鏑矢高校魔術部同窓会 第十話
古い魔術の家には往々にしてあることだが、鷹峰家というのは異常な家だった。まず、あの家は基本的に肉を買わない。兵庫にある広大な私有地に厩舎を持ち、家の人間が口にする肉は全て食べる本人が屠殺したものだ。それはより多くの死を感じ取るためであり、より多くの動物の呪を体内に溜めこむためだ。そのため、屠殺の現場は凄惨を極める。現代のそれと比べてあまりに……苦痛を伴うものだからだ。
そのため、幼い子供などは菜食に走る事があるが、そうすると体力が付かず、鍛錬で痛めつけられるため次第に肉食を受け入れるようになっていく。
それから、異様に子供の数が多い。コレは魔術の大家あるあるだが、要するに様々な役割を持った分家があるという事だ。その分家の子供が無事に大人になる確率は、凡そ三割から五割と言われている。本家のクソジジイが平然とした顔でそんな事を言っていたのを覚えている。理由として、霊媒の血というのは儀式の生贄に非常に便利だというのがある。鷹峰家が扱う化生の者共にとって、霊媒の才能を持つ魂はそれだけ質の良い栄養になる。だから、契約の代価として差し出される事が非常に多い。
動物霊にとっての力の源が、鷹峰の人間がその身に溜めこんだ動物の呪であるように、自然霊にとっての力の源は鷹峰家が用意した生贄なのだ。
それから、鷹峰家の次期当主が、正式な継承者として認められるために必要な、霊翔環を使った神との契約の儀式。これには、継承者の身代わりとして、継承者と血を分けた兄弟、それも神が好む幼子を生贄とする必要がある。元々は神と契約する巫女と、家を取りまとめる当主は別の役割だった訳だが、佐奈毘という神が信仰を失った事を理由に、巫女が神を繋ぎとめるだけの力を失ったのが、この歪な儀式の始まりだった。
巫女は死ななければ神を繋ぎ止められない。儀式の後、宙ぶらりんになった神との契約を継続するのが、当主の役割になる。
十年前、十七歳だった俺は、弟を助けるためだけに、この儀式をぶち壊した。霊翔環をタイムカプセルに入れ、全てを有耶無耶にした。今の俺に、俺の代わりに死んでくれる生贄は居ない。居たとしても、その手は使わない。だから…………
◆◆◆
「生贄は居ない。十年前に、俺が逃がした」
キッと相手を睨む事でしか、心を強く保つ事はできなかった。今にも泣いて許しを請いたくなる。誰だってこの異形を前に死を意識せずにはいられないだろう。俺は決して心が強い方の魔術師ではないのだ。死ぬのは怖い、死にたくない。
それに、今は死ぬことはできない。俺以外にコイツと契約できる魔術師はこの島に居ないし、俺以外に機械の鳥を飛ばせる魔術師も居ないのだ。だから、誰も殺さず、俺が契約し、俺が飛ばす。これが、この儀式に最低限の成功ラインだ。
「お前に食わしてやれるものはない、それでも手を貸してくれるか?」
『フム…………そうさなぁ』
怪物は……いや、神はそう言って、大きく開いた翼で風を起こす。帽子が飛ばないようにツバを掴んでいるが、どうにもこの神とやらは周りに対する配慮というのが無いらしい。徐々に空間が捻じれていっているのが分かる。自然霊にとって、姿を象る今の状態はあまりに不自然で、バランスが悪いのだろう。ただその場所に居るというだけで、景色が歪むほどの質量を持っているのだ。
『別の対価を支払うつもりがあるなら、聞くだけなら聞いてやろうかのぉ』
思わず、安堵の息を漏らす。交渉のテーブルには付いてもらった。まぁ、舐めた交渉をしたら一発でミンチにされそうで、まったく安心して良い状況ではないのだが…………それはそれとして状況が進むというのは良い事だ。ノーアウトのピンチとワンナウトのピンチには天と地ほどの差がある。今の状況はそれだ。
「今ここで俺がお前に支払える対価なんて、俺の命ぐらいだ」
『そうか、ならまぁ食ってやるのもやぶさかではないが……』
「今ここではと言った」
危ねぇ、うっかり食い殺されるところだった。
「担保は俺の命で構わない、だから」
『後払いか、それはそれだけ条件が厳しくなることを承知で言っているのだろう?』
「あぁ、俺はお前の望むだけの数の魔物をこの手で殺し、お前に捧げると誓おう……それなら足りないという事はないだろ」
