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第1話 いじめられっ子

 この世界は、少年にとって地獄だった。


「五……、四……、三……、ゼロッ! オッセーよ! はいアウトー。お疲れちゃん」


 屋上のフェンスに寄りかかる一団の、真ん中の男が言った。


「はあ、はあ……。ごめん、リクト君。でも、今……間に合ってたはずだけど……。あと二秒はあった……かなって」


 小柄な少年――片桐ジュンヤは息を切らせ、太ももに両手をつけながら、必死で弁明する。制限時刻に間に合わなければ、手に持った八つのパン代を自腹にされてしまうからだ。目の前にいる不良グループ四人組は、せせら笑うようにジュンヤを見下ろす。


「あぁ? てめぇ、俺に意見すんのかよ! 間に合わなかったっつってんだよ、俺は」


 赤いTシャツを着た真ん中に立つ少年――藤堂リクトは、声を荒らげた。ジュンヤはその恫喝に、ビクッと首をすくめた。


「おっと、いけねえ、いけねえ。これじゃイジメになっちまうわな。ジュンヤ君。俺達はそういう関係じゃないから。ほら、友情の証しのイチゴ牛乳を受け取ってくれよ」


 そう言ってリクトは、ぬるくなった手元のイチゴ牛乳をジュンヤに押しつけた。パン代にしては釣り合いが取れない。持ちつ持たれつ感を出すことで、イジメの状況を隠匿しようとしているのだ。あざといやり方だったが、これにもジュンヤは逆らえなかった。


 リーダー格のリクトは、イケメン気取りで長髪。上背はあるが体の線は細く、決して屈強なタイプではなかった。事実、前にジュンヤは何度か殴られたことがあるが、それほど痛さを感じなかった。向こうの方が途中で「いってえ、お前……固えよ」などといって、手をプラプラさせる始末だった。つまり殴り方もろくに知らない、不良の真似事をしているタイプだ。だからこそ舐められることに敏感で、すぐに虚勢を張るのだ。


 ジュンヤは知っている。本当に怖いのは、リクトの横に立つスポーツ刈りの男だ。男は元柔道部で、暴行事件を起こして退部になったと聞いている。ゴンズというあだ名で呼ばれており、その威圧感のある呼び名を本人も気に入っているようだ。百八十センチを超える長身で、手足は丸太のように太い。まだ殴られたことはないので威力は分からないが、相当なものだろう――考えただけで身震いする。口数は少なく、この不良グループにいても余り楽しそうには見えないが、いつもリクトの右側を固めている。いわば用心棒だ。


「それじゃあ、リクト君。僕はこれで……」


 ジュンヤは弱々しい声を出して、屋上から立ち去ろうとした。パン代をもらえないと分かった今、長居をする必要はない。これ以上いると、またパシリを押しつけられることは目に見えている。


「んー? ジュンヤ君。どこにいくのかな? まだ今日の分の魔界石をもらってないよ?」


 と、不良グループの中で一番華奢な男――折川ムラが言った。彼はリクトの太鼓持ちのような立ち位置で、いつもヘラヘラと御機嫌を伺っている。付け加えるならば、ムラはジュンヤの中学校時代の親友だ。いや、だったというべきだろう。このイジメは、中学時分にムラをあるゲームでやっつけたことから始まった。完膚なきまでに叩きのめされた彼は、そのことを恨みジュンヤを拒絶した。そして高校進学と同時にリクトに取り入り、いいイジメ相手がいると、けしかけたのだった。やがてイジメはエスカレートしていき「俺、お前」と呼び合っていた仲は「支配者と奴隷」の関係に成り代わっていた。


「魔界石……。ごめん、ムラ君。もう、チャージが残ってないや……」ジュンヤがうつむいたまま答える。


 魔界石は、人気のスマホアプリゲームで使える通貨だ。チャージした現金で購入させ、それをアイテムボックスに投函させる――周りから見えにくいカツ上げだ。ムラはジュンヤが好きなゲームの世界でも、こうした嫌がらせを繰り返している。


