです」
「つまり……入れ替わる?」
「いえ、こちらと同じようなことをしていない限り、相手側の魂は別世界に行っているはずですからね。こちらが一方的に、空っぽの身体に入るだけです。そうすることで、相手側の身体に蓄えられた記憶を見る――つまり、相手の人生を疑似体験することが出来ます」
「中々面白そうですけど、身体を直に動かすことはできないんですか?」
「その場合、相手の肉体は覚醒していることになりますから。その状態では、基本的に相手の肉体と魂のつながりの方が強いので、こちらは簡単に弾き飛ばされます。どうにかする手段はありますが、それをお教えするつもりはありません」
ぴしゃりと、彼女は拒否の意思を示す。一瞬、そこをなんとか、と言いかけた彼であったが、どうにかそれを飲み込む。
「分かりました。で、他人の身体に入る方法と言うのは?」
「まず……といっても、これが根底になりますが、実際に人の身体を駅としてみなします。つまり、駅の定義に則り、身体の方をそれにあてはめます」
「駅の定義というと、電車の乗り降りが出来るとかですか?」
「この場合はそれの認識で結構です。では、電車に乗るにはどうすればいいですか?」
「まあ、切符を買う必要がありますかね」
「はい、そしてその切符を買うには、お金が必要です。ですので、まずはお金――運賃を用意します。額はまあ、いくらでも構いません」
「五円や十円でもいいんですか?」
「対象となる相手の距離、そして貴方との縁を合わせたものが、用意した額の半分と釣り合うのであれば」
「半分?」
「ええ、行きだけでなく、帰りの分も必要ですから。だから、今回は電車に限るんです。往復を前払いで確約できるのが、電車の特徴ですから」
なるほど、それでか。大きく首を縦に振りながら、彼は関心の声を漏らす。確かに、縁者と違い、バスやタクシーは基本的に後払いだ。無論、往復のことも含め、それが全くできないわけではないが、一般的には前払いをする印象はない。そして、今回教わるものが身体から魂を離す、という儀式である以上、帰ってくることをあらかじめ確定させられるというのは、確かに重要なことだ。だから電車にこだわっていたのか、と彼は深く納得する。
「生者でも死者でも、誰かと交信なりなんなりをする場合、物理的な距離というのはあまり関係がありません。霊的な距離、つまりその人とのつながり――間柄や縁の方が重要視されるのが一般的です。特に今回お教えするものは、特定の相手を対象としない類のものなので、この縁が重要になります。六文銭等、現世のお金は物理的なそれだけでなく、霊的な価値も併せ持ちます。それを消費することで、縁のある人を探す範囲を広げ、かつその見つけた縁を一時的に強くできるのです」
「その太くなった縁――この場合は線路ですかね? それを使って魂を通すと」
「ええ、そういうことです。ただ、これだけでは不足です。これに加え、自分の身体に戻るための目印がいります。駅名、というよりは、ここは住所の方が近いでしょうか。行先に関しては、運賃の範囲内の、とすればいいですが、戻るときにもそれでは不確実となりますので」
「なるほど。それは僕の家の住所でもメモとかでもいいんですか?」
「それでもいいですし、単に貴方のものだと分かる物品でもいいです。うちの高校の学生手帳なり、保険証の類なりでも、まあ大体はなんでもいいでしょう。筆箱の中の文房具、くらいなら怪しいかもしれませんが」
ともかく、と彼女は言う。
「運賃と目印、それらを両の手に持った上で寝る。どちらの手にどちらを持ってもいいです。運賃と目印がそれで成り立つのであれば、貴方は他の人の身体の中に入ることが出来るでしょう。額を増やせば、それだけ縁遠い人にも繋がるでしょうね」
「そして、相手の記憶を見ることが出来る、と。いやあ、ワクワクしますね」
ニコニコと、満面の笑みを浮かべながら、彼は何度となく頷く。そんな彼を、どうでもよさそうに一瞥した後、彼女は瞑目しながら口を開く。
「一つ、貴方に忠告を。これを実行した後は一度……少なくとも連休明けには、私の元に来てください。その際に、この儀式の注意点をお伝えします」
「ん? 今は教えてもらえないのですか?」
「実際にやってみた後に伝えた方が、効果があるでしょうから。まあ、一度や二度やった程度なら、知らないままであったとしても、さして問題にもなりませんので」
