蔵空村人狼事件 第六話
「………………何を言っているんだ?」
長い沈黙の末、最初に声を絞り出したのは久宜伯父さんだった。
「神獣が初めて捕食事件を起こしたのは一週間前、丁度秋祭りが行われた頃だそうですね」
「だからなんだ? それがあの社を壊して良い理由になるか?」
「神性が活性化する儀式の前後で神獣が暴れ出したんです。それが原因だって事ぐらい猿でも理解できる」
神性とはつまり、神の影響を受けている状態を指す言葉。この土地に集めた様々な信仰をまとめ上げる蔵空神社がなくなれば、神性も消え失せる。神獣も消え失せるか、ただの獣に戻るだろう。
「それでどれだけの被害が出るか分かっているのか? この村で行われている、ありとあらゆる魔術儀式がストップするんだぞ?」
「だからなんです」
キッと壇上の伯父を睨みつける。あちらもあちらで、額に青筋を浮かべながらこちらを睨みつけていた。口振りでは冷静でも、俺の言い分にかなりのお冠のようだ。
「この村に死ねと言うのか? ここは政府直轄、国益のために秘匿管理された隠れ里だ。この村の秩序の維持が、どれだけの国民の命を救っているか、お前には分からないだろう」
「弟も守れなかった男が他の何を守るって……? 笑わせないでくれよ伯父さん」
俺は最初から気に食わなかったんだ。斗真叔父さんが死んだと言った時、アンタ表情をピクリともさせなかったよな。
「魔術儀式なんかのために人が死んで良い訳ねえだろ!」
ごちゃごちゃと、結局は魔術師としての自分たちを守りたいだけじゃねえか。
「鷹峰の人間がそれを言うか」
「あの家が嫌いで嫌いで仕方ないから言ってるんだろ」
知らない訳じゃない筈だ。来翔の受け入れに尽力してくれた薬師家の人間なら、呼びつける前から俺のスタンスは分かっていただろう。文句を言われる筋合いはない。
「とにかく、あそこの機能さえ潰せれば、毎夜毎夜人が殺されるなんて事にはならないんだ。頼むから、飲んでくれ」
周囲からの呆れの混じった視線を受け流し、俺は席に着く。
「少し落ち着いた方が良いわね」
気が付けば、椅霧花さんが俺の肩を掴んでいた。確かに、少し冷静さは欠いていたかもしれない……
「今日のアンタには言われたかねえよ」
「アンタって……はぁ、相当頭にキテるようね」
分かってる。怒りを露わにしたところで、何も良い方向には転がらない。反感を買うだけだ。それでも、言わなきゃ気が済まない時ってのがある。霧花さんは小さく溜息を吐くと、席を立って夜間警備部の全員に頭を下げて謝罪する。連れが迷惑を掛けました、そう言って。俺の提案は却下され、その後の会議はつつがなく進んだ。
◆◆◆
狭い田舎の公民館は、ホールの外を少し歩けばすぐに外が見えてくる。公民館の玄関先で立ち止まった霧花さんは、そこでようやっと掴んでいた俺の手を放して振り返る。日は沈みかけ、彼女の吐く息と俺の息が白く染まっていた。
「冷静になりなさい、あんな要求通るわけないと思わなかったの?」
「…………そうだな、あの要求を通すんだったら、感情的になるべきじゃなかった」
「馬鹿ね、そんな話はしていないわ」
呆れたようにそう言うと、彼女は俺に背を向けて歩き出した。公民館の前は早くも稲を刈り終えた耕作地で、既に藍色が滲みだしている天蓋の下を、寒々とした風が通り抜けていく。少し前まで残暑で汗だくだったというのに、もうすっかり冬の気温である。この外気が、少しだけ俺のヒートアップした頭を冷やしてくれた。
「初めに言っておくけれど、私は神殿の停止には賛成できないわ」
この薄暗がりで、俺からは彼女の表情が見えない。逆に彼女からも、俺の表情は見えない。すぐに彼女があの場ではなく場所が移ってから口を開いた意図を察した。相手の表情が見えないというのがここまでやりづらいものとは知らなかった。彼女の冷たい声音からは、感情らしい感情が伝わってこない。
「…………理由を聞いても良いかな?」
「アナタ本気で分かってないのね」
「分からないな。そうまでして魔術師の営みを守らなければならない理由が俺には分からない」
アイツ等はクズだ。力を得るためなら、誰が死んだって平気な顔で笑ってられる真正の悪だ。毎晩村人が死んでるってのに、魔術儀式がストップするからなんて理由でこの作戦に反対できる。俺はそんな奴らのために命を張る気なんてない。
「魔物や魔術による災害から人々を守るのが魔術師の使命よ、それを蔑ろにすれば何が起きるかなんて説明しなくてもアナタにだって分かる。違うかしら」
「だから、今この村で起きている災害のために身を切るべきだと言ってるんだ」
俺の主張は変わらない。確かに共同神殿を失い、今この村で行われている数々の魔術儀式がストップすれば、その復旧には莫大な費用と時間を必要とするだろう。その被害は計り知れない。だが、そこで身を切れない魔術師に使命を語る資格はない。違うか?