実質、名前だけ書いた小切手だ。人間ではなく魔物の魂にはなってしまうが、契約の対価としてコレ以上の物はない。それに、俺の命は担保としては十分な筈である。風が強くなり始めている。俺の力で繫いだ象が、解け始めているのだ。結論を急がねばならない。今この瞬間が、この神と俺が最も近い瞬間、これから俺はどんどんと神から遠ざかり、二度と儀式に挑む事はできなくなる。そう何度も召喚に応じてくれるほど寛容な存在でないことは見れば分かる。
「それでどうだ!!」
精一杯張り上げた声に、怪物はゆるりと笑った。いや、嘲笑ったという方が近いか。
『いくら食えるかも分からん魂のために、今食える魂を数十年我慢しろと言うのか! 戯けた小僧だ』
「…………」
この鳥擬き、意外と頭が良いな。確かに、この契約の穴はそこだ。つまり、俺が魔物討伐なんて全くやらずにサボり続けても、俺は俺自身の寿命が来るまでは生きながらえてしまうのだ。なんせ、魔物の数に上限を設けていないように、この契約には定められた期限というものがないのだから。死後の魂の安寧をふいにするという、そんな有って無いようなデメリットで神の力が使い放題! なんて、ガキの頃から考えていた事がしっかり見透かされている。
「もちろん、お前が俺を信用できないというのであれば、条件の追加を考えよう」
『面白い。聞かせてみせろ無礼者』
「期間ごとにノルマを設ける」
俺は、期間として十年を提示した。十年後の今日までに、佐奈毘の要求する魂の十分の一を用意する。
「達成できない場合は、担保はお前のものだ。好きにすると良い」
『なるほど、面白い事を考える……』
手応えあり……上手くいったか? ────そう安堵しかけた時、一陣の風が俺を浚い、数m吹き飛ばしたのちに地面に叩きつけた。
「…………あ?」
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。だが、いつまでも寝転がっている訳にはいかない、早く起き上がらねば、そう身を起こして、俺は初めて気が付いた。
「あ……あし……」
太ももの付け根からだ。左脚が無くなっている。
『寿命が尽きるまでと最初に無理を言い、次の十年を納得させる……小賢しいのう人間』
「アアアアアアアアアアアア!!?」
『うるさいわ! 脚の一本や二本我慢できんのか』
ワシより二本も多いくせに小さい小さい、なんて平気で宣うバケモノが、そこに居た。コイツ、人間の腕のこと前脚だと思ってるのか、いや、そんな事を考えてる場合じゃない。早く、早く脚を取り戻さないと、くっつかなくなる。
混乱する俺の視界の中に、眼前まで顔を寄せる怪物の姿があった。それは顔というにはゴチャゴチャとしすぎて、まるで生命の渦のようだったが、その前に突き出た嘴が嘴である事は十二分に理解できた。それに咥えられているのが、俺の左脚である事も…………
大きな音を立て、怪物は足を貪った。バキバキと、骨が折れる音が、否応なくその脚が手遅れである事を思い知らせてくる。
『貴様の脚は預かった。なに、もう二、三本あれば十分よ。面白い戯言も聞けたからな』
そう言って、怪物は抵抗もままならない俺の手足を、左腕を残し、全て啄み、食ってしまった。
『手足が無くば不便であろう? 取り戻したくば励む事じゃ……なに、多くは望まぬ。王たる魂を七つだけ用意せい』
さすれば、前よりも上等な脚を授けてやろう。そう言って佐奈毘は虚空に消えた。契約の成立を喜ぶだけの元気は俺には無かった。世界は光に包まれ、全てが渦を巻きながら球状に纏まっていく。俺に残された唯一の四肢、左腕の先にくっついた握りこぶし、いっそ哀れなほど固く握りしめられたそれに光は集まっていく。
光のテクスチャが剝がされた世界は、前後左右上下、全てが蒼穹に包まれている。佐奈毘が現れた時点で、既にあの空間は尋常ならざる異界と化していたのだ。あの鮮やかな世界、そのテクスチャ全てが佐奈毘の一部であったという事だろう。
渦を巻いた世界、いや佐奈毘は徐々に小さくなっていき、俺の左手に付けてある霊翔環に収まった。これで俺は、奴の力、その一端を振るう権利を得た。ぼんやりと左手の霊翔環を眺めながら、その力の波動を感じていた。きっと、今だから感じ取れるものだろうが、心強いと思ってしまう自分が居た。
「まるで羽が生えたみたいに体が軽い……」
