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君を想う。  作者: 倉間弥栄
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愛しい君へ

君は今も微笑んでいるだろうか。

どこかで見守ってくれているだろうか。ときどき君の面影を探してしまう。いないのは確かだと分かっているのに。理解しているはずなのに。



葵。

今でも君を想う。



 俺、待っとるやざ。

 そう言うと、君は涙を溢れさせた。彼女が大好きで愛おしくて、だから消えゆくことを受け止めなければならないと覚悟した。その上で待っているとも約束した。

 彼女は幼い頃助けた狐、稲荷神だった。恩返しをしたいと最後の力を振り絞って、十年後、人間となって会いに来てくれた。人々の信仰心が薄れていたために、彼女は消えゆく運命にあった。

 薄々気付いていた。祠で再会したときから彼女が自分とは違う、何かであることは。それでも良かった。彼女のひたむきな想いに、自分は惹かれていった。

 君と過ごしたのは数日。ほんの数日だ。そんな短い間に彼女と通じ合った部分はいくつもあったように思う。

 愛しとるよ。そう言えば、彼女は今度こそ微笑んだ。

 彼女が消えたのはちょうど地元の灯籠流しの日だった。夜の帳が降りて光を放つのは、川に流れる灯籠と彼女の身体だけ。

 本当はずっと一緒にいたくてそばにいてほしくて、けれど待っていると約束したから、口付けをして繋がっていた手をそっと離した。いや、離したのではない。この手の中で薄れて消えてしまった。

 どうか貴方が幸せであるように。

 最後に聞いた彼女の声は、藤人さんと自分を呼び掛ける優しい音だった。

 今でも時々聞こえてくるような気がした。どこかで自分を見守ってくれているのではないか、なんて独り善がりなことも思ったりした。

 いないのは分かっている。彼女は消えてしまった。それでも街に出て、姿の似ている人を見る度、振り向いてしまう自分が少し滑稽だった。自分が知らないだけで、どこかに存在しているのではないだろうか。そんな風に思う自分が、卑しく感じられて嫌だった。

 会いたくて会いたくて、たまらないときもあった。待っとるよ。その約束だけが自分を支えていた。たとえ一方的な約束だったとしても、彼女は微笑んだ。その微笑みにかけて、信じ続けた。彼女が自分を覚えてくれていたように、ただ真摯に誠実に。



 そう信じ続けて、十年は経っていた。そんなある夏の夜、地元近くの仕事先から帰っていたときだった。

 車の中からでも分かるほど、蛍がたくさん飛んでいるのが見えた。蛍なんてこの田舎にはいくらでもいる。けれどその比ではなかった。

 まるで地元中の蛍が、何かに引き寄せられているかのように密集している。その箇所が一つの光の塊になっていた。

(降りてみよか)

 脇道に車を止め、鍵をかけて降り立つ。蛍は時々ふよふよと浮き沈んで、それが自分を待っているかのように見えた。不思議なことに、蛍も自分が山の中へ入っていくと、導くように進み始めた。深い山ではないのが幸いだった。

 その時、不意に物陰から何かが飛び立ち、後ろでは草が揺れ動く音がした。ビクッと肩を震わせて思わず足を止める。木に登るべきか、動かぬべきか。

(猪やったらどうするが)

 いざとなったらライターで木の枝に火をつけて応戦するしかない。意を決して歩き出すと、再び音がした。だが、今度ははっきりとそれが何か分かった。飛び立ったのはキジだった。飛んだ、というより跳んだという方が正しい。そうして草木を揺らしたのは風でもお化けでもなく、タヌキだった。フンと鼻を鳴らして、早々に立ち去ってしまったけれど。

 はーっと膝に手を置いて溜め息をつく。こっちには火がある。

(平気やざ…!)

 歩き出すと留まっていた蛍の大群も前へ進み出した。やはり自分をどこかへいざなっているんだろうか。行くがままに付いていく。

 しばらくすると、小川の流れるちょろちょろとした水の音がした。それが蛍の光に照らされてよく見える。跨いだとき、星がよく映った。天の川を渡ったようだった。

 小川だけれど、木々の隙間から見える星が川面に映って地面に天の川を作り出す。

 いったい蛍はどこへ誘おうとしているんだろうか。子どもの頃に感じた、秘密基地を探すときのわくわく感。そんなものに似ていた。

 さわさわと時々風が木々を揺らす。涼しげな水流音が近くでする。今揺れ動いた草木の音も、流れる川に映し出される星々も懐かしかった。

 彼女と出逢った瞬間。彼女と見た星見酒。忘れることはなかった。

 愛おしくてたまらなくて思い出だけはいつもここにあった。それでも面影や彼女の声、温もりは薄らいでいく。

 再会したとき、彼女は真っ黒な長髪に白いワンピースを着ていた。確か彼女はひどく驚いていたように思う。祠の前にいた自分を。葵と名乗った彼女は日が沈むまで、ずっと話を聞いてくれていた。