「はあ、そうですか。では、そうさせてもらいます」
引っかかるところはあったが、この場は好奇心が勝った。早く、この面白そうな儀式をやってみたい。それが、彼の胸中を占める唯一のものだったからだ。
「お話、ありがとうございました」
挨拶もそこそこに、彼はオカルト部の部室から退散する。その背を彼女が、じいと見つめていたことにも気づかずに、彼は放課後の廊下を歩いていった。
そして、その日の夜のこと。
「――よし、後は寝るだけ、と」
興奮に胸を高鳴らせながら、彼は自室のベッドに寝そべる。右手には、お試しとして準備した百円玉一枚。左手には、とりあえずと握った自身の学生手帳が一冊。彼女の言葉が正しいなら、これで場は整ったはずだ。
「さて、どうなるか」
期待を口の端からこぼしながら、彼はゆっくりと目を閉じる。どきどきとなる心臓は、平生であれば彼の眠りを妨げたことだろう。だが、今回はそうではなかった。寝よう、と彼が改めて思った直後、彼の意識は暗い闇の中に落ちて行き――
「――ッ!?」
飛び上がるように、彼は身体を起こした。室内は暗く、まだ夜明けの気配はない。近くにあった目覚まし時計に目をやると、まだ深夜と呼んでも差し支えない時間が表示されている。
数秒、目を見開いた状態のまま、時計をじっと見つめていた彼であったが、
「ガチじゃん…………!」
突如、その顔が喜色いっぺんに染まった。彼の脳裏を支配していたのは、今しがたまで見ていた夢のことだ。
夢の中で、彼は一人の男性になっていた。中高年のサラリーマンで、家族と言葉を交わしながら家を出て、駅に向かい、電車に乗って会社へと向かう。平凡なお父さんの日常、その一コマというような内容だった。自分が誰か、というのを除けば、夢らしい不可思議さや不条理もない、何の面白みもないものと言えるだろう。
だが、
「あんなに、あんなに生々しいなんて……!」
夢の内容とは裏腹に、彼はその身体を興奮で震わせていた。彼は理解していた。あれは夢ではなく、まぎれもなく、他人の人生の断片だったのだと。儀式により入りこんだ、他の誰かの記憶。自分はそれを見たのだと、彼は直感的に理解していた。
興奮から、両の手の中の物ごと、彼はぎゅっと拳を握り締める。儀式の成功と、それから味わった体験。超常的な現象を、自らが引き起こせたということ。そして何より、他人の人生を、絶対にありえない形で見聞きしたことに、彼は心から喜んでいた。
「も、もう一度やってみよう」
興奮と好奇心に導かれるまま、彼は二度目の実行を試す。どうせ翌日――今日は休みだ。多少寝過ごしたところで、そうたいして問題にもならない。僅かな理性で後押ししながら、手のお金と手帳はそのまま、彼はもう一度背をベッドに預ける。
そして、寝よう、と思ったところで、彼の意識はまだ、二度目の落下を迎え――――
「――やっぱり、これは本物だ!」
翌朝、二度目の体験を胸に抱えながら、彼は歓声を上げた。
それから、彼は時間がある度に、その儀式を実行した。連休であり、ひとまずは予定も入れていなかったことから、空き時間のほとんどはこの儀式に費やした。彼にとっては、家の内外で遊ぶことよりも、明らかにこの儀式の方が面白かったのだ。
散歩に出る老人。買い物に向かう主婦。通学する学生。遊びに出る青年。儀式をするたびに、彼は夢の中で様々な人物になった。自分に似ている人、似ていない人。共感できる人、できない人。近くにいる人、遠くにいる人。知っている人、知らない人。いくつもの人生の断片を、彼は何度も何度も味わった。
その味をより深く知りために、お金の額を変え、時間を変え、彼は何度となくこの儀式を実行した。やはり、通常の睡眠とは違うのか、眠気の有無とは関係なく行うことが出来たため、実行回数はあっというまに積み重なっていった。
老いも若いも、男も女も、彼は夢の中で何にでもなれた。当然、そのほとんどが平凡で、僅かな非凡もスリリングな人生ではなかったが、彼はそれで満足だった。他人の人生を追体験するという、超常でありえない経験。それを味わえたということが何よりも重要なのであって、その内容そのものはある意味ではどうでもよかったのだ。
そんな調子で、連休のほぼ大半をこれに費やし、実行回数が十回を軽く超えてくると、この儀式に関してもそれなりに見えてくるものがあった。夢の内容自体はバラバラでも、実行にあたっての注意点や、不思議とどの夢でも現れる共通項など、実行手順につけ足してもいいようなことが、いくつか見受けられたのだ。
