絶望の中の希望【1】
「申し訳ありません!」
「なぁに、構わんさ。それよりきみの方は大丈夫だったのかい?」
「は、はい……。なんとか追い返しました」
『なーんか地味に消耗したけどねぇ……』
「……申し訳ない……。しかし、妖刀のことで十分過ぎるほど助けていただいているのにこれ以上、私事でトリシェ殿にご助力頂くのも気が引けるといいますか……」
『君がそう言うなら俺も無理にとは言わないけどね。まぁ、気が向いたらアル中くらい治してあげるよ。この体にもそのくらいの力はあるからね。……最も、アルコール中毒は体というよりも心の問題だ。一時的に治しても、心が治らなければ完治するとは言い難い。俺は体は治癒できるけど、心を変える力はないからね』
「……はい……そればかりは叔父が自分で立ち直ろうとしなければならんのですから」
それよりもすっかり遅くなったな、と辺りを見る。
叔父を追い返せたことで弟たちは無事帰宅した。
溜息をつく一晴。
なんというか、デートという雰囲気と気分ではなくなってしまった。
気を取り直してどこかへ誘う気力が出ない。
それ程までにあの叔父の相手は消耗する。
『あんなの殺しちゃえば良かったのに』
「その手には乗りませんぞ。それに、あんなのでも身内です。そんな事とてもできません」
『なぁに? 妖刀が叔父さん殺しちゃえとでも言ったの?』
「ああ、すみません。……よく分かりましたな?」
『妖刀の考えることなんて安直だからねぇ』
『むっ』
「……なるほど……確かに……」
『そんなことないやい!』
そんな事ある。
頭の中で反論すると、ギャイギャイと騒ぎ出す。
疲れているのだから静かにして頂きたい。
というか……
(私が疲れると貴方も疲れるのではなかったのですか)
『ふっふーん、それは体の話ですぅ〜! きみは今、心が疲れてるからぼくにはな〜んの影響もないんですぅ〜! むしろ心が弱ってる時こそ狙い目かなぁ? ほらほら、あんな面倒で役立たずな叔父は殺しちゃおうよ♪ ぼくを使えば証拠も残らず始末できるんだからさぁ』
「……なんでそんなに元気なのですか……」
『何、妖刀が元気なの? まぁ、妖刀としてはキミが精神的に弱ってる方が乗っ取りやすいだろうしね』
「うう……。……伽藍さん、何か……何か私が元気になるようなことを言ってください! 耳と尻尾を出して「元気出すにゃん」とか!」
「は、はぁ?」
『伽藍はどちらかというとイヌ科だけど』
「……げ、元気出せ、にゃん……」
『マジでやらなくて良いよ』
「もう一声!」
『ホラ調子に乗った』
「よく分からんが、とりあえず今日の埋め合わせはまたきみの都合がいい時に頼むよ。俺はこの世界のことを本当に何も知らんのだと、きみの弟たちと話していてしみじみと感じたからな」
「か、伽藍さん……!」
ググンと元気になった。
ちょっと困ったような笑顔の伽藍に、頼られたのだ。
「だがその前に、だな」
『! はぁ……やれやれ……』
「?」
すでに暗くなりつつあった空がやんわりとしたピンク色に染まっていく。
ファンシーだ。
ピンク色の空に、オーロラが舞う。
「これは?」
『結界だね。俺が昨日木偶を殺った時に使ったやつじゃあないよ』
「それ程強い結界ではないな。壊して出るかい?」
『いや、丁度いいんじゃない? なんで妖刀が欲しいのか……直接聞くいい機会だ』
「!」
地上の風景は変わらない。
その代わり、通りには自分たち以外の人間は全て消え去っている。
まだ人通りの多い時間。
むしろ帰宅時間だ。
なのに、人っこ一人いない。
そんな通りを真っ黒な高級車がぞくぞくと塞いでいく。
寮ビルまで帰ることはできなさそうだ。
「…………もう今日は疲れたのですが……」
