一生大事にしてやる <最終話>
即座に携帯を取り出し、マネージャーに電話をかけた。
「マネージャー! 通話繋がったままにする! 察しろ!」
考える暇はない。
向こうの返事を待つ前に、通話を切らないまま周囲を見渡す。
『ええ? なんですかいきなり!』
視界の端に、路肩に停められたバイクが入った。
持ち主らしい男がそばに立っている。
俺は近づき、ヘルメットを掴み上げると、ほとんど叫ぶように言った。
「バイク、かしてくれ!」
男は一瞬ぎょっとしたが、すぐに顔が緩む。
「えっ、うわ、俳優の夜刃昌磨! 撮影ですか? い、いいっすよ、うわ、本物……」
返事を待たずに跨る。
キーを回すと、エンジンが低く唸った。
ブォン!
バイクは勢いよく走り出す。
胸ポケットに突っ込んだ携帯から、呆れたようなマネージャーの声が聞こえた。
『えっと、あなたが盗んだバイクで走りだしたのは把握しましたけど?』
「盗んだんじゃねーよ。睦月が黒いワゴン車に拉致された! GPS機能使ってすぐに警察を俺んとこによこせ」
通話の向こうで、息を呑む気配がはっきりと伝わってきた。
***
「くそ、見失った……」
舌打ちと同時に、鼻を突く強烈なガソリンの臭いがした。空気が、異様に重い。
「……ここからか?」
闇の中に、古びた製鉄所のような建物があった。
使われなくなって久しい外壁。錆びた鉄骨。
人を隠すには、都合が良すぎる場所だ。
耳を澄ますと、中からかすかに声が漏れた。
「やめて、やめ……!」
胸の奥が一気に締めつけられる。睦月の声だ!
「睦月!」
入口はカギがかかってビクともしない。
侵入するなら二階からだ。
歯を食いしばり、外壁に這うパイプを掴む。
錆びた感触が手のひらに食い込み、金属が軋む音が夜に溶けた。
割れたガラスの窓へ、慎重に近づく。
覗き込んだ先にあったのは、体育館ほどの広さの空間。
薄暗い照明の下――
階下で、後ろ手に縛られた睦月がいた。
殴られている。抵抗もできず、頭部を狙われていた。
次の瞬間、千夏の拳が振り下ろされ、
睦月の頭から血が飛び散った。
視界の端が、赤く滲む。
「あの野郎……殺す!」
全身に殺意が満ちていった。
怒りが爆発し、窓を割って中へ飛び込む。
「誰だ?!」
千夏が振り向いた瞬間、その目が見開かれる。
機材の影を縫うように踏み込み、背後から一撃を叩き込む。
感触でわかる。効いた。
間髪入れず、さらにアッパー。
千夏の体が宙に浮き、床に崩れ落ちた。
まだ終わりじゃない。
続けざまに大男が三人。
距離、体重、呼吸。全部見えている。
一人目を沈め、二人目を壁に叩きつけ、三人目の顎を打ち抜く。
全員が床に転がるまで、時間はかからなかった。
「っひ、ひっく……! や、夜刃、かんとく……っ」
すぐに駆け寄り、睦月の縄を解いてやった。
「大丈夫だ、もう、泣くな」
声が震えている。涙と鼻水、血で顔も服もぐちゃぐちゃだ。
背中をさすってやり、安心できるよう抱きしめた。
入口の方で、気配が動いた。千夏が、ゆらりと立ち上がる。
「ッチ、もう一発殴っときゃよかった」
そのとき、遠くでサイレンが鳴った。マネージャーはうまく警察と連携したようだ。
敵は何を所持しているかわからない。もう一発殴って失神させないと。
「来るな! 道連れにしてやる……」
一歩前に出た瞬間、銃口を向けられた。
「銃なんか持ってんのかよ……」
千夏が赤い容器を蹴り倒した。
次の瞬間、ガソリンが床に広がっていく。
まずい。
入口側で火が上がり、逃げ道を塞ぐ。炎の向こうで、千夏が銃口をこちらに向けていた。
一歩。また一歩。ゆっくり、確実に距離を詰めてくる。
くそ、どうする?
