蔵空村人狼事件 第二話
トンビが鳴いている。空を旋回しながら、眼下の空洞を胡乱に眺めるが、たかが鳥にどうする事もできない。その場所は、日本有数の隠れ里、国益のために秘匿された特殊能力者の隔離施設、動物の眼如きにその存在を暴けるものではない。だが、トンビからその場所を観測できないのとは違い、その場所からトンビは見えていた。
「トンビだ……」
眉毛の短い少年だ。無表情に空を見上げ、校庭脇の水汲み場に呆然と佇む。
「おい鷹峰! サボってないで掃除しろよ!」
「……うん、ごめん」
十月七日の夕方、蔵空村の片隅、その存在すら世間には知られていない学校での一幕であった。
◆◆◆
長いトンネルを抜けると、そこは燃えるような紅葉の世界だった。閑散とした二車線道路に、黒塗りの高級外車を走らせる。村の公用車という話だが、無駄遣いが過ぎやしないか? なんて言いそうになるが、あの場所に視察に来るのは基本お偉いさんばかりだから、送迎用の車がこうなのも無理はないかと思い直す。それに、魔術師って人種は基本金持ちだから、こういう車に乗りがちおいうのもある。
「それにしても、ここの紅葉は相変わらず気持ち悪いくらい綺麗だな」
「ええ、こんなに美しい真紅の紅葉は初めて見たわ」
そんな俺と霧花さんの素朴な感想に、後部座席の同乗者が運転席と助手席の間から顔を出す。
「むしろ私は外の紅葉が汚くて驚いたくらい、なんでこんなに違うんだろ? やっぱり外は人が多いから?」
「人の多さは関係ない。蔵空村がそういう村ってだけだ」
「どゆこと?」
はてなを飛ばす涼子ちゃんは一旦無視し、俺は周囲に目を配る。ここは相変わらず綺麗だが、変わったところもある。いや、この言い方は少し違うか。ここは相変わらずどころか、以前にも増して綺麗なのだ。気持ち悪いくらいに。
俺はたまらず車を止めた。つづら折りになっている下り坂の真ん中あたり、丁度村が見えてくる崖の上だった。
「…………なるほど、そういう事なのね」
「なになに!? 急に怖いんだけど」
なんだか一人で納得している霧花さんと怯える涼子ちゃんを置いて車から降りる。雨の後で路肩に溜まった水に紅葉の葉が浮かんでいる。まるで、塗料をそのまま流し込んだみたいに、クッキリとした深い赤。自然が濃すぎて、逆に不自然。俺はこういう光景を一度見たことがあるはずだ。
「まるで佐奈毘と契約した時みたいだな……」
「土地自体の神性が異様に濃いのね、まるで神々の国だわ」
少し遅れて車を降りた霧花さんがそう表現する。それは間違いではない。蔵空村の役割を考えれば、ここは神々の国のようなものであると言えなくもない。だが、それにしたって程度というものがある。
「涼子ちゃん」
「はいっ」
俺たちの反応に事態の深刻さを察してか、涼子ちゃんが珍しく畏まって応じる。
「最近、村で大規模な儀式とかやったか?」
「そりゃ、秋だし……秋祭りとかするよね?」
なるほどな。
「それって、祭壇とか用意して、神様にお礼言う系のやつか?」
「そうだけど……」
「あぁ……原因はそれだ」
頭を掻きながら思案する。原因は明確だ。ある程度の知識を持った魔術師なら誰にでも分かる。という事は村の連中は原因は分かっていながら、黙っているという事になる。まぁ、どうせ後ろ暗いところがあるとかだろう。それは良い。問題は、これが神に類する存在によって引き起こされた事件であるというところだ。
要するに、俺の手には負えない。
「霧花さん」
「………………何かしら」
俺はジッと彼女の綺麗な顔を睨みつけた。これはいつものジョークじゃないんだ。腑抜けた顔はしていられない。
「いざとなったら、霊翔環を返してくれないか」
「そう、わざわざ私を連れてきた理由はそれね」
この場所は、蔵空村はそれだけ危険な場所だ。平時は良いが、この手のトラブルが起きた時には、とんでもない事になる。それこそ、鷹峰の本家との縁が切れていなければ何とかしてくれたかもしれないが、今は俺が対処するしかない。
「秋祭りの供物で神殿の神性が高まったんだろう。それに影響されて、どこぞの神が目覚めたってところだな」
「ひょっとして蔵空村ってそういうところ?」
その言葉に俺は重々しく頷いた。全国の神性を蒐集し、魔術儀式のために一括管理する。それがこの蔵空村の目的だ。神性は神性の影響を受けやすい。やり方さえ間違えなければ、人間に制御できない神を、神の力でもって制御できるのだ。だが、間違えたら大惨事、神性が暴走したら、人間の手には負えなくなる。つまりは神の出番である。
そうならそうと言ってくれって話だけどな。そこら辺のぶっちゃけを魔術師連中に期待するのは無理だ。
「頼む。弟のためだけじゃない、あの村を守るためなんだ」
霧花さんは眉間に皴を寄せて何かを考えている様子で、その手は大事そうにリングネックレスのリング……霊翔環を握りしめていた。
「これを守り切るのが私の勝利条件。例えアナタが、今すぐコレをどうこうできない身の上だったとしても、渡すわけにはいかないわ」
「…………そんなに婚約関係が大事か?」
