第23話 回想
僕は元の世界で、彼女と面識がある。といっても、向こうは覚えていない可能性が高いのだが。とにかく、僕は彼女のことを知っている。あれは確か――。
新入生がようやく学校に慣れ始める、五月の中旬のことだ。
僕が唯一、安らぎを覚える場所。それは自身が図書委員を努める図書室だ。そこで僕は、司書のような役目を請け負っていた。本物の司書であれば、それなりに人気の高い職業なのだろうが、学校のそれは人気がなかった。まあ、そのおかげで、すんなりと選任されたわけなのだ。
図書部とは異なる――図書委員の仕事はこうだ。本の整理に始まり、図書カードの管理へと続く。学校の無料図書だけあって、返却期限に対しては驚くほどルーズだ。こちらから何も言わないと、平気で半年――いや、そのまま放置されることもザラにある。
その督促めいた仕事については、僕は苦手だった。でも他の仕事については、大体好きだった。
生徒(主に自分だが)の希望する本を、入荷する仕事。長編小説を、きちんとした番号順に並び替える仕事。そして何より、利用者が快適に過ごせるように空間をディスプレイする仕事だ。
具体的には机や椅子をレイアウトすることや、入り口に小さな花を飾ること。最近……清水の舞台から飛び降りるつもりで、委員会に申請したものがある。それがあの脚立だ。
最近図書室の常連になった女の子で、他の子より一回り背の低い子がいた。そのくせその子は、どうしても上の方にある本に興味があるらしく(タイトルが見えないから?)、椅子を利用していつも手を伸ばしていた。
もちろん脚立はあるはずなのだが、余り需要がないせいか、どこかへいってしまった(それか、誰とは言わないが、悪ガキがイタズラで持ち出したのかもしれない)。
僕は受付カウンターから遠めに彼女を見ていたが、いつも危なっかしい。グラグラ揺れる椅子にちょこんと乗る彼女を見ていると、ドキドキして胸が張り裂けそうになる。
彼女が読む本は、およそ知っている。海外文学を好んで、一番のお気に入りはJ.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』。僕はそれまで、ほとんど読んだことがなかったけど、彼女が繰り返し読んでいるのを見て、自然と興味を持った。
主人公のホールデン・コールフィールド少年よろしく、自分の身の上話をしたいわけじゃないけど、僕が好きな部分を少しだけ話してみよう。この部分が、僕の好きなところ。
学校を追い出されることになったホールデン少年が、天啓が閃いたようにガールフレンドのサリーに「キャンプ場のキャビンみたいなところで暮らすんだ。小川が流れているようなところに二人で住もう。そういうのは考えただけでワクワクしちゃうよね!」と言う場面。
まさかそのときは、似たようなシチュエーションを体験するなんて夢にも思わなかった。まして、その相手が……。
とにかくその小説は、少年が思いつきで物事を言ってしまう心理を鋭く写し取るとともに、僕にある思いを抱かせてくれた。――それは、僕も同じ少年だということ。
ただ僕の場合は、ホールデンと違って……そんなことを言い出せるガールフレンドはいないわけだけど。
うん。早速彼女は僕が購入した(といっても委員会の予算でだけど)脚立を使ってくれている。ウンショウンショ。その可愛らしい両手を懸命に最上段の棚へと伸ばす。
そこで悲劇は起きた。
グラリ。しっかりとネジ止めができていなかった――銀色の脚立は大きく傾いだ。そして、小柄な彼女の体が宙に放り出された。
それはきっと、僕にしかできなかったと今でも思う。彼女のことを、ずっと見続けていたからこそ、何の迷いもなく走り出せた。彼女の後頭部は、床に打ち付けられることなく、僕が優しく抱え込んだ。
「大丈夫? えっと……その……」
「……ありがとう、キミ。えっと……図書委員さん」
* * * * * *
その回想が途切れたとき、少しだけ不思議な思いがした。ライムは用務員に激突しそうになって自転車から放り出されたとき、身軽に宙を舞っていた。あの身体能力があれば、もしかしたら、あのときも僕が助けなくてもちゃんと着地できたんじゃないか? それともその力は、この世界で会得したのだろうか。まあ、いずれにせよ僕が走らない選択肢はなかっただろう。
ジュンヤはライムのことを見た。その日のことを、きっと彼女も覚えているだろう。けれど……どうも照れくさくて、その話は切り出せなかった。ずっと彼女のことを見ていたことが、どことなく分かってしまいそうだから。
ただ、彼女がこの世界で随分と僕に好意的に接してくれるのは、そのおかげかも。何てね。
◆確認された力
アワイ・キモチ〈恋の始まり〉
レア度:?
カテゴリ:その他〈ボーイミーツガール〉
力:?
範囲:?
説明:多感期の少年少女にのみ発動する、特殊な思い。単体での攻撃力はないが、それが勇気を引き出す原動力となることもある。




