第8話 まさしくそれは天啓だった
アリアーテの都市、至高の紋章のギルドマスター、グラハムは歪んだ笑みを浮かべた。
この数ヶ月、徐々に育成中の新人を抹殺しながら、つい先日は低等級ながらもパーティを一つ半壊させてやった。
依頼達成の妨害も、これまでに流した様々な工作がじわじわと効いてきている。まだ決定的な痛手にはならずとも、この積み重ねがいずれ探究者の灯の首を絞めることになるだろう。
「忌々しいあの男、イエバ・クローウンめ。いつか、あの飄々とした顔の皮を剥がして、生きたまま頭蓋をナイフで切り開いてやる」
グラハムは、執務室に飾られた地図へとダーツの矢を投げた。
探究者の灯が占める領域に、深く深く突き刺さる。古臭い伝統あるギルドとして、地域に根強い連中は、まさに目の上のたん瘤、喉元に刺さった小枝だ。
「そうだ、これまで何度、あの男に辛酸を舐めさせられたことか! 資金力に劣る癖に、こちらの情報網をことごとく掻い潜り、いつの間にか都市の『知』の中心を掌握している。本当に忌々しい奴だ!」
グラハムは血のような色のワインを煽りながら、不満を募らせる。
そもそも、イエバはどこぞの貴族の三男という話だが、クローウンなどという家名は聞いたこともなかった。
風貌も他国から流れて来たどこかの辺境民族に違いなく、たまたま流れ者の先祖が武勲を立てて、たいしたことのない領地を頂いたに過ぎないのだろう。
そんな出所の知れない食わせ者が、格式ある至高の紋章の前に立ちはだかることが、グラハムには何よりも許せなかった。
「我が至高の紋章こそがこの都市を掌握するにふさわしいギルドだ。そうあるべきだ」
グラハムは、窓の外に広がるアリアーテの街並みを見下ろした。
貴族権力と繋がりが深く、強大な資金力を持つ至高の紋章は、今まさに次から次へとギルド支部を増やしている真っただ中。
この勢いを止められるものなど、存在しないはずだった。
「ふん……愚かな男め。情報とは、私のような優れた者が使いこなしてこそ価値があるということを、あの身の程知らずの愚か者に教えてやる」
グラハムは、机の上の書類の山から、一枚の地図を取り出した。
それは、数日前に彼の元へ届けられた、探究者の灯の管理下にある『南西部の洞窟』の最新地形図だった。密偵によって得た地図は実に詳細。
話によれば、大規模変動を控えた初期迷宮であるらしく、洞窟内は未踏破の領域が多く残されている。
「これは、まさに天啓、乾天の慈雨! あのイエバがついに見せた隙というやつだ」
グラハムは地図を広げ、地形と魔物の配置に目を凝らした。空間歪曲があると言う岩壁、その先にあるエリアこそが目標地点。
「ふははっ。あの堅物揃いの探究者の灯の内部から、これほどの情報が抜き取れるとはな! まったく、あの男は自らの足元さえ見えぬほど、傲慢になったか!」
グラハムの脳裏には、情報を報告したばかりのザックの得意げな顔が浮かんだ。
ザックたちは探究者の灯での素行が悪く、今や追放措置に近い状態にあるが、確かにブルーベルが『迷宮変動』にまつわる騒ぎを、ギルドホールで起こしていたことを証言している。
今までも新人冒険者への妨害や抹殺工作を行っていたザックだが、この情報の裏付けが出来たのであれば上々といったところだろう。
「そろそろ潮時ではあったしな。ふん、別に他にも潜り込ませているやつはいる。少なくとも、地図はこうして手に入ったのだ。これで我々がこのアリアーテを救った、という栄誉を手にすることが出来る」
実のところ、かのギルドが作り上げる地図情報の信頼性は高い。
長年の蓄積が積まれた情報分析力は、確かに群を抜いている。特に、この地図は、探究者の灯の受付嬢ブルーベルが分析した最終版だという報告が添えられていた。
あれはイエバと同じく、ギルドに眠る深淵なる叡智『閉ざされた図書館』に触れることが出来る、数少ない人間だということだけはわかっている。
出来れば手中に収めたかったところだが、いかんせん今まではガードが堅かった。
「いずれはあの小娘も手に入れてやるが、まずは目に物をみせてやるぞ、イエバめ。ふははは! 今度こそ、貴様に一泡吹かせてやるっ!」
グラハムのひどく傷つけられてきた自尊心をついに、回復させる機会が回って来たのだ。衝動のまま高らかに笑うと、備え付けていたベルを鳴らす。
至高の紋章の幹部らが、その音に引き寄せられて執務室へと現れた。
「マスター、お呼びでしょうか?」
「ああ、良い知らせだ! 探究者の灯がひた隠しにしていた『南西部の洞窟』の情報を手に入れたぞ! なんと、大規模な迷宮化の兆候があるらしい。そこの詳細な地形図と魔物情報まである、ブルーベルの小娘が分析したという最新版のな!」
「それは、まことですかマスター!」
幹部たちの顔にも、驚きと喜びの色が広がる。
「ああ、そうだとも! 我らが至高の紋章が、探究者の灯を出し抜き、この迷宮化の危機を率先して解決するのだ。同時に初期迷宮に表出した資源をも独占する!」
グラハムの振るう熱弁に耳を傾けながら、幹部たちは地図に群がり、その詳細な内容に感嘆の声を上げる。彼らは探究者の灯の情報分析能力の高さを知っていたからこそ、この地図の価値をより深く理解できた。
実際の所、ライバルであるイエバとその部下に、直接的に対峙してきたのはこの幹部たちだった。
「素晴らしい情報です、マスター。これならば、我々が先んじて攻略し、アリアーテの危機を救ったという名誉を独占できるでしょう」
「うむ! さらに、今回は特別に高額な報酬を提示して、精鋭を送り込む。この都市防衛の先駆けとなることで、我らが至高の紋章の名声を揺るぎないものとするのだ」
空間歪曲があるとされる岩壁、その先に広がる未知の領域。発生し表出したばかりの空間はまさに宝の山に違いなかった。
「予測される魔物も広さも、既に予測されきっている。もはや恐れるものなど何もない! 魔物を相当し、迷宮の進行を食い止めるのだ!」
グラハムは、既に勝利の美酒に酔った表情で語る。
迷宮化した洞窟を我がギルドが先陣を切って鎮圧し、住民から喝采を浴びる未来だ。一方、探究者の灯は対応の遅れを非難され、その権威は失墜する。
そうして、都市の『知』の中心を至高の紋章が掌握し、イエバという目障りな存在を駆逐する。ああ、なんと輝かしい未来だろうか。
――それから程なくして、至高の紋章が送り込んだ精鋭攻略部隊は、南西部の洞窟へと突入した。警備にいた見習い冒険者たちなど、平然と無視した。彼らに止める権限など何もない。
精鋭たちはグラハムから与えられた『最新の攻略情報』を信じ、迷宮の奥深くへと進んでいく。その足取りは自信に満ち、自分たちが手にする富と栄光を確信していた。
しかし、彼らが知る由もなかった。その地図が、イエバによって巧妙に仕組まれた罠であるということを。
結局のところ、グラハムが『天啓』を得たと信じた瞬間から、誤算の歯車は既に回り始めていたのだ。