『今度こそぼくを使いなよ』
「使いません」
『戦闘は伽藍に任せなよ。そのために連れてきたわけだし』
「おう、任せろ」
「伽藍さんかっこいいです! 結婚してくだされ!」
『……きも』
停まった高級車の中からサングラスと黒服の男たちがぞくぞくと出てくる。
その中で、数名が一際大きな車の前に立ち、後部座席の扉を開く。
なんて仰々しい。
男たちが一列に並ぶ、その真ん中へ……車から降りて来た男は運転席から降りて来た老人……執事っぽい……を連れて真っ直ぐに一晴のところへ近づいてくる。
アホでも分かる状況だ。
昨日の夜から妖刀を寄越せと脅して来た木偶たちの主。
帽子を深くかぶった、髭の男。
この男が、妖刀を欲しがっている。
そして、普通の人間ではない。
少なくとも一晴とは別次元の存在だ、色んな意味で。
シルクハットを日常で被ってる人間とか初めて見た。
なんだこいつ、貴族気取りか。
自分の言動を棚上げして、ドン引きする一晴。
『…………………………』
「?」
そのシルクハットの紳士(?)が唾を持ち上げると存外若い。
顔を見た時、紅静子がざわついた。
何か驚いたような……、それと同時に、恐ろしいほど怒りに駆られたような。
「やぁ、初めまして。私は八草風という者だ」
『……!? 八草……だと……!?』
「どうした、トリシェ殿」
「これはこれは、なんて美しい人だ! とても人とは思えませんね……」
「……!」
にやり、と笑み。
この男は伽藍が“人間ではない”事に気が付いている。
一晴は風の言葉をそのままの意味で受け取ってたらしい。
「伽藍さん下がってください! 見るからにやばい奴ですぞ!」
『キミが言う?』
「へ? あ、ああ? いや、俺なら大丈夫だぞ」
『そんな事よりも、八草……キミ今八草って名乗ったよねぇ?』
「ああ、そう名乗ったぞ。…………お久しぶりだな、トリシェ・サルバトーレ……」
『……そう……やっぱりキミだったか……大きくなったね、とでも言うべきか……。まあ、探す手間が省けたよ。色々と言いたい事はあるけれど、とりあえず……彗……いや、明人くんの神器『サカトキノミツルギ』を返して貰うよ!』
「え!?」
「!」
一晴の肩に立つトリシェ。
彗の神器を借りパクしている奴がいる。
そしてその“奴”が、このシルクハットの男?
「え、え、え? お、お待ちくだされ、トリシェ殿……! この方は妖刀目当てなのでは……」
『八草……風……。間違いないよ、俺が会ったのはかなり幼い時だったけど』
静かに微笑むだけの男を凝視する。
トリシェの声は普段と変わりない。
だが、肩の上からピリピリとした怒りが漂ってくる。
(…………この男が彗さんの神器を……)
彗の体や力が弱体化したのは神器を騙し取られたせい。
そんな男が、なぜ妖刀を?
戸惑う一晴の横で、伽藍はスゥ、と目を細める。
伽藍がこの世界に来たのは、トリシェが彗の神器を取り戻してほしいと頼んだから。
その、絶好の機会。
「『サカトキノミツルギ』は返せない、まだ、ね」
『悪いけど、話し合いの時期はとっくに過ぎてる! 神器は神にとって力の源泉そのもの。……ましてキミは『サカトキノミツルギ』を使って時間を巻き戻したり、そんな物を造ったり……! 温厚な俺でももう許せないよ!』
「木偶のことを言ってるの? そんなに怒ることないじゃん。別に非人道的な生物兵器って訳でもないしさ。あなたがいたのはちょっと、まぁかなり驚いたけど……今日はあなたとそんな話をするつもりで来たわけじゃあないんだ。妖刀『紅静子』を貰いに来た。さあ、さっさと譲ってくれないかな、あまり乱暴な事はしたくないんだよ」
「は、はぁ?」
この人は何を言っているのだろう?
