蔵空村人狼事件 第三話
霊媒の才能を持つ人間というのは、こと殺人事件の捜査においては無類の強さを発揮する。なんせ死んでしまった被害者の証言を聞くことができるのだから、テストでカンニングしているようなものだ。だから、鷹峰家のように有力な霊媒の家系は、捜査協力のために事件現場に足を運ぶ事が多い。そして、同じ霊媒の才能を持つ人間によって霊的な痕跡が消された現場を度々目にする事になる。
この部屋の空気は、そういう現場とほぼ同じと言って良い。十中八九、何者かによって綺麗さっぱり除霊された後だ。
「まさか、この家の人間が霊媒師を雇ったって言うの? 何のために?」
「言ったろ、知られたくない事があるからだ」
とはいえ、それ以上の事はまだ断定できない。この家の事を調べるのは、他の事件現場も見てからにするべきだろう。
「ふぅ…………今日は長旅で疲れただろうから、調査は明日からで良いかな?」
長い息と共に熱を吐き出して、脱力して座椅子の背もたれに身を預ける。確認するまでもなく霧花さんは着替えを終えて、敷き終えた布団の上に正座していたわけだが、一応確認はするべきだろう。彼女は案の定俺の言葉に頷き、一足先に布団に潜る。
さて、俺はその光景を見て、じわりと冷や汗を流す。どう見ても布団が二つ並んでいるように見える。部屋のセッティングは女中さんがしてくれた訳だから、誰のせいでもないが…………俺たちはそういう関係じゃないんだから本当に勘弁してほしい。誰が何のために、急造の寝床を作ってまで事務所の一角で寝泊まりしてると思っているんだ。
それに…………
ふと自らの頭の方に右の義腕を差し向ける。そこには、これから眠ろうと言うのに、状況に不似合いな野球帽があった。
「脱がないのね……その帽子」
俺のその気配に気付いてか、霧花さんがそう問いかけてくる。丁度良い機会というヤツか、今日はあとは寝るだけで、暇な時間だし……少し込み入った話にはなるが問題ないだろう。
「理由は教えてくれるのよね? 当然」
「あぁ、分かった。説明するから……こっちを向いてくれ霧花さん」
俺の言葉に従って寝返りを打った彼女のその目が、驚愕に見開かれる。彼女の宝石のように輝く瞳が、鏡代わりに俺の姿を映し出す。そこには、帽子をとり、その頭頂部にある異物を晒した青年が居た。緊張からか表情は硬く、それとは裏腹にその異物はヒコヒコと忙しなく動き続けていた。
「犬の……耳?」
「一応、狼らしい」
帽子を持っていない方の手でフサフサの狼耳を弄びながらそう言った。
◆◆◆
他所の家の秘伝に関わる話だから口外は無しと釘を打ってから、俺はこの耳にまつわる全てを語った。
全ての始まりは、中国の薬膳に伝わる同物同治の概念を魔術として取り入れた事だった。目が悪いなら目を、足が悪いなら足を、自分が取り入れたい機能が備わった物を食べる事で、その機能を回復、あるいは強化する。最初はそんな些細な魔術だったと言う。
そこから逸脱し、薬師家の魔術が今の形になったのは今から約百七十年前、幕末の混乱期に力を欲した当時の当主が、丁度その時手元にあった大百足の肉を食した事が転機だった。魔物を食す事で、肉体の一部を魔物と変ずれば、それは強力な武器になる。だが、その目論見は失敗した。そもそもこの魔術は、本来備わっていない力を人間に齎すものではなかったのだ。
そこから二十年、維新は為され明治の世が開かれた頃、全てが手遅れながら執念の研究はある結論に辿り着いた。
「不可逆の変化だが、成長途上の子供に定期的に魔物の肉を食わせれば、魔物の特徴を持った人間に成長させる事が可能ってな」
