第3話 ★名を呼ぶ約束★(誓約)
審問庁の中庭。
塔の影が芝に落ち、朝の風が静かに葉を揺らしていた。
石のベンチに並ぶジェイドとアイリス。その前で、ユミナが記録端末を閉じる。
「さてと……」
小さく息を吐き、まっすぐ二人を見る。
「アイリスさんと……ジェイドくん、これから少し込み入った話と手続きを行うわ。応接室まで来てくれるかしら」
その声には、官僚らしい静けさと――わずかな圧があった。
(なんだよ、この空気……助けただけなのに、まるで“悪いことした側”じゃん……)
「なお、ここから先の発言は正式記録として残るわ。いい? 正直に話してね」
アイリスは歩きながら袖をぎゅっと握りしめた。
声を出す勇気はなく、ただ不安がその指先に集まっていた。
廊下はひどく静かで、足音だけが石壁に淡く反響した。
応接室に入ると、厚いカーテンが朝光を遮り、壁のランプが淡く灯っている。
部屋全体が灰色の静けさに包まれていた。
ユミナは椅子に腰を下ろし、研ぎ澄まされた声で告げる。
穏やかなのに、触れれば切れそうな冷たさを含んでいた。
ジェイドは反射的に睨んだ。
強がり半分、怖さ半分。
(逃げ出す隙……どこかに……)
「……あら、怖い顔」
かすかに微笑む。
「そんなに警戒しないで頂戴。悪いようにはしないから」
彼女は机に資料を並べる。紙の擦れる音が、妙に大きく響いた。
「……改めて説明するわ」
ひときわ低い声音。
「今回の件であなた方は、審問庁の監察下に置かれる。ただし正式な拘束ではなく、“特例的な保護”として扱われるわ」
ジェイドは眉を寄せた。
「……便利な言葉ですね。その“保護”って。なんでも許されるように聞こえる」
ユミナの表情がわずかに揺れた。
けれどすぐ、記録官の顔に戻る。
「私は記録官です。情に流されることはできないわ。君の行動は記録される。記録された者は監察対象になる。それが、この国の**制度**よ」
(塔のてっぺんから眺めた“正しさ”を押しつけて、何が制度だ)
ユミナは視線をアイリスへ移す。ランプの光が、彼女の銀髪を柔らかく照らした。
静かに、しかし観察者の目で。
「次は――アイリスさん、”記録官”として色々お聞きします。
あなたと――あなたの元主人、カール=ベレヒトについて」
「元……?」 ジェイドが思わず問い返す。
「ええ、元主人です。今回の一件で、彼はこの国で奴隷を所有する権利を剥奪されました。虐待および違法売買未遂――メリトクラシア民法第328条違反です。よって、アイリスさんは現在“無所属奴隷”として、審問庁の一時管轄下にあります」
ジェイドが眉をひそめる。
「……無所属って、どういう意味ですか」
(解放されたわけじゃない。ただ“持ち主”が変わっただけだ……)
ユミナはわずかに視線を伏せ、淡々と言葉を続けた。
「本来なら、国家が一時保護し、審問庁が再売却または解放を審査します。手続きが終わるまでは、どの貴族も所有を名乗れません。……ですが――」
端末を閉じ、小さく息を吐く。
「今回のケースは例外扱い。庁内でも協議中です」
わずかな間のあと、ユミナは別の書類を取り出した。
「ちなみに、カール=ベレヒトには永久的な奴隷所有権の剥奪処分が下されています。加えて、貴族階級から準貴族への降格、罰金三百万リウム、そして一年間の公民権停止です」
アイリスが小さく息を呑む。
「……そんな……」
「ええ。本来なら奴隷階級への降格も想定されましたが、彼は貴族出身。つまり、最低限の“地位”は守られたということです……いかにも、この国らしいわ」
(三百万リウムと降格……それで、人を道具みたいに扱った罪は消えるのか?)
