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最終話 音無ライム

 あの世界での最後。


 片桐ジュンヤは、悪魔へ願いをこう伝えた。


 ――全て元通りに。そう、元の世界へ戻してほしい。変てこな願いに聞こえるかもしれないけど、それでいい。


 ――悪魔のわしが心配するのも、おかしな話じゃが。お主、元の世界へ戻ったら、いじめられて辛い思いをするんじゃないのか?


 ――いいんですよ、それで。それは自分が元の世界へ戻って、道を切り開けばいいことなんで。それで、元の世界へ戻ると言うことは……この世界の記憶はなくなりますよね?


 ――それはどちらでも構わんが、どうする? この世界であったことを記憶として、お前が望む者へ植え付けることもできようぞ。


 ――やっぱりいいです。こんな世界の記憶なんて、ない方がいいに決まってるから。


 * * * * * *


 あれから、どのぐらいの時間が経ったのだろう――。私は放課後の図書室で目を覚ました。どうやら、少し眠っていたらしい。


 ダダダダッ! 掃除用のほうきを持った男子生徒が、廊下を勢いよく駆け抜ける。その足音が、まるで銃弾のように聞こえた。


 ――どうして? 私ってそんなことを思うの? 本の読み過ぎかしら。ここは、平和な日本でしょ。そんな戦場の最前線のような音に聞こえるなんて。


 私は頭を小さく振って、図書室の窓から外に目をやった。ちょうど悪夢を振り払うかのように。すると、遠くのグラウンドから野球部の声が飛び込んできた。


〈せーいっ! 何をやってるんだー、お前!〉


〈うーすっ! もう一丁お願いしまーすっ〉


 ――大変だな、運動部って。私は、そのかけ声を聞いてそんな感想を持った。変ね。ふだんの私って、そんなことは気にしてなかったはずだけど。


 今度は、廊下から女子生徒と教師の話し声が聞こえてきた。いつもは、図書室のドアや窓は閉め切られていて、外の音はほとんど聞こえないのだが、今日は何故か解放されていた。まるで、自分の心に大きな変化があったように。


〈クロダ先生、来週の壮行会のリハーサルなんですけど……進めちゃっていいですか?〉


〈おっ、そうか剣道部の主将の全国大会出場、決まったんだっけ。さすがだなぁ、桜咲。そうだな、お前の好きなように段取りして貰って構わないぞ。ありがとうな〉


 そんなやり取りが私の耳に届くたびに、どこか落ち着かないそわそわした気分になる。


 ――あれっ? 私……何か大切なことを忘れてしまったような……。何だろ、この感じ?


 はやる気持ちをなだめながら、私はもう一度外に目をやった。すると、校門をゆっくりと歩く親しげな男女が目についた。仲睦まじい姿に嫉妬はしなかったが、私は目を細めて眺めた。


 今度は、その横をゆっくりと歩く四人組の男子生徒が見えた。名前はよく知らないが、彼らはちょっとした不良グループだったと記憶している。図書室の窓を開けると、その声が風に流されて聞こえてきた。


「リクトさん、今日はあれやんないっすか。あれ」


「ばーか、俺はもう卒業したんだよ、くだらねえイジメなんかよ。もっと、こう、スカッとする楽しみに目覚めたんだからな。ゴンズの自主練とやらに付き合ってみようぜ」


「俺の特訓は、地獄も顔負けだぞ。それでいいのか? 本当に……ふん、お前らときたら」


「まあ、こっちも勉強ばっかじゃストレスも溜まりまくりだからな。それも面白いかも、な」


 そんなふうに楽しげに笑い合いながら、校門から外へ出て行く姿が見えた。


 ズキン――。その四人を見ていると、軽い頭痛のようなものを感じた。


 何か……大切なことを忘れてる。絶対に。でも、そんなことって……あるの?


 そのとき、図書室にふさわしくないような勢いで、ドアが開かれた。ドアの向こう側には、一人の男子生徒が立っていた。


 はあっ、はあっ、はあっ。その男子生徒は息を切らせ、肩を大きく上下している。


 そしてその男子生徒は、私を見るなり表情を大きく変えた。まるで忘れ物がそこで見つかったかのような。――そんな、ぱあっと明るい顔を見せた。


 ――私は、彼のことを知らない。ただ、図書カードを見て……彼の名前は知っている。そう、よく知っている。


 私は右手をピストルのように突き出して、ポーズを作る。


 そして、彼に向かって……今までに見せたことのないような笑顔で言う。


 余り笑顔は得意ではないから……。少し、はにかんで。


 キミの名前は――。



〈了〉

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