少女はわらう
「このまま一生会えなくてもいい!けど明日だけは一緒にいて!!」
あまりにも悲痛な声にアキラは一瞬足を止めた。振り向きそうになったがそれはしなかった。
だからこの時あかりがどんな顔をしていたかなんて知る由もなかったのだ。いや、知らなくて良かったかもしれない。だって
「あなただけは許さない...!!」
父の部屋からそんな声がしてアキラは一瞬困惑した。セリフにではない。父親が人から怒りを買いやすい人柄だということは知っている。理由はその声だった。明らかに自分の知っている声で、幼さを感じさせる可愛いらしい声なのに憎しみがひしひしと伝わってくる。
アキラは彼らしくもなくなにも考えずにドアを開けた。
隣にいる女性の存在も忘れたまま。
突如開いたドアにあかりは驚きこそしたが、もうどうでもいいとでも言うようにアキラからごく自然に目をそらした。彼女の方から目をそらされたのは初めてで、そのことが今この状況が冗談などではないということを彼に知らしめた。
あかりは手に持っていたものをアキラの父親の目の前に突き出した。
ヒッと一歩後ずさった父。彼女の手にあったものは大きな包丁だった。大きさこそ家庭にある包丁より1周りか大きい程のものだったが、小柄なあかりがもつと、それは一層大きく見え、アキラも恐怖心を抱いた。それでも、自分の親に向けられているそれを見過ごせるはずもない。
「あかり、お前なにやってんだ!」
そう言うとようやくあかりはアキラの方へ目を向けた。そして一瞬口元を気味悪くぐにゃりと曲げると、
「やっぱり女の人といっしょにいたんだね。アキラが今日私と一緒にいてくれればこいつは死なずに済んだのに」
抑揚のない声にぞくりとするほどの冷たい表情。
これが、いつもおどおどしているあかりか?自分の意見も言えない、臆病者のあかりか?
アキラは自分が見ているものが信じられなかった。俺は映画でも見ているのか?
「アキラが今日一緒にいてくれなかったからこいつは死ぬんだよ」
「どういうことだよ」
「私は昨日確かに言った。一緒にいてと。アキラが一緒にいてくれたら私はまだ思いとどまれた。自分の愛する人の父を殺すような真似なんて…って思ったかもしれないのに」
あかりは般若のように顔を歪めた。
「でも、それも過ぎたことよ…!今、この現状が事実なんだから」
「あかり、今日一緒にいてやれなかったのは悪かった。でも、ちゃんと説明をしてくれ」
一歩踏み出し、伺うようにあかりを見る。あかりの冷たい表情は一層強くなっていた。もうこれ以上何も聞きたくないという表情にもとれた。
「何も知らないんだね…。何も知らずに生きてきたんだね…」
憐れむようにかつて愛していた人を見る。あかりは「教えてあげる」と小さくつぶやくといまだ怯えて腰を抜かしている憎い男を鋭くにらみつけた。
「今日は、命日よ…!こいつが殺した私の母と兄のね!!」
ガツン、と頭を鈍器で殴られたような気がして、同時に心臓がヒヤリと止まり、次の瞬間には汗と一緒にドクドクと大きな音を立てた。
あかりがなにを言ってるかわからない。こんな急展開ってあるか?
目の前が暗くなっていく。自分が立っているのかもわからない。俺の父親が人殺し?
「...嘘だろ」
「嘘じゃない」
「適当なこというんじゃねーよ」
「言ってない」
「証拠はどこにあんだよ」
「話す必要なんてないよ。だってこいつは死ぬし、私もそのあと死ぬんだから」
「は?」
「わたしは今日のために生きて来た。こいつの息子がお兄ちゃんと同じ歳になる歳の命日のために。それが叶うの。命をもって償いなさい、醜い殺人鬼」
「悪かった、許してくれ、あの時はそうするしか…!」
「そう言うのなら、わたしの家族を返してよ!!」
目に涙を浮かべ、あかりは一歩一歩ゆっくりと殺人鬼に近づく。
そして男の目の前に立つと、幸せそうな笑顔を浮かべ、
「…さようなら」
目の前には真っ赤に染まった父親。
その傍らに佇む1人の少女。
彼女は己の首に包丁を当てると呟いた。
「お母さんとお兄ちゃんに会いたい」
それがあかりの最期の言葉だった。
アキラは1つの墓の前にいた。
花は持ってきていない。
目を閉じると浮かんでくる。涙を流しながら、顔には笑顔を浮かべて父親を何度も何度も何度も刺し続ける小さな女の子を。最期はとても幸せそうな顔で短い生涯を終えたあかりの亡骸を。
あの後、あかりの日記から、アキラの父親が昔、彼女の母親にストーカーまがいのことをしていて、愛しさのあまり、家に忍び込み、母親と、母親をかばおうとした兄が目の前で首を切られたということが書いてあった。アキラに近づいたのは、犯人と面影が似ていたからだという。けれどそのうち本当に好きになってしまったこと、離れたくないということが書いてあった。
今となっては事実は分からない。父親が2人の尊い命を奪った殺人鬼だと息子としては信じたくないが、あかりに包丁を向けられた時のあの表情からして多分、本当なのだろう。しかし、その真偽はアキラにはどうでもいいことだった。
アキラは目の前のあかりのお墓を見つめた。
「花、持ってきたかったんだけど、お前の好きな花、知らなくてよ…、2年だぜ?2年も一緒にいて知らないことの方が多いなんて笑っちまうよな…」
冷たい墓石をなでる。多分あかりはあの世でも俺のことを恨んでいるのだろう、とアキラは思っている。それが仕方のないことだともわかっている。
それだけ、向き合わなかった。
でも、これだけは本当だったんだ、とアキラはいう。
「ちゃんと、あかりが好きだったよ」
お前の勝ちだよ、あかり。俺はお前を一生忘れないだろう。この先、自分が結婚をしても子供ができてもあかりのことは忘れないだろう。
だからあかりは殺人場所を俺の家にしたのかな、とアキラはふと考えた。
アキラに一生のトラウマを残すことも目的の1つだったとしたら…。それも復讐の1つだとしたら…。
あかりという女はなんて性格の悪い、強かな女だったのだろうか。
「あの、おどおどとした態度の裏にあんなあかりがいたなんてな」
考えれば考えるだけ、アキラはそれがおかしくてたまらなくなっていた。
「はは!本当にお前は、最高だったよ!」
そして墓石の前から立ち上がると優しく微笑んだ。
「またな」