霧花さんの顔が、トラオを見た時と同じかそれ以上にドン引きした顔になっていた。まぁ、そうだな。だいぶイッちゃった話ではある。
「子供の成長期に使えば変化があるって事は、要するに肉体の発達に影響を与えたって事よね……? それってつまり」
「そうだ。魔術による遺伝子改造、人間と魔物のキメラ。それがこの薬師家の魔術師だ」
「ひょっとして、魔物の形質は親から子へと?」
そういう事だ。俺は無言で頷いて、自分で自分の狼耳を軽く引っ張る。
「俺は生まれた瞬間からこうだったらしい。満月の夜みたいな魔力が高まる時期になるとひょっこり生えてくるんだ」
俺が普段から帽子を被ってるのは、いつコレが生えてきても周囲から奇異の目で見られないようにってのが大きい。とにかくコレは目立ちすぎる。創作にはありふれた獣耳だが、現実にそういう特徴を持った人間は少ない。というか、俺以外に聞いたことがない。大抵の人間にとってはそうだろう。だからと言って、その由来がこうも込み入ったものだと、説明するわけにもいかない。
「ちょっと待って、でも、それはおかしいわ」
「久宜伯父さんたちが、普通の人間に見えた事か?」
確かに、俺のこの体質は薬師家の魔術由来だが、だからと言ってあの人たちと俺を同じにしちゃいけない。あの家には、この体質と付き合ってきた百五十年分の歴史とノウハウがあるのだから。
「魔術的な隠匿を施しているんだよ。俺みたいに剥き出しにしてる薬師家の人間は居ないと思って良い」
「なるほど……」
「一応言っておくけど、だからと言って、俺があの人たちに体質の隠し方を教えてもらうってのは無理だ。それも含めてあの家の秘伝魔術だからな」
まぁ、俺の体質に関する話はざっとこんなところだ。頭を隠すようになってから、この事を他人に話したのはコレが初めてだ。チラリと霧花さんの様子を窺う。思ったよりも拒絶の反応が薄くてホッとしている自分が居た。ひょっとしたらこの耳は、俺が思う以上に俺のコンプレックスになっていたのかもしれない。
さて、ここまで説明すると、当然彼女が抱くであろう疑問が一つある。
「それは分かったけれど、一つ確認して良いかしら?」
「……どうぞ」
俺の了承を得た彼女は、どこか落ち着かない様子で周囲を見回し、誰も聞いていない事を確認してから、その疑惑を口にした。
「今回の事件の犯人、薬師家の人間という線は無いのよね?」
やはりその事か。
「勿論、有り得るか有り得ないかで言えば有り得るよ」
薬師家の魔術があれば、まるで魔物に襲われたかのような凄惨な事件現場を演出する事ができるだろう。家の人間が犯人なら、俺の捜査の妨害として霊的痕跡を消し去った事の説明もつく。
「だけど、それだと説明が付かない事がある」
「この土地の神性が活発化している事ね?」
あぁそうだ。今でも目を瞑れば、瞼の裏に蘇る、あの風景。色彩の濃い、美しすぎる紅葉の山々。アレを引き起こしたのは間違いなく神に類する存在だ。
「アレが今回の事件とは別口の問題だと言うのなら、確かにこの家の人間が犯人という事も考えられる」
そう口では言いながら、俺はその線は低いと考えていた。山の麓から村役場に行くまでと、村役場を出てからこの屋敷に着くまでの間。俺は村の様子を観察していたわけだが、別口の問題が発生しているという風には、正直見えなかった。
今のところ俺は、この村で起きている異常はただ一つ、毎夜の襲撃これのみであると仮定していた。
「そこら辺がどうなのか、明日陽があるうちに村を調査してハッキリさせよう」
「別口で問題が起きているかどうか調べるのね」
彼女の確認に頷いて、布団を立つ。まぁ、なんにしたって、俺はここじゃ寝られない。どこか、他に寝床を探さないとな。
「それじゃ、お休み」