「一つ、範囲内に寝ている人がいなければ、この儀式は成功しない」
これは厳密に言えば、おそらくはそうであろう、という推論だ。そうでなければおかしい、と言ってもいいかもしれない。なにせ、寝ている人の中に入り込む、というものである以上、前提として相手が寝ていないと不可能であるはずだからだ。
「二つ、この儀式において、実行者は寝ようと思った瞬間に寝ることが出来る」
肉体、あるいは脳の疲労の有無は関係なく、先のそれを含めた各種条件さえ満たしてしまえば、必ず夢を見ることが出来る。より正確に言うなら、実行者の肉体の疲労度やら何やらは条件に含まれないということになる。したがって、条件を満たしていなければ、この気絶にも似た睡眠は発動しない。先の前提のように、近くに睡眠中の人がいなければ、この儀式は実行できない、ということになる。だから、時間帯を変え、寝ている人が増えるのを待つしかない。
ただ、これも解消しようと思えばできないわけではない。つまりは、運賃の額を上げればいいのだ。対価を増やし、より縁遠い相手――この場合は、より遠くに住んでいて、繋がりが全くない人――をも対象にできるようにすれば、時間帯を変えなくても無理やりに儀式を実行できるようだった。失敗するたびに財布から出す額を少しずつ増やしたり、たまに組み合わせを変えたりして試したので、おそらくは間違いないはずだ。
「三つ、一度の実行で夢を見られるのは、平均して四時間弱ほど」
多少のぶれもあったが、大体はこれを超えたくらいで覚醒するようだった。おそらく、夢を通して相手の身体に入っていられる限界がこの程度なのだろう。あるいは、このくらいが経つと相手の意識が夢の世界から戻り、自身の身体に帰還するのかもしれない。そのくらいで眠りが浅くなるのか、こちらの存在に身体なりが反応してのことなのかは不明だが、そこは検証もしようがないことだ。こちらが覚醒したときには、相手も目を覚ましているのかもしれない、という推測もまた同様だ。
「四つ、夢の中では、必ず一度は電車や駅が出てくる」
そして、最後の共通点。通学、通勤、散歩、買い物。どういうシチュエーションであっても駅と電車のどちらか、あるいはその両方が、夢の中で姿を現している。これはある意味で、今までのそれと毛色の違う『事実』だ。儀式の実行云々には関与してない、というのもそうだが、他のものが推測や不明瞭な要素を多分に含む中、これだけは純然たる事実として、異色な存在感を放っている。
あるいは、儀式に駅と電車の概念を利用していることが原因なのかもしれない。儀式の結果が、手順として使ったものに引っ張られ、その要素を出してしまっている。そういうことなのではないだろうか、と彼は不可思議さを抱えたまま、そのように推測していた。
「これらが、現状で判明している事柄である……っと」
口に出しながら、彼は携帯電話のメモに記していく。これらを足した上で儀式の実行手順をまとめ、実際に味わった不可思議な体験をいくつか記せば、それで記事としての骨格は十分になせるだろう。自分で書くにせよ、先輩に託すにせよ、新聞部の一員としてなら、それなりの活動をしたと言える。
ただ、今の彼にとっては、そんなことはもうどうでもいいことだった。
記事を書くために儀式をする、という意識は、もう彼の中にない。あるいは最初から、それはただの名目であったのかもしれない。少なくとも、今の彼にとっては、自分の楽しみのために儀式をしたい、という、かつては手段だった『目的』しか存在していなかった。
そんな状態であったからか、当然のように、彼はすっかりと先輩のことを忘れていた。無論、完全に記憶を失ったというわけではなく、何かの拍子に思い浮かべるということがなくなっていたという意味だ。
だから――だから彼は、あの時先輩が言っていた、この儀式の『注意点』について、思慮を巡らせることもなかった。
それが、何を招くかということも、知る由もなく。
――駅の構内に、『自分』が立っている。周囲には一杯の人々がいて、次に来る電車を思い思いに待っている。老いも、若いも、女も、男も、それぞれが様々に、そこに立っている。
ふと、視線を前にやる。黄色い線の内側、そのぎりぎりに、一人の男が立っている。背広を着て、片手に鞄を持つ彼の、そのすぐ後ろに『自分』が立っている。
