転生令嬢は悪役になりきれない ~真実の愛が、私を断罪から救う~
大広間に差し込む午後の日差しは、私の運命を断罪するかのようだった。王太子アレクシス殿下の隣に立つ、公爵令嬢アリアンナ。それが、この私だ。
「……アリアンナ。僕は君との婚約を破棄する」
アレクシス殿下の声が、広間に重く響き渡る。その隣には、純白のドレスを纏った一人の乙女がいた。男爵令嬢、リリアーナ。彼女こそが、この乙女ゲームの「ヒロイン」だ。
ああ、来たか。ついにこの時が。
私は、前世の記憶を持つ転生者だ。ごく普通の社畜OLだった私が目覚めたのは、生前プレイしていた乙女ゲームの世界。しかも、よりにもよって「悪役令嬢アリアンナ」に転生してしまった。ゲームのシナリオ通りなら、私はここで王太子に断罪され、修道院送りにされるはずだった。
だから私は、悪役令嬢らしく振る舞わないよう、ひっそりと目立たぬように生きてきた。ゲーム内の悪役令嬢が犯すはずの悪行は、すべて回避してきたつもりだ。
しかし、どうやら運命はそう簡単に捻じ曲がらないらしい。
「殿下、なぜでございますか!」
私の父である公爵が、驚きと怒りに声を荒げる。アレクシス殿下はリリアーナの手を握り、陶酔したように言った。
「僕はリリアーナと真実の愛に生きることを誓った。貴族のしきたりなど、時代遅れの鎖だ。リリアーナこそが、僕の未来を照らす光なのだから」
リリアーナは、はにかむように微笑んでいるが、その瞳の奥には、どこか冷たい光が宿っているのを私は見逃さなかった。まるで、全てを計算し尽くしたかのような、「勝者」の顔だ。
「アリアンナ! これほどまで殿下をお惑わせるとは! やはりあなたは悪役令嬢に相応しい!」
悔しさに震える私を、どこからか「やっぱりね」という声が聞こえてくる。
そんな私をあざ笑うかのように、アレクシス殿下は続ける。
「アリアンナ、君はリリアーナを虐げ、傷つけてきた。その罪は重い。よって、君には修道院での謹慎を命じる!」
はぁ、と心の中でため息をつく。もうどうでもいい。私の人生は、ゲームのシナリオに縛られている。抵抗したところで無駄だろう。
そう諦めかけたその時だった。
「待て! 断罪ならば、私が先に!」
広間の扉がけたたましい音を立てて開き、一人の男が姿を現した。
その男の姿を見た瞬間、広間はざわめきに包まれた。漆黒の髪に真紅の瞳、そして額からは二本の鋭い角が生えている。
魔族の騎士、ゼノス・クロノス。
彼は、乙女ゲームではラスボスの一歩手前、あるいは隠し攻略対象として登場する、冷酷な魔族の騎士だ。
ゼノスは、迷いなくアレクシス殿下へと向かっていく。アレクシス殿下は怯んだように一歩後ずさった。
「ゼノス、何を…!?」
「殿下、私はアリアンナ様をいただきます。婚約破棄の代償としては、不足はないでしょう?」
ゼノスの言葉に、広間の全員が息を呑んだ。
そして、ゼノスはまっすぐ私を見つめ、跪いた。
「アリアンナ様。私と共に、この地を離れませんか?」
彼の真紅の瞳には、一切の迷いがない。私は困惑する。なぜゼノスがここに?そして、なぜ私を?
「ゼノス殿、なぜそのようなことを……」
アレクシス殿下が声を震わせる。
「アリアンナ様は、この国の危機を救った「隠れた功労者」だからです」
ゼノスの言葉に、広間はさらにざわめく。
「この数ヶ月間、リリアーナ様は「未来の知識」と称し、殿下を惑わせ、国庫を私物化してきた。外交においても、誤った助言によって周辺国との間に不和を生じさせていた」
まさか、ゼノスがそこまで知っているとは。私は驚きに目を見開く。
「その一方で、アリアンナ様は、表に出ることなく、リリアーナ殿下が招いた外交の危機を水面下で修復し、国費の不正利用についても密かに証拠を集めておられた」
ゼノスは、私を見つめ、穏やかな声で続けた。
「私の調べによれば、リリアーナ様の「未来の知識」は、前世のゲームの知識を悪用したものに過ぎない。そして、アリアンナ様もまた、前世の記憶を持つ転生者である、と私は確信しております」
その言葉に、私は息を呑んだ。まさか、彼がそこまで見抜いていたとは。
「その上、彼女は出自を詐称している。リリアーナ・カルンディスは、王都の商会を通じて身分を偽り、貴族台帳に登録した。その商会は、既に二年前に解散済みだ」
ゼノスは、広間の貴族たちに冷たい視線を向け、言い放った。
「このような女に操られ、国の根幹を揺るがす行為を重ねたアレクシス殿下の「真実の愛」とやらが、いかに空虚なものか、もうお分かりでしょう?」
アレクシス殿下は顔から血の気を失い、リリアーナは青ざめて震えだした。
「リリアーナは、すでに周辺国に国の機密情報を流していた。その証拠も、ここに」
ゼノスが取り出した書簡に、広間は騒然となった。
それは、リリアーナが周辺国に送っていた暗号文と、王宮内の地図の縮図だった。
「……ま、待って! アリアンナ様が! アリアンナ様が、私に……!」
リリアーナは必死に私を指さし、叫ぶ。
しかし、ゼノスはそんなリリアーナを一瞥し、冷酷に告げた。
「無駄だ。アリアンナ様は、これまであなた方のいかなる悪行にも加担せず、むしろ水面下で国のために尽力されてきた。その証拠は、私が全て握っている」
絶望に顔を歪ませるリリアーナ。そして、自らの愚かさに気づき、項垂れるアレクシス殿下。
広間の貴族たちの視線は、彼らから私へと移っていた。
「アリアンナ様。あなたの「断罪」は、もはやありません。王太子殿下の婚約破棄は、あなたを「裏切り」から救っただけです」
ゼノスは立ち上がり、私に手を差し伸べる。
その瞳は、深紅の輝きを放ち、私をまっすぐ見つめている。
「さあ、アリアンナ様。私と共に、この地を離れませんか? あなたのその聡明さと、誰にも理解されなかった優しさを、私が受け止める」
私は、彼の差し出した手を取った。
前世の記憶に囚われ、悪役令嬢として死ぬ運命を諦めかけていた私。
しかし、目の前のゼノスは、ゲームのシナリオには描かれていなかった真実の愛を私に差し出してくれた。
アレクシス殿下は王位継承権を剥奪され、リリアーナは国外追放となった。
私は、ゼノスと共に彼の故郷である魔族の国へと向かう馬車の中にいた。
「ゼノス様、本当にありがとうございます」
私が感謝を伝えると、ゼノスは私の肩を優しく抱き寄せた。
「礼などいらない。アリアンナ様。あなたは、私が待ち望んだ**「運命の相手」**なのだから」
彼の言葉に、私の頬は熱くなった。
悪役令嬢としての断罪から救われ、私は今、真実の愛を掴んだのだ。
ゲームのシナリオにはない、私だけの新しい未来が、ここから始まる。
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