第三話 元ギルドマスター、現被追放者、勧誘される
お久しぶりです、第三話です。
「おはようございます、ラルフ君」
朝日がまぶしい。
ラルフが起きてまず最初に感じ取ったのは、それだった。次いで、頭痛。
まあそうなるだろうなという自覚はあった。あまり強くないため酒を普段から殆ど飲まないが、最初の数杯で気が大きくなり、そこからは自分でも止まらず浴びるように飲んでしまったのだから。
ではそもそも何故そのような暴飲をしてしまったのか、と考え始めると、途端にラルフの顔には苦虫をかみつぶしたかのような表情が浮かんでくる。故郷の友と二人で作った、自分たちのギルド。それを、追い出されたのだった。さらっとクールに去ったつもりではあったのだが、本人が自覚するよりそのダメージは大きかったようである。さらには、自分は一文無しなのだった。連鎖して、さらに問題が浮上する。
……散々飲み食いしたけど、かなり高いおつまみを食べた記憶があるけど、代金はどうしたのか?
瞬間、さあっと血の気が引くのを彼は自覚した。
「あの」
いやいやいや。ラルフは慌てて周囲を見渡す。自分が寝ていたのは小さなベッド。小さな木の机に置かれた、粗悪な魔力結晶が入れられたランタン。壁に飾られている、よくわからない絵画。
そこは彼がよく知る場所だった。先日飲んだ酒場、そこに小さく少ないながらも備え付けてある宿の一室だ。『ルーンソード』所属時代に何度も世話になった事がある。
店を出る事すらできず酔いつぶれてしまったか。自己管理の出来なさに自嘲ぎみに笑うラルフ。ただ、そこに関しては幸運だったと言うべきなのかもしれない。
最悪、店を出た直後、路地裏で寝てしまったかもしれないのだから。そうなれば、朝になれば身ぐるみは剥がされ素っ裸なのはほぼ確実、運が悪ければお腹の中身もいくつか盗まれていたかもしれない。
「まあ何はともあれ、新しい朝だ」
自分の新しい生活の幕開けだ、と伸びをし、ラルフは未来への希望と不安、両方を兼ね備えた笑顔で起き上がる。
「……」
そろそろ、誤魔化しがきかなくなってきた。現実と向き合うべきだろう。
「おはようございます、リネットさん」
そして、ラルフはベッドの前で深々と頭を下げる女性に朝の挨拶をするのだった。
ーーーーーーーーーー
「さて、まず私たちに必要なものが何なのかわかりますか、ラルフ君」
「少なくともアンタに必要なのは新しい職場だと思う」
精神的に余裕の無かった先日とは違い、ギルドの秘書という役職に相応しい、丁寧な口調のリネット。
経緯を思い返せば、ギルドを追われたリネットに偶然遭遇してしまい、そのまま勢いに負け酒場に行く事となり、結果としてこうなった。
自分が加入しようと考えていたギルドの闇の部分を垣間見てしまった気がして慌てて離れたラルフだったが、彼の新たな職探しは何も進展していない。
リネットの現状には同情するしとても親近感が湧くが、それはそれ。いつまでも酒場で飲んでいるわけにもいかないだろう。それに、リネットは自分の事を偶然出会った冒険者、程度と認識しているはずだ、と。
いやぁありがとう奢ってくれてこの礼はいずれまた会いましょうその日までお元気に! と別れるのが良いかもしれない。二人一緒に協力して新しいギルドを探すのもまた一つの手だろう。しかし、凡人のラルフと違いリネットは巨大ギルドのギルドマスター秘書まで上り詰めた才媛(少なくとも先日の酒場の様子ではそうは見えなかったが)。必然的に比較される事になる。それをラルフは避けたかったのだ。
だから、じゃあまた会いましょう、と切り出そうとし。
「うん、正解です。でも私は『私たち』と言ったのですよ? 『ルーンソード』元ギルドマスター、ラルフ君?」
「―っ!?」
瞬間、リネットの表情が変わる。瞳の奥の鋭い光が、目の前の冒険者の少年を射抜く。
ぞわり。背骨を氷柱で貫かれたかのような感覚。一瞬でラルフの頭は薄靄のかかった状態から覚醒する。 それは、曲りなりにも冒険者という、危険生物や罠、時には他の人間に命を脅かされながら過酷な環境を旅する職業をこなしてきた彼の危機予測能力だった。
殺される。薬草摘みの護衛の依頼という軽装備の状態で凶暴な原生生物と鉢合わせした時、あるいは野営中に賊の襲撃を受けた時。これまでに潜ってきた、幾多もの修羅場。
今己の早鐘を鳴らす心臓と内心の恐れ、今のラルフの体感はそれと同じ、無防備な状態で恐ろしい敵に遭遇した時のものに近かった。
何と言い返せばいい?