彗から神器を借り受けておきながらまだ返す気は無い。
そればかりか、一晴から妖刀『紅静子』を“貰う”だと?
「……会話のできん奴なのかい、きみ? 神からどうやって神器を借り受けたのかは知らないが、それは一時的なもののはずだ。彗殿は未だきみが自分から神器を返しに来ることを期待しているようだが……あの方の弱った姿を見るにいい加減限界だろう。それに何より、人の身でありながら時間の流れに干渉するのは見過ごせんな。本来ならこの世界ごと滅ぼされても文句言えないぜ? そんな状況なのに、一晴やその家族まで巻き込んで妖刀を寄越せだと? 頭がおかしいのか?」
「なんとでも言ってくれて構わんよ。だが妖刀はどうしても必要なんだ、俺の目的のためにどうしてもね。現存する“紅派の妖刀”の中で唯一、ようやく場所が分かったのは『紅静子』だけなんだ、逃すわけにはいかない。くれないんなら無理やりにでも奪い取るけど」
「へぇ、できると思って言ってるのかい?」
『言っておくけど、俺もそれは看過できない。一晴くんに手出しは許さないし、『サカトキノミツルギ』は今この場で返して貰うよ』
「………………」
戦闘種族と神様に、それぞれ「不可!」と言い渡されては男も不満顔だ。
腕を組んで「困ったなぁ、ここでトリシェ・サルバトーレと事を構えるつもりは皆無なんだけど」とぼやいている。
「……トリシェ殿、本体の位置は分かるか?」
『んにゃ。多分この結界内にはいないね』
「え?」
『この場の全部、木偶だよ。あの八草風含めね。……でも本体は近くにいるはず。……こんなチャンス逃す手ないよ。絶対に『サカトキノミツルギ』を回収する!』
「だな。彗殿の神器を取り戻すことはきみを妖刀から助けることにもなるし」
「……か、伽藍さん……」
小声でそんなやりとりをして、一晴は感動のままに天を仰ぐぎ噛み締める。
なんて真面目で可愛くて男らしいんだろう。
「好きです結婚してくだされ!」
「その話後でいいかい」
風から目を背けない伽藍。
一晴、実に空気読めてない。
「いやいや、しかし……鶴城一晴……」
「!」
「……君のお爺様の屋敷にあるはずの『紅静子』がなくなっていた。蔵は真っ二つ。『紅静子』が目覚めているのは間違いない。だが、屋敷にはない。……ならばその屋敷に足を踏み入れたものが持ち出したという事。覚醒したはずの妖刀を持ち出した者が、まさか無事だとは思わなかった。しかし、トリシェ・サルバトーレ、あなたが一緒という事はつまりその鶴城一晴くんの中に妖刀がいるのは十中八九間違いないって事だろう? あなたの力なら妖刀を抑え込める。そういう事だろう? やはり引き下がれないなぁ。どうしても妖刀が必要だから」
『あのさぁ、彗くんから神器借りパク状態のくせに何言ってるの。だとしてもそもそも妖刀もキミのじゃあない。キミにくれてやる理由もない』
「そっちになくてもこっちは欲しいの。……でもトリシェ・サルバトーレとは戦いたくないし……うーん、仕方ない……今日のところは……」
「言っておくが逃さないぜ」
「やだな! 逃げるなんて言ってないさ! 今日のところはあなた達と喧嘩せず——」
『人間!』
「え!?」
バキバキ、地面が割れる。
割れるというより破裂したかのようだ。
大きな音とともに落下していく一晴が見たのは驚いた顔の伽藍。
そして、突然の落下で宙に浮いたーー中身が綿のぬいぐるみ……トリシェ!
「っ!」
トリシェが体から離れれば……妖刀が、紅静子が――――復活する!
「うわあああああああ!?」
というか、それよりもまず何よりも落下していることの方が問題だ。
真っ暗な、まるで奈落の底。
伽藍の一晴を呼ぶ声が遠退いていく。
手を伸ばして、穴に飛び込む伽藍は闇に消えた。
何が起きている?
