やっぱり、怖い人
マッサージ中、夜刃昌磨が口を開いた。
「お前、何やったんだ?」
「えっ」
何も言わずに目を閉じてるから、気持ちいいのかなと思って普通にマッサージしちゃったけど、気に入らなかったのかな?
千夏みたいに、イラついたら暴力をしてくる人だったらどうしよう。
こんな体の大きな人に、さっきの金髪青年の時みたいに吹っ飛ばされたりしたら命が危ないよ。
「頭の痛みがなくなった」
っほ、なんだ。そっちか。
「緊張型頭痛だったみたいですね。ストレスを感じやすい方に多いんです。頭の血流をよくするツボと、後頭部と首の痛みに効くツボも刺激しました。次はうつぶせになってもらえますか? 肩と背中のマッサージに入ります」
「ああ」
「首、少し横に傾けますね」
指の腹で少し力を入れて肩をさするように伸ばした時、夜刃昌磨の緊張がほぐれたのを感じた。
よかった。強張ってたから、ほぐしやすくなったぞ。
色々気苦労があるんだな。筋肉の強張り方で、なんとなくわかる。
二十代でボクシング界のチャンピオンまで上り詰めたあと、すぐに引退。
それから俳優業から映画監督までやってるんだよね。大変そうだ。
「おい!なにやってんだ。そこ、痛い」
「っあ!すみません!」
にしても、怒り方が怖すぎるよ。
「足三里というツボを押しました。筋疲労の回復と、炎症後のだるさを抜く効果が期待できるところです」
「……炎症のことまでわかるのか?」
「ツボ押しの反応を見れば。なんとなくですが、わかります」
この人は、脚じゃなく上半身にも負担を残したまま生活してるんだ。少し、危険だな。
撮影でどれだけ酷使してるかわからないけど、膝に関しては相当きてる。
無理を続ければ、手術をしなければいけなくなるだろう。
「体全体の筋肉もほぐしますか? 疲労抜きのケアもできます」
「ああ。頼む」
四十分ほど経過し、終わりを知らせる合図で、トンと肩に手を添えた。
「おつかれさまでした。これで終わりです」
夜刃昌磨は「軽くなった」と言って、太ももを上げてぐるぐる回し、歩いた。
「効果を感じていただけて、良かったです。歩き方はさっきよりだいぶ良くなってますね。症状が重くなる前に、養生をすることはとても大事だと思うんです。僕のジム、整体もやってるので、時間があるときにぜひ来てください」
こっちを見た。
うっ、や、やっぱり、睨んでない時の顔はかっこいい。ドキドキしてしまう。
「お前がやるのか?」
「お客さんから指名があれば。医療行為はできませんけど、今みたいに筋肉を緩めるくらいなら出来ますよ。整体をご希望でしたら、資格を持った整体師が代わりに施術できます」
夜刃昌磨が、ポケットから財布を取り出し、現金を差し出した。三万円だった。
「えっ!?こ、こんなに……少ししか施術してないのに、だ、大丈夫です。今回のは暇だっただけで……」
金欠だからお金は欲しいけど、僕だって夜刃昌磨にお近づきになってみたいっていう邪な気持ちが無かったと言えば嘘になる。筋肉に触ってみたいっていう気持ちはゼロじゃなかった。これは断言できる。正直、触れて満足してるのは僕の方だ。これでお金までもらってしまったら、罪悪感でしばらく眠れなくなるよ。
「頼まれてないのにこんなにもらったら、つかまっちゃうんじゃ」
おしかけ詐欺罪とかにならないかな?