『はは、何言ってるんですか?』ダメだ、相手の目を見ろ。確信を持った上での言葉だ。
『元なんかじゃない! それは嘘だ!』今更、自分の恥を取り繕って何になる?
「ふふ……何も取って食おうなんて思っていませんよ。ただ、協力者が欲しかったのです」
動揺の中でのラルフを置いたまま、リネットは話を続ける。
言われてみてようやく思い返せば、兆候はあった。最初に顔をぐしゃぐしゃにして泣きつかれた時。彼女はこう言っていた。『ギルドの設立までした男なら行きつけの酒場くらいあるでしょうが!』。初対面のはずなのに、ラルフの立場を知っていたのだ。
「何故、知ってる?」
頭のおおよそ半分が真っ白になった状態から絞り出したラルフの言葉は、ほぼ同時に発せられた一歩先を行くリネットの言葉とは噛みあわなかった。
言葉に出して一拍間を置いてから初めて、リネットが自分が本来聞き返すべきだった別の質問、その回答を放った事を認識する。
これが戦いであったのなら、自分は既に死んでいただろう。
宿屋の穏やかな朝で、仮定でも戦いであったならなどという事を考える。
そう認識してしまう程に、目の前の相手の瞳は鋭い。
「不思議な事を言いますね。敵対する可能性のあるギルドの情報収集なんて、当たり前じゃないですか」
少しだけ表情を緩めたリネットの答えは、一応の納得ができる……というより、ラルフの想定していた、リネットの言葉通りの当たり前の答えだった。
理由としてはそれしか無いだろう。ギルド『ルーンソード』。どちらかと言えば戦闘や護衛といった腕っぷしの必要な依頼を得意とする、新進気鋭の冒険者集団。
その方針はリネットの所属していた『バルガザルグ』と同じだ。競合する、いずれ自分たちと並び立つかもしれない連中を、指を加えて見ているだけなどあり得ない事だ。
「いや……何故、俺の事を知っている?」
しかし、その上でラルフにとっては解せない。
自分達は不断の努力と時流に恵まれた事により勢力を拡大できた。
確かに、目立つ集団だった。周囲の注目を集めるだけの実力を示した自覚もある。しかし、それで実際に目立つのは戦闘組のはずだ。
戦闘能力では"調停者"に比肩するとまで言われたルーナを始めとする猛者たち。その実力を外部から評価されるのは、戦闘に秀でた部分をセールスポイントとするギルドである以上、その部分を担う人員であるはず。
自分が立ち上げを担った内の一人であるのは確かだが、後方支援や計画の立案を主とし表に出なかった自分の存在が知られているとは思えないのだ。
「いえ、私はあくまでも秘書です。調査は専門の部署が行っていましたので」
「……そして、その上でキミに話があります。悪い話ではありません、キミの覚悟と決断次第です」
ラルフが本当に聞かんとする事をくみ取った首を振りながらの返答に、警戒心が少しだけ和らぐ。
そして、その先に語ろうとする内容についても、耳を傾けようか、という気になった。
リネットという個人が『ルーンソード』というギルドを調査して、その上でラルフという個人に注目していたのならば、きっとラルフはこの話を切り上げていた。ではお元気で、お互い頑張ろうと別れていただろう。
自分なんて小物を警戒しているようじゃ、たかが知れている。愚か極まりない。そんな勘違いをするような人間と協力するなど死んでもゴメンだ。
だって、あのギルドには自分なんかよりもずっと強くて、素晴らしい人間が揃っているじゃないか。それを差し置いて、自分を? どうかしているとしか思えない。
古巣の仲間達に対する親しみとコンプレックスの入りまじった複雑な感情。ラルフは決して自己評価が低いわけでは無い。だが、それを差し引いたとしても、宝石箱の中でちょっと光ってるだけの石ころに注目するヤツはダメだ、そう考えているのだ。
そんな、ある意味ではひどく傲慢なねじくれた元副ギルドマスターに対し、彼と同じく古巣を追われた巨大ギルドのギルドマスター補佐は。
「新しく、ギルドを立ち上げませんか?」
古くなっているどころか瘡蓋ですらない、まだ血が流れ続けていると言ってもいい傷を、思いっきり抉りに行ったのだった。
観覧ありがとうございました。