怖いのは、過去より現在
夜刃昌磨との剣道試合から数日後、珍しく質問を受けた。「剣道、どのくらいしてたんだよ」と。
話の流れで、中学生の想い出話に花を咲かせることになった。
僕に勝てなかったのがまだ悔しいらしい。
「全国一位? なんで黙ってたんだよ」
「昔の話ですし、言うほどのことでもないかなと」
「どうりで三段にしては強すぎると……ッチ」
舌打ちされた……。
今日は比較的早くに撮影が終わり、夕暮れ前に二人でスーパーに寄ることができた。
「あ、一枚ポストからはみ出てます」
この家の主は郵便受けを開けない。定期的にやってくるお手伝いさんが回収しに来ない限り、この郵便受けはずっと開かずの扉状態だった。
「郵便受け、またパンパンになってますけど」
「うるせーな。どうせ業者が来たら全部捨てるんだ。ほっとけ」
「そういうワケにもいかないんじゃ……。僕が確認して、いりそうなものは夜刃監督に渡しましょうか?」
「好きにしろ。俺は先に行ってる」
こういうわけで、僕が郵便物確認担当に就任した。毎日気になってたので、良かった。
夜刃昌磨の言う通り、捨てても良さそうなものばかりが詰まっていた。
「ん?」
一枚不自然な用紙がまざっていた。
A四サイズの用紙の右上に、『ぜったいに許さねぇ。今に見てろ』と記載されていた。
「悪戯かな」
「おい、先に行くからな」
顔を上げたら、本当に先にエレベーターで上がってしまってた。
ポケットに入れていた携帯音が鳴る。
電話がかかることなんて、ここ数週間無かったことだ。
嫌な予感がした。
「はい、睦月です」
***
一枚だけ残し、その他ポストにつまっていたものを全て破棄する。
夕飯を作ろうとしたときに、手がまだ震えていたことに気づいた。
シャワーを済ませた夜刃昌磨が声をかけてきた。
「顔、真っ青じゃねぇか。また風邪ひいたのか?」
「いえ、警察から注意喚起の電話がさっきあって」
「なんの電話だ?」
「一条千夏が釈放されたので、接触があれば連絡するようにと」
「誰だよそいつ」
「夜刃監督が顔面にテニスボールをめり込ませた相手です」
「ああアイツ。あんだけ悪どい事して、よく出れたな。保釈金で出たんだろ、どうせ」
「はい、恐らく。一条千夏には僕への接近禁止・連絡禁止の誓約が出ていて、破ったら即再逮捕になるんだそうです。警察には念のため、しばらくは警戒しておくようにと言われました」
「良かったじゃねぇか。もしお前があいつになんかされたら通報すればいいってことだろ。なんでそんなにひどい顔になるんだ?」
「さっき、ポストでこれを見つけてしまって」
『ぜったいに許さねぇ。今に見てろ』とWordで打ち込んだものをそのまま印刷したような、シンプルな用紙。
壺を割る前に見た、幼少期の記憶が蘇る。
体の芯まで凍った光景。一条千夏の家は、普通じゃない。
彼らは気に入らない人間をいとも簡単に抹消する。
「しょーもねー」
夜刃昌磨はデコピンをする時のあの手の動きで、パン!と紙をはじいた。
中央には見事にぽっかりと穴があいている。
「あっ」
「お前にじゃなく、俺にかもしれねぇだろ。その紙。それに、一条なんたらとかじゃなく、俺のアンチっていう可能性の方が高いって考えなかったのか? 心配しすぎだ」
「はい……そう、ですね。すみません、夕食前に変なことを」
「まったくだ。さっさと飯にしてくれ」
「はい」
それでも手のふるえは収まらず、包丁がうまく握れない。
牛乳を飲みに来た夜刃昌磨に、包丁を持つ手ごと、その大きな手で包まれる。
「しっかりしろ。お前は竹刀を持たせれば意外と強いし、俺もいる。何を怖がるってんだ?」
肺に、スッと息が入る。
今まで海の中でもがいていたのではないかと思うほど、とても自然に呼吸ができて、びっくりした。
「腹減ってるんだ。まだそんな感じなら、俺が肉を焼くからな。いつまでも震えやがって。チワワかよ」
なんだ、お腹がすいてるから、僕を元気づけてくれてたんだ。
チワワだって。
この大きい熊のような男からチワワという可愛らしいワードが出たのがおかしく感じて、それがツボにはいってしまった。
「ふふ、あはは……っ」
なんて心強いんだろう。そうだよ、僕の傍にはいま、元世界チャンピオンがいるんだ。ヤクザが束になったって、かないっこない。
「包丁持ったまま笑うなっての。ホラー映画でも撮影するつもりか?」
「あっ、すみません。なんだか、ふふ、面白くて。震えが止まりました。ありがとうございます」
「ならいい。テレビ見てるから、出来たらすぐ声掛けろよ」
「はい」
——トントン。
この野菜は、あそこにいる男のために切ってるのだと思うと、なんだか無性に嬉しくて、涙がこみあげてきて、幸せな気分に浸れた。
食事が終わったら、寝る前のマッサージをしてくれと彼は言うだろう。その時間がとても楽しみに思えた。
「あ」
僕は今、何を考えた?
