第13話 剣士
――この世界の夜明け。
その清々しい空模様とは裏腹に、気持ちのいい朝ではなかった。屋上の端に、靴が揃えてあるのが見えたからだ。その二組の靴は、昨日フェンスにもたれかかっていた人たちのものだろうか。気にかける余裕がなかったことが悔やまれるが、救えたと思うこともおこがましかった。呆れるほどの人数が、相次いで命を落としているのだ。
心配することも大切だが、明日は我が身だ。自分はともかく、ライムを守り抜かなくては。それが、自分に与えられた使命だと思った。でも、彼女と僕が最後の二人になってしまったら……。そのおぞましい考えに身震いした。しかしそれこそ捕らぬ狸の皮算用で、今は生き残ることだけを考えなくてはならない。そのときはそのときだ。
背伸びをして気を引き締めるジュンヤの元に、ゴンズが顔を見せた。
「オッス。お前、起きるの早ぇじゃねえか。俺の朝練並みだぜ」
「はは……今日はたまたま、ね」
ジュンヤは一夜を共にした仲とはいえ、どこかゴンズが苦手だった。どこか……というかやはり彼が怖いのだ。そのゴンズが口を開いた。
「おらよっ、貴重なコーヒーだぜ」ゴンズは白の魔界石から缶コーヒーを出現させ、投げてよこした。
「あ、ありがとう。ゴンズ君」さすがにぬるかったが、味わい深いものだった。
「昨夜はありがとよ。一晩寝たら大分よくなった。助かったよ。で……お前らそういう関係なのか?」
ジュンヤはその質問に意表を突かれ、せっかくのコーヒーをむせかけた。トントンと胸を叩きながら振り返ると、そこにはライムがいた。――この子はいつも、僕の背後に回りたがるな。
「おはよう。そういう関係って?」ライムがさりげなく会話に加わる。
「えっ? な、何でもないよ」ジュンヤは慌てながら、両手を振って否定した。そしてライムに、ペットボトルの水を出してあげた。
ライムは顔を紫色の太陽に向け、水を少し飲んだ。すると白磁のような喉のラインが日の光に映え、彼女が女の子だと言うことをジュンヤに思い出させた。ジュンヤはライムに向かって話しかける。
「これから町に出て……世界がどうなったのかを確認しようと思う。家がどうなってるのかも気になるし。ライムさんは、どうする?」
「もちろん。私はキミについていくだけ……どこまでも」
「ゴンズ君も、よかったら一緒にどうかな?」
ゴンズの表情は上の空だった。どこかそわそわして、落ち着かない様子に見えた。
「誘ってくれるのは、ありがてえけどよ。俺にもチィとばかし、やることがあってな」
「そっか……分かった。気をつけてね。それじゃ、僕達は行くね」
「ああ、とっとと行きな。別れを惜しむのはガラじゃねえんだ」
ジュンヤとライムが屋上から立ち去るのを見送った直後に、ゴンズは誰もいないフェンスに向かってため息をついた。
「よう、誰か知らねえけど立ち聞きしてんじゃねえぞ。俺に用があるのか、それともあいつらにか?」
そのゴンズの問いかけに、フェンスの影から男がユラリと姿を現した。
「おはよう、ゴンズ君」男の手には日本刀が握られていた。
「案外しつけえな。魔石を奪い返しにきたのか? 悪いが、あいつらを追わせるわけにはいかねえぞ。ちょっとした借りができちまったからな。戦闘なら、俺が受けて立つぜ」
その男は、ゴンズより学年では一つ上の三年生だった(ゴンズは留年しているので、年齢的には同い年だ)。剣道部の主将を務め、全国大会三連覇の偉業を成し遂げている男だ。
――てっきり優等生のスポーツマンかと思っていたが、分かんねえもんだな。欲望むき出しで、これじゃ俺みたいな愚連隊と何も変わんねえ。
「今度は逃げないでくれるのかい? これは光栄だ。あの有名な佐藤源太君と戦えるなんて。元柔道部で……十年に一人の逸材と言われていながら、問題を起こして退部させられた、ね」
ゴンズが退部させられた理由は、至ってシンプルだった。彼の底知れぬ才能に嫉妬した人間が、他校の不良をけしかけて暴力事件を起こしたのだ。彼の闘争能力はずば抜けていて、襲ってきた不良どもを一掃した。当然、その事件は(やけに迅速に)明るみに出た。ゴンズは、一切の言い訳や申し開きをしなかった。
ただ、そのゴンズが「十年に一人の逸材」と言われたことについて、情報を訂正しようとしている。
「その情報は、少し間違ってるから訂正させてくれや。俺が言われたのは、二十年に一人だぜ、っと!」
ゴンズはそう言いながら、先制の右拳を繰り出した。クローは引っ込めていて、ナックルの速度をその分重視した。
ブゥウン! ゴンズの拳が空を切る。一発でも当たれば、体を根こそぎふっと飛ばすほどの威力だ。続いて左拳を、もっと早く鋭い踏み込みで放つ――だが同様に、鼻先の紙一重でかわされる。
「いいパンチだ。それなら、こういうのはどうだい、ゴンズ君。せいっ!」