突っ込むには距離がある。
「この目の傷、誰のせいだと思ってるんだ? 志穏。なに一人で幸せになろうとしてんだよ、むかつく。お前が悪いんだぞ? お前のせいで、夜刃昌磨は死ぬんだ」
「やめて千夏君!」
睦月の声が背後で弾けた、その直後。
パン!と乾いた音がした。
反射的に体をずらしたことで、弾は当たらなかった。
「あれぇ? 当たらないなぁ。銃の練習しとけばよかったなー」
余裕ぶった声が癇に障る。
逃げ場は二階しかない。
銃口をこちらに向けたまま、コツ、コツ、と靴音が近づいてくる。
距離が縮まるたび、選択肢が削られていく。
睦月を背後に回す。小さく、確実に庇う位置。
「や、やめてよ千夏君! こんなこと!」
「こんなことって、どんなことだよ?」
パン!
鈍い衝撃。膝に、焼けるような痛みが走る。膝に命中した。足が、わずかに沈む。
「グゥ!」
「夜刃監督!」
「この距離ならさすがに外さないよなァ!はははは!」
「テんメェ……!」
千夏の意識が完全に俺に向いている。背後で鉄の棒を拾い、にじり寄る影に気づいていない。
いい。
それでいい。
口角が上がりそうになるのを抑え、敵を睨みつける。
睦月、今だ!
――――ガンッ!
後頭部めがけて睦月が鉄パイプを振り下した。
よくやった。
「ウッ!」
刹那、体勢の崩れた千夏の右腕を掴み、関節を折り、銃を奪い取る。
「ぐああ!」
倒れた相手の額に銃口を突きつけた。
「ハッ、形勢逆転だな。大人しく自首しやがれ」
銃口を突き付けられているというのに、余裕の表情だった。
「……そうかな?」
千夏は左腕の袖口から何かを滑らせ、スイッチを押した。すると、瞬く間に炎がガソリンをつたい、ボン!と爆発音が轟いた。
入口が、完全に炎で塞がれた。
「そ、そんな……! なにやってるんだ、こんなことしたら、千夏くんまで脱出できないじゃないかっ」
「あはははは!」
完全に、狂っている。
パン!パン!
「ぐあ!」
迷いなく二発、千夏の左肩に撃ち込んだ。呻いている男のポケットにはまだ拳銃が仕込まれていた。
銃を奪い、二階へ放り投げる。
「やっぱりな。バレバレなんだよ。睦月、しっかり俺の首に捕まってろ。上へ登るぞ」
炎は確実に迫ってきている。今すぐ脱出しなければ、全員死ぬ。
上へ登るには、それなりの腕力が必要だ。今の睦月には無理だと判断する。
「俺につかまれ。離すなよ」
睦月は泣きながら、必死にしがみつく。片腕で体を支え、もう片方で機材を掴む。
錆びた鉄が軋み、手のひらに食い込むが構わない。次々と弾ける衝撃に、瓦礫が雨のように降ってくる。
一つでも直撃すれば終わりだ。
割れた窓枠に手をかけ、体を引き上げる。
煤で黒く汚れたガラスの破片が、肘を掠めた。
辿り着いた。あとは、飛ぶだけ。
「つかまっとけ」
下を見た睦月の体が、わずかに強張る。
「こ、こんな高さじゃ、死っ、死んじゃいます……!」
「俺を信じろ」
「ウッ、……わァァァァー!」
叫び声と同時に、重力が全身を引きずり下ろした。
木々をへし折り、バキバキと音を立てながら、ドスンと地面に叩きつけられる。
「な、大丈夫だったろ?」
生きている。
「ひっく、ひっく、……し、死ぬかと……」
「泣いてる暇ないぞ、早くここから離れねーと。肩、かしてくれ」
「は、はいっ……!」
数秒後、背後で建物が崩れ落ちるほどの大爆発が起きた。
衝撃波が背中を叩き、熱風が夜気を切り裂く。
間一髪だ。
警察車両のサイレンが近づき、現場は一気に騒然となった。
合流し、状況を簡潔に伝える。
ひとまず、睦月を警官に預けた。
離れる瞬間、あいつの指が名残惜しそうに離れた気がして、少しだけ胸がざわつく。
「膝が痛ぇ」
ようやく、自分の体の異変を自覚する。撃たれた膝が、遅れて主張し始めた。
夜空を見上げながら息を整える。
帰ったら、睦月にマッサージしてもらわないと。
***
<緊急治療室>
『警察は、本件を複数人による犯行とみて、捜査を進めています。――ここで、新たな情報です。事件の実行犯とみられる人物が、都内で焼死体となって発見されました。この事件で被害に遭ったのは、俳優の夜刃昌磨さんと、一般男性一名です。一般男性は全身を激しく殴打され、全治一週間のけがを負いました。夜刃さんは膝に銃弾を受け、 現在は病院で療養中とのことです。警察は、犯人の身元や事件との関連について、引き続き詳しく調べています。――続いてのニュースです。元暴力団関係者の一条京四郎容疑者が、殺人未遂の疑いで書類送検されました。その後の捜査で、複数の殺人事件への関与を示す証拠が見つかり、警察は関連性を慎重に調べています』