そんなアホみたいなジョークが、気絶する前の最後の言葉だった。
◆◆◆
幼いころの私は、絶対に入るなと言われた村の奥山に分け入っては、村の子友達と遊んで暮らす困った悪ガキだった。
「ハァ……ハァ……あっ!?」
足が滑り、崖から転げ落ちる。一、二メートルの高さから落ちただけで、私の体はすっかり動かなくなっていた。気が付けば日は沈みかけ、鬱蒼とした森の中は一足早く闇に包まれようとしていた。息も絶え絶えに走る私、小学生にしては頑張った方だ。とはいえ、もうすぐ死ぬという私に、そんな慰めの言葉はなく、あるのは荒い獣の息遣いだけだった。
崖の上からこちらを覗き込む、猿のような魔物。狒々と呼ばれる日本古来の魔物だ。三mを超える巨体、女性を攫うと言われる山の悪漢。大した魔物ではない。しかし、子どもにどうにかできる存在でもなかった。まぁ、当時の私には、見知らぬ怪物以上の事は分からなかったんだけど……
一緒に山に入った仲間は無事に逃げ延びただろうか? 自らが囮となり、何とか逃がした彼等の事を想う。こうして自分は死ぬことになったが、それは魔術師として正しい在り方だ。どれだけ悪童としての名を轟かせようと、私にとって自らが術家の娘である事だけは汚してはならない誇りだった。
まぁ、そもそも大人の言いつけを破って山に入ったりしなければ、こうなる事もなかったのだから……威張るほどの事でもない。とはいえ、これで終わりなのだ。心の中でくらい恰好付けたかったのだ。ニタリと笑う猿の怪物に、私はニカッと笑って見せた。
今にして思えば、それは完全な強がりだった。挫けそうな心を、なんとか誤魔化し誤魔化しやっていたという事なんだと思う。たかだか十歳いくかそこらの子供が、魔術師の家に生まれたというだけで死を覚悟できるなんて事はない。
涙が溢れる。全身が震える。死にたくない、死にたくない、死にたくない。こぼれそうになる弱音を、下唇を噛んで堪える。それでも、私は祈った。祈らずには居られなかった。神様じゃなくていい、誰でもいい、私を…………
「助けて」
そんな、震える喉から絞り出した言葉に応えて、という訳では無いと思う。それでもその瞬間、私は大きく目を瞠り、その光景に歓喜した。崖の上から私へ向けて伸びていた狒々のヒョロ長い右手が、途中でちょん切られて落ちてきた。その刹那、大きく躍動する褐色の筋肉。三面六臂の人ではない何かが躍り出る。六本の刀が、風鳴りを上げて交差した瞬間には、狒々の姿はもう形を保っていなかった。
ボロボロになった粗挽き肉が雨のように降り注ぐ中、怪物は私を守るように仁王立ちをし続けていた。
ヒリつく空気、邪悪な気配。間違いなくそれは魔物だったが、私にはそれが私を守ってくれたようにしか思えなかった。ありがとうと礼を言う私を置いて、彼は去っていった。彼の持つ刀は、狒々の血を吸うまでもなく真っ赤で、まるで紅蓮の炎のようだった。それが、後に私の手に渡り、六刀・封禍緋簾と名付けられる妖刀だった。
◆◆◆
九頭竜島サバイバル生活六日目 後半。
別荘の一室、六本の刀を前に座禅を組む女の姿があった。というか、私だ。十六年前、私が十歳だった頃、私はこの刀を持つ魔物に助けられた。当然だけど、魔物は素性を明かすことはなく、その正体は今をもって謎だった。それでも、この刀は私にとっては恩人の遺品であり、目標だ。
死の淵にあった私を救い上げてくれた、例えそれが人類に仇なすとされる存在であったとしても、私はその姿に憧れたんだから。
「フゥ…………」
これはまだ、私が振るうには過ぎた刀だ、そう言ってタイムカプセルに封じたのが十年前……この十年、私はこの刀に相応しい剣士となる事だけを考えて、修練を重ねてきた。それを手放せと先輩たちは言ってきた。はいそうですかと受け入れられる筈がない。それは、分かりやすく例えるなら、小学校低学年の頃から甲子園を夢見て努力してきた球児に、甲子園出場を目前に棄権しろと言うようなものだ。
分かっている。それが人の命にかえられるものではないと。けれど、考えれば考えるほど、口惜しさは募るばかり。あの頃は仲間を逃がすために命を投げ出す覚悟もあったというのに……