触れていいのは、仕事としてだけだ。好きになってはいけない。
一緒にいられるのは、彼の条件をのんだから。
自分を戒める方法は何かないだろうか。
いったん手を止めて携帯で検索する。すると、日記が良いとわかった。
僕はその日から毎日、夜刃昌磨への想いをつづることにした。
***
「おい、これなんだ? 本心じゃねぇだろうな?」
夜刃昌磨が何かを食卓にたたきつけた。
それは、僕の簡易日記だった。
「あ……っ!」
そこには、夜刃昌磨へ感じてしまった想いをそのままつづっている。
誰が読んでも彼に恋をしてしまっているというのがわかる日記だ。
うっかり開いたままどこかに置いてしまっていたんだ!
書くことで過去になり、片思いを乗り越えることができる。そう信じて欠かさず書いていたものが、今回の事件の火種となってしまった。何か、何か嘘を考えなくてはいけない。夜刃昌磨と一緒にいるために。
「ちがい……ます。そ、その、脚本を書いてみたくて」
「脚本? お前、映画制作に興味あるのか?」
ない。まったく、ない。
だけど、それくらいしか嘘は思いつかなかった。
カタカタと肩がふるえる。
夜刃昌磨はこちらを見据えていた。
ああ、だめだ。この目は信じてもらえてない。
一緒に寝て、一緒にご飯を食べて、彼の気まぐれで、キスもするんだ。
こんなにカッコイイ相手と。
好きにならないわけ、ないじゃないか。
「……すみません」
その謝罪は、その日記の想いは全て本物だと認めてしまうようなものだった。
「はぁ、メンドクセェ。そういうのは他でしろ。最初の条件で言ったの、忘れてるんじゃねぇ―か? もう一度言うぜ。俺に変な期待はするな。わかったな!」
「はい、ごめんなさい……」
「今日からソファで寝ろ。一緒に寝てるから、勘違いすんだよ。嫌なら出ていけ」
一人暮らしは今すぐにでもしたいのだが、千夏の父親に支払う金額があまりに多すぎて、余裕が無い。母親の通院費用を払ってしまえば、あとはほとんど残らず、引っ越し費用の足しにもならない。
借金の返済が終わるのは来年の夏。それまで、夜刃昌磨には申し訳ないが、お世話になりたい。
友人の家に頼るという選択肢もあったが、どうしても千夏のことが頭の片隅にちらつく。
夜刃昌磨が誰かに襲われたとしても、余裕で勝てそうだが、一般人がもし屯地のような大男に襲われでもしたら、ひとたまりも無い。
「ソファで十分です……どうか、ここにいさせてください」
***
―――数か月が経過した。
季節は暑い夏が終わりに近づいている。九月末の給料日。とうとうこの日がやってきた。
千夏の父親へ最後の返済は先月終え、一条たちとの縁はなくなっている。
あとは引っ越しをするだけだ。
「このおうちを出ようと思います」
「もう部屋は決まったのか?」
「はい、ルームシェアハウスがあったので、ひとまずそこへ行こうかと」
「……勝手にしろ」
「去年の秋から今まで、お世話になりました」
僕は滅多に冗談は言わない。
だけど、今日くらいは言ってみたかった。
もう、この家を出るから。
「夜刃監督は、恋人をつくらないんですか?……僕、まだフリーですけど」
「はぁ?」
ズカズカとやってきて、首根っこを掴まれた。
「そういうのは嫌いだっつってんだろ」
ソファに投げられる。肩から落とされた。でも、痛くない。
「すみません」
「ッチ、からかいやがって」
でも、怒ってはいないようだ。なんだか顔が赤いような気がする。照れたのかな。
この数か月で、僕たちには友人のような信頼関係が構築されていた。
頭を一つ下げ、マンションを去る。荷物はリュック一つで十分だった。
数か月前、ソファで寝ろと夜刃昌磨に言われたことがある。けど、彼は数時間もたたず、僕をベッドへ引きずり込むような人だった。
やっぱり、夜刃昌磨が可愛いと思うし、好きだ。
離れるのはつらい。ひきとめてくれないかなと何度か振り返ったけど、追ってくる気配はなかった。
***
手元には今月入った給料の百数万円がある。
今の世の中は便利なもので、即日入居ができる、手頃なルームシェア契約がたくさんある。
ひとまずそこを拠点にして、良い部屋を探そうと思っていた。
携帯が鳴った。
「はい、睦月です」
『志穏か』
「!」
この声は、千夏の父親!