「……そういう事になるわね」
「今回の事件が終わったら返す。そう約束しても?」
「……口約束じゃない、信用してもらえると本気で言ってないでしょう?」
確かにそうだ。俺は上がりかけた頭の血を、深呼吸で無理矢理冷やす。冷静になれば、見えてくるところがあった。霧花さんは、未だに瞬き一つせず、睨みつけるように俺を見ていた。さぞ揺るぎない信念で心を紡いでるのだろう。直感的にそう思った。だが、違う。両腕を組み、右手が二の腕を強く掴んでいる。声は震えているし、ハキハキ喋る彼女にしてはレスポンスが遅かった。悩みがある証拠だ。
チラリと涼子ちゃんの方を見る。不安そうな表情をしている彼女の前で、これ以上揉めるのも悪い。
「本当にいざという時で良い。俺や君の命がかかっている状況になったら、迷わないでくれ」
頼むと軽く頭を下げて車に戻る。中々助手席に戻らない霧花さんに早くと急かして無理矢理乗せる。空気は少し重いが、気にせず車を出す。十月七日の昼下がり、鷹峰ハンター事務所のハンター、鷹峰空理とその助手遠城霧花が日本有数の隠れ里蔵空村へと到着した。その時点で、村の住民十三名が謎の怪物によって喰い殺されていた。
◆◆◆
村長である俺の祖父薬師慶昌と村役場で面会し、被害状況や捜査資料などを受け取った俺は、久しぶりに薬師家の屋敷に招かれていた。
「ハッハッハ! ついにクウ坊も所帯持ちか! 俺も年取るはずだぜ!! ハッハッハ!」
ここの次男の泰富叔父さん四十三歳が、クマのように太い腕で俺の背中をバシバシ叩く。俺の細っこい身体は、その衝撃でガクガク揺れて、外れかけた野球帽を慌てて抑える。
「おっと、悪い! 今日は満月だったな」
「もう! ヤス兄はガサツなんだから」
そこは何か祝い事の時だけ開かれる、襖を取り外して二間を繋げた広い座敷だった。客人である俺と霧花さんの他に、三つほどの家族が集まって、小さな宴席を用意して歓迎してくれていた。テーブルの上には豪華な食事が並び、驚くことにそれらの殆どが奥様方による手製であった。これは私が作った。美味かろう、食え食え。そんなノリで次々と取り皿に盛られていく料理の山に、冷や汗が止まらない。食いきれるだろうか……
「泰富がガサツなのは確かだがな、空理君、君も君だ。こんな席でまで帽子を被ってるなんて、少し非常識なんじゃないか?」
ビールの入ったコップを少し強めに机に置いた男がそう言った。銀色の癖毛を七三分けにした線の細い神経質そうな男、この薬師家の長男、俺と同じ次期当主。薬師久宜五十歳。彼の狐のように鋭い眼差しが俺を射抜き、思わず居住まいを正した。
「すみません、非礼を詫びます。ですが、今ここで帽子を脱ぐのは……」
そこで俺は久宜伯父さんから視線を切って霧花さんを見た。それに吊られて、この場の全員が彼女に視線を移した。
「ひょっとしてクウ坊お前……まだ嫁さんにその頭の事話してないのか?」
「説明が面倒だったから、後回しにしていただけです。今は勘弁してくれませんか? それより、事件について聞きたいんですが」
苦し紛れの話題逸らしに、久宜伯父さんが「そうだな」と頷き、話題は自然と今この村で起きている事件について移っていった。だが、霧花さんが座っている方向から物凄い視線を感じる。これは、後で話をしなきゃならないヤツか。そんな事にかかずらってる暇はないんだがなと、俺は内心で溜息を吐きながら、薬師家の人々から事情を聴いていった。
◆◆◆
あの宴席、死んだ祖母や役員会などの用事で家を空けていた祖父が居なかったため、人数が集まっていないのだと最初は思っていた。長男の久宜伯父さんの家族四人、それから久宜伯父さんの長男の則秀兄さんとその奥さん。それから泰富叔父さんの家族五人、薬師兄弟の末の妹涼子ちゃん。総勢十二人、それでも数は少ない方だ。この家にはもう一世帯、共に暮らしている家族が居た筈なのだから。
三男坊の薬師斗真、その奥さんと娘一人が、今回の蔵空村人狼事件の最初の被害者だったのだ。
それから被害は相次ぎ、一週間で十三名の命が奪われた。俺が聴取できた情報は多くない。隠しているというのもあるだろうが、薬師家の人々にも分からない部分が多いのだと感じた。それだけ、村の中でも情報統制が行われているという事だ。
「あの人たち、家族が死んでまだ間もないのに、平気な顔してたわね……」
俺と霧花さんは、その斗真叔父さんの使っていた離れで寛いでいた。ここを使わせてもらえるように、あの人たち──薬師家の人々に頼み込んだのには訳がある。この事件に対する、彼らのスタンスを測るためだ。
「そりゃそうだろ」
「そんな事ない。魔術師が死ぬのは珍しい事じゃないけれど、それでも、皆が皆、その死に心を痛めない訳じゃないと思うわ」
「いや、そういう話じゃない」
俺はソファの上で足を組み、帽子のつばを掴んで深く被り直す。
「霧花さん、どうもこの家の連中は、この事件の事で知られたくない事があるらしい。なんせ、惨たらしく獣に喰い殺された筈の斗真叔父さんの霊が、現場であるこの場所に一切見当たらないんだからな」




