絶望の中の希望【4】
空間に空間を重ねたり、ずらしたりする系の結界の中で更に空間をどうこうするのは危ない。
何が起きるか分からないからだ。
しかし今はその手の結界が張ってあるわけでもない。
月が鈴を鳴らすとゆらゆら、目に見える全てが波打つ。
そして先程、風が生み出した落とし穴のような門が開く。
これが、一番新しい空間の歪み。
「空間は自己修正ができる。早く行こう」
「うん、では」
門を潜り、闇の水の中に落ちる。
ゴポゴポと沈む空間に驚いた。
(水の中!? ……ああ、そうか、彗殿は『水属性』と『光属性』の神だから……いや待て! ならなぜこんなに真っ暗なんだ!?)
(っ……!)
『息は止めたままで大丈夫だよ月。今のキミの体は“絶対に死ねない”。窒息する事はないからね』
(う、うむ。分かってはいても……何やら息苦しいというか……。伽藍は大丈夫なのか?)
『あれは幻獣ケルベロス! 窒息死させたいなら千年は水中に留めないと無理!』
この水中は侵入者用だろう。
十分以上水中を落ち続けて、ようやく足元に光を見つけた。
浮かぶ水から落ちるという不思議な感覚を体験して、月と伽藍は芝生の上に着地する。
「…………っ……」
「大丈夫かい? いくらトリシェ殿を宿しているからといっても怪我が治りきっているわけではないんだろう?」
「……覚悟の上だ、心配は不要」
腹を抑えてしゃがみこんだ月。
トリシェは憑依した器が死体でも治せる。
新鮮な死にたてならば蘇生すら可能。
しかし、さすがに月は怪我が大きすぎた。
どうしても時間がかかってしまう。
「彗を助けて、彗に治してもらうとするか。ここにあるのだろう? 彗の神器が」
「……そうだな……この空間自体がその神器の力によるものだろう。人間にこんなどでかい空間を創り出せるわけがない」
『それより、先に進まない? ほら、あの小さな沼の真ん中に咲いてる睡蓮……多分、あそこだ』
トリシェに促されて睡蓮の咲いた沼に近付く。
なんだか小さな粒が無数に浮かんでいる。
伽藍が一つ、拾ってみる。
「木偶の核……! ここで栽培しているのか」
『また飛び込むしかなさそうだね』
「……彗!」
「ああ、おい待て!」
迷わず沼に落ちる月と、それを追いかける伽藍。
ドボン、と音を立てて再び暗い水の中を彷徨う。
だが、その時に誰かが笑った気がした。
『!? しまった、罠か!?』
(!? ……睡蓮の根……!?)
ぐねぐねとうねる睡蓮の根が二人の体に巻き付く。
飛び込んだばかりだというのに芝生の広場に追い出され、そこに待ち構えていた木偶たちに拘束されてしまう。
拘束された上で水泡が二人を覆い尽くす。
(これでは、黒炎が使えん……!)
未熟な伽藍の黒炎では、この量の水泡を蒸発させる事はできない。
月もトリシェの神気で得た大鎌まで根に捕まれては振るえないだろう。
(万事休すか……!?)
見渡す限り木偶で埋め尽くされた空間。
蓮沼の前に肩を揺らして現れた八草風。
振り返ったその目は伽藍ではなく月を見ていた。
蓮の花が急に開く。
全て蓮が開ききると、どこからか横たわった彗が蓮の花に上に浮かぶ。
この男は、何を始める気なのか。
「……一番側で……見ミみ見見見ているがいい…………明人様が、僕の、ぼぼぼぼぼぼくのモノに、かかかかかか家族になるところヲ」
「っ……」
(…………か、完全に彗の神気で精神をやられてる……もう人の姿を保っているのすら奇跡的だな……)
「んはは……! よ、よ、妖刀……べ、紅静子、は……んはははは……『火属性』と『闇属性』……明人様の神器『サカトキノミツルギ』は『水属性』と『光属性』……」
『……!? …………まさか……!』
「あア相反する……ぞぞ、属性を、重ねる…………あ、新たな、神器……神剣が、生まれる……! ぼ、ぼく、私、うああ、俺ガァー……! その剣を“貰う”! 俺ぇ、ぼく、ワ私は神になるぅ! んはははははははははは!」
「……‼︎」
彗の家族になる、と訳の分からないことをずっと言っていた。
てっきり彗を無理やり自分の伴侶にしようとしているのかと思ったが……違う。
この男は神になるつもりなのだ。
しかも彗の神器を使って。
一晴を殺し、奪った妖刀を利用して。
彗の半身たる神器を媒体にして、神に。
(そんなことが可能なのか!?)
