野菜は洗ってください
先日の歓迎会は、純粋に嬉しかった。
少しでも感謝の気持ちを返したくて、毎日仕事に精を出していた。
休みをもらった日はスタントマンの体調をメモし、次にどういう施術をすればいいのか考える時間にあてた。
そんなある日、無理がきたのか、それとも昨日のロケの寒さにやられたのか、風邪をひいてしまった。
体の奥から寒さが染み出してくるようで、思わず肩をすぼめる。
背中は自然と丸まり、胸を守るように腕が内側へ寄る。喉の奥がひりついた。
「ゴホッ、ゴホッ……」
今日は夜刃昌磨がオフの日だったから、気が緩んでしまったのかもしれない。
「朝ごはんを作って、仕事に行かないと」
夜刃昌磨がオフでも、今日は平日。スタントマンやアクション俳優へのボディケア、及びメンテナンスの仕事がある。
いつもは夜刃昌磨を迎えに来るマネージャーの車か、夜刃昌磨の運転でアイアン事務所へ向かっているが、今日は彼が休みだから、徒歩で行かないといけない。時刻を見て歩く時間を考えると、遅刻ギリギリだ。今の体で長距離を歩く自信はない。
「ケホッ……電車を使おう」
持ち運び用の救急袋を開く。風邪薬は入っていない。買えばいいかと思い、財布を確認したら、往復の交通費分しか入っていなかった。
「……」
薬は事務所で一つゆずってもらえるよう、望みをかけた。
指がふるえる。
夜刃昌磨はきっと、時間通りに朝食ができていなかったら怒るだろう。
出せる全力を使い、作業にあたる。
時間が経つにつれ、熱は上がり、悪化しているのを感じる。
包丁もしっかり握ることができなくなっていた。
「なにやってるんだよ?」
「へ……」
時刻はすでに夜刃昌磨が朝食を食べる時間になっていた。
「あ……、 す、すみません、すぐ作るので……」
とはいっても、冷蔵庫から野菜を出した状態から動けなくなっていた。
呼吸がハァハァと荒くなっている気がする。
「顔、真っ青じゃねぇか。バカやってんなよ。危なっかしい」
包丁を取り上げられた。
体調管理もできないなんて、社会人失格だ。謝るしかない。
「すみません」
「薬は? 飲んだのか?」
「いえ……」
「ッチ」
舌打ちされた……。
夜刃昌磨がリビングの棚の上に腕をのばし、箱を手に取った。
箱は救急箱だったようだ。風邪薬を一つ取り出す。
「薬飲んで座ってろ。飯くらい俺がやる」
「あ、すみません……」
コップに水まで。すごくありがたい。
こういう事もできる人だったんだ。
食卓用の椅子に座るように促され、彼は冷蔵庫に入っているいくつかの食糧(主に肉)を取り出し、焼き始めた。
こんがりと焼けた香ばしい匂いがした肉を、彼はなんとフライパンからじかに食べ始めた。
元チャンピオンともなると、こんなワイルドな食べ方になるんだ。
「病人ってのは何を食うんだ? 作ってやる」
「あ、僕はいいです、お腹すいてないので」
少しでも何かを口にいれようかと思ってたけど、そんなことまでやらせるわけにはいかない。
「薬飲んだら腹になんか入れないといけねーもんだろ。言え、何作るつもりだった?」
「えっと、野菜のポタージュ風を……」
「何から始めればいいか教えろ。立つな! 座ったままでも言えるだろ」
「は、はい」
すぐに腰を下し、咳をおさえつつ手順を伝えた。
「かぼちゃとにんじんと、あとじゃがいもと玉ねぎをミキサーにかけて…あ、洗わないと」
「はぁ?なんで洗うんだよ?」
「野菜は洗うものなんです……」
「本気か? 土がついてない野菜なんか、洗った事ないぞ」
すごいな。世界チャンピオンを経験すると、野菜についた農薬はまったく気にならないんだ。
でも僕は一般人だから、流水で流してほしい。
「野菜が健康でいられるよう、微量の農薬がついてるんです。軽く水で流せば、落ちますから」
「しゃーねーな」
野菜をそれぞれミキサーにかけてもらい、水とコンソメで煮詰めていく。
「ポタージュって簡単だな」
味見をした夜刃昌磨は誇らしげに言った。美味しくできたみたいだ。
「今日のはポタージュ風です。本格的な作り方は、別にあります」
「今度教えろ」
あれ? 料理にハマったのかな。
「はい、わかりました」
味噌汁用の器に、できたポタージュを注いで目の前に置いてくれた。
「冷めたら飲め」
お礼を言って、何度かフーフーと熱さと格闘していたら、スプーンを持ってきてくれた。
こんなに優しくしてもらえたの、大人になってから初めてかもしれない。
うれしい。
一口すする。
熱のせいかな、涙があふれてきた。
「こんなに美味しいスープ、初めて飲みました」
「そうかよ。それ飲んだら横になれ。事務所には休みって言っとくから」
休んでもよかったんだ。
「ありがとうございます」
笑ったつもりなのに、涙が出てしまった。
***
ep.12「五段の男と、三段の男」へ続く