アナウンスが響いた。ややして、線路の向こうから、電車が来るのが見えた。来たか、と周囲の空気が僅かに変わる中、
ついと、男の背を押す。
――そこで、目が覚めた。
飛び跳ねるように、彼は伏せていた身体を起こした。右手には携帯電話のストラップが引っかけられ、左手には諸々が入った学生カバンの持ち手が触れている。それらから手を離しながら、彼は目元を軽くもむ。
「……今の、は」
不快気な声を、僅かに漏れる。今しがた見た夢で、『自分』がした体験。その感触が、嫌に頭に、手に残っている。
「確かに、儀式のそれ、だよな……この組み合わせでも、なるのか…………」
見たばかりの夢の感触と、眠気の一切残らない目覚め。ちらりと時計を見れば、そろそろ寝ようか、と片づけを始めようとしていた頃から、三時間ほどが経っている。その気はなかったのが、偶然に条件が整い、予期せず儀式が行われたらしい。
「……それにしても」
嫌な夢だ、と彼は顔を手で覆う。これまでに見てきた、平々凡々な人生たちと明らかに異なる、犯罪の瞬間を切り取った夢。しかも、あれは明らかに殺人のそれだ。身近――かどうかは不明だが、何処かにいるらしい殺人者の身体の中に入ったかと思うと、なんともぞっとしないものを感じる。
そういえば、近くの駅――彼が登下校に利用している駅でも、人身事故が起きたことがなかっただろうか。ふと、彼はそんなことを思い出した。何年くらい前だったか、事故か殺人かは覚えていないが、そういうことがあったのは確かだったと思う。
嫌な予感が、一瞬だけよぎる。
「まさか、ね」
気にし過ぎだろう。自分の想像を振り払いながら、彼は机上の時計を見る。どうやら、現在時刻は夜よりも早朝という方が近い頃合いのようだ。元々、寝ようと思ったのは日付が回ったくらいだった――普段から割と夜更かしが多いのと、儀式のやりすぎか、あまり眠気がなかった――はずだから、儀式の時間的からしても、まあ妥当な時刻。普段ならまず寝ているが、昨日で連休が終わり、今日から学校だと考えると、寝直すのは難しい。そんな時間だ。
「まあ、たまにはいいか」
睡眠時間の割に、眠気もさしてない。夢の結果から気分を変えるためにも、普段と違うことをするのはありだ。せっかくだし、少し早めに出てもいいだろう。そう決めて、彼は椅子から立ち上がる。
「……あっ」
そこで、彼は思い出した。通学に使っている定期の更新をしていない。連休の間にするつもりだったのを、儀式に夢中になった結果、すっかり忘れていた。
「しょうがない。今日は普通にお金払っていくか」
幸先悪いなあ、とぼやいても、結局は自分のミス。予定外の出費を嘆きつつ、仕方ないなと諦めて、彼は朝の支度を始めるのであった――
「こんにちはっす、先輩」
戸が開く音と共に、軽い調子の挨拶がかけられた。それなりになじんだ、男子の声。それに彼女――オカルト部の部長は、読んでいた本から顔を上げる。
「こんにちは、今日は遅かったですね」
「っす、ちょっとホームルームが長引いたもんで」
言いながら、その男子生徒――彼女から見て二つ下の後輩は、彼女の向かいの席に座る。それに、彼女も本を閉じ、彼の方を見る。
「それで、どうでしたか?」
「夢の奴っすよね? 休みの前に教わった」
ええ、と彼女は頷く。新聞部の男子に教えた、見立てを用いて他人の中に入る儀式。彼女はこれを、彼と前後する形で、この後輩にも教えていた。あちらと同じように、相手方から請われた形であった。
「まあ、教えてもらった手前、俺が言うこっちゃないのかもしれないっすけど……なんというか、普通だったっす」
「それが自然ですよ。たぶん、使った運賃は百円くらいでしょう?」
「ですね。札使うのもアレかなって思ったんで」
「そのくらいで手繰れる縁は、まあ身内かご近所さんくらいでしょう。真っ当に生きていれば、近しい相手というのは大体善人になるはずです。そんな方の人生経験となれば、基本的には普通のそれになりますよ」
「なるほど、それもそうっすね」
「ちょっと悪いことしたことがある、というくらいならともかく、本当の犯罪などの経験がある人とはそう簡単に繋がりません。よほどお金を捧げ、より遠くの縁を手繰ろうとすればまた違うでしょうが」
一度程度なら、そんなに額は使わないものです。そんな風に彼女が答えると、後輩は感心したように頷いた後、はてと軽く首を傾げる。