夜刃昌磨のマネージャーが手にしている携帯電話から流れてくる音で、ようやく事態を把握した。
まさか、あの人に助けられるなんて、思ってもいなかった。
「睦月さん、あなた休まないと」
夜刃昌磨は集中治療室で頑張っている。
自分だけ、休めない。
「大丈夫です……ありがとうございます」
僕は両手を胸の前で組み、ただ祈った。
どうか、手術が成功しますように。
やがて、手術室の扉が開いた。
医師の口から告げられた言葉を聞いた瞬間、全身から力が抜けていくのがわかった。
夜刃昌磨は、目を閉じたままだった。
その顔を見たところで、張りつめていた意識がぷつりと切れた。
***
気づいたときには、ベッドの上に横たわっていた。
「怪我、してんじゃねーよ」
声がして、はっとする。
視線を向けると、隣のベッドに夜刃昌磨がいた。
「ぐす、手術、成功したって……うっ、良かった……!」
安堵がこみ上げ、涙が止まらなくなる。
「相変わらず、泣いてばっかだな」
「ひんっ、んぐ」
情けない声が喉からこぼれる。
それでも、目の前で生きている姿を見られたことが、ただただ嬉しかった。
涙を拭おうとしても、うまくいかない。
喉が詰まって、言葉にならない音だけが漏れる。
「あいつらはどうなった?」
「警察の方から、……あいつらは焼死体で見つかったと報告がありました」
自分の声が、ひどく遠く感じた。
事実を口にした途端、胸の奥が冷たくなる。
「はぁ」
夜刃昌磨はそう短く息を吐くと、ドカッとベッドの背もたれに体を預けた。
動くたびに、まだ痛みがあるはずなのに、それを表に出そうとしない。
次の瞬間、ぽん、と頭に温かい感触が落ちてきた。
夜刃昌磨の手だった。
「お前はよくやった」
その一言で、張りつめていたものが一気に崩れた。
また、涙が溢れてきた。
***
――数か月後。
「睦月くん、次はワシも頼むよ」
「はい。すぐに行きますね」
一連の事件が終わってから、僕はカウンセリング施設のマッサージ担当として働くことができていた。
「だめよ、山下さん、今日は睦月くん、学校がある日なんだから」
「大丈夫ですよ、出発までまだ三十分も…」
「そんなこと言って! いつも出掛けるときにワタワタ焦って登校してるじゃない。本気で学びたいなら、遅刻は厳禁よ」
「睦月くん、ワシにゃわかるぞ、お前さんはどのプロの整体師にも、按摩師にも負けん技術を持っとる。なんで今更、按摩師の資格なんか取るんじゃ?」
「資格を取らないと、母のケアが出来ないんです。病院で、資格を持っている人でないと、マッサージは危険だからさせられないって言われてて」
「ほお、お母さんのために資格を?親孝行じゃの。確か、何日も眠ったまま起きないんじゃったか?」
「はい……あの、山下さん、また明日でもいいですか?」
「おぅおぅ、明日でも明後日でもエエよ。ワシが死ぬ前ならいつでも待っとる」
「山下さん! 縁起でもないこと言わないの。ほら睦月くん、行って行って」
***
「睦月」
「あっ、夜刃監督」
「その監督っての、やめろつったろ」
「あ、クセで……」
「乗れ。なんでお前いつもギリギリなんだ? もっと早く来れないのか?」
「すみません」
「睦月、手、出せ」
メッセージカードだった。
一行だけ、書かれている。
”一生大事にしてやる。俺んとこに来い”
「これ……!」
「返事は学校終わってからでいい! 今は黙ってろ!」
夜刃昌磨の耳が真っ赤だ!
この人は、照れ隠しをする時も怖いんだなぁ。でも、可愛い。
どうしてこんなにかっこいい芸能人が、僕なんかに執着するんだろう?
そんなにボディケアが気に入ったのかな。
話すことを封じられたので、僕はメモ用紙に返事を書くことにした。
車が停車する。
「終わったら電話しろ。近くのカフェで仕事してるから」
夜刃監督は親指で後部座席にあるパソコンを指す。
指が太いのに、パソコンを難なく操作できるのがすごい。
「あの、これ」
さっき書いておいた返事のメモをそっと手渡した。
どんな顔をするかな?
<終>