ジェイドの胸に、ゆっくりと何かが沈んでいく。
アイリスは俯いたまま、震える指先をぎゅっと握りしめていた。
ユミナは二人を見つめ、記録用紙に数行を記す。その動きは静かで、決して感情を見せない。
そして、ペンを置いた。
「では――あなたと、あなたの元主人、カール=ベレヒトについて。順番に聞かせてもらえるかしら」
アイリスの肩が小さく震える。
だが次の瞬間、ジェイドの声がその沈黙を破った。
「……アイリスの祖国はどこ? アルトゥナ?」
アイリスは驚いたように顔を上げる。瞳が揺れ、頬が紅潮する。
「……っ、はい。アルトゥナです」
その声は震えながらも、さっきより強かった。
ユミナはその応答を静かに聞き、記録用紙へ一行を走らせた。
紙を滑るペン先の音が、静まり返った部屋に淡く響いた。
ユミナは机の端に置かれていた別の書類を取り上げた。
厚手の羊皮紙には魔力封印の紋章が刻まれ、赤い封蝋が淡く光を反射している。
(ただの書類じゃない……儀式か、重要な契約か……)
「……さて。ここからは、あなたたちの“処遇”について説明するわ」
ジェイドとアイリスは自然と姿勢を正した。
部屋の空気が、ひときわ張りつめたものに変わる。
「結論から言うわ。今回、あなたたちには《特例的な保護》が適用される。ただし通常の保護とは違う。審問庁と学院が直接監督する、試験的な措置よ」
ジェイドは困惑したように眉を下げる。
「……試験的って、オレたちが“試されてる”ってことですか」
ユミナは視線だけで彼を見る。
「ええ。正確には――あなたがね」
羊皮紙を机に広げ、指先で軽く叩く。
「これは《審問庁管轄下 一時保護契約書》。庁が庇護対象を指定し、保護監督の責任者を定める書類よ」
ジェイドは硬く息をのんだ。
「……責任者って……オレが保護者になるわけじゃないですよね」
「ならないわ。あなたは**《共同生活者》**として登録されるだけ。正式な保護監督機関は学院。そして――」
ユミナはさらりとペンを走らせた。
「私は審問官として、その契約の保証人になる」
羊皮紙を滑るペン先の音が、静寂の中でやけに大きく響く。
封蝋の横に“ユミナ・ヴェルナー”の名が刻まれた。
「つまり……オレが何かやらかしたら、ユミナさんにも迷惑ってことですか」
(この人……オレみたいなガキに、自分の名前を背負わせるつもりなのか?)
「そういうことよ。だから――」
ユミナはわずかに目を細めた。
その表情は冷たさを保っているのに、どこか温度があった。
「裏切らないでね、ジェイド・レオンハルト」
胸の奥がびくりと鳴る。
重さとも、誇りともつかない感情がゆっくりと広がっていった。
アイリスが袖をそっとつまむ。
「ジェイド様……」
(様なんていらない……オレは、試験帰りのただのガキだ)
ジェイドは深く息を吸い、ユミナを見返した。
「……はい。オレ、やります。責任……ちゃんと背負います」
ユミナはほんのわずかに口元を緩めた。
「いい返事ね」
ランプの光が、三人の影をひとつに重ねていた。
「……わたし、ジェイド様と……いえ、ジェイド様のそばにいたいです」
アイリスは指先をぎゅっと握りしめ、頬を赤く染めながら言った。
震えているのに、不思議と折れない芯のある声だった。
(なんでだよ……昨日会ったばかりだし、オレなんか奴隷一人守れないただのガキなのに)
ジェイドは戸惑いを隠せず目を瞬かせる。
「いや、その……アイリスって、オレより年上だよね?
オレ、まだ十歳だけど……それで、本当にいいの?」
アイリスは驚いたように瞬きをして、ふっと微笑んだ。
「……はい。わたし、十六です。読み書きもほとんどできませんし、迷惑をかけちゃうかもしれない……でも、それでも、わたしを助けてくれたのはジェイド様だけでした。だから……おそばにいたいんです」
そう言って、そっとジェイドの手に触れた。
細い指がかすかに震えながらも、確かに――頼ろうとしている力 がそこにはあった。
(……この手は、オレを選んだんだ。
塔の下の世界で、初めて……誰かに選ばれた)
ユミナが静かに微笑む。
「ふふ……庁としては異例中の異例だけれど、まあ、あなたたちらしい選択ね」
——十歳の少年と、十六歳の少女。
本来なら、保護対象同士が同居など許されない。
だが今回は《一時保護契約》のもと、審問庁の厳格な監督下にあるため、特例として認められている。
ユミナは小さく息を吐き、二人を見つめた。
(……制度に縛られながら、それでも自分で選ぼうとする子どもたち。
ならせめて、その選んだ場所が少しでも安全でありますように)
ランプの淡い光が、アイリスの白銀の髪を照らした。
その光に揺れる瞳は、小さな灯のようにあたたかく、
まっすぐジェイドだけを見つめていた。