「受け取れって。なに変な心配してるんだよ。いらないなら捨てるぞ」
三枚の一万札をゴミ箱付近に放った。
「あっ、も、もったいない……!」
反射的にお金を拾ったものの、その三枚をどうしようかオロオロしてしまう。
「おい、次はいつ来る?」
「あっ、えっと、今日から一週間は毎日ヨガの研修で来ます」
「今日の施術をまた頼みたい。明日。予約は今から入れられるか?」
「ボディケアのご予約ですね。 僕で良ければ、ここでのヨガ研修のあと、いつでもお受けできますよ。名刺をお渡しします。出張ボディケアもしているんです、うち」
めったに使わない名刺を渡す。
一瞬ためらってから、ついでに三枚の拾ったそれらもおさめた。
「あしたは整体メインで頼む」
「あ、整体ですか。僕は筋肉をほぐす系の、ボディケア専門なんです。うちは整体もしていますので、そちらの連絡先を書いてお渡ししますね」
「お前の名刺だけでいい。整体はお前ができるだろ」
「はい、あ、いえ、今のはあくまでもボディケアなんです」
「ハァ? 今のは整体だろ」
そうか、この人は世界チャンピオンだったから、整体がどんなものか知ってて当然だ。今回やったのは、ツボ押し、リンパマッサージ、整体。それらを組み合わせ、この人に合うケアをしたのは間違いない。だけど、整体だけと言われると、僕はやってはいけない。ルール通りやらないと、あとで千夏に殴られる。
「僕の技術は専門的な施設で学んだものではないので、整体ができるとは言えないんです。整体を希望と言われた際は、整体師に任せるのがうちの決まりでして……申し訳ありません」
「メンドクサイな。整体ケアをやったんだから、整体でいいだろ。もういい、じゃあ、ボディケアで予約する。あしたはお前がやれ。ヨガの研修が終わったら俺に連絡しろ」
「あ!はい、ご予約ありがとうございます」
***
翌日、ヨガの研修を終え、緊張する指で昨日教えてもらった連絡先に電話をかけた。
相手はワンコールで電話に出た。
僕が話し出す前に「今日の研修、終わったのか?」と聞かれた。
「はい、終わりました」
「どこにいる?」
「三階の、研修部屋です」
「七階の仮眠室に来い。昨日と同じ場所だ」
プツッ。
電話は切れた。
***
「立ち上がりと、歩き出しから確認しますね。お手数ですが、歩いてもらえますか?」
「ッチ、めんどくせぇな」
やっぱり怖い。
しぶしぶ歩く夜刃昌磨を観察して、今日の施術内容を判断する。
「体重移動が左右どちらかに逃げていて、膝を守るために無意識で動きを殺していますね」
「予定がある。とっととやれ」
「あっはい、お時間が無いんですね。今日は 太ももの外側、太ももの裏をメインにほぐしていきます」
膝が悪い人はここが石みたいに硬いんだ。ホラ、相当張ってる。ふくらはぎもしっかりケアしていこう。
指の腹や前腕でゆっくり圧をかけていく。
膝上を避けて、少し上から深く、長く圧をかけた。昨日と同じくらい時間をかけ、体をほぐしていった。
気持ちいいのか、目を閉じて体を委ねてくれた。
やっぱり、顔と筋肉はどこから見てもカッコイイな。
***
彼の肩に手を置き、施術が終わったことを告げた。
「はい、おつかれさまです」
立ち上がってもらい、歩いてもらった。
「どうですか?」
「軽い。膝、直接触ってねぇのに。どうやって治した?」
「治したわけじゃないです。ただ、膝が頑張らなくていい状態に戻してるだけで」
夜刃にジッと見下ろされ、ドキドキした。
「月四十万払う。うちの芸能プロダクション専門のボディケア担当にならねぇか」
「っよ、四十万?!」
どれだけ残業しても、手取りは二十万以上を越したことはなかった。そんなにもらうことができれば、母の治療費だけでなく、借金もいっきに返済できる。
腰が曲がり、年金をもらい始める頃、やっと僕は借金の全額返済ができるだろうと計算していた。
けど、ここで働けば、まだ若いうちに完済し、諦めていた夢にも挑戦することができる。
「やっ、やりた……」
やりたい、と反射的に言ってしまいそうになった。そんなこと、千夏が許すだろうか?
いや、許すはずがない。千夏のバックには、ヤクザ同然の集団がいる。
もし裏切ったと捉えられたら、あいつらに殺されるかもしれない。
「すみません、今のジムを辞めるわけには、いかないので……」
「今やりたいって言おうとしなかったか? 顔にもやりたいって書いてるクセに、何言ってやがんだ」
僕は今、どんな顔をしてるんだろう?
「お誘いいただき、うれしいです。でも、転職は、できません」
顔を上げられなかった。もう一度夜刃昌磨の顔を見たら、やっぱりやりたいと言ってしまいそうだったから。
「百」
「えっ」
「これ以上は譲れねぇ。雇用主に言え。退職したいですってな」
「あの、賞与が百万円、ということでしょうか……?」
「月に百だ。返事は明日まで。それ以上は待たない」
ひゃっ、百万円だって? しかも、毎月?
そんなの、やるしかないじゃないか。
早く借金を返した方が、千夏も嬉しいはず。もしかしたら、退職の許可が下りるかもしれない。
「や、やっぱり、前向きに検討させてもらえませんか? 少しだけ時間をください」
「前向き、なんてめんどくせぇ言い方すんなよ」
「すみません…あ、そうだ。次はテニスボールを使って体をほぐすやり方をお伝えしていいですか? 寝る前にもボディケアをしてあげた方が、筋肉がほぐれやすくなるんです。ほぐれた状態で眠ると、良い睡眠をとることができるんですよ」
こればかりは千夏の返答次第だ。
僕が辞めたいと言っても、辞めさせてもらえなければ、それまで。
夜刃昌磨にやっぱりもういい、雇わない、と言い出さないよう、話題をテニスボールを使ったケアに変えてみた。機嫌を損なわせないよう話すのがコツだなと、僕は夜刃昌磨の取り扱いに気づき始めていた。
「テニスボール? いらねぇよ、そんなケア」
「あ……そ、そうですか? 結構、うちでは人気のケアだったので……すみません」
最後は舌打ちされた。やっぱり怖いや、この人。
***
ep.5 「テニスボールは正しく使いましょう 」へ続く
次回『テニスボールは正しく使いましょう』
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