②橡子
背広の男に続いて2階に上がると、廊下には大勢の人がたむろしていた。
「あぁ、よかった。ここで間違いないようだね」
男は人混みから少し離れて待つことにしたらしい。私も仕方なく隣に立っていることにーー否。『彼ら』からできるだけ離れた位置に居たかったのだ。
廊下に立つ人々は年齢、服装、性別どれも統一感がない。だがそれ以上に明瞭な共通点があった。
傷、だ。
裂傷、打撲、骨折。彼らはそれぞれ重篤な、それこそ命に関わる傷を負っていたのだ。
にもかかわらず、傷の痛みなど無いかのように近くにいる者同士で会話を楽しんでいる。
私はその異様さに眩暈すら覚えた。
「おっと」
フと、背後から声が落ちてきた。
見ると、振り返った私の頭と同じ高さに、先程の男の頭がぶらりと垂れ下がっていた。
「ごめんね、驚かせてしまった。ーー私は首を吊って死んだから頸椎が折れていてね。こうやって、押さえておかないと外れてしまうんだよ」
水風船のように伸びた頭を元の位置に戻しながら照れくさそうに言う男。
私は金縛りに遭ったように手足が痺れたーーと言うより、この現象こそが金縛りと呼ぶに相応しいだろう。
『死者を見つけた』のではない。『死者に見つかった』ことを自覚した生者は、精神と肉体に異常をきたす。
「あはは、そうなんですね!」
ーーその異常こそ、私の風前の灯のような命を繋ぎ止める唯一の策であり、縋り付ける希望なのだ。
「はは!そう笑ってもらえるとこっちも清々しいよ。君はいい子だね」
壊れた表情筋が笑みを作り、男はそれを上手く誤解してくれた。
しかし、気分と舌の滑りがよくなった男は、私と死者としての世間話を続けようとするだろう。
遠からず、私が生者とばれてしまう瞬間が来る。その瞬間を想像することは、壊れた頭でもやめられなくて。
「ところで、君の死因はーー」
「「大変お待たせ致しました」」
致命的な質問を遮り、幼い声が廊下に響き渡った。
声の主は、マントを纏った二人の子供だ。
ーーあの子たちは!
私が夜の学校へ踏み入った原因。左右違いの仮面を付けた、この世ならざる気配を漂わせる二人組。
「「本日はお越しいただき、誠にありがとうございます。準備が整いましたので、順に祭壇へお入りください」」
その号令に従って、死人たちは整然と列を成して職員室に吸い込まれていく。
「さぁ、我々も行こうか」
首吊りの男に促されるまま、頭の働かない私はドアを潜ってしまった。
思えば、これが最後のチャンスだったのだろう。死域から逃れる最後の好機を逃した自覚があった。
職員室に入ると、空間の異質さにまたしても目を疑った。明かりがないのは勿論のこと、普段使われていた机や棚は全て取り払われ、真っさらになったビニール張りの床には複雑な模様が描かれていた。
「はひっ」
違う。模様と思っていたものは文字だ。親指の爪ほどの大きさの、よくわからない文字がびっしりと敷き詰められている。
それだけではない。文字列は床だけでなく、壁や天井まで余すことなく描かれていた。
生理的な嫌悪感を覚える絵面に、思わず喉から声が漏れた。
「おぉ!これが噂の祭壇か」
「楽しみだねぇ」
「すっごく綺麗な儀式なんだって!」
「あー、早くキレイになりたい」
私と違い、死人たちの反応は明るい。男も女も老人も若者も、まるで心待ちにしていた催しを迎えた子供のように。
無邪気にハロウィーンを楽しむ、普通の小学生のように。
「「部屋全体が祭壇になっております。くれぐれも部屋から出られませんよう」」
二人組は部屋に収まった死人たちを見渡して扉を閉めると、揃って両手を掲げるーー瞬間、二人の掌に眩い炎が灯った。
炎は橙から真紅、翠緑、紺碧と絶え間なく色を変えていく。死人はその輝きに大いに湧き立ち、歓声を上げる者もいた。
私はただ眺めることしかできない。声を上げることなど、許されない。
二人組は私の心など知る由もなく、死人たちの声援に応えて恭しく一礼しーー、
「「皆々様。限られたこの時間を、どうぞごゆるりとお楽しみください。ーー只今より、同窓会、並びに穢魂浄鎮の儀を執り行います」」
壊れた死者と、壊れかけの生者を前に、宴の始まりを言祝いだ。