侍女は今日も姫様の幸せを願う
春の暖かな木漏れ日が小さな部屋の窓から差し込む。ふわりとしたネグリジェを身にまとい、幸せそうな寝息を立てて眠っていたディアナは、甘い蜂蜜の香りで目を覚ました。
「おはようございます、姫様。今日もいいお天気ですね」
ベッドから身を起こしたディアナに、ほかほかのパンケーキといい匂いのする紅茶をカップに注いでいたリアナが、挨拶をした。
「おはよう、リアナ。今日の紅茶は、メイレーン産のフィード茶ね。紅茶もパンケーキもいい香りで、気持ちのいい目覚めだったわ」
ディアナは、リアナの淹れた紅茶をゆっくりと口にするとふんわりと笑う。ディアナは上級貴族のソレで、パンケーキを食べ始めると、クスリと今度は笑う。
「姫様、どうかなされましたか?」
「うん、あのね。ちょっと、思い出し笑い。私ね、いまだに不思議なの。私みたいなのが後宮にいることに、陛下も女官長もだれも追い出さないから」
ディアナ・バル・フロディエンド―――それが、今のディアナの名前。フロディエンド公爵家の末娘。名門フロディエンド家の娘が、後宮に入ることはそれほどおかしなことではない。だが、今ここにいるディアナには、フロディエンド家の血を一滴たりともついではいない。それを知るのは、ほんの一握りの人物だけである。本来、後宮に入るどころか、王都に足を踏み入れることすらかなわない下賤の身。ただ、容姿が今は亡きディアナ・バル・フロディエンドに瓜二つであることを買われて、身代わりを任された。奴隷として一生を終えるはずのディアナは、義父であるフロディエンド公爵によって今この場所にいる。一生のうちに返せないほどの恩義を返すためにディアナは静かなる戦場である後宮に来たのだ。
「そうでしょうか?知らされている私でさえ、姫様はどっからどう見ても姫様以外に見えません。まぁ、私は姫様以外の姫様に使えたことがありませんが、黒曜石の間にふさわしい方が、お美しい姫様以外にいるとは思いませんわ」
リアナは、本物のディアナにあったことはない。リアナにとっての姫様は、今目の前にいる姫様以外に存在しないのだ。
「もう、リアナ!ほめても何も出ないわよ」
頬を赤くしている姿もかわいらしいとリアナは思う。このかわいらしい外見とは裏腹に、肝が据わっている方だというのもリアナは承知していた。そもそも、豪胆な性格をしていなかったらここ後宮に身分が低いことを知っていて堂々と足を踏み入れられるわけがない。フロディエンド家の政治的な利益を得るために送られたディアナは、朝食を完食するとリアナが調べた貴族の裏情報に目を通しながら身支度を整える。これが、朝の日課だった。
「ここって、白い内装とは裏腹に黒いところよね。リアナ、昨日届けられた贈り物の中にどれだけ、黒いものがあった?」
ディアナのように、後宮に入った令嬢のもとには、少しでも縁を持とうと貴族が群がってくる。毎日のように送られてくるプレゼントという名のご機嫌取りの代物の中には、毒が仕込まれているものが、多数あった。
「約半数です」
リアナは、ディアナがドレスに着替えるのを手伝うと、流れる金髪髪を櫛で梳く。髪を整え美しいドレスを身にまとったディアナは、どこからどう見ても貴族の娘にしか見えない。
「そう。最近、増えたわね。あの馬鹿のせいよね。これ」
「姫様、仮にも一国の王をそのような扱い……不敬罪でとがめられますよ」
肩をすくめてディアナを諭すリアナ。ざわざわと急に廊下が騒がしくなった気がする。
「リアナ、噂をすれば影ってほんとね」
「えぇ、その通りですね。姫様」
はぁっと重たい溜息を二人して付き終わった後、分厚い紅バラの間の扉が、男性の手によって開かれた。
「ディアナ、久しぶりだな。息災だったか?」
後宮に堂々と入って、側室の部屋の扉を開けられる男。それは、国王陛下以外にはいない。
ディアナと同じ、金髪にソリアの森のような濃い緑色の瞳の青年、それがローディリア国の王。
「陛下、いらっしゃいませ。御蔭さまで、健康ですわ」
「うむ、何よりだ。ディアナ、昨日お前の言っていたお菓子の材料を取りそろえさせておいたぞ。調理場の貸し出しも料理長に許可出してもらったから、思う存分私のためにお菓子を作れ」
ディアナがこっそり作って冷蔵庫に冷やしたはずのお菓子が消えていることが多々あって、犯人を突き詰めてみれば、あろうことかこの国の王にして、一応夫である人物だった。犯人を知った時には、あっけにとられて何も言えなかった。お菓子を作っているのがディアナだとばれて以来、陛下は自分の食べたいお菓子の材料をそろえて作れと言ってくるようになったのだ。陛下は意外なことに甘党だったのだ。ディアナは、退屈を紛らわすためとリアナとお茶の時間を楽しむために、自らお菓子を作っていたのだ。この後宮の中には黒い陰謀が渦巻いている。自分で料理した方が安心して食べ物を口にできるのだ。
「昨日……あぁ、水羊羹のことを言っているの?まさか、昨日の今日でもう小豆と寒天を手に入れてきたの!希少な出雲の国の特産品をよくこの短期間で手に入れたわね」
「あぁ、王であることは伊達ではなかったということだ。私の情報網をなめるなよ」
そう口にして王が、見せびらかす材料にディアナはすかさず飛びつく。思わず顔がにやけてしまうのが隠せない。王が今にも踊り出しそうな様子のディアナをほほえましげに見ていたことに、リアナたち侍女は気が付いたが向けられている当の本人は、全く気が付くそぶりを見せない。
「いままで、なめていたわ。うふふ、少しは認めてあげてもいいわよ……あんこ、あんこ、あん、あんこ」
今にも小躍りしそうなディアナにリアナは、ため息をつくが「偽物」であることを気に病んでいるよりは、健全でいいだろうと思い直すことにした。
時は進み、場所は移り変わって調理場。動きやすい簡素なドレスに着替えた後、ディアナはリアナと共にすでに3時間ほど調理場にこもっていた。陛下は、部下に引きずられて王宮に戻っていった。今頃、執務室で仕事中だろう。思った以上においしくできた餡子を味見しながら、材料をそろえてくれたお礼にリアナに完成品を届けさせてもいいかもしれないと思い始めていた。
「お鍋に水、寒天を入れよぉく溶かして、溶けたら火を止めて。さっきつくったあんこ投入♪更によぉく混ぜ合わせる♪型に流し込み冷蔵庫で冷やして出来上がり♪うふふ」
「あとは待つだけですね」
「えぇ。リアナ、今日のお茶は、出雲茶にしましょう。水羊羹にはピッタリでしょ」
「そうですね」
幸せそうな笑顔を浮かべながら遠い異国の菓子が冷えるのを待つディアナを見て、リアナは思う。
今の陛下は、お菓子を作るという一風変わった姫様とそのお菓子を好ましく思っているに過ぎない。でもいつか、陛下が、ディアナの素性を知っても受け入れてくれる日が来るかもしれない。甘い匂いに満ちた昼下がり、リアナは淡い希望を胸に抱きながら今日も姫様の幸せを願う。
授業の課題作品です。テーマは、「三人の人間関係を描く」です。書いていて、あまりしっくりこないし、ありふれたストーリーかなって思うので、感想をいただけると勉強になります。