「あれ? 俺、先輩に一回しかやっていないって言いましたっけ?」
「連休前に釘を刺しましたからね。一度か、せいぜい二度にとどめておきなさいと。最初の発言から一度で止めただろうことは察せました。それに、貴方なら踏みとどまるのは容易だと信じていましたから」
「そりゃあ……信じてもらえて嬉しいっす」
褒められた、と察し、後輩は照れたように頭をかく。口調こそ軽いが、誠実で真っ当な男子。そんなふうに評価し、割合と好ましく思っている後輩の反応に、彼女は少しだけ目を細める。ややして、後輩が落ち着きだしてから、それで、と話を再開する。
「この儀式で注意すべきなのは、運賃としてお金を使っている以上、そのお金の価値が減ってしまうということです。使えば減るのは至極当然のことですからね」
「現代の人間社会の、ってわけじゃなくて、霊的な価値っすよね?」
「はい。特にこの場合は『運』と言っていいでしょう」
「運? 運勢の運っすか?」
「そうです。これはあくまで私の考えですが、人間の運というのは、その人自身が持つものと、その人が持つ物品の運を統合したものになります。いわゆるラッキーアイテム、あるいは呪いの品、を持つことで幸運ないし不運になるというのはそういうことです」
「さっきの運が減る云々を踏まえると、前者は他より運が多くて、後者は運が少ないって感じっすか。絶対量ってよりは、全部足した後に物の数で割った分がその人の運って感じっすかね?」
「おおむね、その解釈で結構です。そして、その手の曰くやらがつくものは、もう『運』が固定されている状態です。これらは運が普通より多いまま、あるいは少ないままで変化しないため、人手に渡っても運が結果に大差がないのですが……今回の運賃の場合は違います」
「まあ、使って減っているわけっすからね」
「そうですね。ですから、そのお金は何かしらの形で自身の運を戻そうとします。ああ、意思をもってとかそういう話ではないですよ? 池とかそういうもののように、減ればいずれ雨水などで増え、増えればあふれて減るという風に、自然と一定量を保とうとするというだけです」
ところで、と彼女が問う。
「貴方は、その使った運賃を消費しましたか?」
「ええっと、物理的にってことっすか? それなら、購買の自販機でジュース買うのに使いましたけど」
「その際、何か『不幸』が起こりませんでしたか?」
「不幸って……ああ、そういうや財布に戻すときに一円落としたっす。そのままどっかいったんで、ありゃりゃ、ってなったっすけど」
「百円で一回なら、まあそんなものでしょうね」
「どういうことっす?」
「運の減った物品は、その人の元を離れる――つまり、所有権を放棄されるとき、不足分を持ち主の運から補填します。先の水の例で言えば、コップの中身をこぼしたので、持っていた水筒から水を入れなおした、というようなものです。当然、そうなれば水筒の水は減ります」
「ということは、その人は運が悪くなる……あっ、俺から一円分だけ運が減ったってことっすか?」
「そういうことです。百円を使った瞬間、わずかに貴方の運が減り、一円を無くすという『不幸』が来た。ああ、ちなみに、運というのは生きていれば自然と増減するものなので、今はもう戻っていると思いますよ」
「そりゃよかったっす。ちょっとでも運が悪くなるってのは、あんまり気分のいいもんじゃないっすから」
ほっと、後輩が胸を撫でおろす。
「ということは、あの儀式の注意点ってのは、運賃を使いすぎるとそれを消費したときに不運になるってことなんすね」
「はい。使った瞬間、あるいはその後から一定期間、持ち主は相応の不運に見舞われやすくなります。元の運が良い人なら、相対的にそういうことも起きにくいかもしれませんが、元々運が良くないか、あるいは、かなりの量の運を持っていかれでもすれば」
「大事に巻き込まれる、ってことっすか」
「ともすれば事故の一つや二つ……あるいは事件の関係者程度には、なるかもしれませんね」
「なるほど……」
ふうむ、と彼女の言を聞き、後輩は腕を組む。数秒の後、何かを思いついたように顔を上げる。
「あ、じゃあそのお金を後生大事にしまい込んでおけば、不運な目には合わないんじゃなっすか?」
どうだ、とばかりの提案。それを受け、彼女は額に手を当てながら、大きくため息をつく。