 不思議な娘だった。口も利かず、ただ微笑んで頷くだけ。その事情は、あとになって分かったことだけれど。

 やはり、蛍は自分を誘おうとしているらしい。行くがままについていく。

 彼女は儚げで優しい人でもあった。次の日も会えるだろうか。また話ができるだろうか。

 次の日、祠の前で彼女が待っていた。

 家に彼女を招いたのは、確か夕食を一緒にという理由だった気がする。

 その夜に彼女と二人で星空を見た。都会では見れない、満天の星々。隣に座っているだけで胸が高鳴っている気がした。聞こえてしまうのではないか、なんて内心冷や冷やしていた。今思えば、中学生の初恋みたいじゃないか。そんな内心を隠すように飲んだ星見酒。

 きっとあの時から、確信に近づき始めたのかも知れない。眠る彼女を抱き上げたときの感覚。以前にも経験したことがあった。

 あれは昔狐を助けたときの、抱き上げた軽い感覚がこの腕に残っていた。あれは、十年前と同じ、稲荷狐の重さだった。

 嫌な胸騒ぎが蘇る。既視感と不安で歩みを止めそうになる。

 歩みをとめてはならない。彼女との約束があるから。

 できるならば、今すぐに伝えたい。好きなんだと。愛しているんだと。そばにいてくれるだけで幸せだった。

 離れている時間がひどくもどかしい。いつ会えるかなんて分からない。もしかしたら永遠に会えないかもしれない。そんな不安がなかったと言ったら嘘になる。葛藤なんていつだって続いていて、その度に彼女を強く思い出す自分が少し皮肉だった。

 会えない間に膨らみ続けていく想いはどこへ行くのだろう。触れることもできず、声を聞くこともできず、姿を見ることすら叶わなかった。

 思い出の中だけに彼女は生きていて、愛しいという想いは宛もなく自分を苛む。それでもずっと信じ続けていたんだ。この愛しいという想いも。彼女との約束も。たとえ、記憶は薄らいでいけど、その想いだけに自分自身を支えてきた。ここまでその想いだけを貫いてきたんだ。

 彼女がはじめ、口を利かなかったのはそれすら力を消費させるからだった。人間になることはおろか、その姿を維持することさえ大変で、増してや口を利くなんて自殺行為にも等しかった。

 葵。

 彼女は多くの声を残していってくれた。次会ったときは何を話そうか。待ち望んでいたその声に、自分は真っ当に話し掛けることができるだろうか。込み上げる今までの全ての想いが、溢れてしまわないだろうか。

 出逢ってくれて、ありがとう。

 大好き、愛しとるやざ。

 また笑顔が見たいんよ。

 君の隣は心地良かった。

 愛してくれて、ありがとう。

 伝えたい言葉はたくさんある。今度繋いだ手は決して離さない。いつだって君を想う。彼女が彼女であれるよう、彼女が消えないように。

「葵」

 蛍に照らされた祠。君を助け、君と出逢った場所。

 そうして、俺はまた君に恋をする。



「藤人さん」

 たおやかな黒髪に、優しく微笑む彼女。よく泣き、よく笑う、愛しい人。

 穏やかな雰囲気に彼女を見た。触れた手は温かくて、優しかった。抱き寄せれば、彼女の声が間近に聞こえた。幻聴でも思い出の中の声でもない。

「葵」

「お待たせしました」

 玲瓏の声が身体を震わす。大好きで堪らなく愛おしくて、大切な人。ここにいるのは幻でないことを確かめるように、力強く抱き締める。葵は葵の声で少し苦しいですと呻いた。それでもまだ足りなくて、そっと彼女の頬を両手で包み込む。

「のぉ、葵」

「なんですか?」きょとんとした顔で返事をするその反応は、正しく彼女のそれだった。

「いや、なんでもないが」

「…藤人さん」

「なんやの?」

 何か申し訳なさそうに彼女は俯いた。自分の両手を持って何か言いたげにこちらを見つめる。

 不意に彼女はぽろぽろと泣き出した。もう十年経ってしまったんですね、と声に出して。

 彼女がいない間に、自分はずいぶんと大人びた。気が付くと、もう三十歳になっていた。学生の時代は終わって、地元で農業に従事する会社員となって働いている。季節はいくつも移り変わり、自分だけが年を取ってしまった。外見はそれほど変わっていないだろう。けれど人の生から見れば、十年は決して短い時間ではない。

 ただ、葵以外の女性が自分の隣に立っている、だなんて考えられなかった。想像もつかなかった。だから今まで膨らみ続けてきた十年来の想いはきっと、このためにあったのだと、今でこそ理解できる。

「葵。難しく考えることないねんで。またこうやって葵と逢えたが」

 それでええんやざ。そう言うと、彼女はまた涙を溢れさせて微笑んだ。抱き寄せて、ぽんぽんと頭を軽く撫でてやる。その腕の中で、彼女は何度も何度もありがとう、ありがとうと呟いた。