あーあ、私って嫌な大人になっちゃったなぁ……なんて、誰に愚痴れるでもなし、私は溜息を一つ吐いて立ち上がる。そろそろ昼の時間だ。封禍緋簾はケースにしまい、部屋の戸締りをしてから、ケースを持ってリビングへ向かう。別荘の廊下は静まり返っており、逆に心が落ち着かない。階段に向かう途中、開け放たれたバルコニーの入り口が見える。そこから先にある、白い柵の上に何かが居た。ガラスのような材質の猛禽、それが実体化した鷹の霊だと、私は知っている。
「鷹峰先輩の使い魔?」
それも、普段使う生きた使い魔でなく、録音した言葉を送れる魔術で作った緊急用の使い魔だ。私は少しだけ早足でバルコニーに出る。
『──────────』
その使い魔が語った事を、私はすぐに皆に伝え、単身山頂へと向かった。
◆◆◆
ここ数日の栄養不足で体力を失った今でも、この程度の山なら問題なく登れる。標高は約四〇〇m、難所もなく登山としてはイージーを通り越して、キツめのハイキングの域……
景色を楽しむ余裕もあるにはあったけど、そんな事をしている場合じゃないことは私にも分かった。それを証明するかのように、山頂には惨状が広がっていた。
爽やかな野の風に、鼻をつまみたくなるような鉄の香り。青空から全ての赤を奪い去ったような血の池が、目の痛くなるような赤を撒き散らす。
「誰か……居るのか? その足音、武曽か?」
「そのナリで元気な声出すの……? キモ……」
男は手足を失っていた。残っているのは左腕のみ、拙い回復魔術で止血するまで、随分血を失ったらしい。それで平然としているのだから、気持ち悪いと思うのは当然だと思う。
それにしても…………
「鷹峰先輩……何がそこまで……」
何があなたにそこまでさせたんですか? そう、口をついて出かけた言葉に眉をひそめた。六本ある刀から、一本差し出すだけで悩んでいた私が馬鹿らしくなる。四本ある手足のうちの三本、それはたかが海を渡るだけにしては過ぎた代償だ。人の命がかかったというだけで、覚悟が決まり過ぎているとは思わないのか? 何にせよ……意外な話だった。彼はもっと、薄情な人間だと思っていたから。
「…………まぁ、ここまでするつもりは俺もね」
「じゃあ失敗してこんな事に……」
一本しかない腕を掴んで肩に背負う。冗談のように軽い身体に、眉間に皺が寄る。この喪失感には覚えがある。影島先輩を背負って帰ったあの日、あの時の先輩も随分と軽かったことを思い出してしまった。
鷹峰先輩は、私の失敗という言葉に何か言いたそうにしていたが、堪えて帰りの道を教えてくれた。その通りに歩くこと数分、見えてきた車の助手席に先輩を乗せてシートベルトを締める。
「安心しろ、これでも飛んで飛べないことはない」
シートベルトに背を預け、目を閉じてグッタリしながら、鷹峰先輩はそう言った。私は、それには何も言わずにドアを閉めて、運転席へ向かった。なんて言えば良いのか、どれだけ考えても分かりそうになかったからだ。まだ失敗じゃない、これくらいなんでもない。彼が言っていることは、そういう事だ。
おかしな話だと思った。
鷹峰空理は落伍者だ。次期当主という立場を捨て、市井の魔術師に交じってフリーのハンターなどしている。それは、彼が負うべき責任から逃げ出したことを意味する。隔意はない。影島先輩も、彼の生き方に感化されて家を出た。そのおかげで救われる人間が居ることも、私のように生きる魔術師ばかりでない事も理解している。それでもやっぱり、そんな自分勝手な人間が、いざという時に命を懸けて市民を守ることができるのか? 疑問に思わずにはいられなかった。
エンジンがかかるのと同時に、容赦のない冷風がレジスターから吹き付ける。頭に上った血も、スッと引いていく。三年前の影島幸馬、そして今助手席でグッタリしている鷹峰空理、その姿を見て、そんな疑問を抱く方がおかしいんだ。
「どうした? 出ないのか?」
車を出さない私に、鷹峰先輩が胡乱げな声を出す。私はハンドルに額を預け、唇を噛んだ。今は、車を出せるほど冷静でいられない。むしろ、疑われるべきは私だ。遠城霧花を助けるために刀一本すら差し出せない私が、誇りある魔術師の姿だと言えるのか? いざというとき、命を懸けて市民を守る、盾となれると…………言えるのだろうか?
「鷹峰先輩」
「なんだ?」
「…………私の刀をあなたに預けます。だから、絶対に成功させてください」
シフトをPからDへ、走り出す車の中で、私はそう言った。