「アナタのそれは、一のために百を見殺しにしろというのと変わらないわ。魔術師の活動は魔術師のために行われている訳ではない、私はそう言ったつもりよ」
「そんな事は分かってるよ……」
「この村が機能を失えば、日本の抱える戦力は大きく落ちる。ここで抱えているいくつかの信仰は力を失い、戻らない神性も出てくるでしょうね」
魔術師が力を失うという事は、市民を魔物から守る盾を失うという事。確かに、隠れ里という形で国に保護されたこの村の魔術基盤が崩壊すれば、それが市民生活にどこまでの悪影響を及ぼすか分からない。この村の魔術師が、民間では対処できなかった魔物に対処するという話も聞く。魔導警察や総領会(歴史のある魔術の名家が所属する退魔連の下部組織)が穴を埋める事になるが、そうでなくとも魔物被害が絶えないのが魔物大国日本である。
「………………」
人の命を天秤にかける事そのものに、文句を言いたい気持ちはある。外の人間に負担が行くのは、仕方のない事として飲み込むべきだとも思ってる。けれど、言っても意味が無いのは俺にも分かった。押し黙る俺を置いて、霧花さんは再び歩き出す。きっと薬師家に戻ったのだろう。今夜の警備のために準備を整えなければならない。俺はそれから暫く、深まる夜を眺めてから、同じく帰路についた。
◆◆◆
隠れ里は人の出入りには厳しいが、情報のやり取りに関しては、内から外に限り軽い検閲があるだけで、基本自由である。外の人間に手紙を送ろうと思えば、それ自体に妨げとなるものはない。
蔵空村内に三か所しかないポストの一つ、少年の家からほど近い村の入り口、用水路脇の駐車場に設置された赤い円筒に手紙をねじ込む。
「いつからあるんだろう……このポスト」
それにしても古びたポストだ。と少年は首を傾げる。使うのは初めてだが、丸型というだけでなくかなりの年季を感じる。自分がこの村にやってきた時も、このポストはこうだったように記憶していた。
うだるような夏の日、兄に見送られながら走り出した車は、半日もせずにこの山奥の村へとやってきた。車内のエアコンは前ばかり涼しくって、後部座席はほんのり蒸し暑かった事をよく覚えている。ラジオの流す、陽気でゆったりとした音楽に首を揺らし、窓の外を眺めていた。
これから自分はどうなるのか、もう家族とは会えないのか、そんな不安に揺れる心の中、見えてきた村の入り口に設置されていたのがあのポストだ。少年にとっては、ちょっとした思い出のポストという訳だ。
「ん~~~~っ!」
大きく伸びをすると、踵を返して歩き出す。部活を終えて家に帰ってすぐに取り掛かったが、手紙の内容を何度も何度も読み返して吟味したため、随分と遅くなってしまった。そろそろ今話題の人狼が里の中に出没する頃合いだろうか。あまり外をうろついて、警備部に目を付けられても面白くないと肩をすくめた少年は、なんとなく…………本当になんとなく十六夜の月を見上げた。
「あれ…………なに?」
月光に照らされ影となったそれは、最初は小さな点だったが、徐々に大きくなっていく。それが、こちらに向かって飛来する人影だと理解した次の瞬間、鯉口を切る音すら置き去りに何者かが少年の背後に着地した。無数の金属音を響かせて、背後より迫っていた銀色の獣が弾き飛ばされる。息を呑む少年の前に、抉り飛ばされた怪物の指が飛んできた。一、二、三、四、合計五本。今まさに、その爪が彼の命を摘み取ろうとしていたのだと、数瞬の後に理解する。
さっきまで自分の喉元にあった爪が、今は地面で散らばっている。あと一秒……いや十分の一秒でも遅れていたら、少年は死んでいた。
蔵空村を騒がす総銀の人狼、怪物の唸り声に全身が総毛立つ。獣の目に射竦められ、少年は完全に動けなくなっている。このままでは、例え魔術師が盾になったとて、彼の命は守り切れない。
それでも、彼を守るように、魔術師は彼を守るように立っていた。機械の腕に刀を持ち、踏切の遮断機のように少年と人狼とを隔てる。月夜が眩しいと言わんばかりに、目深に被った野球帽。そのツバの影に浮かび上がる琥珀色の瞳が、ジッと少年を案じるように見つめていた。
「兄………………さん……?」
それは、少年鷹峰来翔が約十年ぶりに見る、兄鷹峰空理の姿だった。