「はい? 聞こえませんよー? もっと大きな声でお願いしますー」ムラが、声変わりを失敗したような甲高い声で言う。


 彼の頭の剃り込みはただ毛が薄いだけだが、ハクがつくのをいいことに、剃り込みで通している。


「ははっ……や、やっぱり、何とかするから……。ちょっと待っててくれれば、コンビニでチャージしてくるんで。はは……」


 ジュンヤはそう言って、背中を向けた。悔しさと惨めさで涙がこぼれそうだった。小刻みに体を震わせながら、重い足取りで歩く。


 すると三人組より少し離れたところに立っている男から、言葉が投げかけられた。


「つまんねー奴。たまには抵抗してみたらどうだ?」


 柔らかい髪をした少年は、手元でX型の立体パズルを操っている。彼の名は金田メイゲツ。家は病院を経営している富裕層で、成績も優秀。どうしてリクト達のような不良グループに関わっているのか、不思議なぐらいだった。


 ジュンヤはうんざりした。何もかも手に入れているような奴にまで、蔑まれるとは。お前に、僕をイジメて何の得がある?


 もう嫌だ、死にたい。こんな世界、なくなっちゃえばいい!


 少年が心の底からそう願ったとき、天空から謎の声が降り注いだ。


「愚かな人間ども。人間世界は実に退屈だ。よって、少しでも楽しくなるよう、この地域まるごと、魔界へ飛ばしてやろうぞ」


 その声は唐突で、不気味だった。空全体がスピーカーになっているような感覚だった。コンビニへ金を下ろしに向かおうとしたジュンヤも、その声でピタリと足を止めた。


「何だ? 何か聞こえたか?」リクトがムラに聞く。ムラは、その剃りが入ったひな鳥のような薄い頭を傾げる。


 天の声が続けた。


「魔界へ転移した後は……そうだな。殺し合いを始めてもらおうか。最後の一人として生き残った奴には、褒美としてどんな願いでも一つ叶えてやろう。死の乱闘――デストロイヤルの開宴だ!」


「何これ? チョー面白ぇ。誰かのネタか? だとしたら随分と凝ってんな。役場のスピーカーでも乗っ取ってんじゃね?」


 リクトが屋上のフェンスをガシガシとよじ登りながら言った。多少上がったところで、その声の正体は見えそうもない。


 ――次の瞬間。


 空のキャンバスに、パレットの絵の具がぶちまけられた。瞬く間に、極彩色に彩られる。警報のような耳をつんざく轟音。今までに嗅いだことのない異臭――南国の果物が腐ったような匂い。そして、爆発に似た閃光と衝撃がドッと押し寄せた。


 と、飛ばされる!


 ジュンヤは思わずコンクリートの床に、捕まるところを求めた。爆風で体ごと全部持っていかれる感じだ。――どこか捕まるところはないか?


 やがて余震が収まるかのように、その閃光や爆風は収束していった。


 そしてジュンヤは見た。その眼下に広がる光景は、目を疑うものだった。ジュンヤ達がいるこの天草学園の校舎以外は、原形をとどめていないように見えた。


 片田舎とはいえ、この周辺は市街地だ。商店街は人の賑わいを見せていたし、それなりに高いビルが建設されていた。それが……今では視界をふさぐ大きな建造物はなくなり、遠くに山の稜線まで見えるではないか。


「おいっ! 凄えぞ。何か戦争でもおっ始まったのか! 凄え、凄え、おい、見に行こうぜ。ムラ、早くしろよっ」


 リクトがムラを小突きながら、歓喜の言葉を上げる。ふだん見ている景色と異なることに恐怖を覚えるどころか、はしゃいでいる様子だ。


 まあ、いいや。ジュンヤは自分への興味が失われたことに感謝した。上手くいけば、この場を逃げおおせるかもしれない。息を殺し、彼らの死角に回り込むようにして立ち去ろうとする。すると……


「おいっ、ジュンヤ。お前が先に見てこいよ!」


 階下へ降りる非常口のドアを前にして、リクトが言った。四つん這いになって別の出口から逃げようとしていたジュンヤは、その声で足を止めた。そして、リクトやムラに聞こえない程度の大きさで舌打ちをした。


 鉄製の扉の奥は、いつもと違う雰囲気を漂わせていた。ジュンヤは背中を後ろから蹴り込まれながら、前へ進んだ。


 ――そこに待ち受ける世界は、真の地獄だった。

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