(トリシェ殿、奴は何を言っている!?)
『……なるほど、そういう事だったのか……それで『紅静子』を……! ……確かに『サカトキノミツルギ』に相対する剣は妖刀『紅派』のみ!』
(トリシェ殿!)
『……魔剣や妖刀、その他にも様々な逸話や伝説を持つ武器や武具、道具の類には俺たち神と同じように『属性』が備わっている事が多い。それらの相対する属性を融合させると持ち主のない神器が生まれる。持ち主のない神器は己の力や存在を維持するために己だけの『神』を求める事が多い。もちろん神器になる事は簡単ではない! そもそも相対しているという事は、水と油のように解け合う事がないという事! それを混ぜるには“つなぎ”になる何かが必要になるんだ。奴は『サカトキノミツルギ』と『紅静子』を混ぜるために“つなぎ”として彗を使うつもりだ! そして生み出した神器に自分の体を与えて……神格化するつもりなんだよ! このままじゃ奴の言う通り、彗は奴のモノになる! 存在を消されて、魂を奪われてしまうよ‼︎』
「………………!」
それは月の大切な人が消えるということだ。
神器を奪われて弱らせておきながら、更に彼という存在そのものまで奪われる?
……神剣にされて、あの精神と頭が壊れる寸前の男のモノになる?
冗談ではない。
(冗談では、ない! 彗! 彗!)
木偶に拘束されて微動だにしない体。
水中で声は気泡にしかならず、それは虚しく上の方へと上って消えていく。
暴れれば暴れるだけ歪む視界。
歪んでいても目を逸らすことはできない。
一縷の望み……彼が目を覚まして抵抗してくれたなら……。
しかしそんな希望も虚しく目を覚ます気配すらない彗。
蓮の花の下の水が輝きを増す。
本来ならば決して相容れぬモノを、一人の神の魂を生贄に――混ぜ合わせる。
吸収されるように沼は渦を巻く。
沼の底に沈んだふた振りの刀は真逆の色を放つ。
そのふた振りの間に、人間が一人。
水を大量に飲み、漂っていた。
心臓も思考も停止してゴミクズのように渦に流されふた振りの間に。
死を待つばかりの男は夢を見る。
自分を救ってくれた人にそっくりな声。
『……風…………私を殺すのか……』
「……………」
『いつか必ず私を我が君の元へ返すと約束していたのに……私を、我が君と共に殺すというのか…………風……』
『…………………………』
『こんな無関係な者たちまで巻き混んで……』
あまりにも悲しげな声に揺さぶられるように真っ暗な世界に一人の子どもが浮かぶ。
豪華な部屋。
立派な椅子に膝を抱えて泣いている。
子どもは突然、大きな音と破壊された部屋の瓦礫に驚いた。
豪華な部屋は大きな穴と砕けた天井でいっそ明るくなる。
そんな部屋の中に子ども以外の男が一人。
彗と同じ顔の青年だ。
これが『明人様』。
彗の、前の人生。
「おやおやです、こんなところに子どもが……。危ないですよ、ここ、戦場になってしまいましたからね。早くお逃げなさい」
「…………………………」
「?」
それは件の『八王戦争』時代。
子どものいた屋敷は戦場に変わった。
しかし子どもは行く当てがなかった。
親の名前どころか自分の名前もない。
言葉は話せるし文字も書ける。
教育は受けているが、その屋敷の敷地から出たことがなかった。
子どもに勉学を教えるのは人ではなく機械端末。
子どもの世話をするのは自立式のロボット。
子どもは名前が必要なく、また、親の顔も名前も知らない。
異常な環境を異常と知ることもできずに育った子どもは、生まれて初めて自分以外の人間を見た。
「…………そうですか……でも今あまり悠長にしていられないんですよね。今日、僕一人なんですよ」
「…………………………」
「終わったら一緒に帰りましょう。二十歳まであと半年ですけど……僕が君に世界を見せてあげますよ」
明人が伸ばした手を子どもは恐る恐る掴んだ。
彼は外の世界に、出ることを選ぶ。
それから半年、明人に世界と己の姿を見失わないようにという意味で風という名前をもらった少年は変わる。
世界に触れ、人に出会い、別人のように成長した。
しかし明人の体は二十年というタイムリミットを間も無く迎えようとしている。
彼を仲間に託し、静かに逝こうとしていた明人へ風は懇願した。
独りは嫌だ、もう、独りにも戻りたくない!