分からない。
分からない!
『……っ、いやだ!』
「私だって嫌です! いいいったいどこまで落ちるんですかこれー!?」
『八草……“また”八草! うあああぁ……! なんで! ぼくは、あんな一族に……! いやだ! もうあいつらに利用されるのは、いやだ!』
「……っ……」
ドボン!
背中から、頭から突然の水圧。
まるで引き摺られるように、底へ底へと更に落ちる。
(ごば……! い、息が……!)
事態悪化だ。
これでは溺死してしまう。
だがあの男は『紅静子』が欲しいのだ。
そのためには取り憑かれた一晴を殺すのが最も手っ取り早い。
トリシェや彗、伽藍のように、八草風と名乗った男に一晴を助ける理由はないとはいえ……こんな殺され方は想像していなかった。
辛うじて開いた目からの情報は、一晴が落ちていく先に美しい光が見えたこと。
その光は暗闇を青く照らし、混乱と死への恐怖に怯えた心を宥めてくれる。
(……あ、あれは……)
その光の中心に、水色の鞘に納まった刀が見えた。
薄い色のそれは暗い水底に沈められ、しかしそれでも輝いている。
勘だが、あれがトリシェの言っていた彗の神器『サカトキノミツルギ』ではあるまいか?
取り戻さなければ、と、こんな状況なのにそう感じて手を伸ばす。
(っ……い、きが……!)
足をばたつかせる。
手を伸ばしても、更に潜るのは息が続かない。
落ちてきたであろう水面へと顔を向け、もがく。
神器から離れればそこは四方八方、ただの闇。
それでもひたすら、もがいて、浮かぼうとした。
なのにこの場所は重力のようなものがないのか、どこへ進もうと水面には到達できない。
(……い、いやだ……こんな死に方……伽藍さんにまだ、私の想いを届け切れていないのに……)
『……こんな時まであの獣? きみ、ほんとうにばかだよね……』
(紅、静子……)
浮かび上がる、少年の姿。
あまりにも暗い場所で上半身しか見えない。
その表情もまたどこが影を帯びていて、諦めにも似た色が見えた。
紅静子は、諦めたのか?
手を伸ばすが触れられない。
よくよく仄暗いその先を見れば、妖刀本体が浮かんで見えた。
一晴の中から――分離した?
分離したということは一晴の魂から離れたということ。
……待ってほしい、一晴の魂から紅静子が離れたということは……つまり自分は……。
(……っ……)
『……ここ? ここはね、亜空間。あの男があの神さまから奪った神器を隠している場所だね。獣とぬいぐるみの神さまはきっと来ない。きみは死ぬ。ぼくはまたあの一族に奪われて利用されるんだ……』
(…………死にたく……ない……)
『……そんなこと言ったって無駄だよ。この亜空間はあの『水属性』と『光属性』の神さまの神器が生み出しているっぽいもん。『炎属性』と『闇属性』のぼくじゃあ、とても太刀打ちできない。文字通りね。……それに見なよ』
紅静子が指差した先。
暗い水の中に浮かぶ無数の木の塊。
網状の球体で、中は淡い青い光が灯っている。
それが無数に水面を覆うように浮かんでいるのか、漂っているのか。
見た限りではなんとも美しい光景だった。
(あれは……)
『木偶の種。水の神さまの力で植物へ生き物に近い力を与えていたんだ。……木偶の本霊……御神体はあの神器だったわけだね。どうりで知性が高そうだったわけだよ』
(……彗さんの、力を……こんなことに……? っぐっ!)
『………………』
ごぽぽ……と気泡が闇の中へと上って、消える。
その代わり口や鼻からは闇色の水が入り込む。
意識が、遠退く。
遠退いて……
『…………さよなら……つるぎいっせい……短い間だったけど、ぼくをここまで“拒絶”した奴は初めてだったよ……』
「………………」
途切れた。