「ここで寝ていけば良いのに、何を怖がってるんだか」
「うるさいな、俺は紳士なんだよ」
それに、うっかり霧花さんに手を出して子供でもこさえてみろ、鷹峰本家の思うつぼだ。
◆◆◆
小鳥の囀りが早朝を報せる。ペットホテルに預けたトラオはそろそろ起きる頃合いだろう。アイツの鳴き声に比べれば、小鳥たちの囀りのなんと爽やかな事よ。縁側に敷いた布団を畳んで持ち上げると、俺は部屋に入る。霧花さんはまだ寝ているようだから音をたてないように気を付けながら、元の位置に敷き直す。これ以上の片づけは女中さんの仕事だ、俺が変に手を出せばそれだけ迷惑をかける事になる。
俺は上から見て、布団を動かした痕跡が分からないか確認してから、大きく頷いた。完璧だ。
霧花さんの枕元に置いてあるリングネックレスに手を伸ばし、いつもの如く結界に阻まれる。
「今日ぐらいはうっかりしてくれてても良いのにな……」
珍しく本気で霊翔環を必要としているというのに、そう都合よくはいかないという事か。まぁ、盗れないものは仕方がない。俺は自分をそう納得させて、荷物の方へ向かう。洗濯物などの生活必需品に、暇潰し用のゲーム機や本、その中から黒いハードケースを取り出して開ける。
九頭竜島の時と違って今回は仕事だ。勿論、そのために必要な得物を持ってきていない訳はない。柔らかな早朝の空が反射し、俺の顔を帯状に照らす。名もなき愛刀は数打ちの量産品だが、現代の名匠によって俺のような長身の魔術師向けに作られた刃渡り二尺五寸のミスリル刀だ。
刃を鞘にしまい、手早く着替えると、最後にいつもの帽子を被って部屋を出る。今日も今日とて、朝は日課の鍛錬である。薬師家の敷地は異様に広く、内縁を一周するだけでいつものジョギングコースと大差ない運動量になるのだから、田舎の豪邸というのは恐ろしい。
勿論、それだけのスペースがあるのだから、敷地内には当然のように運動場が用意されており。意外な事に、そこには先客が居た。
「おはようございます……」
「おお! クウ坊じゃねえか! お前もか?」
「えぇ」
クマのような大男。薬師泰富が朗らかな表情で木人をしばきまわしている。彼の身体から滲み出る湯気が、その鍛錬を開始してから随分と経っている事を示している。俺も大概早起きの自覚があるが、この人はそれよりも一時間以上早く、起きてここに来ていたのだろう。彼もまた武曽と同じ、己の武に人生を賭けているような手合いだという事だろう。
俺は軽く頭を下げ形稽古を始める。泰富叔父さんも、同じように俺から目線を外し、再び稽古を…………
「あぁそうだ」
始めなかった。声をかけられて振り向けば、叔父さんは木人に右手をかけて、仰ぐように空を見ていた。
「その腕……脚もか、クウ坊も苦労してるな」
俺の義肢の事を言っているのだろう。こうやって傷を負い、肉体の一部を失う事も、この世界では珍しい事ではない。一線級の魔術師として生きるなら、誰だって多かれ少なかれ経験する事だ。まぁ、俺の場合は事情が特殊だから、叔父さんの想像するような劇的な活躍とかは無かったんだけどな。何にせよ、感慨に耽る彼の背中は、どこか嬉しそうに見えた。
「そんなお前を見込んで頼みがあるんだ」
そう言って魔術師は振り返る。薬師泰富、豪放でいつも明るく朗らかな彼の顔を見て、その時ほど怖気が走る思いをした事はなかった。どこか粘着質な、仄暗い欲望を滲ませた笑みでこう言った。
「親父の依頼を受けたんだろ? 村で暴れてる怪物……ありゃ強いらしいな。そいつをさ、生け捕りにしちゃくんねえか」
何故? そう理由を問うまでもなく、男は続けた。
「その肉を食ってみたいんだよな…………俺さぁ」