剣士は大太刀をクルクルと回し、リズムを取りながら連続で振り降ろしてきた。ゴンズは、ピシッ、ピシッ、と素早く打ち下ろされる攻撃を、ナックルの甲で防ぐしかない。
ゴンズは防戦一方になり、面白いように追い込まれてしまった。背中の傷は、戦闘が始まってすぐにアドレナリンが駆け巡り、何ともない(ライムの止血の手際がよかった)。それなのに――だ。
つまり剣士は、決して調子は悪くはないゴンズの動きを完全に封じていることになる。
右上段から振り下ろす、青竜の型。左斜め下から切り返す、朱雀の型。真一文字に胴体を切り離す太刀筋、玄武の型。そして、喉元へ突きを繰り出す白虎の型。
それぞれが、剣を極めた男にふさわしい正統派の剣技だった。
一方、ゴンズの構えは素人に近かった。喧嘩では百戦錬磨とはいえ、専門の格闘技は飽くまでも寝技が主体の柔道だ。我流の構えは攻撃を重視する余り、どうしても隙が多くなる。
何回かに一度は、ゴンズにも攻撃のチャンスが回ってくる。しかし、ことごとく当たらない。向こうの攻撃も全て防いではいるものの、このままではジリ貧になる。
ハアッ、ハアッ。ゴンズの呼吸だけが一方的に乱れる。
――何だこいつは……。俺の拳を見切っているのか。当たる気がしねえ。
すると剣士は、ゴンズの攻撃をよけながらその顔をグイと近づけて言葉を放つ。
「自分は、強い人間に興味があってね。どこまで強さが通用するかを見たいんだ。元の世界は、何て退屈だったんだろう。君もそう思わないか? せっかく力を持っていても、それを試す場所がないんじゃ仕方がない。全国大会連覇? フン。剣士たるもの、真剣で戦わなきゃ意味がないんだ! いっそ戦国時代に生まれればと、いつも思ってた。それが、こんな形で叶うなんてな」
剣先をナックルにぶつけ、火花を散らしながら会話を続ける。
「君にはないのかい? 真剣で人を斬ってみたいという欲望がさ! こっちはおかげさまで、大量に試し斬りをさせてもらったよ。でも皆、いまいち歯ごたえがなくてね」
――ちぃ。この野郎は、すっかり妖刀に魅入られてるようだな。
「そういう意味では、僕が本当に興味があるのは、彼――ジュンヤ君なんだけどね。知ってるかい、彼がなかなかの強敵を打ち負かしてることを」
「知らねぇなあ。お前にあいつは、やらせはしねえぞ」ゴンズは、鼻で大きく息を吸った。
「そうだ! 死霊を扱う女の子を知ってるかい? 確か君のクラスの委員長だ。てっきり彼女が、この世界のライバルになると思ってたよ。それぐらい、強力な力を持っていた。でもね……その子を、彼が倒したんだよ」
「何の話だ?」
「知らないのか? それならいいさ。どうせ君はここで倒されるんだし。剣道の永遠の好敵手といえる柔道を、ここで倒すことができて実に光栄だよ!」
そう言って一挙に距離を詰め、必殺の一撃を繰り出した。
「せいやっ! 秘技、疾風迅雷!」
うなりを上げ、弧を描く剣がゴンズに襲いかかる。ゴンズもカウンターを狙うように、右拳を繰り出す。この千載一遇のチャンスを待っていたかのように、クローを伸ばした。
「その右拳は見切ったと言ってるだろう! クローを伸ばすのも読み通りだ!」
「ちぃ!」
剣士は、クローのクイと曲がる軌道攻撃をスウェーでかわした。万事休す――。
しかしゴンズは、かわされた右腕を内側に折り込み、そのまま剣士に体ごと叩きつけた。
ドシィィィンン。金属音とは違う、肉がぶつかり合う鈍い音。
グボッ……何だ、今のは。
前のめりに倒れる、剣士の男。彼の右頬には、ゴンズの右肘がしっかりと食い込んでいた。
「そうか……言ってなかったか。俺は柔道以外に、プロレスもかじってたんだぜ。これは、エルボーラリアットっていう俺のオリジナル技だ。ジュンヤにやけに熱を上げてるみたいだけどな、俺のことも少しは調べやがれ」
ドサリと倒れる剣士に向かい、そう言い放った。
◆確認された魔界石
ナックルクロー〈かぎ爪を持つ剛拳〉
レア度:★★★
カテゴリ:打撃〈ナックル〉
攻撃力:100~300
攻撃範囲:D
戦闘の相性:剣などの打撃系……○、魔法などの範囲攻撃……○、その他特殊系……○
説明:使い手によりダメージの振れ幅が大きい、筋力依存の武器。拳先にはクローが収められている。三本爪のクローは金剛石並みの強度を誇り、リーチもそれなりにある。
妖刀・オニキリ〈銘・雲竜〉
レア度:★★★★
カテゴリ:打撃〈カタナ〉
攻撃力:190
攻撃範囲:C
戦闘の相性:剣などの打撃系……○、魔法などの範囲攻撃……○、その他特殊系……△
説明:刀工――雲竜の銘が切られている、刃長一メートルの大太刀。鍛造年は不明だが、世に五振りしか残されなかったと伝えられている。妖しい光を宿し、夜な夜な人の血を求める。