「さきほど、その人の運というのは、持っているものとの合算だと説明したはずですが。そんなことをすれば、全体的な運が悪くなり、短期的にはともかく、長期的にはかなりの損になりますよ」
「あっ、マジっすか。じゃあ俺がさっさとあれを使ったのは正解だったんすね」
「より正解に近いのは、そもそもこの儀式をやらないことですけどね。まあ一回か二回やる程度なら、貴方の考えでも問題がないのは事実ですが」
「じゃあ、何度もやったらどうなるんすか?」
「簡単ですよ。やった分だけ運賃から霊的な価値が消失するだけです。数回程度なら使っても小さな不運しか呼ばないでしょうが、何度も何度もやれば、それだけ『良くないもの』も呼び寄せますよ。特に、同じお金を使い続けた場合は」
「良くないもの……っすか? 不運じゃなく」
違います、と彼が漏らした素朴な疑問に対し、きっぱりと彼女は否定の動作を返す。
「この、他人の中に入る、という儀式ですが、部分的に見れば他人と縁を結ぶ儀式と言えます。相手が善人であれば、どれだけ縁が続いてもいいでしょう。ですが、相手がそうでないならば? 悪人と縁がつながれば、それはその人にとって良くないことであると言えます」
「それはまあ、そうっすね」
「そして、あの儀式において、縁をその人にもたらすのは?」
「そりゃ儀式自体――あっ!」
何かに気づいたそぶりを見せる後輩に、大きく頷いて見せた後、彼女は強い口調で続ける。
「はい。この儀式において縁をもたらす存在は、儀式に使用した『運賃』です。価値の減っていないお金であれば、何の問題もないでしょう。ですが、度重なる使用により、霊的な価値を大きく損なっていたら? 幸運が導く縁と、不運が導く縁。そのどちらが、良くないものとつながりやすいのか」
言うまでもないでしょう、と彼女は細く息を吐く。
「この儀式における、最大の注意点。それは『運賃の使いまわしをしない』こと。多少ならともかく、程度を過ぎれば、果たして何が起こるか」
「良くないもの……悪人と縁ができやすくなる。転じて、その人と会いやすくなる、ってことっすか」
「それが縁ですからね。そうして会ってしまえばどうなるか、というのは言わずもがなでしょう。ましてや、その相手と会う際に、先の『運賃』を使っていたら」
例えば、どこかの施設。遊園地や水族館、プールなど、チケットを買うことで行くような場所などがそうだ。運賃として使ったお金を払うことで、そう行った場所に行ったなら、はたしてどうなるか。
ましてや、儀式の見立てに使ったことで、すでに繋がりを得てしまっている『駅』の構内なら、どうなるか。駅はなにも、電車だけが行き来するわけではない。結局のところ、駅というのは、人がいないと成り立たないもおだ。故に、自身の身体を『駅』とみなすなら、『人』を引き寄せるのもまた当然。そんな場所で、『縁』を招くようなことをすれば……
そんな言葉を飲み込んで、彼女はじいと後輩を見る。
「そういうわけですから、今後この儀式を行う際は、特に気を付けるように。問われれば私は自身の知識を教えますが、それもたらす危険については、相手の理性にゆだねることにしています。ゆめゆめ、私が土壇場で助けるとは思わないように」
「……うっす」
真剣な表情で、後輩が頷く。それをひとしきり眺めた後、彼女は視線を緩める。
「まあ、妙に厚かましいだとか、あまり好ましくない相手ならともかく、基本的には教える際にくぎを刺すくらいはします。その点は安心してかまいません」
「そりゃよかったっす」
「……ところで」
と、話の大枠が終わったところで、彼女は一つの問いを後輩に投げる。
「ここに来た時、ホームルームが長引いた、と言っていましたが、何か問題でもあったのですか?」
「ああ、それっすか」
いやね、と顔をわずかにしかめながら、困ったように後輩が答える。
「ああ、なんかクラスメイドの一人が、鉄道事故で亡くなったらしくて」
「……そういえば、そんな話を誰かがしていましたね。亡くなった、というのは初耳ですが」
「朝の時点だと先生たちもよく分かっていなかったのか、ただの事故って感じだったんすけどね。帰るときには死亡事故ってことで確定でした。たぶん、そのうち皆でお通夜とかに行くことになるんでしょうね」
「それは、また」
僅かに、目を伏せて、
「――お気の毒な事です」
彼女は小さな声を漏らした。