全身が強張った。
「お久しぶり、です。ど、どうされましたか……?」
『今、〇×コーヒー店にいてな。お前を見かけたものだから、電話をかけた』
本当だろうか?ストーカーでもされていたんじゃないだろうか。
『せっかくだから、奢ってやろう。左手を見てみろ。そうだ、その店だ』
***
「大きくなったな。元気だったか」
「おかげさまで。あの、壺の件は……」
まさか追加で数千万払え、なんてことを言われるのでは。
「ああ、もういい。終わったことだ。ところでな、仕事を頼みたいんだが、聞いてくれんか」
一条千夏の父、京四郎の真っ黒だった髪は白髪になり、シワも増えていた。
話し方もまた、昔のような力強さはなくなっている。時間の経過を感じた。
「仕事は今のポジションで満足してるので、大丈夫です」
「話だけでも聞きなさい」
「……」
「昔話に花を咲かせたいところだが、お前はそうじゃなさそうだから、手短に言おう。新しい事業をしたいと思っておってなぁ。この年になると、資金繰りにてこずる。そんな時にな、新しい友達が出来てのぅ。単刀直入に言えば、男に抱かれてきてほしいという話なんだが」
「なっ……! 帰らせていただきます!」
立ち上がったと同時に、両脇にサングラスをつけたスーツ姿の大男が表れた。恐怖で呼吸がひゅっと止まった。
「座れ。話だけでも、と言っただろう?」
ストン、と腰をおろした。
座ろうとしたのではなかった。怖くて体に力が入らなくなり、へたり込んだだけだった。
「お前、中学の時、剣道で一位になったろう。今頃、その動画がSNSでバズっておってな」
バズるって言葉、知ってるんだ。この人。
頭の中で、この両脇二人にバレずに警察へ連絡する方法を考える。
「ワシの友達が剣道を始めたんだよ。それをきっかけに、お前の全国大会の映像を見つけたらしい。すっかり惚れこんでしまったようで。その動画の子ども……お前の事だな。は、今は大人で、ワシの子どもの幼馴染だと教えたら、ぜひ紹介してほしいと頼まれたんだ。ここまで言えば、もうわかるかのう? それなりの報酬を渡そう。そうだ。今まで払ってきた壺代を全額返してやってもいいぞ」
つまり、そいつがアンタの金づるで、そいつに接待してきてほしい。そういうことなのは、理解できた。
「なんのことだかさっぱりです。僕は帰ります」
ふるえているのは一条京四郎にも左右の大男にも気づかれてるだろう。
その時、隣の男が注射器を僕に向けてきた。
その注射器には見覚えがある。
千夏が自信に打っていたものと、一緒だ!
やばい、やばすぎる。こんな公衆で、クスリなんかを使うなんて。
相手と自分のコーヒーを掴み、両脇にいる男の目にかけ、走った。
ポケットに手を突っ込み、短縮キーで警察に電話をかけた。机に足をかけ、店の出口へ向かう。
このまま走って逃げ切れば、僕の勝ちだ!
荷物は全て置いてきた。財布も、リュックの中に入れたままだ。持っているのは携帯だけ。
携帯から、「どうしましたか?」という声が聞こえる。
「助けてください! クスリ漬けにされそうなんです! 助けてください!」
警察なら、携帯に搭載されているGPSから場所を特定できるはず。
場所を伝える余裕はない。
「追え!」
後ろはふりむかなかった。
あきらかに、二人だけではない。聞こえてくる足音だけで、ざっと十人はいるだろう。
最初から、拉致するつもりだったんだ!
肺が痛くなるほど走った。
ゴミ袋が溢れている場所を見つけた。あいつらはこういう臭くてじめじめしたところは探さないだろうと考え、そこへ潜り込む。
案の定、ゴミ袋の前を通り過ぎた。
警察のサイレンが聞こえるまで、僕はそこを動かなかった。
***
ep.14「ひとりになる準備なんて、したくない」へ続く




