表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

第8話 ★夜の涙、幼き誓い★(覚悟)



翌朝。


眠ったはずなのに、まぶたを開けた瞬間、胸の奥がじわりと熱く染まった。

昨夜の台詞が――脳内で勝手に再生される。


『お前は……オレの“奴隷”だ』

『“いらない子”なんて、二度と言うな』


(……っっっああああああああ!?)


布団の中で悶絶する。

十歳のくせに、完全に背伸びしたあの台詞。

勢いしかなかったのに、それっぽくキメた自分が信じられない。


頬が熱い。耳まで熱い。


そして追い打ちのように、母の声が蘇る。


『ジェイド?アイリスを泣かせたら、承知しないわよ?』


(昨日の母さんのあの目……絶対気づいてたよな!?)


盛大すぎるフラグ回収だった。

思い返すほど、羞恥と後悔と謎の達成感が全部一緒になって胸をかき乱す。


(……アイツ、どんな顔してオレのこと見てくるんだよ……)


恐る恐る隣の簡易ベッドへ視線を向ける。

――誰もいない。


(……あれ?)


布団は綺麗に畳まれていて、完全に冷えていた。

早朝のうちに部屋を出たらしい。


下の階から、

トントン……と控えめな包丁の音が聞こえる。


アイリスの声はない。

それでも、動きの音だけが静かに家を満たす。


(……昨日のこと、やっぱ気にしてるよな)


泣かせて、抱きしめて、勢いで色々言って――

結局ちゃんと話せなかった。


胸がズキッと痛む。


髪を手で整え、深呼吸する。


(行くしかねぇ……けど、どう顔合わせりゃ……)


そのとき。


“ギィ……”

玄関の扉が開く音。


(……父さんだ)


羞恥の余熱とは違う、もっと落ち着いた重さが胸に沈んだ。




階段を降りると、空気が違った。


台所には朝食の香りが漂っているのに、

“温度”がない。


アイリスは丁寧すぎるほど丁寧に皿を並べていて、

昨夜泣いたとは思えないほど無表情を保っている。


母は微笑もうとしたが――

父が入ってきた瞬間、その表情がわずかに固まった。


煤で汚れた作業服。

油と魔力の匂い。

静かだが重い足音。


「……おはよう」


その低い声だけで空気が震えた。


アイリスは皿を持ったまま小さく肩を跳ねさせる。


「……お、おはようございます……」


昨夜の涙の名残が声の端に滲む。


父は短くうなずき席についた。


「無理せず食え。……座りなさい」


促され、アイリスはおずおずと椅子に座る。

姿勢が硬い。息の仕方もぎこちない。


父がスープをひと口すすると、

張りつめた空気がほんのわずかに緩んだ――が、会話は生まれなかった。


パンの焼けた香りも、温かい湯気も、

この朝だけは“緊張を覆う幕”になっていた。


やがて。


“ぎぃ……”


父がフォークを置いた音だけが、やけに大きく響く。


父はゆっくりと立ち上がり、ジェイドをまっすぐ見つめた。


怒りではない。

苛立ちでもない。


ただ――

「確かめに来る者の目」


「……ジェイド」


喉が乾く。


「飯を食ったら……オレの部屋に来い。話がある」


アイリスの指が皿をぎゅっと握りしめる。

母も動きを止めた。

誰も口を開かない。


(……来た。やっぱり来たか)


父の部屋に呼ばれる――

それは子どもの逃げ道のない“覚悟の時間”だった。




父の部屋の扉の前。

ジェイドは拳を握り、呼吸を整えた。


“コン、コン”


「……入れ」


低く、逃げ場を作らない声。


部屋の中は質素で整然としていた。

工具、魔導具の部品、壁に掛けられた外套。

父の仕事そのものが部屋を作っている。


机に座った父は、袖をまくり、傷だらけの腕を露わにする。


「……座れ」


ジェイドは指示に従い椅子に座る。


静寂。

その静寂が、説教より何倍も重い。


やがて父が口を開いた。


「昨日のことは、聞いた」


ジェイドの心臓がひりつく。


「審問庁の役人から連絡があった。

 お前があの子を庇ったことも、保護したことも。

 士官学校の手続きについてもな」


淡々としているのに、一言一言が重い。


父は視線をそらさず、核心を突く。


「――それで、あの子をどうするつもりだ」


逃げ道は一切ない。


ジェイドは息を整えた。


「……アイリスを放っとくなんて、できない。

 施設に預けられるなんて……あいつ、絶対嫌がる。

 そんなの……残酷だよ」


父の表情は揺れない。


「ジェイド」


静かだが、胸に刺さる声。


「お前は、感情で抱え込みすぎている。

 その先にあるのは、無責任という名の悲劇だ」


ジェイドは言い返せない。


父は続ける。


「“保有する”というのはな……

 あの子の行く末を、お前が引き受けるということだ」


言葉が胸にどさりと落ちる。


「お前は十歳だ。

 今日の飯も、寝床も、全部オレたちが支えている。

 そんなお前が、どうやって一つの命を背負う?」


現実の重み。

その通りだと分かる。


だが――


(ここで下を向いたら、あいつは……また“いらない子”に戻っちまう)


ジェイドは顔を上げる。


「……それでも。

 アイリスを泣かせたまま放り出すほうが……もっと無責任だ」


父の目がわずかに揺れた。


沈黙が落ちる。


そして、父は静かに告げた。


「勢いで動く男はな……

 守ったつもりでも、いちばん大事なものを壊す」


それは父自身の人生から出た言葉だった。


やがて結論が下される。


「……それでも守りたいと言うなら」


「最後までやれ。

 途中で投げ出すくらいなら……“守る”なんて言葉、二度と言うな」


ジェイドは拳を握りしめた。


「……絶対に投げ出さない。

 オレは……やりきる」


父は深く息を吐き、

その影が少しだけ柔らかくなった。


それが――父なりの承認だった。




部屋を出た瞬間、肩から力が抜けた。

胸はまだ重い。

父の言葉の重さは、すぐには飲み込めない。


(……でも、逃げないって決めたんだ)


階段を降りると、台所から水音がした。


アイリスが食器を洗っている。

背筋は伸びているのに、肩の力が抜けない。

父の気配がまだ影を落としていた。


ジェイドの足音に気づき――

アイリスはびくりと肩を震わせた。


「……おかえりなさい、ジェイド様」


声の奥に、不安がまだ残っていた。


ジェイドは視線をそらし、少し照れながら口を開く。


「……アイリス。

 あんまり抱え込むなよ」


アイリスが目を瞬かせる。


「……え……」


ジェイドは、ぎこちなく続けた。


「上手く言えねぇけどさ。

 アイリスが一人で泣いてるの……もう見たくねぇ。

 オレが……なんとかする。

 だから、無理すんなよ」


アイリスは胸の前で手をぎゅっと握りしめ、

震えを落ち着けるように息を吸った。


「……はい。

 本当に……ありがとうございます」


その声は震えていない。

彼女が“安心しようとしている声”だった。


ジェイドは玄関へ向かい、扉を開けた。


朝の風が冷たくて、頭が冴える。


遠くにそびえる審問庁の塔が影を落としていて、

それが“遠い未来”の象徴のように見えた。


(父さんの言葉……全部背負っていくしかねぇよな)


頼りない拳を握る。

それでも――この拳は前に進む。


ジェイドは息を吸い込み、

朝の光の中へ踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