風の言葉に困り果てた明人は己の半身たる神器を取り出して、風に差し出した。
「次に僕が生まれてきた時に返すと約束しなさい。それまではこの『サカトキノミツルギ』が君の家族となりましょう」
明人は次に転生するまでに、風は大人になる。
だから自分の妻となる女性とも出会い、結婚して子どもも授かり、幸せになっているだろうと……そう思っていた。
だから神器を貸し与えたのだ。
だが風は孤独に怯え、孤独に戻る事にはもっと怯えて神器を持ったまま逃げた。
自分を外へと連れ出してくれた『神様』の半分。
風が望んだのは――ずっとその『神様』と一緒にいる事だった。
そしてついに、今日、その野望が叶う!
(……そんな、勝手な……)
独りになりたくない。
独りになりたくない。
独りになりたくない。
手を差し伸べてくれた人は、それは特別だろう。
それは分かる。
一晴だって彗に手を差し伸べてもらったから、今までよりギャラが上がり家族により美味しいものを食べさせてあげたり、弟たちに好きなものを我慢させずに買ってやれるようになったのだ。
叔父の借金のせいで両親は働き詰め。
家族が増えるのは嬉しいが、その分とてもお金がかかる。
幼いながら一晴は生まれたばかりの双子の弟たちを見て、強く強く、守らなければと思った。
だって一晴は“お兄ちゃん”になったのだから。
子役のオーデションを死にものぐるいで受けて、いろんな役者の演技を研究して、監督やプロデューサーに気に入ってもらえるように媚びを売る。
それでも有名な俳優の二世などが重宝されて、気が付けばそういった者たちからあまり人気がなかった時代劇の出演ばかりになった。
言葉の言い回しや、時には訛り、子どもらしい演技ではなく健気な努力家、忍者や武家の跡取りなど難しいものばかりで、普段の口調までなんだか古めかしい感じになっていく。
いつの間にか『時代劇王子』なんて呼ばれるようになってますます現代系の作品から遠のいて。
夢中で役者になった。
鶴城一晴は決して、天才などではなかったから。
だから、忘れた。
本当の鶴城一晴とは、どんな子どもだっただろう?
明るい子だった?
いや、少し引っ込み思案だった気もする。
こん何物分かりがいい人間だったか?
男の子なんだから、少々やんちゃだった事もあるはずだ。
普通の、特徴もない子ども。
子役を始めて、仕事で学校に行けなくなり、同年代の友達は一人もいない幼少期。
仕事をしないと。
弟たちも、従姉妹も、両親も、僕が、俺が、私が……守るんだ。
追い込んで追い詰めて心を何度も砕いて殺して。
だから、忘れた。
色々な事も、感情も、自分も。
そんな中で見つけた一人の獣。
あの人に出会った時に感じた心の揺さぶり。
いつぶりか分からない。
モデルの友人に出会った時とはまた違う、不思議な感覚と高鳴り。
あまりの美しさに、時間が止まった……いや、遡ったような。
『!?』
その美しい人が連れた神様は言った。
諦めなければ、希望を与えると。
諦めない。
生きたい。
そう願った瞬間、意識のなかった…………死んだはずの人間の手が妖刀を掴む。