「あんな、お願いがあるんよ」

 腕の中の彼女が、小さく首を傾げる。その顔にそっと手を添えながら、しっかりと伝わるように、言葉を紡ぐ。ずっと言いたくて、ずっと心に秘めていた、彼女への想い。

「俺と一緒に生きてほしい」

 その姿をずっと目に捉えておきたかった。その声をずっと近くで聴いていたかった。その手を決して離したくはない。愛おしくて、かけがえのない君。

 恩返しをするためではなく、ただそのために傍にいるのではなく、出来るなら共に同じ時間の中で葵と生きていきたい。

「愛しとるよ、葵」

「愛しています」

 藤人さん。

 彼女が名前を呼ぶ。微笑んだその表情と言葉は、彼女にとっての肯定だった。気恥ずかしくなって顔を隠すように彼女を優しく抱き締めると、葵もそっと腕を背中に回す。

 すれ違うときもあるだろう。不安を抱えることもあるだろう。けれどもう、彼女を失いたくはない。

「葵、一緒に帰ろう」

「はい」



 それは想いが起こした奇跡だったのか、偶然だったのか。いや、違うだろうと葵は思った。

 川面に流れる灯篭の光。泣きそうな表情で微笑む藤人さん。薄らいで消えゆく中、次第に視界が闇に包まれていくのが分かった。

 怖くはなかった。愛しているという彼の言葉があったから。待っていると彼が信じてくれたから。

 包まれた闇の中は意外にも温かくて、穏やかな気持ちを胸に抱きたゆとっていた。それはまるで、何かに包まれているような温かさだった。

 ふと、誰かに呼ばれた気がした。微かな声に導かれるまま歩いていくと、淡い光に包まれて、あの祠の前に立っていた。ここがあの時の祠の場所だと教えてくれたのは、山の木々たちだった。

 十年は経ったといわれる祠は、未だ清潔に保たれていた。お供え物や花も飾られていた。そしてそれを見守ってくれていたのが誰であるかは、瞬時に分かった。

 ゆっくりと歩み寄ってくる優しい足音を、私はそこで待っていたのだった。








 ***







 あなたと生きていくと決めた日。共に時間を共有する喜び。傍にいられる尊さ。



「ほれ、藤也転ぶが!」

 貴方は笑いながら駆ける幼子を追いかける。夏の日差しに負けないよう、二人して麦藁の帽子をかぶって。

 無邪気な幼子は、彼によく似ていた。

 笑う顔、ちょっと不安そうな顔、楽しそうな顔、怒った顔。笑った顔は私の方がよく似ている、と彼はいつも言っていた。

 つーかまえた。

 ゆっくり歩くやざ。

 手を繋いで笑い合う二人の笑顔はまさに親子のそれで、微笑ましく思う。

「葵!バテてもうた?」

「大丈夫よ、ありがとう」

 日傘の下で歩きながら少し遠目に、ゆっくりと二人のもとへ歩いていく。まだ3歳になったばかりの愛し子はパパ、パパと小さな手で彼の手を引いていた。祠へ行くために、急ぎ足で。転ばないように、怪我をしないように。パパは藤也と手を繋ぐ。

 なるべく毎日参拝しよな。

 それが決まって、宮元家の習慣だった。なるべくと言いながら、欠かしたことは一度もなかった。藤人さんがどんなに朝早くても、一日のはじめに彼はそこへ通っていた。

「着いたやざ。お水かけてあげてな」

 藤也を持ち上げて、ポケットから出したペットボトルの水をキツネ様にかける。跳ねた水が冷たかったのか、きゃっきゃっと藤也は笑った。

「葵、暑くない?」

「うん。平気、藤人さんは?」

 そう聞いたとき、不意に藤人さんは私の頭を撫でた。慈しむような眼差しで優しく撫でてくれる。どうしたんですかと聞けば、彼はふにゃりと顔を破顔して満面の笑みを浮かべた。

「名前、何にしよか」

「あ、この子の名前?」

 藤人さんが膨らんだ私のお腹を撫でる。緩みっぱなしのその顔を正すように軽く叩くと、彼はははっと笑い声を漏らした。

「葵、産んでくれてありがとう」

 そう言いながら大好きやざーと藤人さんは藤也を抱き締める。

 本当に、この人はどこまでも純粋で素直で、誠実な人。彼に助けられて、彼に出逢って心から幸せに思う。

 その時、突然藤也がスカートの裾を掴んであのね、とあどけない口振りで言った。

「なまえはみどりがいい」

「みどり?」

「ええよ。ほんなら藤也が名付け親やね」

 さっきりよりも、さらに嬉しそうな笑顔で藤人さんは藤也を高い高いする。お腹を撫でると中でみどりが動いたような気がした。


 夢見た日常は現実になった。愛している人がそばにいて、愛する人との子がここにいる。これ以上の幸せがあるだろうか。

「藤人さん、私を愛してくれてありがと」

 泣きそうになるのをこらえて、言葉を紡ぐ。すると藤人さんは何も言わず、笑って頭を撫でてくれた。



 私はずっと彼と一緒にいたいのです。藤人さんと藤也と、みどりと四人家族でこれからを続けていきたいのです。



(この幸せを、いつまでも)



おわり

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